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「鬼嫁10持ち帰り!佐藤くんタカミーのフォローお願い!」
ミヅキさんがドリンクを作りながら指示を出す。タロゥがバイトを始めてから1ヶ月が経っていた。ミニゲームで鍛えた効率の良さと魔法の力で、すでにベテランと遜色ない働きをしている。二重思考に映像記憶、オートメーション動作と加速で、本気を出せば1人で厨房を回せるレベルだ。やり過ぎないように抑えてはいるが、それでも超優秀な新人としてリーダーの信頼は厚い。今ものんびりした高見のサポートを頼まれ一瞬で鬼嫁バーガーの山を作っている。
「ありがと佐藤くーん」
高見にほんわかした笑顔で言われると、思わずタロゥも笑ってしまう。持ち場に戻ってポテトの油を切っていると、なんとなく視線を感じた。目をやるとレジからミヅキがチラチラこちらを見ている。
(何かあったか?)
周りを見遣って、レジに並ぶ大柄な外国人の集団に気がついた。男女半々で6人いて全員金髪碧眼。大きなリュックを背負っている。旅行者だろう。
「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか」
順番が来て、ミヅキが声をかける。
「△○□×○」
先頭の2人が何か言っているが、さっぱりわからない。英語でもないようだ。
「翻訳」
前の客の注文の品を出し終えて、小声で詠唱する。
「ビッグバーガーの巨大セットを3つ。一つはピクルス抜きで」
タロゥの耳へ届く言葉が日本語へ自動翻訳される。
「ビッグバーガー巨大セット3つ。一つはピクルス抜きですね。店内でお召し上がりですか?」
タロゥの口からも、なめらかに外国語が流れ出る。
「君はスペイン語が喋れるのかい!?」
「少しだけですよ。お会計皆様ご一緒にされますか」
「一組ずつで頼むよ。日本語の話せる仲間が急病で来れなくてね、困ってたんだ。英語もほとんど話せなくて」
「今朝日本に来て、空港からこの町についてから何も食べてないのよ。看板を見ても文字がわからないし、後ろの彼女はアレルギーがあるから知らないものは食べられなくて。さっき入った店では聞いても全く通じなかったしね」
「それはお困りですね。私でよければ伺いますので、どうぞ思いっきり注文なさってください」
タロゥの言葉に、6人全員が笑顔になった。言葉通り山盛り注文してくる。アレルギー物質についても質問され、タロゥがミヅキの通訳をしながら答えた。ちょうど他の客も途切れていたので、ついでに旅行の助けになりそうな情報を伝える。ホテルへのルートやガイドブックのある本屋など、いつの間にかアキホや高見も来て会話に加わっていた。
「あなたを通訳で雇いたいわ。本当にスペインに来たことがないの?」
翻訳魔法のことは言えないので、知り合いから学んだことにした。母国語と同じように話せるようになるので、魔法文化のない人には相当不思議なのだろう。流暢すぎて驚かれた。
気のいい人たちだったので、日本で困ったら言ってと連絡先を交換して見送った。
「佐藤くん、君は何者なのだい。英語だけでなくスペイン語までペラペラとは」
ミヅキに聞かれるが、返答に困る。
「魔法使いなんですよ、実は」
「下手な冗談だけど、本当に魔法みたいだよ。仕事もできるし」
前世では本当に能無しと呼ばれてきた。翻訳の魔法など子供でも使えたので、褒められることもない。バイトだって、ゲームをやりこんでいたから動けているだけだ。冒険者のように身体の危険があるわけでもなく、騎士や狩人のようにミス一つで仲間や自分の命を危険に晒すこともない。それでこれほど褒められるのも驚きだった。
「大したことないですよ。ゲームみたいなものです」
「外国語を話すのも仕事を覚えるのも、君にとってはゲームと同じなのかい。次元が違うね」
いえ、世界が違うんです、とは言わなかった。今のところ佐藤太郎としての日々は順調だが、何が起こるかわからない。タロゥは不遇な人生に慣れ過ぎていて、中々心から信じたり喜ぶということができないのだった。
バイトの帰り道、たまたま上がりが一緒だったアキホと話しながら歩いていると、目の前に1人の男が立ち塞がった。見ない顔だ。
「おい、アキホ。誰だよそいつ。もう次の男を作ったのかよ」
血走った目でアキホとタロゥを交互に睨みつけてくる。どうやらアキホの元カレのようだ。
「シンペイまたその話?そもそも付き合ってないし、つきまとうのやめてよ」
普段のふわふわした喋り方とは違って、アキホの口調にトゲがある。訂正、元カレではなく、ストーカー?
「アキホ、俺に恥かかせる気かよ。ちょっと来いよ」
男がアキホの腕を掴もうとしたので、タロゥが無言で間に割って入る。
「なんだお前?お前はもういいから帰れよ。それとアキホは俺の女だからな、近付いたら許さねぇぞ」
眉毛をハの字にしかめて下から睨みつけてくる。威嚇しているつもりなのだろうが、タロゥにはただただ滑稽なピエロにしか見えない。
「ちょっと!佐藤くんにかまわないでよ!」
「佐藤?てめぇ佐藤っていうのか。ツラ覚えたからよ。二度と俺の前に出てくんなよな」
キメ顔のままタロゥの目と鼻の先ギリギリまで顔を寄せて言う。学校の不良もそうだったが、この男からも全く魔力を感じない。タロゥの見たところ、アキホの方が断然魔力量は多いだろう。身体強化一つで路地の向こう側まで投げ飛ばせるのではないだろうか。
どうやらこの世界の力関係に魔力は全く関係ないらしい。それがタロゥの結論である。単純な腕力や格闘術がものを言うらしい。いくら体を鍛え技を覚えても上級魔法一つで吹き飛ばされる世界から来たタロゥにとっては驚きの価値基準である。しかもタロゥは魔法が使える。前世では魔力量が極端に少なく最底辺にいたが、この佐藤太郎の身体には充分な魔力が秘められている。憧れから呪文だけ覚えて発動できなかった魔法の数々に、陽の目を見させてやることができる。
「おいこら、何ボーッとしてやがんだ!無視すんじゃねぇ!」
つい物思いに耽っていたタロゥを不粋な声が現実へと引き戻した。男の顔が紅潮している。後ろのアキホが不安げにそっとタロゥの上着の裾を握った。
「てめぇ、アキホに手ぇ出したのか。殺してやる!」
アキホの動きに気付いたシンペイがさらに興奮して叫ぶ。アキホが何か言おうとしたので、制するように振り返って微笑む。
「殺す殺す殺す」
シンペイが動く気配がした。タロゥはそちらを見ることもなく、アキホに視線を合わせたまま左の拳を後ろへ振り上げる。
「ガッ」
裏拳がシンペイの鼻にめり込む。そのまま左腕を水平に曲げ、体ごと回転しながら肘を鳩尾へ突き刺す。
「グボっ」
エルボーがもろに決まり、倒れ込んだシンペイが腹を抱えて悶絶する。もちろん先にタロゥ自身へ加速と身体強化はかけてある。一瞬の出来事に、アキホは何が起こったのかわかっていないようだ。黒目がちな瞳をぱちぱちさせて、地面に這いつくばるシンペイとタロゥを交互に見ている。
「アキホちゃん、こいつ、元カレ?」
違うのはわかっていたが、あえて聞いてみる。案の定アキホは首を横に振る。
「じゃあ、ストーカー?」
少し悩んでいたが、やがて顔を上げてしっかりと頷いた。それを聞いて、タロゥはまたアキホに微笑みを向ける。
「君は笑顔の方が似合うよ」
精一杯格好つけて言ってみた。前世では恋愛ゲームの中でしか使ったことのないセリフ。自分には無縁だと思っていた、キザなセリフ。言ってすぐ恥ずかしくなって目を逸らしたので、アキホの顔が真っ赤に染まっているのには気付かなかった。
「シンペイくん、金輪際アキホちゃんに近付かないと約束できるかい」
涎を垂らして何とか立ち上がってきたシンペイに問いかける。
「ヒュー、ヒュー。お前、絶対殺す。アキホは俺のだ」
口まで垂れてきた鼻血を吐き出しながら言う。ギラギラした目からは明確な殺意を感じる。欲とプライドが混ざって、理性を失っているのだろう。
念のためタロゥは魔力感知で周囲を伺った。夕食時を過ぎた薄暗い公園の中の道。通りすがる人も誰もいない。だからこそアキホを送って一緒に歩いていたのだが、タロゥがいなかったらシンペイはここで待ち伏せて何をするつもりだったのだろう。もしバイトの終わり時間が違っていたらと考えると、タロゥの脇に冷たい汗が流れた。
「許すわけにはいかないな。アキホちゃん、ごめんね。見ない方が良いかも」
アキホには刺激が強すぎるかもしれない、そう思いながら声をかけた。
「何言ってんだてめぇ。俺のアキホと喋るな……」
シンペイが最後まで言い終える前に、間合いを詰めて金的を蹴り上げた。足の甲に何かが潰れる感触が伝わる。蹴り上げた足を引いてそのまま回転し、後ろ回し蹴りを側頭部へ叩き込む。白目を剥いたシンペイが倒れる前に胸ぐらを掴んで、背負い投げの要領で地面へ叩きつける。タロゥの得意とする3連コンボである。気絶しているであろうシンペイの腹を軽く正拳で突いて強制的に意識を戻し、馬乗りになって左右のフックを続けざまに顔面へ叩き込む。歯が折れて血と涙が飛び散るが、気にせず殴り続ける。痛みで気絶もできずひたすら殴られて、シンペイの心は折れる。
「た、たふけて……。すびばせん、でひた……。たふけて……。ころはないれ」
命の懇願をするに至って、やっと殴るのをやめる。タロゥの拳も皮膚が破れて血が滲んでいる。ゲームでは感じることのなかった殴る痛み。痛みよりも心地よさが勝っていることに、タロゥは不思議な気持ちだった。
「あ、あの、佐藤、くん。そのくらいで……」
すっかり忘れていたが、すぐ側にアキホがいた。狼狽している。
「ああ、そうだね。おい、シンペイくんよ。二度とアキホちゃんに近付くな。というか消えろ。アキホちゃんの視界に入るな。偶然会うのも許さない。この町から消えろ。そうじゃないと、俺がお前の存在を消すぞ」
先ほどとは逆に、タロゥがシンペイへ顔を近づけて脅す。殴られ過ぎてまともに目も開いていないが、声は聞こえているはずだ。
「はひ……。すひまへんでひた……。消えまふ……。すひまへんでひた。すひまへんでひた……」
ひたすら謝るシンペイの首に、うっすら魔法陣が浮かびあがる。タロゥが掛けた契約魔法である。これで万が一シンペイが再びアキホの前に現れると、仕掛けられたタロゥの爆裂魔法で身体が四散することになる。魔法のことを知らなくても契約に違反しようとした時点で生理的な恐怖を感じはずなので、抑止になるだろう。 本来はお互いの同意の元に魔力を交換循環させて契約するのだが、シンペイには魔力が無く知識も耐性もないので一方的に契約することが可能だった。魔力もタロゥのもののみで魔法陣を描いており、契約魔法ではあるが構成は隷属魔法に近い。もっとも全く罪悪感も感じないので、むしろこの場で消滅させないだけありがたいと思えとすら考えていた。
「さぁ、行こうか」
さりげない風を装いながら、アキホの手を握る。内心ではドキドキしすぎて心臓が肋骨を突き破ってきそうである。
「うん」
うつむきながらついてくる。嫌がっている素振りはない。少し歩いたあたりで、おずおずとアキホの方も手を握り返してきた。しっかりと指を絡め握り合う。タロゥの身体は14歳でも、中身は三十路である。しかし、女子と手を繋ぐなんて前世では幼児の頃のお遊戯会くらい以来である。後は女子からは無視されるか石を投げられるかしてきた。それが手を繋いで指を絡めているのだから、緊張しないわけがない。何か会話をしようにも、一切言葉が浮かんでこない。そうこうしているうちに、アキホの家の前までついた。
「それじゃあ、ここで」
そっけない言い方しかできない自分に腹が立つ。
「うん。あの、佐藤くん」
「ん?」
「あの、本当に、ありがとう」
繋いでいた手を離そうとして、アキホがタロゥの手を凝視する。シンペイを殴ってできた傷に気付いたようだ。悲しそうにタロゥを見上げる。安心させようと、目一杯の笑顔で応える。ここでハートをつかむ台詞の持ち合わせはない。
「あの……」
アキホがふっと背伸びして、タロゥの頬へ唇をつけた。タロゥは突然のキスに硬直する。
「ふふ、お礼」
悪戯っぽく笑って手を振りながら玄関へと消えていく。ロボットのような動きで手を振りかえしながら見送って、タロゥも家路へついた。家に着いてシャワーを浴びて布団に入っても、まだ胸はドキドキしていた。