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After Surf ...  作者:
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夏男は寝苦しい夜に見る夢に耐えられなくなって目を覚ました。出来損ないのアニメみたいな夢。だけど、その五流作家が描く漫画みたいな夢の中で繰り広げられた悪魔と大仏のやり取りが妙にリアルに脳の奥に残る。電気が消えている小さなアパートの一室には、目をつぶって眠っている時と何ら変わらない闇があった。二重の闇に囲まれ、目を覚ましても自分が目を覚ましたのどうかさえ夏男にはわからなかった。まだ悪夢の中にいる感覚。確かな感覚なんて何も感じられない。喉が苦しいくらいに渇いていた。砂漠化していく自分の意識にオアシスを求める。でも、現実にオアシスなんてなくて、体中から水分が抜け落ちた夏男の渇き切った存在意義は、街の電柱の隅で干からびた犬のウンコみたいになってしまっていた。そんな糞みたいな自分の体を無理矢理起こし、夏男は台所まで行き、水道の蛇口をひねった。

眠る前、夏男が煙草を吸うために開けた窓の隙間から外の生暖かい風が真っ暗な部屋の中に入ってくる。母ちゃんの寝息が夜の闇に混じって聞こえてくる。睡眠薬を飲んで、かろうじて眠っている母の寝顔を闇の中で見つめる。せめて夢の中では鬱にはなって欲しくないな・・・と夏男は思った。夏男は、誰にも見られていない安全な場所では優しい気持ちになれる。

夏男は蛇口を上向きにして水を飲んだ。砂漠が雨を欲するように夏男は水を飲み続けた。そして、喉の渇きを潤し切ったその瞬間だった。夏男の背後から冷たい冷たい声が聞こえた。

「よぉ、夏男」

夏男の体の中心が一瞬にして凍りついた。それは、まさに体の芯を凍らせるような冷たい声だった。熱帯夜に火照りきっていた夏男の体の毛穴からは、今飲んだ水が冷たい汁となって滲みでる。夏男の背後に誰かがいる。夏男は、噴き出る冷たい汗のシャワーを浴びながら細かく震えた。体温が熱さと寒さの間で混乱している。背後から聞こえるその声はさっきまで夢の中で聞いていた悪魔の声だと夏男は気づく。

悪魔は優しげに夏男の肩に手をのせ、「怖がんなよ、俺たちニタモノ同士なんだから。悪だろ?」と言った。水道の蛇口は開いたままで、水は噴水のように飛沫を飛ばしながら空中に雫を上げる。そして、吹き上げられた水道水の雫は、方物線を描きながら、次々と重力に負けて落ちていく。落ちていく雫は、シンクにあたり、排水口に流れていった。水が排水口へと飲み込まれる営みが夏男の鼓膜に響く。夏男はぴくりとも動けず、蛇口を閉めることもできない。

水は蛇口から流れ続け、そして、排水口に流れ続けた。

「お前は誰だ?」

夏男は恐怖心を振り切るようにして振り返り、睨みをきかせて悪魔の目を見た。悪魔も夏男を睨んでいた。夏男以上に凄みがある睨みがきいていた。徹底的に人を恐怖で叩きのめし、絶対的に服従させるガンの垂れ方をその悪魔の睨み方に教わった気がした。

「あんっ?なに見てんだよ」と悪魔は言い返した。

睨まれた夏男の目玉は、あまりの圧倒的な支配力の下で潰れてしまいそうだった。視力が握りつぶされそうな感覚。目の裏側の神経が強い圧力を受けて悲鳴をあげる。

「俺は、悪魔エリート高校生でいっくんってもんだ」と悪魔は100点満点のガンを夏男につけ返しながら自己紹介をした。

夏男は思わず、その悪魔の視線から目を逸らした。夏男は悪魔の睨みの前で、表現しきれない複雑な敗北感を感じた。しかし、いっくんは、逃げた夏男の視線を逃がさないといった風に追い込みをかける。夏男の顎を握りしめ、顔を自分の方へと向かせる。そして、夏男の眼球を斜めからナイフで切り刻むようにもう一度睨みつける。夏男は自分の目から血の涙が流れ落ちているような錯覚に陥った。

「人の目を見て話は聞けと学校の先公に教わらなかったのか?それともお前は、そんなことも学べないほどに偏差値が低いのか?あんっ」

悪魔は、拷問にかけるようにして夏男の視点を握りつぶそうとする。夏男の喉元まで悲鳴が出掛かる。しかし、いっくんは、その夏男の喉元も両手で締め上げた。叫ばれれば、面倒くさい。

「夏男、悪いがお前には犬になってもらう。突然のことで悪いな。でも、決まったことだから、仕方ないと諦めてくれ。それに、ただの犬じゃ面白くねぇーから、面白れーように人面犬になってもらうわ。これは俺の趣味の問題なんだけどさ。まぁーお前は大仏様のご推薦の悪だからよ。大仏様のためにも処分させてもらうわ、世界平和のためにな。お前を約束通り人面犬に改造した時、あの老いぼれのパンチパーマは俺を信頼し、俺への監視を弱める筈だ。そして俺は、更に良い成績を取るわけだ」

悪魔は唐突かつ満足げにそう言うと、睨みを一層強めて夏男に金縛りを掛けた。悪魔の睨みに夏男の脳みそは、はじけ跳びそうになった。悪魔の睨みが、眼球から脳へと繋がる視神経を伝わり、脳みその中核を破壊した。

夏男の体は石のように動かなくなる。ギリシア神話に出てくるメデューサの目を見た人間は石化する。それと全く同じだった。夏男の動きを封じるために体に力を入れた悪魔の髪型は少し乱れた。夏男の網膜には、セットが崩れたいっくんの髪の毛一本一本が蛇のように見えた。蒸し暑い夏の夜の暗闇を食らうようにうごめく蛇のような髪の毛。

いっくんは、櫛を取り出し、手鏡を見ながら一本一本の髪の毛を丁寧にセットする。そして、神経質な仕草で7・3に分け直した。完璧なヘアスタイルになるまで何度も直した。髪型が決まった後、いっくんはもう一度、メガネごしに夏男が動かないことを確認した。悪魔の睨み、それは絶対的な恐怖を人間の心に植えつけ、生命の鼓動が止まる直前の仮死状態にする。いっくんは硬直した夏男の体を風呂敷に包み、軽々と持ち抱えた。悪魔は薄い便所扉みたいな花成家の玄関のドアを開け、翼を広げた。そして、月の裏側にある悪魔教育センターへと飛び去っていった。固まった夏男、微かに動いているのは心臓だけだった。



月の裏側、悪魔教育センター内の地下にある辺り一面の壁を黒色で塗りたくられた部屋。そこに全身麻酔を掛けられたように動けなくなった夏男の体は横たわる。ただ、動かないのは体だけで、夏男の意識は非常に敏感に全てを感じている。そして抑圧された感情が爆発しそうになっては吐き気を感じた。でも、動かない体ではその吐き気を吐くことすらできない。感覚だけが体に残る。喉元が重たい。指一本すら動かせない自分の体の意味のなさ。意識を保管するためだけの器。そして、どこにも辿り着けない意識。夏男は、吐き気だけを体の内部で継続的に感じ続ける。


必要以上に暗い音色がするクラシック音楽が黒い部屋に流れていた。部屋の隅には、第二次世界大戦の遺品のような骨董品のような蓄音機が置かれ、その上を埃をのせたレコードが回り続けている。部屋はかび臭い匂いに満ち、そんな空間に響くのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンのピアノソナタ 第14番 嬰ハ単調 作品27の2 【月光】だった。必要以上に悲しく弾かれているピアノの旋律が闇に響く。月光を探すが、光なんてどこにもない・・・・きっと・・・昔からずっと・・・・。


夏男が置かれている真っ黒な部屋。そこは、理科の実験室。文明を進歩させ、医学を発展させ、現代社会の礎を築くべくあらゆる科学的な実験や動物実験が行われ、それを生徒に教えてきた場所。そこには生体解剖用の手術台が二つあり、一台には柴犬の死体が置かれていた。もう一つの手術台に夏男はのせられていた。

廊下を革靴で歩く音が【月光】に混ざって聞こえてくる。その靴音が一歩一歩のリズムを変えずに音だけを大きくしていく。理科室の扉が開き、悪魔のいっくんが、教育センター受付で理科室の使用許可を貰って部屋に戻ってきた。そして、理科室のパイプ椅子に腰をおろして、ほんの一瞬の休息をとった。夏の熱気に少し曇ってしまったメガネをメガネ拭きでキレイに拭いては、考え事を少し整理しているようだった。メガネが曇ることを根本から許せないような性格がありありと夏男の意識の前で表現された。夏男は、また胃が絞めあがるような吐き気を感じる。

いっくんは、メガネを拭き終えると慣れた手つきで白衣を着た。慣れているところに夏男は想像を絶する恐怖心を感じた。黒一色の部屋に白衣の白い影が浮びあがる。黒と白が混ざり合う光景には違和感だけがついてまわる。悪魔は微笑を浮かべながらメスを握り、まず夏男の胸と腹を割いた。喧嘩で鍛え上げた筋肉が繊維に沿ってキレイに切れる。夏男は自らの体が切り刻まれる感覚を残酷な程、現実的に実感することができた。そして、体内に空調の冷気が入ってくる。夏男は今感じている感覚に対して縮み上がる。

いっくんは、ぱっくり割れた胸元から、小さな動物のように動く心臓を容赦なく付属する血管から切り取る。その後、電動ノコギリで頭蓋骨を割られ、少し腐った匂いがする脳みそを、魚の内蔵をさばくように摘出された。「お前、まだ若いのに脳みそが半分腐りはじめてるぞ」といっくんは、夏男の脳みその匂いを嗅ぎながら大声で笑う。

【月光】が余韻のように流れる。夏男の体にへばりついていた夏男の意識はキレイに引き剥がされた。手術台に横たわる夏男の肉体はリサイクルに出されるペットボトルのように空っぽだった。悪魔の手の中にある夏男の脳は抜け殻になった自らの体を想ふ。

「心と体が切り離されていく。そして、自らの意志というものが永遠に行動を伴わなくなる。悪夢ってのは、こういうことをいうんだぜ、夏男。わかるか、あんっ?脳みそを既に腐らせ始め発酵させ始めてる馬鹿なお前にはちょっと哲学的に過ぎるかな、はははは」といっくんは、夏男の脳みそと心臓を睨み、嘲笑を混ぜ合わせながらそう語りかけた。

夏男は自分の体と心が引き剥がされていく事実を確かに悪夢だと認識できた。胃や腸やあらゆる内臓と神経を含む体から引き剥がされたのに、夏男の脳と心臓は吐き気を感じ続ける。残酷な仕打ちに耐えられずに、感じたことのない苦しさに耐え切れず心臓が発作的に叫ぼうとしたが・・・・声は出なかった。誰にも伝わることのない想い・・・・それが、悪魔に見せられている夢・・・いや、現実。

いっくんは、血が滴る夏男の脳と心臓を柴犬の死体に移植した。柴犬の顔に少しずつ夏男の人格が染み込み、犬の顔に人間の顔が溶け出して、その二つの顔が中途半端に混ざりあった。犬でも人間でもないような人面犬の顔ができあがる。いっくんは、「完璧な人面犬ではないが、まあ、こんなもんだろう。一度死んでしまった体への移植だからな。お互いが新鮮に生きていた時に移植できれば完璧な人面犬を創作することもできただろうが・・・・・生きとし生けるものは、俺以外、中途半端な存在だから、これもまた仕方がないか」と、半端な夏男の顔を見て笑った。

悪魔は手鏡を夏男の前に差し出した。毛むくじゃらの柴犬の顔に夏男の顔の面影が混ざりあっていた。あまりにも悲惨で醜い人面犬の姿に夏男は絶叫した。

【月光】の音色を掻き消す犬の鳴き声が理科室に響く。

八流ホラー映画のメイクにも行き届いていない狼男のような顔・・・・。夏男は何もかもを信じないといった素振りで首を横に振り続け、手鏡から視線を逸らそうとした。が、いっくんが夏男の顎を力強く押さえつけ、視線を逸らさせずに、鏡に映る醜く哀れな存在を夏男自身に見せ続けた。夏男は力ずくで押さえ込まれ、鏡に映る自分の姿から目を逸らすことができない。目をつぶろうと瞼を閉じようとするが、体がショックに震え、目元が痙攣し、硬直して、目をつぶることすらできなかった。いっくんは、その夏男の心のやり取りを楽しげに、満足そうに優越感を持って堪能した。そんな可愛くも愛らしい悪魔の飼い犬になる夏男にいっくんは、ご褒美を与える。

「これを着ると、人間だった頃のお前とたいして変わらないだろ?俺からの心温まるプレゼントだ」と言って、いっくんは、夏男にアロハシャツを着せた。いっくんは白衣から観察用の虫眼鏡を取り出した。いっくんは、生温い鼻息を荒々しく夏男の毛で覆われた体に吹きつけながら、夏男の体の細部を細かく虫眼鏡で観察した。そして一つの感想を持つ。

「人面犬のお前も悪魔と呼ばれた中学三年生の不良も・・・惨めで哀れで醜いという三点においてはあまり変わらないじゃないか。犬として生きるのも、悪魔と呼ばれた少年として生きるのもたいして変わらないのなら別に人面犬として生きたっていいだろ?そう思わないか?」といっくんは犬に成り果てた夏男の頭を撫でながら語る。

「それでも人間に戻りたいというのなら、まずは俺の立派で従順な飼い犬になってもらわないとな。そして、お前が俺のペットになって100の生命を助け出すんだ。俺は純粋な心を持つ野良犬が危険だからという人間の都合だけで殺されてしまったことに傷ついている・・・・ということになっている。シナリオ的に。台本に書かれたこの悲しい気持ちを癒すには、その野良犬の死体を蘇らせるとともに、悪魔みたいなガキが死んでいった野良犬の気持ちを理解し、更生し、飼い主に従順であるとともに、100の生命を助け出すという感動的な物語以外には考えられない訳だ。悪魔は職業上、公に良いとされることはできない。だから、俺の飼い犬となってお前が俺の代わりに善行を行うんだ。お前の存在意義は、そういう構成になっている。いいな?それをお前がやり遂げた時、俺はお前を人間の姿へと戻してやる」

いっくんは一方的に話す。夏男は何も答えられない。悪魔が何を言っているのかもよくわからない。今、自分の感じている全ての想いが心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、喉元にまで出掛かっている。ただ、喉元につかえる全ての自分の言葉が嘘のように思えて飲み込んだ。あまりに残酷な現実を前にすると、人は偽りの自分の気持ちを口にして嘘でごまかして曖昧にしようとする。しかし、夏男の正直な若さが、混乱する状況下で自分を慰める上手い嘘をつききれない。曖昧になりきれない夏男の存在が、飲み込んだ嘘を喉につまらせて窒息しそうになる。

いっくんは、腕に巻いたデジタルウォッチに目を落とした。時間が過去と現在と未来を繋ぐために、一瞬、一秒を正確に刻んでいた。

「もうそろそろ朝が来る。お前を悪夢から解放してやろう。ただし、悪夢から目を覚ましたところで、そこにも悪夢みたいな現実が待っているだけなんだけどな。あはははっ」

いっくんは、高らかに笑いながらそう言うと、手術室にながれる古い古い蓄音機からの暗い音色のクラシック音楽に合わせて子守唄を歌った。

「ねんねん、ころりよ・・・」と、悪魔の低くて深みのない擦れた歌声が夏男の鼓膜を震わせた。夏男の意識は陰鬱な子守唄に切り刻まれて黒い部屋にばら撒かれていった。細切れにされた夏男の理性は暗闇の中へと吸い込まれる。いっくんの着る真っ白な白衣の残像だけが夏男の細分化された意識の中にいつまでも残った。真っ黒な世界に浮かびあがる白さこそ、善を装った偽善に思えた。悪魔が夏男に語った言葉が、夏男の中でいつまでもいつまでも・・・鬱陶しいくらいに響き続けた。

「いいな、夏男。俺は傷ついている。そして、俺の傷ついた心を愛らしいペットのお前が癒すんだ。あはははは、そう、可愛らしい俺の飼い犬がな」


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