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順調に回復したタロゥは、中学生になった。事故で両親を亡くしていたので、後見人である叔父が用意したワンルームマンションに住むことになった。叔父は年頃の娘がいることを理由に、タロゥを自宅に引き取る気はないとはっきり言った。他界した父母の保険金が結構な額だったらしく、生活費は毎月まとまった額が振り込まれることになった。
「18歳までは面倒を見る。後は勝手に生きろ」
叔父は決して悪人ではないだろうが、善人でもなかった。保険金も懐に入れているだろう。だがそれを責めるつもりもない。それよりもタロゥは、新生活にワクワクしていた。
「転入生の佐藤太郎君だ。不幸な事故で長い間病院にいた。皆色々教えてやるように」
ジャージ姿の教師は、前世のタロゥと同い年くらいだろうか。顔も髪も妙にテカテカしている。肌は日に焼けているが歯が黄色く、無駄に大きな声も含めて一緒にいると胃もたれしそうな男だ。
「佐藤です。よろしく」
タロゥは人前で話すのも注目されるのも得意ではない。緊張で吐き気すら覚える。脇に冷や汗をかきながら教えられた1番後ろの席へ向かう。その時、座っている生徒の一人がタロゥの前へ足を伸ばした。茶色い頭でニヤニヤ笑う不良っぽいやつだ。
(あ、これ、ゲームで見たやつだ!)
タロゥがはまっていたゲーム『テラ・マンマ』には、学園編というステージがあった。そのオープニングイベントで、地球の日本の学校に転校した主人公がまず不良にからまれるのである。足をかけられて転んで笑い物になると、いじめられルートに入ってしまう。
「ストーン」
小声で石化の魔法を唱えた。タロゥの右足が石になる。そのまま通路を塞ぐ不良の足の上へ踏み出す。
グシャ
「ぐふぁぁあああ」
石化させたのは膝から下だけとはいえ、石の塊で踏みつけられ骨は砕けただろう。
「おっとゴメンゴメン、こんなところに足出してたら危ないよ。クリア、ヒール」
詠唱だけは他に聞こえないような小声。タロゥの足は石化から元に戻り、不良の足も回復する。ただし足の甲を粉砕された痛みの記憶は残っている。突然ひいた痛みにキョトンとしながら、タロゥの方を見てくる。不気味なものを見るように。目が合うと、慌てて下を向いた。
(バッドエンド回避成功)
タロゥは何食わぬ顔で席に着いた。
ゲームでは休み時間に同級生が周りを取り囲んで質問してきたのだが、全くそんなことはなくタロゥは一人だった。
「ま、いいんだけどね」
心はタロゥでも身体が太郎なので少しマシだが、中身は熟練のニートである。親とすらまともに会話していない三十路が、いきなり中学生と話せるわけもない。ちんぷんかんぷんの授業で眠気と戦い、ゲームの中で一度本当に食べてみたいと切に願った給食に感動の涙をこぼしていたら、1日が終わった。
「佐藤くん、家どっち?」
カバンに教科書を詰め込んでいたら、隣の席の女子に話しかけられた。目がぱっちりとして小柄、巻毛をツインテールに結んだ小動物のような娘である。目が合うだけで鼻血が出そうなほど女性に免疫のないタロゥだが、何とか平静を保って答えた。
「あっち」
「そっか、あっちかぁ。残念」
会話終了。あっちってどっちだよ!?そもそも、家どっちって聞き方は選択肢が二つの場合じゃないのか!?と心の中で突っ込みながら帰り支度を終えた。小動物はまだ何か言いたげにこちらを見ているが、コミュ障が限界である。そそくさとカバンを肩にかけ帰路についた。
家はワンルームでも結構広い。日本基準で10畳と言うらしいが、これはゲームにはなかった単位なのでよくわからない。
「これがカップラーメンかぁ」
目の前で蓋の隙間から湯気を上げるイラスト入り容器に、感無量である。食べると体力が5回復したのは、ゲーム初期の懐かしい思い出。その後おにぎり、寿司、天ぷらと回復力の高い食料が出てきて使わなくなった。どれも味が気になっていたアイテムだ。
「うまっ。なんだこれ止まらんぞ」
一口目から最後の一滴を飲み干すまで一瞬だった。調理の待ち時間の方が長かった。それぐらい美味だった。『テラ・マンマ』の、日本は食べ物の味には定評がある国という設定に感謝した。前世で主食にしていた黒くて固いパンやモンスター肉のシチューなど、日本の食事に比べれば動物の餌だ。
「こっちも美味い!ツナマヨって何だ?ソースか?病みつきになる味だな」
コンビニで適当に買い漁った食材がみるみる無くなっていく。たるんだ肉体だったタロゥと違って太郎の身体はスリムだが、どこに入ったのかと言うくらい食べまくった。腹がはち切れそうである。ちなみに納豆巻きと書いてあった豆入り細長おにぎりは捨てた。ひと目見てわかるくらいに傷んでいたからだ。腐臭もしたし。
「さて、今日もやるか。身体強化。スピード」
近所のホームセンターで購入したダンベルを、目にも止まらぬ速さで上げ下げする。強化した力と加速魔法で、通常の何十倍の負荷が筋肉にかかり、ぶちぶちと繊維が破壊されていく。
「ヒール」
修復された筋肉は以前より強くなり、様々な動きと破壊&修復工程を繰り返すことで、全身が引き締まった鋼の鎧に包まれていく。寝たきりで衰えた身体が通学できるまでになったのも、この魔法筋トレのおかげだった。
「次はそうだな、フライ」
床の上であぐらを組んだタロゥの体が宙に浮かぶが、すぐにバランスを崩して落ちた。膝を床に強打する。
「痛てててて。大気中の魔素を利用する魔法はうまくいかないな。魔素が薄いのかな」
魔法は体内にある魔力を消費して発動するが、周辺に漂う魔素を利用するものもある。今失敗したフライがそれで、魔素が濃い地であれば空中を自由自在に飛び回ることができる。もっともそれは自身の魔力と魔法センスもあって話なので、前世のタロゥでは1ミリ浮かぶことすら叶わなかった。
「魔素がなくても使える魔法…。ファイアボール」
手のひらからバスケットボール位の大きさの炎の弾が飛び出して、ドゴンという音と共に目の前の壁を突き破っていった。
「え?」
前世ではファイアの魔法で鼻くそくらい。ファイアボールはミジンコサイズだと貶されてきた。それを、極力魔力を絞った状態で放ってこの威力である。
「すげぇ。ていうか、やべぇ」
驚きと感動に打ち震えながら壁に近寄り穴を覗き込むと、隣の部屋まで貫通しているのが見えた。さほど壁は暑くない。穴から首を伸ばしてみると、1人の女性が倒れてピクピクと痙攣しているのが見えた。薄紫のタンクトップの真ん中には、大きな穴が開いている。そこから血や内臓やよくわからない液体が床へ流れている。その穴のサイズと反対側の壁にある焼けこげから察するに、タロゥのファイアボールが不幸にも土手っ腹を突き抜けたのだろう。
「いやいやいや、これあかんやつや。ヒール!ハイヒール!リヴァイブ!」
教科書で見たことがあるだけの高度回復魔法や蘇生魔法を唱えまくった。みるみる傷口が塞がっていく。驚愕に目を見開いたま震えていた被害者も、いつのまにか目を閉じてすやすやと眠りだした。
「やばかったなぁ。あとは……クリーン。リペア」
穴から伸ばした腕の先から光が迸り、無惨なことになった室内を戻していく。
「ふぅ、こんなとこかな」
最後に壁の穴もリペアの魔法で塞ぐ。とじてゆく穴の向こうで女性は眠ったままだった。
「人殺しになるとこだったよ……。憲兵、は、いないのか。警察?だっけ。捕まったら終わりだからな」
『テラ・マンマ』の中で選択を誤り警察に捕まると、大抵牢獄で死ぬバッドエンドだった。タンクトップにショートパンツ姿の女性を思い返してドギマギしながら、今後は魔法を使うときはもっと気をつけようと心に誓うタロゥであった。