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鈴虫の鳴き声と彼女の心


 運命の金曜日は案外すんなりと来た。

 あれから俺たちも連れて行けと惨めに喚く粗大ごみ二つを何とか処理しひとまず問題は片付いたわけであるが、それ以上に大きな問題がもう一つ出来てしまった。


 近頃涼夏の表情が優れないのだ。数週間ほど前までは俺という激やばストーカーと一緒にいても毎日が楽しそうな雰囲気を醸し出していたというのに、今ではずっと何か考え込んだりふとした瞬間に悲しそうな表情を浮かべたりしている。誰が激やばストーカーや。


 半ば無理やり夜の校内探索に突き合わせてしまっているからかと思い何度も「本当に嫌なら行かなくてもいいぞ」的なことを言ったのだが、彼女の表情は全く晴れず、むしろさらに沈んだ表情をする始末だった。


 なぜ悲しそうな表情をしているのか、そして何がそんなに気になるのか全くわからない俺は、何もできずに涼夏の傍にいることしかできなかった。こういう時こそ自然体でいるべきだろうと無理やり自分に言い聞かせ、俺はわざと明るく振る舞うのだった。10年間も一緒にいたのに、こんな小さなことも理解できない俺が少しだけ情けなかった。多分、そう感じているのは俺だけなんだろうけど。



 放課後になり、一度家に帰ってから再び学校へ向かう。涼夏と共に学校へ向かうのだが、明らかに口数が少ない。彼女の口数が少なければ自然と俺の口数も少なくなってくるもので、バスの中の俺たちの雰囲気はそれはもう凍えるようなものだった。


 制服から着替えた涼夏は半袖短パンという目にとても良い格好をしており、右手首には虫除けのリングをつけていた。家に残っていたので涼夏に渡したのだが、不思議なことにスポーティなイメージを抱かせるリングをつける涼夏は、誰よりも女性らしく嫋やかに見えた。肩にかけたトートバッグの中には懐中電灯やら見回りに必要っぽい道具をとにかく詰め込んでいる。俺の物も入っているので「持とうか?」と爽やかに言ったのだが、普通に断られた。俺に触られたくないとかじゃないことを願う。


 永遠とも思えるようなバスの時間を乗り越え、学校にたどり着く。

 しかしここにも一つ問題があった。さっきから問題だらけだな。


 空を見上げる。浮かぶ雲には沈んでいく夕日が最後に見せる輝きが反射していた。空は柔らかな黄金色。暖かなノスタルジーを感じさせた。









 ……そう、まだ暗くないのである。



 夜の七時とはいえ、今は七月で日も長くなっている。薄暗くはなっているもののまだ全然夕日見えてるし、なんだったら下校している生徒もちらほら見えるのだ。これでは見回りどころかちょっと遅くまで残ってる生徒くらいにしかならない。そして下校していく生徒たちに紛れて私服姿の俺たち。いや、普通に恥ずかしいわこれ。まあ、色々と準備していくうちに暗くなっていくだろうけど。


 校門の前に着く。流石に今校門から出ている生徒はいないようだ。黄昏色に染まる校舎はどこか閑散としている。遠くから押し寄せるように聞こえてくるのは蜩の声。ポツンと取り残されたサッカーゴールが悲しげだ。


 昇降口から誰かが出てきた。みると、それは制服姿の秋葉先輩だった。服を着替えずに来るのが先輩らしい。


「ごめんね、遅くなって!」

「いえ、全然。俺らも今きたところなんで」


 秋葉先輩は俺たちの前に来て息を整えてから大きく微笑んだ。その眩しい笑顔は街灯もつかずかといって夜とも言えない曖昧な時間に存在する太陽のようだった。


「まだ全然明るかったね。時間間違えちゃったかな」

「まあそのうち暗くなりますよ。それより、許可は取れたんですか?」

「うん。見回り程度なら大丈夫だって。遅くなりすぎないように注意はされちゃったけど」


 そう言ってスカートのポケットから何やら仰々しい鍵束を取り出す秋葉先輩。別にまだ施錠はされていないだろうが、まあ見回りをするとなったらどデカい鍵束は必須だろうという訳のわからない偏見を抱きながら俺はその鍵束を手に取る。そのついでに横目で涼夏を見た。涼夏はぼうっと校舎を眺めていた。その表情からは彼女の心の中を見ることはできなかった。


 昇降口へ行くと、普段は味わえない静けさが漂っていた。俺たちの足音だけがどこまでも冷たく静かな校内の壁に吸い込まれていく。


「なんか冒険みたいで楽しいね」


 一番しっかりしなくてはいけないはずの秋葉先輩はウキウキである。何がそんなに楽しいのか、その表情はにこにこと明るい。

 そういえば、虫除けのリングがあと一つだけ残っていたのだった。俺は涼夏が持っているトートバッグから虫除けリングを取ってもらい、秋葉先輩に手渡した。


「これ、虫除けリングです。蚊とか多いんで」

「ありがとう。あれ、榎本くんはしないの?」

「全身うっすら力んでるんで大丈夫です。あいつらの針通りませんから」

「そうなんだ」


 俺の渾身のボケは華麗にスルーされた。なんだか馬鹿にされるより悲しい。



「校内に生徒は残ってるんですか?」

「もういないよ。先生はいるかもだけど、多分もうすぐ帰ると思う」


 その言葉を聞くと、なんだか余計に背筋が寒くなってくる。この人気のない校内を歩いているのは俺たち以外にいないのだ。

 窓の外を見る。先ほどまで皆に忘れ去られないように必死に校庭にしがみついていた残光も、今は薄暗くなって、夜の底に沈んでいる。どこからか鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。


 隣を歩く涼夏の表情は、どこまでも透き通る夏の夜空のように澄んでいる。その胸裏は未だにわからない。しかし、わからない状況に少しずつ慣れてしまっている自分がいる。その事実に胸が張り裂けるほどの悲しみを抱いた。


 再び聞こえてきた鈴虫の声に、唐突に鈴虫のこの声は前翅をこすり合わせることによって出る音であることを思い出した。

 初めてその事実を知った時、俺は鈴虫に少しだけがっかりした。幼いころからずっとあの音は鈴虫の喉が奏でる美しい歌声だと信じていたので、今更あれがカサカサしたちっぽけな翅をこすり合わせる音だと言われても、納得できなかった。

 けど、そのうちその事実は俺の胸の中にすとんと納まった。まるで、今までずっとその事実を知っていたみたいに、俺は鈴虫の美しい鳴き声のことを忘れてしまった。


 まるで、涼夏がツンデレではないことを信じれなかった俺が、いつの間にかそのことを忘れて友人と接するかのように普通に涼夏と接することができるようになっていたみたいに。




 目に見えない涼夏の胸懐に対するこのもどかしさも、いつかは慣れて当たり前だと思う時が来るのだろうか。

 そんなことが起こることが俺は恐ろしくてたまらなかった。

 結局、全てが俺の想像にしかすぎない。涼夏が悲しそうな表情を浮かべる理由もわからないし、俺を避ける理由もわからない。俺が勝手に彼女の心中を押し図ろうとして、失敗して失望しているだけ。なんとも馬鹿馬鹿しく滑稽な男である。


 こんなくだらない男なんて、愛想をつかれるのも仕方がないのかもしれない。


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