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病院でのリハビリは、順調だった。
「8年間寝たきりだったとは思えない体力だ」
医者や理学療法士が驚くほどの回復力だった。
「ヒール」
前世では指の逆剥けを治すのが関の山だった回復魔法が、この日本人の体だと聖女様並みの効果を発揮したからだ。タロゥはその理由を知っていた。というか、夢の中で教えてもらっていた。
「タロゥ、タロゥ。私の声が聞こえますか」
新しい体で目覚めて3日目の夜、ベッドで眠りについたタロゥの頭の中に声が響いてきたのだ。少し掠れた優しい女性の声。
「私はタロゥの生まれた世界で運命を司っていたものです」
「運命の女神様?カルミナ様?」
タロゥは教会に祀られていた女神の像を思い返していた。背が高く長髪で神秘的な雰囲気を湛えた美しい女神で、信仰の対象となっていた。
「違います」
「違うんだ」
「私はラキシュ。神々とは異なる理にあるもの」
聞いたことがない名だった。神とは違うけど運命を司どるもの?
「悪魔?」
「違います。ブッブーです。私のどこを見たら悪魔なんて結論になるのですか」
少し怒ったようだが、どこを見たらも何も姿は見えず声しか聞こえていない。タロゥの不満が顔に出たのか、ラキシュは更に気を悪くしたようだ。
「本当コミュ障ですね。どうです、これで」
突然タロゥの目の前に1人の女性が姿を現した。20歳くらいで髪は茶色いショートカット、胸と腰に薄い布を纏っている。露出は多めだが、締まった体つきなので色気よりも健康的なスポーツ選手のような佇まいである。
「これでも悪魔に見えますか?タロゥ」
「いえ、すいません間違ってました」
「まぁ良いです。あなた方人族とは全く接点がないので、しょうがありません。精霊みたいなものだと思っておいてください」
前の世界で精霊といえば風火水土の四大精霊が有名だった。だがそれもエルフとしか交流しないので、タロゥが知っていることはほとんど無かった。
「その運命の精霊様が、いったい?俺がゲームの世界に生まれ変わってるのと関係あるんですか」
「あります。まず、ここはゲームの世界ではありません。現実です。タロゥのいた世界とは違う次元の異世界です」
「でも、地球で日本ですよ。機械もあるし、誰も魔法を使っていない。ゲームのまんまだ」
「ここがゲームの中なのではなく、貴方が沼にはまっていたゲームの方が、この世界を真似て作られたものなのです」
「あのゲームが?この世界をモデルに?一体誰がそんなことを」
「そりゃあこの世界のことを知ってる者ですよ。15年前くらいに地球からタロゥの世界へ転生した人が作ってました」
ラキシュは軽く答えたが、転生者など聞いたこともない。
「そりゃそうでしょ。隠してましたもん」
タロゥの心を読んで先回りして答える。
「俺は何で転生したんですか。何のために」
異世界で活躍しそうな奴なら、他に山ほどいるだろう。落ちこぼれの三十路ニートを選ぶ理由がわからなかった。
「いやね、あなたが自分で運命線を変えちゃったんですよ」
「運命線?」
「そう。決まり切った運命なんてものはありませんが、流れというのはあります。タロゥ=サトゥは、あそこで死ぬことはないはずでした。女の子を見殺しにして逃げて逃げて失禁して生きのびる流れだったのです。むしろ何で死んだんですか?柄にもなく格好つけて」
あまりにひどい言いようだが、ラキシュに悪気はないようだ。ばかにするでもなく見下すでもなく、本当に不思議でならないという顔をしている。
「自分でもわかりませんけど、気まぐれでしょう」
「その気まぐれで、運命の歯車が狂いました。生き残るはずのあなたが死んで、死ぬはずだった女の子は生き残った。女の子を救えなかった聖女が悔しさをバネに大聖女になることもなく、女の子は新たな女勇者への道を歩み始めました」
「それはそれで、そういう運命なのでは?もし俺が生き残ってたらどうなってたんですか」
「幾つも分岐点がありその時々の選択で変わりますが、貴方は大体ほぼ何の役にも立たず生きる喜びもなく孤独死するか犯罪者になるかでした」
「あぶな!生きてても辛っ」
「まぁそんなもんですよ。しかし貴方のした事はあまりに予想外でした。運命の予測した数多の選択肢の中にないものだったのです。結果、突然変化した運命線の流れから貴方は弾き出され、別世界へ転生しました」
「いまいちよくわからんが、俺は柄にもなく人助けして死んだせいで、地球の日本の佐藤太郎という男に生まれ変わったってことか。前世の記憶があるまんまで」
「そういうことになります。本来なら佐藤太郎は一度も目覚めることなく寿命を迎えるはずでした。貴方も死んだ後は元の世界のままでゴミムシダマシに生まれ変わるはずでした。それが何の因果かわかりませんが、運命の糸が交錯して混じり合ったのですよ」
タロゥは途中に出てきた昆虫のことが非常に気になったが、自分の心の平和のために追求するのはやめておいた。
「ではやはり現実なのですね。ここはゲームの中でもなく、俺は佐藤太郎なのですね」
「そうです。タロゥ=サトゥ」
「先程何の因果かわからないがと仰いましたが、もしかして単に名前が似ていたからってことはないですよね?」
「……」
「……」
どこかで鳥の鳴く声がした。