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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
科学の王国と支配の聖女

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禁断の森へ

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

ついに、イザベラは、世界の全ての種族を巻き込む『世界同盟』の、最初の使節として、禁断の地、エルフの森へと向かうことになりました。

犬猿の仲であるドワーフのギムレックを伴っての旅路は、一体どうなるのか。そして、災厄に蝕まれた森で、彼女を待ち受けるものとは。

 鉄槌の王国アイアンハンマー・キングダムを出発して、東へ向かう旅は、日に日にその様相を不気味なものへと変えていった。

 ドワーフの王ブロック・アイアンハンマーは、約束通り、ギムレックを団長とする、最高の地質学者と技術者からなる十数名の使節団を、私に同行させてくれた。彼らの馬車には、分析用の鉱石サンプルや、私の研究を手助けするための精密な道具が、満載されている。

 だが、我々のキャラバンが進むにつれて、ドワーフたちの陽気な槌音や炉の熱気は遠ざかり、代わりに、世界が静かに死んでいく、陰鬱な気配が色濃くなっていく。


「……ちっ。空気が、まずいな」

 私の隣で馬を並べるギムレックが、苦々しげに吐き捨てた 。彼の自慢の赤茶色の髭も、心なしか、いつもより艶がないように見える。



「ええ。空気中のナノマシンの濃度が、指数関数的に上昇していますわ。このままでは、人体への影響も無視できなくなる」

 私は、馬車に設置した簡易的な観測装置――空気中の微粒子を粘着質の板で捕らえるだけの原始的なもの――を確認しながら答える。板には、肉眼では見えないが、光にかざすと虹色に輝く、おびただしい数のナノマシンが付着していた。

 北の空には、常に、あの不気味なオーロラが揺らめいている。それは、もはや遠い地平線の光ではない。我々の、頭上すぐ近くまで、その死の光は迫ってきていた。

 道端の草木は、そのほとんどが、ガラス細工のように結晶化し、風が吹くたびに、からん、ころん、と、乾いた、生命のない音を立てて崩れていく。かつて、ここに流れていたであろう小川は、完全に干上がり、その川床には、魚の形をした、美しい、しかし残酷な水晶のオブジェが、点々と転がっていた。


「おねえちゃん……鳥さんが、鳴いてないね……」

 馬車の中から、ハンナが、不安そうな声で呟いた 。



 その通りだった。この数日間、私たちは、鳥のさえずりも、虫の羽音も、一切聞いていない。世界から、生命の音が、消え失せていた。

 これこそが、『沈黙(・・)()災厄(・・)』。その名の意味を、私たちは、骨身に染みて理解していた。


 そして、旅を始めて五日目。我々は、ついに、その森の入り口にたどり着いた。

 古代(・・)()()、エルフたちの聖域。地図の上では、大陸で最も生命力に満ち溢れた、緑豊かな場所であるはずだった。

 だが、目の前に広がる光景は、その真逆だった。

 森を形成する巨大な木々は、その生命力豊かな緑を失い、病的なまでに色褪せている。枝葉の先端は、まるでダイヤモンドダストを浴びたかのように、きらきらと白く輝き、その輝きは、ゆっくりと、しかし確実に、木の幹の中心へと、侵食を進めていた。

 森の入り口には、結界でも張られているかのように、濃い霧が立ち込めている。だが、それは、朝霧のような、瑞々しいものではない。ナノマシンが飽和し、光を乱反射させている、死の瘴気だった。

「……なんという、おぞましい光景だ……」

 クラウス副官が、馬上で、思わずといった様子で呟いた 。



「ギムレック殿。ここから先は、未知の領域です。全員、警戒を最大レベルに」

「言われずとも、分かっておるわい」

 ギムレックは、愛用の手斧を、鞍から引き抜いた 。他のドワーフたちも、それぞれが誇る戦鎚や戦斧を手に取り、馬車の周囲を固める。その顔には、長年の宿敵の領地へ足を踏み入れることへの不快感と、この異常事態に対する、職人としての純粋な怒りが、ない交ぜになっていた。


 我々は、意を決して、その禁断の森へと、足を踏み入れた。

 一歩、森に入るだけで、空気が変わった。ひんやりと、そして、金属質で、甘いような、奇妙な匂いが、鼻腔を突く。ナノマシンが、有機物を分解する際に発する、特有の匂いだ。

 森の中は、不気味なほど静かだった。風で枝が擦れる音すら、しない。全ての生命が、その動きを止めてしまっているかのようだった。

 その、死の静寂を破ったのは、獣の咆哮だった。

「グルルルルルァァァァッ!」

 左右の茂みから、同時に、数頭の巨大な森狼が飛び出してきた。だが、その姿は、尋常ではなかった。その毛皮の半分は、水晶のように硬質化し、爛々と輝くはずの瞳は、濁ったガラス玉のように、光を失っている。その動きは、生き物のそれではなく、まるで、壊れた絡繰人形のように、ぎこちなく、そして予測不可能だった。

「敵襲! 全員、馬車を守れ!」

 クラウスの号令一下、騎士たちが、即座に盾を構え、円陣を組む。

(とんが)(みみ)どもの、番犬か! だが、こんなガラクタ(・・・・)に、俺たちの斧が止められると思うなよ!」

 ギムレックが吠え、その戦斧が、襲い来る森狼の一頭の、結晶化した前脚を、粉々に打ち砕いた。だが、狼は、痛みを感じる様子もなく、さらに凶暴に、牙を剥いて襲いかかってくる。

「ダメだ、こいつら、痛みを感じていない!」

「怯むな! 隊列を維持しろ!」

 騎士とドワーフたちが、必死に応戦する。だが、敵は、死を恐れない。数で勝る我々も、じりじりと押し込まれ始めていた。

 私は、馬車の中から、冷静に、その戦いを観察していた。

(……中枢神経まで、ナノマシンに侵されている。もはや、彼らは生き物ではない。災厄に操られた、生ける屍……。だが、その動きには、パターンがある。結晶化が進んだ部位は、硬いが、脆い。そして、まだ肉体を保っている部分は、再生能力が著しく低下している……)

「クラウス副官! ギムレック殿!」

 私は、馬車の窓から、声を張り上げた。

関節(・・)()狙って(・・・)ください(・・・・)! 結晶化が進んだ部位は、衝撃に弱い! 動きを止めることだけを、考えて!」

 私の的確な指示に、二人は、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐにその意図を理解したのだろう。

「聞いたな、野郎ども! 狙うは、奴らの蝶番(ちょうつがい)だ!」

 ギムレックの号令で、ドワーフたちの戦術が変わる。彼らは、狼の硬い頭部や胴体を狙うのをやめ、その脚の関節に、的確に、そして強力な一撃を叩き込み始めた。

 ゴッ、という鈍い音と共に、結晶化した関節が、ガラスのように砕け散る。森狼たちは、次々とその動きを止め、不気味な残骸となって、地面に崩れ落ちていった。


 その、凄惨な戦いの様子を、木々の梢から、静かに見下ろす者たちがいた。

 風のようにしなやかな体躯。長く、尖った耳。そして、その手に握られた、美しい白木の弓。エルフだった。

 彼らは、戦いが終わるのを見計らったかのように、音もなく、我々の前に舞い降りた。その数は、二十名ほど。先頭に立つ、銀色の髪を長く編んだ、美しい、しかし、その瞳に深い疲労と、そして人間へのあからさまな敵意を宿したエルフが、その弓を、まっすぐに、私へと向けた。

「……何者だ、お前たち。そして……」

 彼の視線が、ギムレックたちドワーフの姿を捉え、その敵意が、憎悪へと変わった。

「……なぜ、()()()山掘(・・)()ども(・・)()、この聖なる森を、その汚れた足で踏み荒らしている」

 その言葉に、ギムレックの額に、青筋が浮かんだ。

「……なんだと、この、木かじり(・・・・)()若造(・・)が……!」

 一触即発。クラウスの騎士たちが、剣の柄に手をかける。エルフたちの弓が、一斉に、満月のように引き絞られた。

 その、張り詰めた糸を断ち切ったのは、私の、静かな、しかし、凛とした声だった。


「お待ちになって、森の民の方々。私たちは、戦いに来たのではありませんわ」

 私は、アルフレッドの制止を振り切り、無防なまま、馬車から降り立った。そして、エルフたちの前に、ゆっくりと進み出る。

「私の名は、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルク。あなた方に、この森を、そして、この世界を蝕む、共通の脅威について、お話しするために参りました」

 エルフのリーダーは、弓を降ろさないまま、私を冷ややかに見下ろした。

「……人間の、貴族風情が、我らに何を語るというのだ。この森の異変は、お前たち人間と、そして、そこの山掘りどもが、大地の理を乱したことへの、天罰に他ならん」

「いいえ、違いますわ」

 私は、きっぱりと首を横に振った。

「これは、天罰などという、曖昧なものではありません。これは、あなた方の言う『大地の理』――すなわち、マナ(・・)()流れ(・・)そのもの(・・・・)()寄生(・・)し、それを毒へと(・・・)変える(・・・)、極めて科学的(・・・)()侵略(・・)なのです」

 私の言葉に、エルフのリーダーの眉が、ぴくりと動いた。

「……何……だと……?」

 私は、懐から、一枚の、特殊な羊皮紙を取り出した。それは、ドワーフの研究所で、私が書き上げた、この世界の『龍脈』――マナの流れの、詳細な地図だった。

「あなた方の森が、これほどまでに早く、深く、病に侵されている理由。それは、この森が、大陸で最も、マナの流れが豊かな場所だからです。……あなた方の、その誇りこそが、今、あなた方自身を、滅ぼそうとしているのですわ」


 私の、あまりにも的確な指摘に、エルフのリーダーは、言葉を失った。

 彼は、しばらくの間、私の顔と、私が差し出した地図を、信じられないものを見るような目で見比べていたが、やがて、その弓を、ゆっくりと、降ろした。

「……お前は、一体、何者なのだ……」

 その問いは、もはや、敵意だけではなかった。そこには、理解を超えた存在への、かすかな畏怖と、そして、藁にもすがるような、わずかな希望の色が、混じっていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ついに、イザベラは、禁断の地でエルフとの接触に成功しました。犬猿の仲であるドワーフを伴っての旅路は、案の定、一触即発の事態を招きましたが、彼女の科学的な知見が、その固い扉を、こじ開けるきっかけとなったようです。

次回「翠緑の議会」。イザベラは、エルフの長老たちを、説得することができるのか。そして、彼らが持つ『真の魔法』の秘密とは。

明日7時10分に更新予定です。

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