最終決戦の地へ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、敵の力の根源と、教皇の真の目的が明らかになりました。それは、生命の設計図そのものを悪用した、冒涜的な技術。そして、その真実を知った上で、人類を管理しようとする、歪んだ秩序でした。
絶望的な真実を前に、イザベラは、科学者として、そして、この星に生きる者として、最後の戦いを決意します。物語は、ついに、フェーズ3へと突入します。
大工房|の静寂は、重かった。
壁に映し出された、歪んだ二重螺旋の光は、もはや消えていたが、そのおぞましい光景は、そこにいる全ての者の網膜に、そして魂に、深く焼き付いていた。生命の設計図を反転|させ、破壊のためだけに使役する、冒涜的な技術。そして、その力を恐れるあまり、人類の進化そのものを止めようとする、教皇ヴァレリウスの歪んだ『秩序』 。
私たちが戦うべき相手の正体は、あまりにも巨大で、そして根源的だった。
「……つまり、こういうことか」
最初に沈黙を破ったのは、ドワーフの王ブロック・アイアンハンマーだった。彼は、玉座ではなく、私たちと同じ床に立ち、その威厳に満ちた顔に、深い苦悩の色を浮かべていた。
「敵の心臓は、遥か西。聖アグネス神聖法国。そして、奴らが操るは、我らの知る、いかなる魔法とも、兵器とも違う、世界の理そのものを書き換える力。……我らは、神にでも、戦いを挑むと申すのか、イザベラよ」
彼の問いは、この場にいる全員の、代弁だった。その声には、何百年もの間、鉄と炎だけを信じて生きてきた種族の王としての、深い戸惑いが滲んでいた。神などという、不確かな存在。だが、今、自分たちが対峙している力は、まさしく神の御業としか思えなかったのだ。
私は、静かに頷いた。
「いいえ、陛下。私たちは、神に戦いを挑むのではありません。神を騙る悪魔に、その罪を償わせるのです。そして、そのための武器は、すでに私たちの手の中にありますわ」
私は、アルフレッドとハンナが、命がけで守り抜いた、ガラスケースの中の『母株|』を、そっと撫でた 。古代の叡智を受け継いだ、本物の、生命の力。歪められていない、清浄な『生命の設計図』そのもの。
「私たちの目的は、破壊ではありません。治療です。敵の力の源泉である、あの歪んだ螺旋に、この子たちが持つ、本物の生命の情報を『上書き』する。汚染されたシステムを、内側から浄化するのです。いわば、究極の、遺伝子治療ですわね」
「……面白い。実に、面白いではないか」
議長エララが、その美しい顔に、闘志の炎を宿して、言った。彼女の瞳には、もはや絶望の色はない。敵の正体が、世界の理を歪める『不協和音』であるならば、それを正しき『調和』へと導くことこそ、彼女たちエルフの、存在意義そのものだったからだ。
「毒には、薬を。歪みには、調和を。それこそが、我ら森の民が、古より伝えてきた理。……だが、科学者よ。どうやって、その『薬』を、蛇の巣穴の、その中心まで届けるというのだ」
「その通りだぜ、お嬢ちゃん」
傷の癒えぬ身を押して、ギムレックが立ち上がる 。彼の巨体はまだ包帯に巻かれていたが、その声には、いつもの力が戻っていた。
「奴らの本拠地は、鉄壁の要塞。生半可な軍では、門を潜ることすらできん。それに、奴らは、再びあの『執行官』のような化け物を、繰り出してくるかもしれん」
彼らの懸念は、もっともだった。私たちの手にある希望は、あまりにも小さく、そして脆い。聖アグネス神聖法国は、その宗教的権威によって、大陸西部の国々を事実上の支配下に置く、巨大な帝国だ。正面から戦いを挑むのは、あまりにも無謀だった。
私は、大工房の壁に掛けられた、王国全土の地図の前へと歩みを進めた。そして、一つの、大胆な作戦の全貌を、明らかにした。
「私たちの最終目標は、聖アグネス神聖法国の心臓部――『エデン』システムのマスターコントロールユニットの破壊、いえ、浄化です 。そのためには、二つの、大規模な作戦が、同時に必要となります」
私は、赤いチョークで、地図の上に、大きく二つの矢印を描き込んだ。一つは、王国と神聖法国の国境線へ。もう一つは、黒鉄山から、大きく弧を描いて、神聖法国の首都へと。
「第一に、陽動。レオンハルト殿下のシュヴァルツェンベルク軍と、鉄槌の王国の軍、そして、王都に残るクラウス副官の騎士団が、三国合同軍を編成。神聖法国の国境に対し、大規模な軍事行動を起こします。これは、敵の注意を、全て国境へと引きつけるための、最大の陽動です」
「なんと……!」
ブロック王が、驚きの声を上げる。それは、事実上の、全面戦争の宣言だった。
「だが、それだけでは、奴らの守りを突破することはできん。我らの軍が、どれほど精強であろうとも、兵站が続かぬ」
彼の言葉に、私は頷く。
「ええ。だからこそ、第二の作戦が必要となります。私と、エルフの皆さん、そして、ギムレレック殿率いる少数の精鋭部隊が、全く別のルートから、敵の心臓部を目指します。彼らが、決して予測できない、空からのルートで」
「……空から、だと?」
「はい。この大工房の、さらに地下深く。古代の王たちが遺した、秘密の通路があると聞いております。それは、この山の、山頂へと続いている、と」
私の言葉に、ブロック王とギムレックの顔色が変わった。
「……なぜ、それを知っている」
「科学的な、推論ですわ。これほどの巨大な地下都市を建造するからには、非常時のための、脱出路が必ず設計されているはずですから。地質データを分析した結果、山頂へと続く、巨大な空洞の存在を確認しました」
私は、続けた。
「そして、山頂から、私たちは、飛び立ちます。私が設計し、ドワーフの技術で建造する、新たな翼――『滑空機』で。エルフの皆さんの、『風の魔法』の力を借りて」
私の、あまりにも奇想天外な作戦に、その場は、水を打ったように静まり返った。
空を、飛ぶ。それは、この世界の、いかなる人間も、ドワーフも、成し遂げたことのない、神の領域。
その、常識を打ち破ったのは、ギムレックの、腹の底からの、豪快な笑い声だった。
「がっはっはっは! 空を飛ぶだと!? 面白い! 面白いじゃねえか、お嬢ちゃん! 鉄の塊が空を飛ぶなんざ、最高の夢物語だ! やってやろうじゃねえか! このギムレックの、生涯最高の仕事としてな!」
彼の熱が、伝播する。エララ議長もまた、その瞳を輝かせた。
「風を読み、風と歌うは、我ら森の民の、最も得意とするところ。その翼、我らが風に乗せてみせよう」
ブロック王もまた、しばらくの沈黙の後、その白銀の髭を揺らし、力強く頷いた。
「よかろう。鉄槌の王国の、全軍を、お主の陽動のために、動かそう。……必ずや、生きて帰ってこい。そして、我らに、空からの土産話を聞かせてくれ」
その時だった。
「ご報告します! 王都の、レオンハルト摂政殿下より、緊急の報せです!」
一人の騎士が、作戦司令部へと駆け込んできた。彼が差し出した親書には、レオンハルトの、力強い、しかし、焦燥の滲む筆跡で、こう記されていた。
『……災厄の拡大、止まらず。北の監視塔からの報告によれば、ナノマシンの雲は、すでに国境を越え、隣国へと侵入し始めている。神聖法国は、この混乱を全て、我らの責と断じ、近隣諸国に『対魔女同盟』の結成を呼びかけている。王都の民心も、再び、恐怖に揺れている。……もはや、時間の猶予はない』
レオンハルトの報告は、我々の状況が、いかに危機的であるかを、改めて突きつけていた。教皇ヴァレリウスは、自らが解き放った災厄すらも、政治的な道具として利用し、我々を国際的に孤立させようとしているのだ。
そして、その親書の最後は、私信として、こう結ばれていた。
『盾は、今しばらくは持ち堪える。早く、剣を持って帰ってこい、イザベラ。……俺は、ここで、待っている』
私は、その親書を、強く握りしめた。
彼は、彼の戦場で、たった一人、戦ってくれている 。
ならば、私も、私の戦場で、勝利を掴むだけだ。
「皆さん。準備を」
私は、仲間たちに向き直り、静かに、しかし、鋼のような意志を込めて、告げた。
「私たちの、最後の戦いが、始まります。……最終決戦の地、聖アグネス神聖法国へ、参りましょう」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、イザベラは、最終決戦への、壮大な作戦を明らかにしました。空からの奇襲。それは、この世界の誰もが想像し得ない、科学と魔法、そして技術が融合した、究極の一手です。
そして、王都で孤独に戦うレオンハルト。二つの戦場が、ついに一つの結末へと向かいます。
次回「最後の夜」。決戦を前に、仲間たちは、そしてイザベラとレオンハルトは、何を語り、何を想うのか。
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