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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
科学の王国と支配の聖女

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聖女の神罰と、見えざる脅威

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

イザベラの科学は、旧体制の経済を打ち破り、王国に新たな秩序をもたらし始めました。

しかし、その光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるもの。遥か西方より、静かで、そして最も残酷な脅威が、ヴェルテンベルクの緑豊かな大地に忍び寄ります。

 ヴェルテンベルク王立発酵(おうりつはっこう)ギルドの設立と、新通貨『麦の手形(ヴェルテンビル)』の流通は、旧王都の経済に、静かだが致命的な打撃を与えた 。食料という、生命維持に不可欠な実物資産に裏打ちされた我らの通貨は、聖女の奇跡という虚構の上に成り立っていた旧通貨の価値を、日ごとに暴落させていく 。王都の商人たちは、我先にと、その手にある金貨を「麦の手形」に交換しようと、国境の関所に列をなした 。



 剣ではなく、パンと、そして『信用』による革命。それは、私の計算通り、順調に進んでいるように、見えた。


 異変の最初の兆候は、最も実直な男によって、もたらされた。

「総帥。少し、畑の様子がおかしいかもしれません」

 農林再生院現場総監督として、誰よりも畑を熟知しているエリックが、眉間に深い皺を刻んで、私の研究室(ラボ)を訪れたのだ 。



「おかしい、とは?」

「はい。南のC-4区画……最初に『豊穣の女神(デーメーテール)』を導入した、最も生育の良い畑なのですが……」



 彼は、懐から取り出した一枚の麦の葉を、祭壇の上の羊皮紙にそっと置いた 。



「……葉の先に、このような、錆のような、赤黒い斑点が……。最初は数本だけだったのですが、この数日で、区画全体に広がり始めています。こんな病は、見たことがありません」


 私は、すぐさま彼の案内で、問題の畑へと向かった。

 そこには、信じがたい光景が広がっていた。数日前まで、風にそよぐ緑の絨毯のようだった畑が、まるで病に侵されたかのように、所々が赤茶色に変色している。エリックが示した通り、瑞々しい緑の葉の先端から、じわりと滲み出すように、赤黒い斑点が広がっていた。それは、植物が内側から、その生命力を蝕まれているかのような、不吉な兆候だった。

「……ひどい……」

 私の隣で、弟子のハンナが、小さな悲鳴を上げる 。彼女が毎日、愛情を込めて世話をしていた畑だ。その悲しみは、痛いほど伝わってくる。



「アルフレッド、ハンナ。サンプルを採取します。病変部だけでなく、まだ健康に見える部分の葉、茎、そして根元の土壌も、それぞれ別の袋に。コンタミネーション(・・・・・・・・・)には、細心の注意を払って」



 私は、冷静に指示を飛ばしながら、自らも畑に膝をつき、病変部を注意深く観察する。

(……通常の黒穂病や赤錆病とは、症状が異なる。進行速度が、あまりにも速すぎる。それに、この斑点の広がり方……まるで、特定の遺伝情報(・・・・)()標的(・・)にして(・・・)いる(・・)かのようだ(・・・・)

 私の脳裏に、警鐘が鳴り響いていた。これは、自然発生した病ではない。何者かの、明確な悪意(・・)によって(・・・・)設計(・・)された(・・・)、未知の脅威だ。


 その日の午後、私の研究室(ラボ)は、野戦病院のような緊張感に包まれていた。

 ギムレックが作ってくれた簡易顕微鏡で、病変部の組織を拡大観察する 。そこには、おぞましい光景が広がっていた。植物の細胞壁を突き破り、その内部で増殖する、赤黒い菌糸。それは、私がこれまでに見た、どの菌とも違う、異様な形状をしていた。



「……なんて、効率的な侵食なの……。細胞の葉緑体を直接攻撃し、光合成能力を奪いながら、その養分を吸収して増殖している……。これでは、どんなに豊かな土壌も、意味がない」

 私が培養液の入ったシャーレ(・・・・)に、その菌を植え付けると、それは驚くべき速度でコロニーを形成し始めた。だが、奇妙なことに、ヴェルテンベルク領の在来種の雑草から抽出した細胞液を垂らすと、その増殖はぴたりと止まるのだ。

 この菌は、標的(・・)|を選んでいる。私が品種改良を施した、栄養価の高い、優良な作物だけを。


「イザベラ様! 王都より、緊急の報せです!」

 研究に没頭する私のもとに、クラウスが血相を変えて駆け込んできた 。彼が差し出した羊皮紙には、シュヴァルツェンベルクの密偵が掴んだ、最新の情報が記されていた 。



「……なんですって……!」

 そこに書かれていた内容に、私は絶句した。

 ――聖アグネス神聖法国、聖女セラフィナ・リリエンタールが、神聖法国に隣接する親王国において、大々的な『豊穣の儀式』を執り行った。儀式の後、その国の枯れた畑は、一夜にして、黄金色のマナ・ウィートで満たされた 。



 そして、セラフィナは、集まった諸侯と民衆の前で、こう宣言したという。

『東の国にて、神の理を捻じ曲げ、生命を弄ぶ、異端(いたん)魔女(まじょ)が現れました。我が神は、その傲慢さに怒り、彼女の穢れた畑に、神罰(・・)として(・・・)赤き(・・)()()流された(・・・・)のです(・・・)。神を信じる者には祝福を。神に背く者には、永遠の不毛を』


「……神罰ですって……?」

 私の唇から、乾いた笑いが漏れた。

「ふざけないで。これは、神罰などではないわ。これは、科学(・・)による(・・・)宣戦布告(・・・・)|よ」

 全てのピースが、繋がった。

 聖女セラフィナ。彼女は、リリアナのような、システムの操り人形ではない。彼女は、私と同じ、科学の徒。だが、その知識を、全く逆の目的のために使う、恐るべきライバル。

 彼女は、王都の密偵が盗み出した、私の研究データ――おそらくは、魔法機械(グレイ・ダスト)を分解する、あの白い放線菌のサンプル――を解析し、その代謝プロセスを逆用(・・)|したのだ 。



 あの放線菌は、魔法機械(グレイ・ダスト)という、いわば無機物に近いエネルギーを、有機物へと変換する、特殊な酵素を持っていた 。セラフィナは、その酵素の遺伝情報を改変し、逆に、


特定の有機物(私の改良した作物)だけを、効率的に分解し、無力化する、指向性の生物兵器を創り出したのだ。

 そして、それを『エデンシステム』の力で、広範囲に、目に見えない形で散布した 。



 それは、あまりにも悪魔的で、そして、あまりにも……美しい(・・・)科学的犯行だった。


「……どういうことだ、イザベラ」

 いつの間にか、私の背後には、報告を聞きつけたレオンハルトが立っていた 。その顔には、これまでにない、厳しい緊張の色が浮かんでいる。



「敵は、神聖法国。そして、彼らが放ったのは、神罰などという曖昧なものではありません。私の科学が生み出した作物の、その遺伝子だけを狙い撃ちにする、極めて精密な、生物兵器(・・・・)ですわ」



 私の言葉に、その場にいた誰もが、息を呑んだ。

「私が……私が、この土地を救うために生み出した希望の光が、敵の手に渡り、最も深い絶望の影となって、私たちに牙を剥いている。……これが、科学の『()』。知識を解放することの、本当の恐ろしさ……」

 一瞬、私の膝が、がくりと折れそうになった。科学者としての、根源的な罪悪感。私の知識がなければ、この悲劇は起きなかったのではないか、という、悪魔の囁き。

 その私の肩を、力強く支えたのは、レオンハルトの大きな手だった 。



「……馬鹿を言うな」

 彼の声は、低く、しかし、揺るぎなかった 。



「お前の科学は、間違っていない。現に、それは、この土地の民を、飢えから救った。間違っているのは、その知識を、民を支配し、傷つけるために使う、奴らの方だ。……違うか?」



 彼のまっすぐな瞳が、私の迷いを、射抜く。

「……ええ。ええ、その通りですわ」

 私は、顔を上げた。その瞳には、もはや迷いはない。科学者としての、そして、この土地の民の未来を預かる者としての、燃えるような決意の光が宿っていた。


「クラウス、治安維持局を総動員し、領内のパニックを抑えなさい。『これは神罰ではなく、敵国による卑劣な攻撃である』と、民に正確な情報を伝えなさい。恐怖は、無知から生まれるのですから」



「はっ!」

「エリック、ハンナ。あなたたちは、まだ汚染されていない区画の作物を、可能な限り収穫し、ギルドの倉庫へ。そして、病に侵された畑は、これ以上被害が拡大しないよう、全て焼き払ってください。……辛いでしょうが、お願いします」



 エリックは、唇を噛み締め、涙を堪えながら、力強く頷いた 。



「ギムレック、アルフレッド。研究室の全ての機材を、最大効率で稼働できる準備を。これから、不眠不休の戦いになりますわ」



 そして、私は、レオンハルトに向き直った。

「レオンハルト様。私に、時間をください。敵が科学で来たのなら、こちらも、科学で応じるまで。私が(・・)産み出してしまった(・・・・・・・・・)この怪物(・・・・)は、この手で、必ず止めてみせます」


 私の静かな宣戦布告に、彼は、ただ一言、力強く答えた。

「……信じている」


 私の研究室(ラボ)の祭壇の上で、顕微鏡のレンズが、赤黒く不気味に増殖する、見えざる敵の姿を、はっきりと捉えていた。

 聖女の神罰と、科学の脅威。

 二つの見えざる力が、ヴェルテンベルクの大地を舞台に、今、激突しようとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

聖女セラフィナの、あまりにも狡猾で、科学的な攻撃。イザベラは、自らの科学が生み出した影と、正面から向き合うことを決意しました。

希望の象徴だった畑は、今や絶望の戦場へと変わります。

明日7時10分に更新予定です。

次回「反撃の狼煙」。イザベラは、この見えざる脅威に対し、いかなる科学的アプローチで立ち向かうのか。彼女の、孤独で、しかし仲間たちに支えられた、反撃が始まります。

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