第二章
一ヶ月の停学処分を経て、どうにか一学期を終えることができたのは、委員長のおかげだった。家まで来てくれて、ノートを貸してくれたり、問題の解き方を丁寧に教えてくれたりした。あのまま一人だったら、どうなっていたか想像もつかない。
修了式の日、下校のタイミングで委員長から突然「夏祭り、一緒に行かない?」と誘われた。少し早めの時期ではあるが、地元では有名な祭りで、多くの人が訪れると聞いていた。
祭り当日、待ち合わせ場所に現れた委員長は浴衣姿だった。青地に胡蝶蘭の模様が描かれた上品な浴衣は、彼女の静かな雰囲気に不思議なほどよく似合っていた。
「お待たせ」
そう言って小さく微笑むその姿に、一瞬、息を呑んだ。
「ごめんね、待たせた?」
「いや、俺も今来たところ」
気の利いた言葉の一つも出てこない自分に少し呆れつつ、「とりあえず色々見て回ろう」と歩き出した。
祭りの会場は提灯の明かりに包まれ、人の声と屋台の匂いが混ざり合っていた。たこ焼き、焼きそば、金魚すくい。定番の出店が並び、子どもたちの笑い声が響く。
「眞人君、あれやろうよ」
委員長が指差したのは射的の屋台だった。
「いいね」と頷き、二百円を払うと、古びた空気銃と数発のコルク弾が手渡された。
「私、こういうの得意なんだよね」と言いながら、委員長は軽やかに銃を構えた。その仕草の中で、浴衣の襟元からのぞく白いうなじが目に入り、思わず視線を奪われる。次の瞬間、飛んだコルク弾がキャラメルの箱に的確に命中し、ガタンと音を立てて景品棚から転げ落ちた。
「やりぃっ」
彼女は小さくガッツポーズを決めた。普段はどこか物静かな委員長が、こうして子どもみたいに喜ぶ姿を見るのは初めてで、なんだか不思議と嬉しかった。
キャラメルの箱を受け取った彼女は、その中から一粒を取り出すと、何のためらいもなく俺の口元へ差し出し、ぽんと放り込んだ。
「美味しい?」と聞く声には、少しだけ照れたような響きが混じっていた。
「ああ、美味しいよ」と答えながら、口の中にほろ苦くて少し甘い味が広がっていくのを感じた。キャラメルの風味と共に、なんだか心の奥まで柔らかく満たされていくような気がした。
その後も二人で金魚すくいやヨーヨー釣りを見て歩き回り、やがて少し静かな場所にあるベンチに腰掛けた。祭りの喧騒が少しだけ遠くに感じられるその場所で、俺たちは肩を並べて、しばらく黙って夜空を見上げていた。
「私、りんご飴食べたいから買ってくるね」と言いながら、委員長は手に持っていた巾着を俺に預けた。
「あ、そういえばその中に財布が入ってるんだった。眞人君、取ってくれる?」
言われるまま巾着を開けると、中には薄い財布と数粒のキャラメル、それから一冊の文庫本が入っていた。その文庫本は表紙が外されていて、日記帳のような質素な装丁だった。
「ありがとう。じゃ、行ってくるね」
委員長はそう言い残して人混みの中へと歩いていった。
五分ほどして、りんご飴を二本持って戻ってきた。
「はい、これ眞人君の分ね」と笑顔で手渡され、俺も隣に座りながらかじりついた。りんご飴の甘酸っぱい味が口の中に広がる。その横で委員長は子どもみたいに嬉しそうに飴を見つめていた。
「ねえ、さっき巾着の中の文庫本、見た?」
「いや、見てないよ」
「良かった。それ、前に話した私が書いてる小説なんだ。まだ途中だけど、いつか完成したら読ませてあげるね」
「小説か……俺には縁がないよ。まともに読んだこともないし、たぶん書くなんて無理だ」
「そんなことないよ。私だって最初は苦手だったけど、書いてるうちにだんだん楽しくなってきたんだよ」
「そのうち、いつかね」
「それ、絶対やらない人のセリフやん」と言って、委員長はくすくす笑った。
夏の夜のざわめきの中で、その笑い声は少しだけ涼しく、そしてやけに遠くまで響くように感じた。
次は綿飴が食べたいと委員長が言い、立ち上がったその瞬間、パチンという乾いた音がした。足元を見ると、履いていた下駄の鼻緒が切れていた。
「あらら、やっちゃった……」と委員長は肩を落として、申し訳なさそうな顔をした。
「しょうがない。続きはまた今度にしよう」と言いながら、俺は手を差し出した。「乗って。歩けないだろ」
「えっ……おんぶ? ほんとに?」
「しょうがないから、今回だけな」と言うと、委員長は少し照れながら背中に手を回してきた。浴衣越しに感じる彼女の体温がじんわりと伝わってくる。
「重くない?」と耳元で聞かれた。
「全然。これくらい軽いもんだよ」と軽く強がってみせる。
「えへへ……私、嬉しいな。こうやって誰かにおんぶしてもらうの、初めてなんだ。ありがとう、眞人君」
「……だから今回だけだって」
少し顔が熱くなりながらも、俺は人混みから外れた道をゆっくり歩いた。背中の委員長はとても静かで、時折、俺の肩に頭を預けてくるのが分かった。
そのとき、ドン、と夜空を打ち上げる音が聞こえた。振り返ると、祭り会場の方向で花火が上がり始めていた。大輪の火花が空に咲き、瞬間だけ昼間のように明るくなる。
「わあ……綺麗だね」
委員長の声が、俺の背中越しに夜空へ溶けていった。