ドワーフの工房と、新たな仲間
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領地改革を加速させるため、イザベラは新たな協力者を求め、ヴェルテンベルクの鉱山へと向かいます。
しかし、そこに住まう誇り高きドワーフたちは、一筋縄ではいかない相手でした。
レオンハルトとの同盟は、ヴェルテンベルク領の再生計画に、エンジンが搭載されたかのような、圧倒的な推進力をもたらした。シュヴァルツェンベルク辺境伯家からの潤沢な物資と、百名の騎士という規律の取れた労働力。そして何より、レオンハルトという王国内でも屈指の影響力を持つ後ろ盾。私の計画は、もはやただの村興しではない。国家の未来を左右する、一大プロジェクトへと変貌を遂げつつあった。
堆肥の生産は軌道に乗り、村人たちと騎士たちの手によって、汚染された畑が次々と黒く豊かな土壌へと生まれ変わっていく。だが、私はすぐに次の壁に突き当たっていた。
「……やはり、道具の精度が限界ね」
教会の研究室で、私はアルフレッドと共に、試作品の農具を前に腕を組んでいた。辺境伯から提供された工兵用の鍬や鋤は、確かに頑丈だ。しかし、私が目指すのは、さらに効率的な農業。例えば、土を耕すと同時に、適切な間隔で種を蒔き、肥料を撒くことができる『多機能播種機』のようなものだ。
私はその設計図を羊皮紙に描くことはできる。だが、それを形にする技術が、ここにはなかった。村の鍛冶師の腕では、複雑な歯車や精密な部品を作り出すことは不可能だった。
「お嬢様。そのことであれば、一つ、心当たりがございます」
私の悩みを見透かしたように、アルフレッドが静かに口を開いた。
「この領地の北に聳える、黒鉄山。あそこの中腹には、古くからドワーフの一族が住まう工房があると聞き及んでおります。彼らの鍛冶の腕は、王国一と謳われるほど。彼らの力を借りることができれば……」
「ドワーフ……!」
私の目に、光が宿った。そうだ、この世界はファンタジーの世界。そして、ファンタジーにおけるドワーフとは、最高の職人たちの代名詞だ。
「ですが……」と、アルフレッドは言葉を濁す。「彼らは気難しく、人間嫌いで知られております。特に、貴族に対しては、心を閉ざしていると。先代の公爵様――お嬢様の叔父上が、彼らとの約束を破り、鉱山の利権を独占しようとした過去がございまして……」
「なるほど。信頼を回復するところから始めなければならない、というわけね」
困難な交渉になることは、想像に難くない。だが、彼らの技術は、私の計画を次のステージへ進めるために、絶対に必要だった。
「行くわ、アルフレッド。クラウス副官にも声をかけて。護衛を数名お願いしましょう」
「しかし、お嬢様……」
「大丈夫よ。どんなに気難しい相手でも、同じ『ものづくり』を愛する者同士、きっと分かり合えるはずだから」
私は、いくつかの試作品の設計図と、そして、私の科学の力を証明するための『切り札』を携え、黒鉄山へと向かう準備を始めた。
黒鉄山の麓から中腹へと続く道は、険しかった。馬を降り、徒歩でしか進めないような、岩だらけの山道。その先に、ドワーフたちの工房はあった。
それは、巨大な岩山をくり抜いて作られた、要塞のような場所だった。入り口には、この世界の文字とは違う、角張ったルーン文字が刻まれた、重厚な鉄の扉が固く閉ざされている。
クラウス副官が前に進み出て、扉を叩こうとした、その時だった。
「人間風情が、何の用だ。ここは貴様らの来るところではない。とっとと失せろ」
声は、どこからともなく響いてきた。まるで、岩そのものが喋っているかのようだ。
私は、クラウスを手で制し、一歩前に出た。
「ヴェルテンベルク領主、イザベラと申します。ドワーフの皆様に、お話があって参りました。どうか、お顔を見せてはいただけませんか?」
「……領主だと? フン、叔父の次は姪か。また我らの鉱山を奪いに来たと見える。何度来ようと答えは同じだ。我らの技術も、この山の富も、嘘つきの貴族どもにくれてやるものか」
「奪うなどと、とんでもない。私は、あなた方と『取引』がしたいのです。あなた方の技術と、私の知識を交換する、対等な取引を」
「知識だと? 人間の小娘の、刺繍かダンスの知識にでも、何の価値があるというのだ」
侮蔑に満ちた声。交渉は、入り口からして暗礁に乗り上げていた。
(こうなったら……)
私は、覚悟を決めた。
「……あなた方の工房は、今、大きな問題を抱えていらっしゃるはずです。違いますか?」
私の言葉に、岩の向こうの空気が、ぴたりと止まった。
「……何を、言っている」
「あなた方の作る、その素晴らしい道具が……斧も、槌も、鑿も、以前では考えられないほどの速さで、錆びつき、蝕まれているはずです。それは、あなた方の腕が落ちたからではない。この土地そのものが、病に侵されているからです。そして、私には、その病を『治療』する方法がわかります」
沈黙が、流れた。やがて、重々しい地響きと共に、目の前の鉄の扉が、ゆっくりと内側へと開かれていく。
中から現れたのは、私の背丈ほどしかない、しかし、その体は鋼のように鍛え上げられた、壮年のドワーフだった。編み込まれた赤茶色の髭は、胸元まで届くほど長い。彼が、この工房の親方に違いない。
「……小娘。今、何と言った?」
彼の瞳は、溶かした鉄のように鋭く、私の言葉の真偽を見極めようとしていた。
「病を、治療する、だと? この、忌々しい『赤錆病』をか?」
「ええ。原因は、この土地を汚染する魔法機械にあります。そして、その活動を助長する、特殊な微生物の存在も」
私は、彼が『赤錆病』と呼ぶ現象を、一目で見抜いていた。ヴェルテンベルクに来てから、村の農具が不自然に早く錆びることに気づいていたのだ。土壌だけでなく、金属さえも蝕む。それが、魔法機械のもう一つの恐るべき側面だった。
ドワーフの親方――ギムレックと名乗った――は、私を工房の奥へと通した。中は、トンカチの音と、炉の熱気で満ちていた。だが、その活気とは裏腹に、壁に立てかけられた道具の多くが、赤黒い錆に覆われているのが見て取れた。
「……見た通りだ。ここ数年、この錆に悩まされている。我らの秘伝の合金ですら、数ヶ月でこの有様だ。もはや、まともな仕事にならん」
ギムレックは、悔しそうに吐き捨てた。
「原因が、あの呪われた魔瘴にあることには、我らも薄々気づいていた。だが、どうすることもできん。お前は、これを治せると言ったな。どうやってだ?」
「言葉で説明するよりも、お見せした方が早いでしょう。錆びた鉄片を、いくつかお借りしても?」
私は、ギムレックから受け取った数枚の錆びた鉄片を、持参したガラス瓶に入れた。そして、その中に、特殊な培養液――糖分と、ある種の鉱物粉末を溶かし込んだ液体――を注ぐ。
「これは?」
「微生物たちの『ごはん』ですわ。そして……」
私は、懐から、もう一つの小瓶を取り出した。中には、私がヴェルテンベルクの土壌から分離・培養した、特殊な粘菌が入っている。
「この子たちが、今回の主役です」
私は、その粘菌を、錆びた鉄片の入った瓶に数滴垂らした。
ギムレックと、集まってきた他のドワーフたちが、食い入るように瓶の中を見つめる。
最初は、何も起こらなかった。だが、数分が過ぎた頃、瓶の中で、驚くべき変化が始まった。
私が投入した粘菌が、まるでアメーバのように形を変えながら、鉄片の表面をゆっくりと覆い始めたのだ。そして、粘菌が覆った部分から、赤錆が、まるで消しゴムで消されるかのように、すうっと消えていく。粘菌は、錆――酸化鉄を捕食し、それを還元することで、自らのエネルギーとしているのだ。
「……な……錆が、消えていく……」
ドワーフの一人が、信じられないといった声で呟く。
だが、私の科学は、これで終わりではなかった。
「これは、あくまで対症療法。錆を取り除くだけです。これでは、またすぐに錆びてしまう。重要なのは、錆びさせないことですわ」
私は、もう一つの包みを開いた。中には、私が教会で試作した、黒く、艶のある液体が入っている。
「これは、ある種の木の樹液を、特殊な酵母で発酵させて作った、『天然樹脂塗料』です。これを鉄の表面に塗布し、熱処理を施すことで、酸素を遮断する強固な皮膜を形成します。いわば、鉄のための『鎧』ですわね」
私は、錆を取り除いた鉄片の一枚に、その塗料を塗り、ドワーフたちの炉の熱で素早く乾燥させてみせた。黒く、滑らかな皮膜で覆われた鉄片は、まるで黒曜石のように美しく輝いている。
「……フン。見掛け倒しではないのか?」
ギムレックが、まだ疑いの目を向ける。
「では、お試しくださいな」
私は、その鉄片を、工房の隅にあった水桶の中に、躊躇なく投げ込んだ。
数時間後。
ギムレックが水桶から引き上げた鉄片は、水を弾き、その輝きを一切失っていなかった。
「……馬鹿な……」
彼は、その鉄片を何度も指で擦り、槌で軽く叩き、その強固な皮膜に、驚愕の表情を浮かべていた。
私は、そんな彼に向かって、静かに、しかし力強く告げた。
「これが、私の知識ですわ、ギムレック殿。私は、あなた方に、この『赤錆病』を克服する技術を提供します。その代わり、あなた方には、私の領地改革に必要な、最高の道具を作っていただきたい。これは、対等な取引です。お受け、いただけますわね?」
ギムレックは、しばらくの間、黒く輝く鉄片と、私の顔を、交互に見比べていた。やがて、彼は、その厳つい顔を、くしゃりと歪ませ、腹の底から、豪快な笑い声を上げた。
「……がっはっはっは! 参った! 参ったわい! まさか、人間の、それも貴族の小娘に、我らドワーフの秘伝の技が、こうもあっさりと超えられるとはな!」
彼は、笑いながら、その巨大な手を、私に差し出した。
「よかろう! その取引、受けた! このギムレックと、黒鉄山のドワーフ一同、今日この日から、お前さんの『科学』とやらに、力を貸そう! 作ってやるぞ、お嬢ちゃん! お前さんが望む、どんな複雑怪奇な道具でも、このワシらが、世界最高の逸品に仕上げてやろう!」
その力強い握手は、ヴェルテンベルク領の未来を、そしていずれは、この国全体の産業を根底から覆すことになる、新たな同盟の証となった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
イザベラは、科学の力で、誇り高きドワーフたちの心をも動かし、最強の技術者集団を仲間に加えました。彼女の改革が、ここから一気に加速します。
次回は、明日更新予定です。
次回「氷鉄の辺境伯、再訪」。レオンハルトの公式訪問。彼の真の目的とは一体何か。二人の関係が、新たなステージへと進みます。
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