1.生きているって素晴らしい
目が覚めた。
真っ白な視界に、頭の中も真っ白になる。
いや待って、視界が真っ白なんだけど。そもそもここ、ベッドじゃないじゃん。
狭い視界に、体全体が包まれるような感覚。横になっているけれど、背中は平らじゃなくてなんだかゴツゴツしているような感じだ。
これは、そうだ。外出用の防護服の中だ。
慌てて防護服のヘルメットの外側、その積もり積もった灰を左手で拭き取ると、案の定見えたのはどんよりと曇った空と、切り立った高い崖だった。
ああ、崖。
崖だ。思い出した。
「そっか。僕、花を採ろうとして崖から落ちたんだっけ……」
右手を持ち上げると、手には漆黒の花が握られていた。
これを採ろうとして崖から落ちて、その先のとがった崖の突起に思いっきり突き刺さった……までは思い出した。
……突き刺さった?
「うわああ、もしかして僕、死んだ!?」
視界の端にはCAUTIONの文字が点滅しているし、多分命の危険があって……やばい、確認しなきゃだ。
右手、左手は動いたよな。
両足は、よし。動くぞ。
上体を起こして気がついた。
「いやこれ、他の部分の確認できないじゃんね」
首を下げようとして見えるのはヘルメットの端。そもそも首が横にしか回せない。当然だけど体の確認なんてできない。
防護服あるあるだよね。安全と引き換えに、いろいろと動きが阻害されるみたいな。
「警告表示が出ているってことは、何か防護服に異状が起きているってことか」
意識をCAUTIONの文字に向けると、ピッという機械音がして警告内容が表示される。
いや、高かったんだよねこの防護服。
最先端のエリクシル生命維持装置に、動力補助が最大で10倍。
連続稼働可能時間は無補給でなんと10年だとか。これ、ただの保証期間で実質無期限動力だってカタログに書かれていた。
宇宙空間でも使えて、耐圧性能は深海10万メートルとかも書かれていたっけ。
請求書はまだ届いていないけれど、見積もり時点で800万円は超えていた。
そして、表示された情報にさーっと血の気が引く。
「え、腹部背部破損? つまり穴が開いているってこと? 生命維持装置がすでに使われていて、残りの稼働可能な時間が2時間とか。うわマジか、何これどうしよ」
確かここまで来るのに5時間かかった。
目的はこの黒い花だったんだけど、近場の採集場所は先週採り切っちゃってて、新しい防護服の性能を試すついでに調子に乗って山を越えたんだよな。
朝の僕に言いたい。
油単大敵、欲出して山2つ越えて崖下落下とか笑えないぞ。
それより、あと2時間ってどういうこと?
僕の意思に反応して、機械音の後に追加の情報が表示された。思考操作とか無駄に高性能なんだよなこれ。
「なになに、体内貫通した岩石排出の後に、損傷していた内蔵の修復。あと、全身複雑骨折の治療にエリクシルのほぼ全量使用されてるのか。んで、残存電力が予備バッテリーだけと。駄目じゃん」
つまりあれか、火山灰に埋もれた山中で絶体絶命のピンチな訳だ。
わ、笑えない。
まあでも、生きているならなんとかなるか。
改めてここ。現状確認からだ。
まずは切り立った崖下、結構広めの河川敷で少し離れた場所に結構大きな川が流れている。辺りは一面火山灰に埋もれていて、川の水も真っ白だからそのままだと飲み水の確保は絶望的なんだけどそこは、濾過器を使えば……あれ、バックパックは?
背中に手を回すも、引っかかりなし。
上を見上げて察した。絶望的じゃん、これ。
崖の途中に引っかかってるよ、僕のバックパック。
まあ、仕方ないか。
立ち上がって一息。
幸い補助電源でもナビは使えるみたいだし、一番近い麓の村跡地? まで3時間。いや、どうだろう。がんばろう。
2時間過ぎた辺りで、予定通り動力が切れて、防護服が重くなった。
幸いなことに空気濾過システムはフィルター式だから、歩くだけなら何とかなる。ただ重い。とにかくしんどいんだ。
すべてが枯れた林の中を進むも、10センチ以上積もった火山灰に、何度も転けてそのたびに体力を失っていく。生命維持の際に注入されたエリクシルのおかげで、少し休めば体力は回復するものの、さすがに空腹が堪えてきた。
辛くなると余計なことを考え始めるのが人間の性で、踏みしめた火山灰に無性にイライラし出した。
半年前に太平洋の巨大海底火山が突然噴火して、世界が一変したんだよな。
噴き上げた大量の噴煙が成層圏まで吹き上がって、まずアメリカ大陸まで到達。そのままヨーロッパからアジアまで覆って、世界が闇に覆われた。日本は一番遠いから、ギリギリ日光が届いているけれど、降灰も半年続けばかなりの量に達する。
気温が下がって大半の植物が枯れた。まさに世紀末ってとこか。
で、そんな中でも特殊な植物があったわけさ。
今思えば怪しい以外の何物でもないんだけれど、大学の書庫から古い古文書が出てきた。そこに書かれていたのが、不老不死の薬草。黒紫蝶。
当時、自然植生学を専攻していた僕は、それを見つけて一気に沸いた。生えている植物の分布データは、少し前にまとめ終えている。特定の植生、それらが同時に枯れた後にだけ咲く花が、黒紫蝶。
怪しい。
でも実際に発見して、成分抽出の結果、ナノマシン群体エリクシルが開発されたんだ。
医療革命が起きた。
エリクシルを体内に取り込めばすべての病気が快癒し、何なら欠損四肢なんかも再生した。さらに、エリクシル自体が無限に電力を生み出すことから、エネルギー革命すらも巻き起こった。
海底火山噴火で人類絶滅の危機の中にあって起きた、まさに奇跡だった。
植物由来なのに、できたのが機械なの? って、正直思った。
まあ、僕は黒紫蝶の採集と、それと古文書を大学の専門学科に渡しただけで、開発には一切関わっていないんだけどね。
ただ問題があって、黒紫蝶の人工栽培ができなかった。
現地で採取して24時間は鮮度が保つものの、そこから増やせるのが1トン。多いようで、実際に世界に流通させるにはあまりにも少なかった。
そして今ここ。
開発関係者として報奨金が入って、そのお金で最新式の防護服を買って、欲をかいて山奥まで採集に行った結果、あっさりと事故ったわけだ。
廃村に着く頃には、辺りは真っ暗になっていた。
モノクロながら、なぜかしっかりと見える視界に首をかしげつつ、暗闇に沈む廃村の家を一軒ずつ覗いていく。
「誰もいないか。全国の市町村で集団避難したって昔ニュースでやってたし、そもそも世界中の発電所が壊滅してるから、過疎るのも無理ないか」
田舎の古い家だけあって建て付けが悪いのか、家屋の中にまで火山灰が積もっていて、5軒目でやっと新しめの家を見つけられた。
玄関のドアの鍵に手をかざしてアンロック。うっすらと灰は積もっているものの、一晩休む程度なら何とかなりそうで、やっと一息つけた。
色々と限界だったのかな。
なぜ手をかざして扉の鍵が開けられたのか、その時は気づかなかった。
一番奥まった部屋で防護服を脱いで、予備のガスマスクだけ装着した僕の意識は、座った途端に一気に遠退いた。




