多機能播種機、完成
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
イザベラの知識とドワーフの技術が融合し、領地改革を加速させる驚異の新兵器が誕生します。
それは、この世界の農業の歴史を塗り替える、革命の始まりでした。
レオンハルトとの同盟締結から、一ヶ月が過ぎた。
ヴェルテンベルク領の再生は、ドワーフという最高の技術者集団の参加により、新たなフェーズへと突入していた。黒く豊かな腐植土は、騎士たちと村人たちの尽力により、着実にその面積を広げている。だが、私は次の、そしてより大きな壁に直面していた。それは、時間という絶対的な制約だった。
「令嬢様。B-2区画の開墾、完了しました。ですが、このペースでは、春の本格的な作付けまでに、計画の四分の一も終わりそうにありません」
作戦会議の席で、エリックが悔しそうに報告する。彼の言う通りだった。土壌の再生は順調だ。しかし、その土に種を蒔き、作物を育てるための「マンパワー」が、圧倒的に不足していた。村人、騎士、ドワーフ、その全員が休む間もなく働いても、この広大な土地を人の手だけで耕し、種を蒔くには、限界があった。
「……わかっているわ、エリック。だからこそ、私たちは新たな『仲間』を迎え入れる必要があるの」
「新たな、仲間……でございますか?」
アルフレッドが不思議そうに尋ねる。
「ええ。鉄と、木と、そして歯車でできた、文句も言わず、疲れも知らず、私たちのために働いてくれる、とても力強い仲間をね」
私は、祭壇の上に広げられた、一枚の巨大な羊皮紙を指し示した。そこには、私がこの数週間、心血を注いで描き上げた、極めて複雑で、精密な機械の設計図があった。
「これは……?」
集まった村の代表たち、騎士のクラウス副官、そしてドワーフの親方ギムレックが、設計図を覗き込む。
「『多機能播種機』。私がそう名付けた、新しい農具ですわ。牛や馬に引かせることで、土を耕し(耕耘)、適切な深さと間隔で種を蒔き(播種)、そして栄養となる肥料を散布する(施肥)。これら三つの工程を、一度に行うことができる、魔法の機械よ」
私の説明に、その場にいた全員が、言葉を失った。彼らの常識では、農作業とは、一つ一つを人間の手で、地道に行うもの。三つの作業を同時に行う機械など、想像の範疇を超えていた。
「……お嬢ちゃん。こいつは……本気か?」
最初に沈黙を破ったのは、ギムレックだった。彼は、設計図に描かれた複雑な歯車の連動部分や、種の排出量を調整する機構を、食い入るように見つめている。
「冗談で、このような精密な図面が描けるものですか」
「……確かに。この歯車の噛み合わせ、寸分の狂いもねえ。だが、こんなもん、本当に作れるのか? いや、それ以前に、こんな複雑なもんが、本当に畑で役に立つのか?」
「立ちますわ。いえ、立たせてみせます。そのために、あなた方の力が必要なのです、ギムレック殿」
私は、彼の職人としてのプライドを、正面から刺激した。
「この設計図は、私の科学の粋を集めたものです。ですが、これはまだ、ただの紙の上の空論。これに命を吹き込み、現実に動く鉄の体にできるのは、この世界で、あなた方ドワーフをおいて他にいません。……この挑戦、受けてはいただけませんか?」
ギムレックは、しばらく唸っていたが、やがて、その厳つい顔に、ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべた。
「……がっはっは! 面白い! 面白いじゃねえか、お嬢ちゃん! よかろう! その挑戦、このギムレックと、黒鉄山のドワーフ一同、謹んでお受けしよう! 見せてやるぜ、人間の想像を遥かに超える、我らドワーフの真の技術とやらをな!」
その日から、黒鉄山の工房は、かつてないほどの熱気に包まれた。
『多機能播種機』の製造は、困難を極めた。設計図通りに部品を作ること自体は、ドワーフたちの腕をもってすれば造作もない。だが、問題は、それぞれの部品が連動し、一つの有機的な機械として機能するための、微調整にあった。
「ダメだ、お嬢ちゃん! この歯車だと、回転が速すぎて、種が潰れちまう!」
「ならば、歯車の直径をもう銅貨二枚分厚くして、歯の数を三つ増やしてみて! それで回転トルクが落ち、排出速度が安定するはずよ!」
「クラウス殿! その主軸の木材、乾燥が足りん! 強度が計算値を下回っておるぞ! すぐに別の材と交換だ!」
「承知した!」
工房は、さながら戦場のようだった。私の科学的知識、ドワーフたちの職人技、そして騎士たちの規律と実行力。異なる分野の専門家たちが、一つの目標に向かって、互いの知識と経験をぶつけ合い、融合させていく。
私は、泥と油にまみれながら、彼らの中心で指示を飛ばし続けた。時には、ギムレックと夜通し議論を交わし、時には、クラウスと共に資材の強度計算を行った。それは、過酷だったが、前世の研究室では決して味わえなかった、ものづくりの喜びに満ちた、充実した時間だった。
そして、着工から三週間後。
ついに、その『仲間』は、ヴェルテンベルクの広場に、その威容を現した。
それは、巨大な木製の箱に、鉄の歯車と、いくつもの刃が取り付けられた、異様な姿の機械だった。村人たちは、遠巻きに、恐れと好奇が入り混じった目で、それを見つめている。
「……本当に、こんなものが動くのか……?」
誰かが、不安そうに呟いた。
私は、集まった全ての人々――村人、騎士、そして誇らしげな顔のドワーフたち――を見渡し、静かに宣言した。
「これより、『多機能播種機』一号機、コードネーム『豊穣の女神』の、起動実験を開始します!」
エリックが、村で一番力のある牛を二頭、引いてきた。播種機の前に、頑丈な軛で牛を繋ぎ、準備は整った。
私が、操縦席に乗り込む。そこには、種の排出量を調整するレバーや、耕耘刃の深さを変えるハンドルなど、複雑な機構が並んでいた。
「イザベラ様、お気を付けて!」
クラウスが、緊張した面持ちで声をかける。私は、彼に力強く頷き返すと、牛を引くエリックに合図を送った。
「発進!」
エリックが鞭を軽く振るうと、二頭の牛が、うなり声を上げて、ゆっくりと前進を始めた。
播種機の巨大な車輪が、ぎしり、と音を立てて回転する。
次の瞬間、集まった人々は、信じられない光景を目の当たりにした。
機械の前面に取り付けられた鉄の刃が、硬く固まった大地を、まるでバターのようにスムーズに切り裂き、柔らかな畝を作っていく。
そして、その直後、内部の歯車の連動によって、種を貯蔵するホッパーから、一定間隔で、麦の種がぽとり、ぽとりと、正確に畝の中へと落ちていく。
さらに、種の隣に設置された別のホッパーからは、粉末状にした腐植土の肥料が、ぱらぱらと、種を優しく包み込むように散布される。
最後に、機械の後部に取り付けられた覆土板が、種と肥料が蒔かれた畝の上に、ふわりと土を被せていく。
耕耘、播種、施肥、覆土。
これまで、何人もの人間が、何日もかけて行っていた作業が、たった一台の機械によって、一度に、そして完璧に、遂行されていく。
ガション、ガション、と、歯車と刃が奏でる、力強い、しかしどこか心地よいリズム。その後ろには、美しい直線を描く、新しい命が蒔かれた畑が、どこまでも伸びていく。
広場は、水を打ったように静まり返っていた。誰もが、目の前で起きている農業革命を、ただ呆然と見つめている。
やがて、誰からともなく、拍手が起こった。それは、一人、また一人と伝播し、最終的には、割れんばかりの、熱狂的な大歓声となって、ヴェルテンベルクの空に響き渡った。
「すげえ……! なんてこった!」
「これ一台あれば、一日で、俺たちが一ヶ月かかる仕事が終わっちまうぞ!」
村人たちが、狂喜乱舞している。
「……見事だ。これが、令嬢様の『科学』……。我らの剣や槍とは違う。だが、これは、間違いなく、国を、民を救うための、最強の兵器だ」
クラウスが、畏敬の念に満ちた声で呟く。
そして、ギムレックは、涙を流しながら、天に向かって吠えていた。
「見たか、先祖代々の神々よ! ワシらは、ただの鉄塊ではない! 未来を作る道具を、この手で生み出したんじゃあ!」
私は、操縦席の上で、その歓声の渦に包まれながら、静かに空を仰いだ。
これは、私一人の力ではない。村人の知恵、騎士の力、ドワーフの技、そして、アルフレッドの支え。全てが一つになったからこそ、成し遂げられた奇跡。
私の逆転劇は、今、本当の意味で、この土地に根付いたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、ヴェルテンベルク領の農業革命を成し遂げる新兵器、『多機能播種機』が完成しました。イザベラの周りには、もはや身分や種族を超えた、固い絆で結ばれた仲間たちがいます。
次回は、明日更新予定です。
次回「王都の密偵と、最初の収穫」。ヴェルテンベルクの異変を察知した王都から、密偵が送り込まれます。一方、領地では待望の最初の収穫が……。
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