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吊り橋効果



 校内をうろうろと見回ったが、特におかしなところは見当たらない。

 すっかり暗くなってしまった窓の外を見ながら、俺はゆっくりと懐中電灯を廊下に照らした。暗闇の中にぽっかりと白い穴が開き、密集していた闇が散っていく。


「なんか、雰囲気出てきたねぇ……」


 右手首に虫除けリングをつけた秋葉先輩が、呑気にポツリとつぶやいた。生徒会の役員を増やすための見回りなのだが、もうそのこともすっかり忘れているようだった。

 そして、秋葉先輩の他にも一人、全く本来の理由を忘れていそうな人間が俺の側に一人。

 俺の右斜め後ろを歩く涼夏に目を向ける。へっぴり腰のままゆっくりと歩いている涼夏は、俺の視線に気づきこちらを見た。


「な、なによ……」

「いや、別に……」


 その情けない格好とは裏腹に、言葉だけはいつも通り凛としている。

 しかし、こんな状態の俺たちの目の前に、仮に幽霊が現れたとして、果たして俺たちに何ができるというのか。せいぜい逃げ惑うくらいしかできないだろうな。いやまあ、幽霊なんていないんだけどね……。


 階段を登る。リノリウム製の床は、俺たちが歩くたびにキュッキュと甲高い音を鳴らしていく。

 しんと静まり返った校内に響く俺たちの足音は、どこか不気味である。


 四階に到着した。窓の外から見える景色は、いつも見ているものだが、時間帯が違うというだけでまるで異世界に紛れ込んでしまったかのような違和感である。


「もう何もないんじゃない……?」



 不安げにつぶやく涼夏。多分思っていた以上に雰囲気が怖かったので、さっさと終わらせて帰りたいのだろう。

 怖がっている涼夏も可愛らしいのでもっと見ていたい気持ちもあるが、俺も正直こんなところに長居はしたくない。さっさと終わらせて帰ってしまおう。




 四階は、他の階と少しだけ雰囲気が違った。夏の夜ということで、他の階は少しだけじっとりと蒸し暑かったのだが、ここだけひんやりと涼しい。それこそ、不気味なくらいに。



 …………いやいや、きっと気のせいだろう。ちょっと雰囲気にビビった俺の脳が勝手に寒いと思い込んでいるだけだろう。

 そう思って横にいる秋葉先輩を見ると、腕をさすりながら少しだけ寒そうにしていた。おい、こういう時は空気読んで暑がれよ。


「寒いですか?」

「ちょっとね。まあ、夜だしちょっと気温が下がったんじゃないかな?」


 一応聞いてみると、思っていた以上に間抜けな答えが返ってきた。この人は強いのかそうじゃないのかわからない。

 涼夏を見てみるが、こちらはビビりまくっているようで、俺が止まると同時に足を止め、頑なに俺より前に行こうとはしない。あれ、俺もしかして盾として使われてる? まあ涼夏を守るためなら幽霊だろうが不審者だろうが全身全霊でぶっ倒すのみだが。なんだったら取り憑かれてでも涼夏を守る所存である。


「あ、そうだ!」


 しばらく歩いていると、生徒会室の近くに来た。すると、思い出したかのように秋葉先輩が声を上げた。いきなり大きな声を出したので少しびっくりしてしまった。涼夏もびっくりしたのか、反射的にだろうが、俺の腕をぎゅっと掴んできた。細くすらっとしているその指は力強く俺の腕に食い込んで、そのあまりの力強さにびっくりしてしまった。

 秋葉先輩の声のせいか、右腕に感じる涼夏の腕の感触のせいか、俺はやけにどぎまぎしてしまっていた。


「ど、どうしたんですか」


 恐怖のためか緊張のためか、声が震えてしまう。涼夏も文句ありげに秋葉先輩に目を向けた。

 秋葉先輩は大声を出したことを詫びながら言った。


「せっかく生徒会室の近くに来たから、ちょっと書類取ってきていい? ごめんね」


 そう言うがいなや、秋葉先輩はちょっと待っててねと言いながらすたすたと生徒会室の方へと歩いて行ってしまった。残された俺たちは、呆然と彼女の後ろ姿を見ることしかできない。この人恐怖心とかないんか? 

 取り残され、何をすればいいかわからず横を見ると、涼夏とばっちり目があってしまった。彼女も俺と同じことを思っていたのか、この瞬間だけは恐怖より困惑の方がその表情の上に浮かび上がっているように見えた。


「えっと、どうする?」

「どうするって……」

「…………」

「…………」


 黙り込んでいると、隙を見つけたとばかりに暗闇とその恐怖が俺たちに近づいていくる。


「とりあえず、生徒会室行く?」

「そ、そうね……」


 困惑半分、恐怖半分のまま歩き出す。

 しかし、問題が一つだけあった。


「…………」

「…………」


 それは、先ほどから涼夏がぎゅっと握っている俺の腕だった。別に痛いというわけではないが、ずっと握られてたらお化けとかそれどころじゃないというか、まあ、ね? 

 涼夏は恐怖のせいで俺の腕を握っていることすらも気づいていないようだ。


「あのさ、涼夏」

「な、なに?」

「その、腕が……」

「腕?」


 涼夏は俺の言葉に視線を動かし、俺の腕をぎゅっと握っている自分の手に気づいた。


「あっ、ごめん」


 なんともないような口調で手が外される。俺のことなんて全く意識していなさそうだった。


「痛かった?」

「いや、全然大丈夫だけど」

「…………」

「…………」


 沈黙が夜の底を這う。耳が痛くなるような静けさだった。

 なんとも言えない気まずさを押し込めて、俺はできる限り明るい声を出した。


「じゃ、行こうぜ」

「え、ええ……」


 涼夏は俺の腕を掴んでいた手を少しだけ下げて、不安そうな目で俺を見ていた。俺の声だけでは不安は拭い取れなかったらしい。まあ、当たり前か。

 廊下の先に見える生徒会室の電気がパッと点いた。さっさと終わらせてさっさと帰ろう。


「ちょ、ちょっと待って……!」


 とりあえずさっさと生徒会室に行こうと、数歩進んだ瞬間、後ろから涼夏に呼び止められた。

 振り向くと、思っていた以上にすぐ後ろに涼夏が立っていた。恐怖のためか、その瞳にはうっすらと潤んでいる。

 窓から差し込む月光が、潤んだ瞳に映り込んでいる。


「あの……」

「ど、どしたん?」


 あまりの出来事に、思わず声が震えてしまう。くそ、ダサいぞ俺。


 俺のダサさなど気にならないのか、涼夏は震える指先で、俺の裾を少しだけ摘んだ。


「その、ちょっとだけ、掴んでていい……?」


 その不安げな声に、俺の心臓は激しく高鳴る。


「あ、ああ……そりゃもちろん」


 そりゃもちろんってなんなんだよ。



 ▽



 涼夏に袖を摘まれた状態で廊下を歩いているが、これはまずい。さっきまでとは違う緊張感でぶっ倒れそうだ。

 月光が床に作り上げた四角の光の枠の中に、俺の影と、俺の影に少しだけ繋がる涼夏の影が投影されている。やばい、写真撮って壁紙にしたい。


 ていうかさっきから動悸が激しすぎる。これもう肌突き抜けて制服にまで伝わってね? そんで制服摘んでる涼夏に伝わってね? やばい緊張しすぎて汗も出てきた。汗えぐすぎて制服ぐしょぐしょになってる可能性あるわこれ。

 そんなことを考えていたからなのか、僅かに繋がっていたはずの俺たちの影がすっと離れていくのが横目に映った。


 振り返ると、涼夏の表情は先ほどよりかは和らいでいた。


「もう、大丈夫。ありがとう」

「あ、ああ……」


 もう怖くなくなったのか、涼夏は俺をおいてスタスタと歩いていく。

 俺一人だけ意識しているみたいですごく格好悪い。


 まあ、そりゃそうか。涼夏が袖摘んだだけで意識するような人間には思えないし。

 俺はそう結論づけて、さっさと歩いていく涼夏の背中を追った。


 生徒会室の近くまで行くと、ドアのガラスから漏れ出る光で少し明るく感じる。ガラス越しにファイルを漁る秋葉先輩が見える。


 涼夏もこの状況に慣れたのか、その表情からもう恐怖は見えない。

 このまま探索を終わらせて帰るだけ──そう思った瞬間。







 ふらふらと動く影が、廊下の奥にある暗闇に消えていったのが見えた。


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