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綴化  作者: 沼下 百敗
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第三章

 委員長は週に二、三回はうちで晩飯を食べるのが、いつの間にか当たり前の習慣になっていた。夏休みに入ってもそれは変わらず、彼女は決まって週に何度か訪ねてくる。

 その日も、インターホンの音で目を覚ますと、玄関の前には見慣れた笑顔が立っていた。

「今日は水族館に行きます」

「……水族館? なんで急に」

「それはね、私がすごーく行きたいからです!」

 仲良くなって気づいたことだが、委員長は見た目に反してよく喋るし、思った以上に感情を表に出す人だった。もう付き合いも四ヶ月近くになるのかと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。

「俺、水族館って行ったことないな」

「私はね、小さい頃に一度だけ行ったことあるの。すごく感動したんだよ。……ちょっと自慢」

 簡単に支度を済ませて、二人で電車に乗って品川へ向かう。夏休み中とは思えないほど、水族館の中は静かで落ち着いていた。青い光の中にゆっくり泳ぐ魚たちを見ていると、時間までがゆるやかに流れているようだった。

「魚、たくさんいるね。どれも……美味しそう」

「水族館に来て、その感想はなかなかファンキーだな」

 冗談を返すと、委員長は「ほら、あっちにトンネル水槽あるって。行ってみようよ」と言いながら、俺の右手を取って小走りで引っ張っていった。

 トンネル水槽の中は、まるで別世界だった。ガラスの天井越しに、様々な魚たちがゆっくりと泳いでいる。光を受けてきらめく鱗、ゆらぐ水の陰影。それをじっと見つめる委員長の横顔に、ふと目を奪われた。

「……綺麗だ」

 つい、小さく呟いてしまった。

「ん? 今なんて言ったの? 人が多くて聞こえなかった、もう一回言って」

「なんでもないよ。魚がいっぱいいて綺麗だなって、それだけ」

「ふーん……怪しいなぁ」

 本当は彼女が綺麗だった、なんて言えるはずもなくて、言葉を飲み込んだ。

 一通り水槽を巡ったあと、併設されたカフェで昼食をとることにした。

「眞人君って、いつもカレーじゃない? カレー以外に興味ないの?」

「カレー好きなんだよ。作るの簡単だし、つい頼んじゃうんだよね。癖みたいなもん」

「私もカレー好きだけど、たまには違うものも食べた方がいいよ。……ほら、私のうどん分けてあげる。はい、口開けて」

 差し出されたうどんを、素直に受け取った。世界で一番うまい、と思った。

 誰かとご飯を一緒に食べることが、こんなにも温かくて、安心できるものだったなんて。ここ最近やっと、それに気づくことができた。

「そういえば、前に話してた“小説を書く”ってやつ、覚えてる?」

 カレーを頬張っていた俺は、少しだけ顔を上げて答えた。

「うん、覚えてるよ。でも……やっぱ俺には向いてないみたいだ。何度か書こうと思ったけど、どうにも筆が進まないんだよな。そういうのは、委員長のほうが向いてると思う」

「えー、つまんないなあ。私はどっちが先にデビューできるか勝負したかったのに」

 冗談めかして笑う彼女の目は、少しだけ寂しそうにも見えた。

「でもさ、この前言われてから、本を読むのがちょっと楽しくなってきた。昔は文字を追うだけで退屈だったのに、今は……なんか違う。前よりずっと読むようになったよ。……それは、委員長のおかげだ」

 素直な気持ちだった。言ってしまえば少し照れくさかったけど、言わずにいるのはもっと嫌だった。

「ふふっ。なんか、嬉しいこと言ってくれるじゃん。……はいはい、じゃあそのご褒美に、もっと私のうどんあげるよ。ほら、口開けて」

「いや、カレーあるからそんなには……って、ほんとに食わせようとしてるし」

 二人で顔を見合わせて笑った。

 食事を終えて館内を一通り回り終えたあと、最後に立ち寄ったお土産コーナーで、小さなイルカのキーホルダーが目に入った。

「ねえ、これ。二人でお揃いにしようよ」

「お揃いがいいの?」と俺は聞き返した。

「うん、どうしてもこれがいいの」

 真剣な目を向けられて、根負けした。結局、イルカのキーホルダーをお揃いで買うことにした。

 水族館を出て電車に乗り、最寄り駅に着いた頃には日が傾き始めていた。並んで歩く帰り道、ふいに右手が握られる。

「そういえばさ、前にこの道で眞人君が声かけてくれたよね。あのとき、私すごく嬉しかったんだ。一緒に食べたカレーも、ちゃんと覚えてるよ。……私、いつも一人でご飯食べてたから」

「……そうだったね」

 そう答えると、彼女は立ち止まり、俺の方を向いた。

「だから、これはそのお礼」

 そう言って、彼女はそっと目を閉じ、俺の頬にやわらかい口づけを落とした。

 何も言えず、ただその場に立ち尽くしたままの俺の右手を、彼女はもう一度握り直すと、少しだけ照れたように笑って言った。

「さ、帰ろっか」

 指先から伝わる体温が、なんだかとても心地よかった。風が肌に優しく触れる、穏やかな夏の夕暮れだった。

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