〜ここどこ?日本?それってさっきまでやってたゲームの国の名前なんだけど?〜
VRゲームというのを知っているだろうか。ジャンルは色々あるが、簡単に言うと仮想現実世界で遊ぶゲームのことである。
「よっしゃプラスチック爆弾ゲット!吹き飛べ愚民ども!」
タロゥ=サトゥーは、モニターの前で拳を握りガッツポーズをした。画面の中では爆発が起き、炎が吹き荒れる中を迷彩服を見に纏った男がアサルトライフル片手に走っている。横から飛び出た黒づくめの兵隊をあっさりと撃ち倒す。
「どこだ俺のジープは!?くそ、弾がねぇ」
油ぎって無造作に伸びたままの髪、ただ剃っていないだけでお洒落さのカケラもない無精髭、たるんだ肉。ゲームに夢中になっているタロゥは、先月30歳になったばかりのまぎれもないニートだった。
「ああ、やられた…。AK74じゃ古すぎる。せめてステルス迷彩があれば…」
タロゥはゴミだらけの部屋の中で、周りに脱ぎ散らかした服をどけて何とか財布を見つけた。10代の頃に親に買ってもらった二つ折りのスポーツブランド財布。色褪せて擦り切れ、もうロゴも読めない。そんなことは気にせずに開けて中を覗き込み、ため息をついた。
「金がねぇ。。これじゃ課金できねぇ。もう小遣いもくれないだろうなぁ。コレクションも全部売っちまったし、あと売れるのは内臓くらいか…。オークションサイトに出して売ったりできるのかなぁ」
半ば本気で考えている。働くという選択肢はない。学校でいじめられて不登校になり、なんとか転校した通信制を卒業したが、学校の紹介で入った職場も人間関係に馴染めず3ヶ月で退職。勉強も運動もできず仕事でも役立たずと呼ばれた。そんなタロゥもゲームの世界だけは別人になれたので、どっぷりハマった。親からせびった小遣いをつぎ込み、幼少の頃から集めていた玩具コレクションも売り払って課金した。だがアップデートやイベントのたびにインフレする装備、幾ら回してもレアが当たらないガチャ、それらが全ての金を飲み込んでいった。
「もう終わりかな」
そんな言葉が、タロゥの口をついて出た。
「そういえば…」
ふと思いついて立ち上がる。自堕落な生活で太った身体の重みに、膝が悲鳴をあげる。自覚するほど鈍重な動作で、壁にかけたコートのポケットを探る。くしゃくしゃになった紙幣が一枚出てきた。先日母親に頼まれて牛乳を買いに行った釣りをくすねておいたものだ。引きこもりではないが自分からは外出しようとしないタロゥを見かねてか、時々母親からお使いを頼まれる。一緒に菓子を買えたり今回のように母親が釣りを催促してこないこともあるので、頼まれれば素直にいくようにしている。タロゥは自分の中でそのお使いをバイトと呼んでいる。
「ガチャ一回分か。ロープでも買った方がマシか」
決して本当に首を吊ろうというわけではない。そんな勇気もない。ただ漠然とこのままではいけない、次へ進まないとならない崖っぷちに自分はいるという焦燥感を常に感じているだけだ。だが進みたくない、だから逃げる手段を考えて結局行き詰まる。その繰り返しの日々。
「ガチャかロープか酒か。いってから考えよう」
コートを掴んで羽織りながら、そっと家を出た。母親はパートの時間なので家にはタロゥだけなのだが、いつからか音を立てずに暮らそうとする癖がついていた。自分の存在を消したい、誰からも構われず忘れられたいという願望の現れだろう。本人は気づいていないが。
外は秋から冬になり、肌寒い風が体温を奪ってくる。道を行き交う人々も、背を丸めて外套に身を隠し足早に過ぎ去っていく。
「きゃあ!」
「あぶない!逃げろ!」
道の先で悲鳴が上がった。バタバタと地面を踏み鳴らす音も響いてくる。タロゥの目に映ったのは、家ほどに大きな漆黒の身体に3つの頭、赤い目を光らせた犬の魔物の姿だった。開いた口の中からは、鋭い牙が獲物を求めて涎を垂らしている。
「ケルベロス!?何でこんな街中に」
タロゥは驚きに目を見開き逃げようとした。地獄の番犬と呼ばれるケルベロスは、A級モンスターだ。一般人が、ましてやニートが勝てる相手ではない。
「冒険者は、何してやがるんだよっ!」
タロゥの悪態が聞こえたわけでもないだろうが、ロングソードを振りかざした冒険者らしき青年がケルベロスへと斬りかかり、あっさり爪で弾かれて頭から貪り食われた。
それを見たタロゥは恐怖に足がすくみ、動けなくなった。ケルベロスが迫ってくる。その時、左の番犬の頭が何かを見つけた。視線の先には、女の子。親とはぐれたのか歩道に座り込んで泣いている。ピンクのスカートから伸びた足の膝小僧に血の滲んだ擦り傷が見える。逃げようとして転んだのだろう。
「俺には、関係、ない」
タロゥは見なかったことにしようとした。自分には助ける力も責任もない。
「人助けなんざ、勇者の仕事だろ」
震える足を叩いて鼓舞し、後ろへ走り出そうとして、もう一度だけ女の子の方を見た。
「助けて…」
目が合った。栗色の巻き毛の女の子は、5歳か6歳くらいだろうか。くりっとした目元で、涙がキラッと光った。その瞬間、タロゥは身を翻して走り出していた、女の子の元へ。
「スピード!」
魔法のテストでも落第続きでクラスメイトからバカにされ続けたタロゥが、唯一及第点をもらえた魔法、スピード。速度増加。加速して女の子の元へ。横を走りすぎながら片手で抱え上げる。膝が悲鳴を上げる。そばの建物を回り込むと、一つだけ空いている窓があった。そこから女の子を放り込む。
「ここにかくれてろ。絶対に出てくるなよ」
窓は小さく、タロゥが通れるサイズではない。他に隠れる場所を探してタロゥが振り返ると、すぐそこにケルベロスの顔があった。涎を垂らして開いた口から腐臭が漂ってくる。とっさに女の子を放り込んだ窓を閉めて、反対の方へ走り出した。
「こっちだ犬コロ。かかってこいや、ファイヤ!」
ケルベロスへ突き出したタロゥの手のひらから、鼻くそみたいな炎が出て飛んでいく。
ブフゥ
ケルベロスの鼻息で炎が消えた。
「ウォーターカッター!」
タロゥの指先から出る水鉄砲。ケルベロスまでも届かず地面にシミを作った。
グアゥッ
ケルベロスが噛み付いてきた時、最後の魔力でスピードを使って避けた。しかし元々が鈍重な為、加速しても避けきれず、右腕を根元から喰われてしまった。腕を失った肩から血が噴き出す。ショックと痛みでタロゥの意識も遠くなっていく。
「どこだ」
「あそこだ、あそこにいるぞ」
「よし、身体強化、聖剣召喚」
「古代魔法グランドフォール」
ぼやけた視界の先で、数人の男女が戦闘体勢に入るのが見えた。
「ああ、勇者パーティーか、お、遅ぇよ…。ちゃんと仕事しろよな…」
勇者のパーティには剛斧のドワーフ戦士、古代魔法を極めしエルフ、聖女と呼ばれる癒しの神官もいる。ケルベロスの1匹くらい苦もなく倒すだろう。
「こっちだ、怪我人がいるぞ」
誰かの声がして、駆け寄る足音が聞こえた。
「しっかりしてください。今ヒールをかけます」
うっすらと開けた目の前に、僧衣を着た金髪碧眼の少女がいた。青い宝石のついた杖を握り、小声で詠唱を始める。
この子が聖女様か、噂通りの美少女だな…などと考えながらタロゥは声を振り絞った。
「俺はいい。それより、そこの窓の中に女の子がいる。怪我してるんだ。治してあげてほしい」
「でも、あなたの怪我は…」
「自分でわかるさ、もう手遅れだ」
「せめて痛みだけでも…」
「気持ちだけもらっとくよ聖女様。さぁ早く、女の子、泣いてるんだ」
ぐっと唇を噛み締めた美少女は、
「あなたに神の加護を」
タロゥに一礼して窓の方へ走り去った。やがて女の子の鳴き声と癒しの呪文が聞こえてきた。タロゥは安心して、微笑んだまま眠りについた。やがて魂は体を離れ、空に登っていった。一瞬だけ見遣った地上で、古代魔法に包まれ焼けたケルベロスが勇者の聖剣で貫かれ消滅するのが見えた。
「あれ?ここどこだ?」
驚きと共に目を開いたタロゥは、目の前にある謎の物体に更に驚いた。
「なんだこりゃ」
白くて無機質な塊から、半透明の管が何本も生えている。その先は布団の中へ隠れているが、どうやらタロゥの身体につながっているようだ。周りでは赤やら青の光が明滅し、ブーンという震えるような音が絶えず響いている。
「俺、死んだ、よな?ここは死後の世界?」
起きあがろうとしても、体に力が入らない。どうやらベッドの上に横たえられているようだ。何とか持ち上げることができた腕を見て、違和感を覚えた。
「これ、誰の手だ」
ケルベロスに喰われた右手が、ついている。しかもタロゥの手は脂肪がついた団子のような指だったのに、今はすらっと長い綺麗な指とちゃんと筋も骨もわかる掌がそこにある。手の甲のまで生えていた毛は一本もなく、肌もツヤツヤしている。明らかに健康的な若者のそれで、三十路ニートの手ではなかった。
「気づいたのね!すぐ先生呼んできます」
突然頭の近くで声がした。若い女性のようだ。何とか首を動かしてそちらを見ると、白い服の女性の後ろ姿が見えた。どこかで見たことがある服装だ。
あれだな、ゲームに出てきたナース服に似てるな。ゲームだと短いスカートだったけど、もし現実にいたら、動きやすいようにあんな感じのパンツスタイルだろうな。そんなことを考えていると、今度は白くて長い服を羽織った初老の男性がゆっくり歩いて近付いてきた。口髭を蓄え落ち着いた様は、まるで長老か老魔道士のようである。その白衣にも見覚えがあった、ゲームに出てきた医者の服装だ。
タロゥがハマっていたVRゲームは、仮想の異世界を舞台にしたものだった。現実とはかけ離れた、地球という星の日本という国。そこには魔法もなく魔物も亜人もおらず、人族だけが機械文明という幻の力を駆使して生活する世界。タロゥが生きるワンスピナの世界とは全く異なる世界。現実に絶望していたタロゥは、その異世界VRに廃人と呼べるほどどっぷり浸かっていたのだ。理屈はわからないが、ケルベロスに喰われて死んだ魂が、そのゲームの世界の中に入り込んでしまったのかもしれない。そう考えたタロゥの胸に生まれた感情は、希望だった。
「やり直せるのか?あの日本で?」
剣術も魔法も人並み以下で落ちこぼれたタロゥにとって、戦いといえば銃や兵器、機械が何でもしてくれて頭脳が勝敗を決めるゲームの中の日本という国の設定は憧れだった。魔力量で差別され、強いモンスターを倒すことが評価の基準であるワンスピナはタロゥには息苦しく生き難い世界だったのだ。
「佐藤さん。ここがどこかわかりますか?」
白衣の医者が聞いてくる。
「日本、ですか?」
恐る恐る、答えてみた。
「そうです。ここは日本の病院です。あなたは事故にあってからずっと眠っていたんですよ」
「……いつから?」
「8年前です。今あなたは、14歳なんです」
30歳だった、前の世界では。16歳も若返ったことになる。だが8年前から眠っていたのなら、この佐藤という身体の持ち主は6歳で事故に遭ったのだろう。まだ子供だ。それらしく振る舞うべきか、自分の境遇に戸惑いすぎて判断がつかない。
「あ、あの、何か、の、飲み物」
緊張すると吃ってしまう癖は、変わらないようだ。これで何度クラスメイトからからかわれたかわからない。しかしこの世界の医者は優しかった。看護師も。
「大丈夫ですよ。いきなりだと身体が驚いてしまうので、ゆっくり馴染んでいきましょう」
そう言って水差しから白湯を少し口に含んでくれた。医療的な立場から言っているのだろうとは思ったが、異世界から来た自分に言われているようで我慢できず涙が流れ落ちてしまった。何を勘違いされたのか、医者も看護師も涙ぐんでいた。
こうして、タロゥの異世界での生活が始まった。