エピローグ
タクシーの窓越しに、冬の夜が流れていく。吐く息は白く、道行く人々はコートの襟を立てて寒そうに歩いている。手を繋ぐ恋人たちの笑い声が、かすかに車内まで届いた。
指定したホテル前にタクシーが停まる。運転手に礼を言って外に出ると、目の前の建物には、柔らかな光が灯り、人々が吸い込まれるように中へ入っていく。
ふとスマホの黒い画面に目を落とすと、そこに映るのは、かつてより少し老けた自分の顔だった。
深呼吸を一つして、新調したスーツの裾を整える。
ロビーでは受付の女性が微笑みながら一言だけ告げた。
「おめでとうございます」
身分証を提示すると、案内されたのは上階にある、静かな宴の間。階段を一段ずつ登るたびに、耳の奥で波音がさざめく。
途中、足を止めて目を閉じると、まぶたの裏に浮かぶのは、黒いビキニ姿の麗華だった。あの日の、あの夏の笑顔。こらえていた涙が頬を伝う。
――白い彼岸花のように、僕らはまっすぐに咲けなかった。それでも、咲いたんだ。綴化という、少し歪な花のかたちで。
扉を開くと、温かな光が溢れていた。拍手。フラッシュ。微かなざわめき。
けれど、それが現実の音だったのかどうか、確信はなかった。
会場の正面には、白地の幕が張られており、にじんだ文字が浮かんでいた。
文字は読めなかった。ただ、その中心に、ひとつの言葉だけがはっきりと見えた。
『綴化』
一呼吸して、背筋を伸ばす。壇上へと足を運ぶ。席に着いた瞬間、視線の隅に、誰かが立っているのが見えた。
夏の制服に身を包み、どこまでも透明な笑顔で、麗華がこちらを見ている――ような気がした。
それが幻でも、夢でも、きっといいのだ。あのとき綴った言葉が、いまここで、確かに花を咲かせたのだから。