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最後の夜

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

ついに、最終決戦の作戦が固まりました。空からの奇襲。それは、この世界の誰もが想像し得ない、科学と魔法、そして技術が融合した、究極の一手です。

決戦を前に、仲間たちは、そして離れた場所で戦うイザベラとレオンハルトは、何を語り、何を想うのか。静かな、最後の夜が訪れます。

 鉄槌の王国アイアンハンマー・キングダムの『大工房(グレート・フォージ)|』は、その日、静かな、しかし灼けつくような熱気に満ちていた。中央の巨大な溶鉱炉の火は落とされ、昼夜を問わず響き渡っていた槌音も、今は止んでいる。その静寂は、一つの偉大な仕事が終わりを告げたことの、何よりの証だった。

 その静寂の中心に、二つの、巨大な翼を持つ異形の機体が、静かにその姿を現していた。木と、布と、そしてドワーフが鍛え上げた軽量合金でできた、優美な、しかし力強い骨格。私が『(ファルコン)』と名付けた、二人乗りの滑空機(グライダー)。科学と技術の粋を集めた、我らが希望の翼だ。その流線形の胴体は、風の抵抗を極限まで減らすための、私の計算に基づいている。そして、鳥の骨格を模した内部のトラス構造は、最小限の重量で最大の強度を確保するための、ギムレックの職人魂の結晶だった。


「……美しい。まるで、生きているかのようだわ」

 私は、完成したばかりの機体の、その滑らかな機体を、そっと撫でた。私の脳内にあった、ただの設計図が、今、現実の形となって、目の前にある。その感動に、科学者としての魂が打ち震えていた。

「へっ。お嬢ちゃんの設計図が、ちいとばかし、イカれてただけだ」

 隣で、腕を組みながら機体を眺めていたギムレックが、ぶっきらぼうに言った 。彼の体は、まだ完治には程遠く、分厚い包帯が痛々しい。だが、その瞳には、最高の仕事を成し遂げた職人だけが宿す、誇りに満ちた光が燃え盛っていた。

「翼の揚力(ようりょく)を最大化するための、この絶妙な反り具合。尾翼とのバランス。……お嬢ちゃん、てめえ、本当に人間の貴族か? 前世は、空を飛ぶ鳥だったんじゃねえのか?」

「ふふ。さあ、どうかしら。ですが、この翼に命を吹き込んでくださったのは、あなた方ですわ、ギムレック殿」

 私たちの周りでは、人間、ドワーフ、エルフからなる、最終決戦のための混成部隊が、最後の準備を、粛々と進めていた。クラウス副官が、騎士たちに最終的な指示を与え、アルフレッドとハンナが、決戦の地へ持ち込む『星の癒し手(アステラ-ヒーラー)』の母株(マザー-ストック)を、衝撃を吸収する特殊な緩衝材と共に、厳重に梱包している 。

 明日、夜明けと共に、私たちは、この大工房の最深部に隠された、古代の通路を通り、黒鉄山の山頂へと向かう。そして、そこから、エルフの風の魔法を使い、遥か西、聖アグネス神聖法国へと、飛ぶのだ。

 それは、この世界の歴史上、誰も成し遂げたことのない、壮大な奇襲作戦。

 最後の、夜だった。


 その夜、大工房の一角で、ささやかな、しかし、忘れられない宴が開かれた。

 ドワーフたちが持ち寄った、岩のように硬い黒パンと、火を噴くように強い蒸留酒。エルフたちが、森から携えてきた、芳醇な香りの果実と、清らかな泉の水。そして、私がヴェルテンベルクで開発した、『ザワークラウト』と、ベリーのジャム 。

 決して交わることのなかった、三つの種族の食文化が、一つのテーブルの上に、ぎこちなく、しかし、確かに共存していた。


「……おい、(とんが)(みみ)。てめえらの水みてえな酒は、どうも好かんな」

 ギムレックが、エルフの差し出した杯を呷り、顔をしかめる。

「それは、こちらの言葉だ、山掘(やまほ)り。お主たちの酒は、喉が焼けるだけの、ただの液体ではないか」

 エルフの部隊を率いるラエロンが、涼しい顔で言い返す。

 だが、そのやり取りには、もはや以前のような、刺々しい敵意はなかった。むしろ、長年の好敵手と再会したかのような、どこか楽しげな響きさえあった。あの地下プラントでの死闘が、彼らの間の氷を、完全に溶かしたのだ。

「だが」と、ギムレックは続けた。「お前さんたちの長が、俺の命を救ってくれたことには、感謝している。この恩は、必ず返す。……鉄でな」

「ふん。我らが望むのは、鉄の塊ではない。お主たちが、これ以上、大地を無闇に傷つけぬことだけだ」

 ラエロンはそう言うと、自らの杯に、ドワーフの蒸留酒を注ぎ、それを一気に呷った。そして、顔を真っ赤にしながら、激しく咳き込んだ。

 その姿を見て、ドワーフたちが、腹を抱えて笑い出す。エルフたちも、最初は呆れていたが、やがて、つられたように、くすくすと笑い始めた。

 私は、その光景を、静かな感動と共に、見つめていた。

 クラウス副官が、私の隣に来て、静かに言った。

「……信じられませんな、イザベラ様。数ヶ月前まで、彼らがこうして同じ卓を囲むなど、誰が想像できたでしょう」

「ええ。ですが、これもまた、科学がもたらした、一つの『化学反応(かがくはんのう)』なのかもしれませんわね、クラウス」

 絶望という、共通の触媒が、決して混じり合うことのなかった、三つの元素を、一つの、新たな化合物へと、変えたのだ。


 宴の喧騒から少し離れた場所で、私は一人、大工房の隅に鎮座する『|真実の鏡《ミラー-オブ-トゥルース》』の前に立っていた。その水晶盤は、今は光を失い、静かに沈黙している。

(……レオンハルト様は、今頃……)

 彼は、今、王都で、陽動部隊の、最終的な指揮を執っているはずだ。私たちが空からの奇襲を成功させるためには、彼が、どれほどの重圧と、危険を引き受けてくれているか。考えただけで、胸が締め付けられるようだった。

 私が、この世界の未来を賭けた戦いに、臆することなく臨めるのは、彼が、私の背後を、そしてこの国を、絶対に守り抜いてくれるという、揺るぎない信頼があるからだ。

 私の『剣』は、彼の『盾』があってこそ、その真価を発揮できるのだから 。


「お嬢様」

 背後から、アルフレッドの、穏やかな声がした。その手には、一枚の、厳重に封蝋された羊皮紙が握られていた。

「王都より、摂政殿下の、最後の伝令が、たった今、到着いたしました」

「……レオンハルト様から……!」

 私は、震える手で、その親書を受け取った。周囲に誰もいないことを確認し、封を切る。そこに記されていたのは、彼の、いつものように、簡潔で、しかし、力強い筆跡だった。


『陽動部隊、配置完了。明日未明、我らは、神聖法国の国境に対し、総攻撃を開始する。貴様らが、奴らの心臓に刃を突き立てるための、時間を、我が軍の全てを賭けて、稼ぎ出す』


 そこまで読んで、私は息を呑んだ。総攻撃。それは、シュヴァルツェンベルクの、そして鉄槌の王国の、多くの兵士たちの命を危険に晒す、あまりにも過酷な作戦。全ては、私の、この奇襲作戦を、成功させるためだけに。

 私は、唇を噛み締めながら、その先を読み進めた。

 その最後は、私信として、こう結ばれていた。


『盾は、今しばらくは持ち堪える。早く、剣を持って帰ってこい、イザベラ。……俺は、ここで、待っている』


 その、最後の一文。

 私の胸の奥で、何かが、音を立てて、弾けた。

 待っている。

 その、あまりにも不器用で、しかし、あまりにも真っ直ぐな言葉が、私の心の、最後の壁を、溶かしていく。

 政略でも、同盟でもない。ただ、一人の男が、一人の女の帰りを、待っている。

 私の頬を、一筋の、熱いものが伝った。

 それは、悪役令嬢イザベラのものでもなく、研究者・茅野莉子のものでもない。

 ただ、恋する、一人の女の、涙だった。


 私は、涙を拭うと、アルフレッドが差し出してくれた羊皮紙と羽ペンを手に取った。

 返信は、書かないつもりだった。だが、書かずには、いられなかった。

 私は、ただ一言だけ、そこに記した。


『――必ず、生きて、あなたの元へ』


 夜が、明ける。

 黒鉄山の山頂は、身を切るような、冷たい風が吹き荒れていた。

 眼下には、雲海が広がり、その遥か彼方、西の地平線が、教皇の支配する闇に沈んでいる。

 私の隣には、操縦桿を握るギムレック。後部座席には、風の魔法を詠唱するラエロンと、母株のケースを固く抱きしめるハンナ。

 もう一機の『隼』には、クラウスと、エルフの賢者、そしてドワーフの技術者が乗り込んでいる。

「準備はいいか、お嬢ちゃん!」

 ギムレックの、興奮に満ちた声が、風に響く。

「ええ、いつでも!」

「よし、行くぞ! 尖り耳! てめえらの、そよ風じゃねえ、本物の嵐を、見せてみやがれ!」

「黙れ、山掘り。我らの歌は、天を動かす」

 ラエロンが、古の呪文を紡ぎ始めると、私たちの機体の周囲に、目に見えない、力強い風の渦が、生まれ始めた。

 私は、西の空を、まっすぐに見据えた。

(待っていてください、レオンハルト様)

 私の剣は、今、あなたの元へと、向かいます。


「――発進!」


 私の号令を合図に、二機の『隼』は、崖の縁から、雲海へと、その身を躍らせた。

 人類史上、初の、科学と魔法が融合した翼が、今、最終決戦の地へと、飛び立ったのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ついに、イザベラは、最終決戦への、壮大な作戦を明らかにしました。空からの奇襲。それは、この世界の誰もが想像し得ない、科学と魔法、そして技術が融合した、究極の一手です。

そして、王都で孤独に戦うレオンハルト。二つの戦場が、ついに一つの結末へと向かいます。


次回「最後の夜」。決戦を前に、仲間たちは、そしてイザベラとレオンハルトは、何を語り、何を想うのか。


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