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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
腐敗の王国と科学の夜明け

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王都の混乱と、辺境伯の決断

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

イザベラの仕掛けた巧妙な罠が、ついに王都で牙を剥きます。

混乱する王都、そしてその報せを受けた氷鉄の辺境伯。彼の決断が、王国の未来を大きく左右することになります。

 王都エーデンガルドは、見えない熱病に浮かされていた。

 聖女の魔法の衰退と共に、各地から届くのは凶作の報せばかり。『マナ・ウィート』の収穫量は例年の半分以下に落ち込み、食料価格は日に日に高騰。民衆の不満は、もはや隠しきれないほどに膨れ上がっていた。

 そんな焦燥と閉塞感が支配する王宮に、一条の光が差し込んだかのように、あの密偵が帰還した。


「殿下! やりましたぞ! ヴェルテンベルクの秘密を、この手に!」

 玉座の間で、密偵は埃まみれの姿も構わず、一つの小さな容器を恭しく掲げた。王太子アランは、玉座から身を乗り出すようにして、それを食い入るように見つめる。

「これが……あのイザベラが使っているという、奇跡の……」

「はっ! 間違いございません。奴はこれを『種菌』と呼び、土地を甦らせる力の源だと申しておりました。現に、あの不毛の地では、見たこともないほど巨大な作物が育ち、村人どもは宴を開いておりました。これは、間違いなく聖女様の力を超える、新たな奇跡でございます!」

 密偵の言葉に、集まった側近の貴族たちから「おお!」という歓声が上がる。

「素晴らしい! これさえあれば、聖女様の力に頼らずとも、この食糧難を乗り越えられるぞ!」

「さすがは殿下! あの悪女から、国の未来を救う術を奪い返されたのですな!」

 阿諛追従(あゆついしょう)の言葉に、アランは満足げに頷く。彼の隣に立つ聖女リリアナだけが、その顔に不安の色を浮かべていた。

「……アラン様。ですが、それは本当に安全なものなのでしょうか。イザベラ様が、そう易々と秘密を盗ませるとは思えません……」

「何を言うか、リリアナ! 彼女は追放されたただの女だ。それに、これは我が国の未来のためだ。多少の危険など、厭うていられるか!」

 アランは、リリアナの懸念を一蹴すると、すぐに王宮の魔術師長を呼びつけた。

「すぐにこの『種菌』を分析し、大量に培養せよ! そして、王家の直轄農園で、その効果を試すのだ! 成功すれば、この手柄は全て、聖女リリアナを助けた、私の功績となるのだからな!」

 彼の頭の中には、自らの名声と、イザベラへの優越感しか存在していなかった。それが、取り返しのつかない過ちの始まりであることに、彼は気づいていなかった。


 数日後。王家の直轄農園には、王太子アランをはじめ、多くの貴族たちが集まっていた。彼らの目の前では、魔術師たちが培養したという『種菌』が、痩せ細ったマナ・ウィートの畑に、厳かに散布されていく。

「ご覧ください、殿下。この菌は、驚くべき生命力を持っております。数日で、この畑もヴェルテンベルクのように、豊かな実りをもたらすでしょう」

 魔術師長の言葉に、貴族たちは期待に満ちた眼差しを畑へと送る。

 だが、彼らが目にしたのは、奇跡ではなかった。地獄の始まりだった。

 種菌が撒かれた瞬間、畑の土が、まるで黒いインクを垂らしたかのように、じわり、と変色を始めたのだ。そして、鼻を突く、腐った卵のような、強烈な悪臭が立ち上り始めた。

「な、なんだこれは!?」

「土が……土が腐っていくぞ!」

 悲鳴が上がる。痩せてはいたが、かろうじて生きていたマナ・ウィートの苗が、根元から黒く変色し、次々と枯れていく。土の表面には、不気味な泡がぷつぷつと浮かび、まるで大地そのものが断末魔の喘ぎを上げているかのようだった。

 イザベラの仕掛けた罠。それは、あまりにも巧妙で、残酷だった。彼女が盗ませたのは、魔法機械(グレイ・ダスト)を分解する放線菌ではない。特定の条件下で、土壌の窒素を強烈な硫化水素ガスへと変換する、嫌気性の硫酸塩還元菌。そして、それを活性化させるための『活性剤』は、この国の土壌に豊富に含まれる、鉄分そのものだったのだ。

 王都の魔術師たちは、ただ菌を培養しただけ。その性質を、科学的に理解していなかった。善意(と功名心)で行った行為は、畑を豊かにするどころか、全ての生命を拒絶する、猛毒(・・)()土壌(・・)へと(・・)変質(・・)させて(・・・)しまった(・・・・)のだ。

「馬鹿な……なぜだ……イザベラめ、私を謀ったな!」

 アランの絶叫が、悪臭の立ち込める畑に、虚しく響き渡った。


 その報せが、シュヴァルツェンベルク辺境伯領の居城にもたらされたのは、それから二日後のことだった。

「……愚か者めが」

 執務室で報告書を読んでいたレオンハルトは、静かに、しかし心の底からの侮蔑を込めて呟いた。彼の目の前には、腹心である老将軍、バルドが控えている。

「王都の畑が、再起不能の毒の沼と化した、と。そして、時を同じくして、我がシュヴァルツェンベルク家とヴェルテンベルク家の『経済協力協定』が、王宮に突きつけられた。……全て、あの娘の筋書き通りか」

「はっ。クラウスからの報告によりますと、協定書を突きつけられた王太子は、激昂し、イザベラ様を反逆者として断罪すると息巻いているとのこと。ですが、時すでに遅し。王都の食糧危機は、もはや隠しようのない段階に達しております」

 レオンハルトは、椅子から立ち上がると、壁に掛けられた王国の全図へと歩み寄った。その地図の上には、赤い駒(王太子派)と、黒い駒(辺境伯派)が、複雑に配置されている。

「……彼女は、ただの農学者ではない。恐るべき、戦略家だ。敵の欲を読み、その手に自滅への引き金を握らせる。そして、敵が混乱の極みにあるまさにその瞬間に、政治的な王手を突きつける。……これほどの才覚、なぜ王都の誰もが見抜けなかったのか」

 彼の声には、もはや感嘆を通り越して、ある種の畏怖が混じっていた。

「辺境伯様。いかがいたしますか。王太子は、おそらく我らに対し、協定の破棄と、イザベラ様の身柄引き渡しを要求してくるでしょう。下手をすれば、我が領地への派兵も……」

 バルド将軍の懸念に、レオンハルトは静かに首を横に振った。

「派兵などできんよ。飢えた兵が、まともに戦えるものか。それに……」

 彼は、地図の上で、ヴェルテンベルク領を示す駒を、そっと指で撫でた。

「……俺は、彼女に賭けたのだ。俺の、そして、この国の未来をな」

 レオンハルトは、執務机に戻ると、一枚の羊皮紙を取り、羽ペンを走らせ始めた。それは、淀みない、決然とした筆致だった。

「バルド」

「はっ」

「これより、シュヴァルツェンベルク辺境伯の名において、王国全土の貴族、及び、隣国の諸侯に対し、通達を出す」

 彼は、書き終えた羊皮紙を、バルドに手渡した。そこに記されていたのは、王国を震撼させるに足る、あまりにも衝撃的な内容だった。

 一つ。王太子アランの度重なる愚行と、聖女リリアナの欺瞞により、エーデンガルド王国は、今、建国以来の危機に瀕していること。

 一つ。この危機を乗り越える唯一の道は、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルク公爵令嬢の持つ、科学的知見による国土再生計画のみであること。

 そして、一つ。

「我、レオンハルト・フォン・シュヴァルツェンベルクは、本日ただ今をもって、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルク公爵令嬢を、我が正式(・・)()婚約者(・・・)として(・・・)、我が命に代えても、これを守り抜くことを、ここに宣言する」


「……こ、婚約……でございますか!?」

 さすがの老将軍も、絶句した。

「ああ。同盟者として、彼女を守るには、これが最も確実で、そして強力な盾となる。そして……」

 レオンハルトは、窓の外に広がる、自らが守るべき北の領地を見つめながら、静かに言った。

「……あれほどの女を、他の誰かにくれてやる気は、俺には毛頭ないんでな」

 その横顔に浮かんでいたのは、もはや氷鉄の辺境伯の貌ではなかった。ただ、一人の女に心を奪われた、一人の男の、独占欲に満ちた、熱い貌だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

イザベラの罠が王都を混乱の渦に陥れ、それを受けたレオンハルトは、ついに最大の切り札を切りました。まさかの婚約宣言! 物語は、国家を揺るがす、新たなステージへと突入します。


次回は、明日更新予定です。

次回「婚約宣言の波紋」。レオンハルトの爆弾発言は、ヴェルテンベルクに、そしてイザベラ自身の心に、どのような波紋を広げるのでしょうか。


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