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「あああん、いい、いい、あああぁぁん。駄目、やめないで、もっと突いて・・・・」と奥様は、指を口にくわえておねだりする。
「っはぁん、んはぁん、もっと激しく・・・じらさないで・・腰を振って・・・・お願い・・・・そうそう、もっと突き上げて・・んはぁん♡」と股はおっぴろげ。
「あっ・・あたる、あたってる・・・激しく突かれるのが好きなの・・・ううううう・・いっちゃう、いっちゃう、いっくん・・・一緒にいこう・・・・あっ・・・」と最後には圧倒的な快楽の量に溺れて、潮を噴いて微かに震えるだけで動かなくなる。
悪魔とのセックス・・・裕福そうでお洒落な一戸建ての二階にある夫婦の寝室、快楽の絶頂に昇る喘ぎ声がベッドを軋ませ、体液が大量にシーツに染み込んだ。
いっくんは得意の悪魔ファック正常位で、笑顔の仮面をつけた美人奥さんを汚した。
不倫・・・否、片方だけではない。
そのベッドの脇では、笑顔の仮面をかぶったカッコイイ旦那さんが、床の上で悪魔アイドルのやんちゃんを抱いている。
やんちゃんは、笑顔の旦那さんの早漏な精液をイッた振りして膣の奥で受け止める。笑顔の仮面をかぶった夫婦は、悪魔とスワップをし、満たされない愛情の裏側にある醜い嫉妬を肯定するために快楽を求め、自らの心を汚し続けていた。
浮気がちな夫。鍵をかけることで家を守ることはできても・・・・旦那の生殖器に鍵をかけられない事実に悩む奥様。
高度資本主義社会・・・・動物的な要素は全て除去された筈の世界で、男の性器と性欲には鍵を掛けられない。最もセキュリティをかけたい場所が、一番もろい現実。デジタル社会の限界とマニュアルな動物本能の自己主張。
常に二律背反の事実が、この世にうごめく。
美人奥様は、浮気をやめられない高給取りでモテモテなできる夫に疲れ切って、自分も汚れてしまえば、何もかもも許せてしまうという可能性を探ってみた。
階下では、通いあえない夫婦から産まれた生気のない植物のような子供がテレビゲームを飽きることなく続ける。
澄んでいる筈の子供の小さな瞳には、ロールプレイングゲームの主人公がモンスターを殺していく光景が映し出される。そして、架空の経験値をあげ、武器を手にし、空調の効いた部屋で汗一つかかずに達成感を得ていく。人間の本能のデジタル化。廃れるアナログ的人生経験。得るものは少なく、失うものはあまりに多い。
☆
首輪のない野良人面犬の夏男は、幸せそうな家族が住んでいるであろう裕福そうでお洒落な一戸建ての横をうつむきながら力なく歩いていく。その家の前の駐車場には高級外車があり、子供が乗る自転車はブランド物だった。夏男の不安定な気持ちがそうさせるのだろう。幸せそうなものを見れば見るほど、幸せというものが嘘臭く見える。夏男には鎌倉の街がかびた鉄の匂いがする灰色で無機質で機械的なものに見えた。山に囲まれ、緑に溢れる街がグレーに見える。そこには感情が欠落した世界が広がっているように思えた。自分とは全く関係のない機械仕掛けの世界。幸せという価値を合理的に機械が生産していく。そんなことを思ったりする。幸せの意味を知りたくても知れない夏男の思春期の感受性。夏男の若い感性が、そもそも地球が回り続ける意味がわからない・・・いっそ止まってしまえばいいのに・・・と思ったりもする。
凶暴な野良犬のような夏男が街を歩けば、通行人の全てが道をあけ、夏男と目が合わないようにと目を逸らしていた昨日までの日々。
人面犬へと変えられてしまって家を飛び出た今の夏男は、誰かに自分の存在を見られるのが怖くて、影に覆われた細い路地裏を隠れるようにして歩いた。
昨日とは全く逆の現実が目の前で夏男を嘲笑している。日の当たらない路地裏は夏なのに、ほんのり冷たい。湿気を含んだ影を足裏に感じながら夏男は行くあてもなく前に進む。
一匹の野良猫が民家の隙間、日陰の塀の上で眠っていた。身軽な猫は、飛んだり跳ねたりしながら路地裏を自由に行き来できる。でも、犬は飛べない。
夏男は、歩きながら何度も路地裏の行き止まりにぶつかった。その度に仕方なくもと来た道を引き返し続けた。夏男は世の中にある行き止まりの多さにウンザリした。
☆
「行かないで・・・・」と奥さんは言う。
いっくんは、無表情で奥さんを見つめながら、「犬の散歩に行かなきゃいけないんだよ」と言った。
ベッドの脇では、「ははは、この雌犬」と旦那さんが叫びながら、懲りることなく、むしゃぼりつくように、やんちゃんを抱き続け、腰を振り続けてている。
不純な快楽に浸り続けようとする旦那の姿を笑顔の横目で見る美人奥さんの血液の中で、ヘモグロビンに憎しみが結合する。作り笑いを続けて生きていくことと汚れた自分にも疲れた美人奥様の体内で殺意の熱が毛細血管の隅々までいきわたる。
いっくんは、脱ぎ捨てていた学生服を着て、学ランの内ポケットにレシピが入ってることを確認した。そして、いっくんは寝室の扉を開け、階段を下り、親の目の届かないところで子供におやつ代わりの麻薬を与える。
二階から鈍い音が聞こえた。鈍器で何かを叩きつける音。旦那の悲鳴が響き、そして消えた。
遠くで一部始終を見つめる大仏様が小さく、願いを込めるようにして手を合わせた。
悪魔が仲介した悲劇の余韻が涼しくもおぞましく夏空に響き渡り、隣の家の軒先にかかった風鈴を微かに鳴らした。
大仏様は夏空を見つめながら、「夏男・・・」と元金髪坊主、現在醜い人面犬の名前を呼んだ。
見せかけの幸せに苦しむ家族が悪魔を信仰する現実があまりに哀れだった。
愛と信じていたものが憎しみに変わった現場のすぐ隣りの民家の軒先に掛けられた風鈴の下には蚊取り線香が置かれていた。ただ、蚊取り線香から立ち上る煙を気にする素振りもなく血をたっぷり吸った大きな蚊が何匹も更なる血を求めて飛び回っていた。
「夏男、お前の心が感じるようにこの世はいつしか色を失い、幸せは機械で生産されるようになってしまった・・・・。そして、皆行き詰まりを感じて、悪魔に助けを求める。現代人は、いつの間にか助けを求めるべき仏と悪魔の区別がつかなくなってしまった。そして説教ばかりの仏よりも商売上手で即効性のある悪魔が魅力的になる。悪魔は、人間に忍耐を強いずに、手軽で便利な快楽や目先の問題しか解決しえない安易な方法をあらゆる媒体を使って簡単に提供し続ける。そして、皆、終っていく・・・耐えることが苦しくて・・・耐えたところで何も変わらないと諦めてしまって・・・」
☆
「わんっ・・・」と夏男は呟き、自分が犬の言葉しか口にできないことを再確認する。ほっぺをつねるような気持ちで小さく吠えてみては、犬の吠え声が自分の鼓膜に響く。
「あんっ?」と誰かをビビらせるつっぱりの吠え方はもうできない。未だに犬になってしまった自分を信じたくない気持ちが疼く。でも、犬になってしまった事実は変えられそうにもなかった。
夏男は重たい足取りで路地裏を歩き続ける。
東西南北、どこに行っても、どこかで行き止まる。
どこにも行けずに仕方なくうずくまる夏男。路地裏の行き止まりの壁に体を寄せる、そんな夏男の腹は空きはじめる。体の真ん中でむなしさが肉を内側から削り取っているような感覚。溢れる胃液が夏男を苛立たせる。でも、どうしようもない。どこにも食べ物なんてない。路地裏のどこを探しても食べる物なんて落ちてない。そこにあるのは道であり、影であり、行き止まりだった。行き止まった壁に寄り掛かる夏男はリアルな空腹感を無視して過ごそうとするが、無視なんてできない。ぼやけた生存意義を痛いくらいの生存本能が守ろうとする。曖昧な感覚に内在する現実的な死という定義を感じ取る。死の周りにある無駄な概念を全てはぎ落としながら、死のあるべき形を飢えた感覚が掘り起こそうとする。
ぐるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・きゅっっと夏男の胃が悲鳴をあげる。
夏男は目を閉じた。
世界は真っ暗。
ヘドロのような闇がそこにはあった。そのヘドロがナメクジに塩をかけたように溶けていく。そして、悪魔が夏男の閉じた視界の中に現れた。そして、「餌の時間だ」と言う。いっくんは、力なく目を閉じている夏男の暗闇の中でドッグフードを差し出した。夏男は、目を開けた。目を閉じようが、開けようが、やはりそこには悪魔がいて、狭い路地裏のど真ん中で夏男にドッグフードを差し出している。
「3回回ってわんって言ったら、このドッグフードを食わせてやるよ」
何気ない口調で悪魔はそう言った。自分のペットに餌をやる前にお預けのポーズを取らせるように。夏男の体は屈辱で微かに震えた。そして、夏男は「3回回って、わんって言ったら許してやるよ」と自分も人間だった頃言ったことがあることを思い出した。発散できない苛立ちを同級生をイジメることで解消していた。思い出した記憶の中で、その同級生は、泣きながら3回回ってわんと言った。夏男はそれを見て、大笑いしたことを思い出した。・・・・・夏男の心の中で複雑な自己嫌(犬)悪が痛みに向き合っていた。悪魔だった自分を思い出した。そして本物の悪魔の前であまりに無力な自分に震える。いっくんは、もたもたして決心のつかない夏男の腹に蹴りを入れた。みぞおちの奥、胃につま先がめり込んだ。夏男は口から、血を混ぜた粘りつく乾いた胃液を吐いた。暴力にひれ伏すのが嫌で、夏男は悪魔の目を睨み返した。そして、もう一度蹴られた。ご主人様に対する飼い犬の反抗的な態度は許されない。
いっくんはもう一度言う、「3回回ってわんって言えよ」と。
夏男は、自分を見下ろす悪魔の姿に人間だった頃の自分を重ねた。あの頃、悪魔と呼ばれていた自分だったらどうするだろうか?人面犬になる前の自分だったらこの悪魔にたてつけるのか?夏男は、必死に、人面犬に成り下がった自分を忘れ、人間だったら・・・と思う。そんな夏男をいっくんは容赦なく蹴り飛ばし続ける。
苛立つ悪魔の表情が睨みつけきれない目に痛い。
夏男は暴力の圧倒的優位性を感じた。暴力が全てを支配する・・・そんな現実に夏男は涙を浮かべながら、3回回ってわんと吠えた。暴力で支配できた時はいい。でも暴力で支配された時のやるせなさを夏男は知った。悪魔は、そんな夏男を鼻で笑う。そして、いっくんは「餌、食えよ」と夏男の前にドッグフードを差し出した。夏男は、そんなもの食べたくなんてなかった。でも、本当にお腹が空いていて、どうしようもなくなって、ドッグフードを食べた。初めて口にするドッグフード・・・味なんてしなかった。ただ、空腹を忘れるために顔を餌に近づけてむさぼり食った。
いっくんは、死に物狂いでドッグフードを食べる夏男の姿を、頬に手を当てながら見下ろして独り言をつぶやいた。
「もう少ししっかりと飼いならさないとな。ペットはしっかり調教しなきゃ。トイレすらうまくできないから。ただ、飼い主が優秀であれば馬鹿な犬も名犬になるだろうよ。人面犬の単細胞もうまく飼いならせば盲導犬や介護犬に匹敵する使い勝手を持つようになるだろう。盲導犬や介護犬は本当に優秀だ。このアロハを着た馬鹿犬をなんとかして、あのレベルまで引き上げたい。シナリオ通りにいけば、100の生命を助けることができるだろう。要はやり方次第だろう。俺は、要領がいいから馬鹿犬一匹なんて訳ない筈。そして俺はエリート街道を真っ直ぐに進む、そうだろ?唐揚げ狩猟人面犬、夏男」
いっくんはそう言いながら内ポケットから唐揚げのレシピを取り出して一瞥した。自分の将来を思い描き、少し微笑んだ。アロハを着た醜いペットをいっくんはじっと見る。そして、餌を食う夏男のために大きなバケツに塩素の強い水道水を汲んできてやった。夏男の前にバケツを置き、「喉が渇いたら飲みな」と言った。そして、「俺はいい飼い主だな」といっくんは自画自賛をする。
餌を食い終わった夏男を見届け、いっくんはスケジュール表を取り出す。
「どこにも行けない醜い野良人面犬にかまってるばかりじゃ計画はうまく進まない。下味をつける酒、塩、醤油、コショウ、レモン汁や隠し味に使うあれやこれやなどなどを手に入れにいくとするか」
そう言って、いっくんは、路地裏から姿を消した。夏男は悪魔が消えた路地裏でどこにも行けずにうずくまる。夏なのに太陽の光が建物にさえぎられて夏男の周りには一筋も注いではこなかった。冷えたアロハシャツが夏男の体温を奪う。蹴り上げられた胃が食べた餌を消化しながら痛みに喘いだ。何をどう感じていいかのか、夏男にはわからなかった。悪魔が消えた今、目の前には行き止まりがあるだけ。




