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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
腐敗の王国と科学の夜明け

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賭けの行方と、新たな仲間

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

第十一話、ついにイザベラと騎士たちの賭けの行方が決まります。

科学の力が、誇り高き騎士たちの心を動かすことができるのか。そして、その様子を遠くから見つめる、もう一つの視線が……。

 賭けの翌朝、ヴェルテンベルク領の夜明けは、凍てつくような静寂に包まれていた。東の空が白み始め、冷たい空気が肌を刺す。広場には、昨日よりも多くの村人たちが、息を殺して集まっていた。彼らの視線の先にあるのは、巨大な堆肥の山。そして、その向かいに腕を組んで立つ、氷鉄の騎士たち。

 副官の騎士――名をクラウスというらしい――は、相変わらず侮蔑の色を隠そうともしない、冷ややかな表情で私を見ている。彼の後ろに控える騎士たちも同様だ。彼らにとって、この賭けはすでに勝利が確定した、茶番に過ぎないのだろう。


「時間ですな、公爵令嬢殿」

 クラウス副官が、まるで断頭台の執行人が告げるかのように、重々しく口を開いた。

「あなたの言う『科学』とやらが、まやかしであったことが証明される時です。潔く、この土地を去る準備はできておりますかな?」

「ええ、もちろん。ですが、その準備が必要になるかどうかは、まだわかりませんわよ?」

 私は、扇子で口元を隠し、穏やかに微笑んでみせる。内心では、心臓が早鐘のように鳴っていた。理論上は、完璧なはずだ。攪拌(かくはん)によって好気性菌が活性化し、アンモニアの過剰な発生は抑制され、発酵は次の段階――高温の熟成期へと移行しているはず。だが、ここは異世界。私の知らない、未知の変数が存在する可能性はゼロではない。

(大丈夫。科学を信じなさい、茅野莉子)

 私は自分に言い聞かせ、毅然とした態度で堆肥の山へと歩み寄った。村人たちが、祈るように私を見守っている。


 一歩、また一歩と、山に近づく。昨日まで鼻を突き、目を刺激した、あの強烈なアンモニア臭は……ない。

 代わりに鼻腔をくすぐるのは、雨上がりの森のような、湿り気を帯びた、濃厚で甘い土の香り。そして、山の表面からは、昨日よりも明らかに濃い湯気が、ゆらゆらと立ち上っていた。

「……な……」

 私の背後で、クラウス副官が息を呑むのが聞こえた。

「臭いが……消えている……?」

「馬鹿な! あれほどひどかったのに!」

 騎士たちの間に、動揺が走る。

 私は、彼らには目もくれず、持参した鉄の棒を、堆肥の山の中心部へと深く突き刺した。そして、数秒待ってから、ゆっくりと引き抜く。

 鉄の棒の先端は、触れるのもためらわれるほど、()()なっていた(・・・・・)。そして、そこから立ち上る湯気は、まるで熱い茶を淹れた時のような、濃密なものだった。

「これは……」

 私は、驚きと喜びに満ちた声で、集まった人々に向かって宣言した。

「成功ですわ! 見てください、この熱を! これは、発酵が第二段階――高温期(・・・)()入った(・・・)証拠(・・)。この熱によって、雑草の種や病原菌は死滅し、より分解の進んだ、安全で栄養価の高い土へと生まれ変わっていくのです!」

 私の言葉に、村人たちから「おお!」という歓声が上がる。

 だが、騎士たちはまだ信じられないといった表情で、顔を見合わせている。

「ま、待て! 臭いが消えたのは、ただの偶然かもしれん! 熱いのも、何か仕掛けがあるに違いない!」

 クラウス副官が、苦し紛れに叫ぶ。彼の騎士としてのプライドが、目の前の現実を受け入れることを拒絶していた。

 私は、そんな彼に、憐れみにも似た微笑みを向けた。

「仕掛け、ですって? よろしいでしょう。ならば、あなた自身のその手で、確かめてごらんなさいな」

 私は、熱い鉄の棒を地面に置き、彼に歩み寄るよう促した。

 クラウスは一瞬ためらったが、部下たちの手前、引くことはできなかったのだろう。彼は、疑念に満ちた足取りで堆肥の山に近づくと、おそるおそる、その手袋に覆われた手を、山の表面に触れさせた。

 次の瞬間、彼の顔が驚愕に染まった。

「……温かい(・・・)……いや(・・)熱い(・・)……!?」

 それは、昨日のような、じんわりとした温もりではない。まるで生き物の体温のように、力強く、生命力に満ちた熱だった。

「これが、私の『科学』ですわ、副官殿。目に見えぬ小さな命たちが、力を合わせて生み出す、偽りのない真実の熱。まやかしなどでは、断じてありません」

 クラウスは、呆然と自分の手を見つめたまま、動けずにいた。彼の頭の中では、これまでの常識と、目の前の現実が、激しくせめぎ合っているのだろう。

 私は、彼に最後の一押しをする。

「賭けは、私の勝ちですわね。誇り高きシュヴァルツェンベルクの騎士として、約束は、守っていただけますわよね?」


 長い、長い沈黙が、広場を支配した。

 やがて、クラウスは、ゆっくりと、しかし決然とした動きで、私の前に片膝をついた。そして、深く頭を垂れた。

「……完敗だ、公爵令嬢殿。いや、イザベラ様。我らの無知と不明を、どうかお許しいただきたい。このクラウス、及び、ここにいるシュヴァルツェンベルクの騎士一同、ただ今より、あなた様の『科学』の兵士として、この身と剣を捧げることを誓おう」

 彼の言葉を合図に、後ろに控えていた百名の騎士たちが、一斉に、寸分の乱れもなく、その場に膝をついた。鋼鉄の鎧が擦れ合う、重々しい音が響き渡る。

 それは、このヴェルテンベルク領の歴史が、新たに動き出した瞬間だった。


 その日からの変化は、劇的だった。

 私の指揮下に加わった騎士たちは、その恐るべき能力を、領地改革のために遺憾なく発揮し始めた。彼らの軍隊仕込みの統率力と、鍛え上げられた肉体は、これまでの村人たちだけの作業とは比較にならないほどの効率を生み出した。

 巨大な堆肥枠は、驚くべき速度で次々と完成していく。枯れ木の伐採も、資材の運搬も、全てが軍事作戦のように、正確かつ迅速に進められていく。

「A班、C/N比30の資材投入、完了しました!」

「B班、攪拌作業を開始します! 全員、配置につけ!」

 クラウス副官は、今や私の最も有能な現場監督となっていた。彼は、私が羊皮紙に書き記す複雑な指示を、驚くべき速さで理解し、それを部下たちに的確な命令として伝達していく。

「素晴らしいわ、クラウス。あなたの指揮能力は、私の計算を遥かに超えている」

「いえ、全てはイザベラ様の『科学』の導きがあってこそ。我らは、その計画を遂行する、手足に過ぎません」

 かつての侮蔑は、今や絶対的な信頼と尊敬へと変わっていた。

 村人たちも、最初は屈強な騎士たちに怯えていたが、彼らが自分たちのために汗を流す姿を見て、次第に心を開いていった。今では、村の男たちと騎士たちが、一緒になって作業の合間に談笑する姿も見られるようになった。

 私の研究室(ラボ)は、かつてないほどの活気に満ちていた。


 そして、その全ての光景を、少し離れた丘の上から、一人の男が静かに見つめていた。

「……信じられんな」

 レオンハルト・フォン・シュヴァルツェンベルクは、双眼鏡から目を離し、低く呟いた。彼の隣には、腹心の部下が控えている。

「あの、プライドの塊のようなクラウスが……。そして、我が精鋭である騎士たちが、まるで子供のように目を輝かせて、泥いじりをしているとは」

 彼は、この数日、身分を隠してヴェルテンベルク領の様子を密かに視察していた。彼が最初に見たのは、騎士たちと令嬢の間の、一触即発の賭け。そして今日、彼が見たのは、その騎士たちが、心からの忠誠を彼女に捧げ、一体となって働く姿だった。

「……彼女は、何をしたのだ?」

「報告によりますと、堆肥の発酵熱と、その後の臭いの消失を、科学的に説明し、実証してみせた、と」

「科学……か」

 レオンハルトは、再び双眼鏡を構える。そのレンズの先には、騎士たちに的確な指示を飛ばし、時には自らも土に触れ、村の子供に微笑みかける、イザベラの姿があった。

 王都で見てきた、着飾るだけの令嬢たちとは、あまりにも違う。か弱いだけの聖女とも、違う。

 彼女は、指揮官(・・・)であり(・・・)学者(・・)であり(・・・)、そして、民を導く統治者(・・・)そのものだった。

「……面白い」

 レオンハルトの口元に、誰も見たことのない、深い笑みが浮かんだ。

「俺の『投資』は、どうやら、とんでもない掘り出し物だったらしい。……これほどの逸材を、ただの兵站(へいたん)供給基地の主にしておくのは、あまりにも惜しいな」

 彼は、双眼鏡を懐にしまうと、部下に向かって、静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで命じた。

「明日、ヴェルテンベルク領を、公式に訪問する。準備をしろ」

 氷鉄の辺境伯の心が、確かに、動き始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

イザベラは、科学の力で、最も手強い相手であった騎士たちの心をも動かしました。そして、その全てを見ていたレオンハルト。彼の心にも、大きな変化が訪れたようです。


次回は、今晩更新予定です。

次回「氷鉄の辺境伯、来訪」。レオンハルトの公式訪問。彼の真の目的とは一体何か。二人の関係が、新たなステージへと進みます。


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