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After Surf ...  作者:
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 由比ガ浜が夕暮れに染まった頃、遊泳時間の終わりとともに、砂浜からは海水浴客の波がひいていった。そして、夕焼けを背にする人達とは逆に、花成家の母と息子、そしてワンちゃんは、海を優しいオレンジ色に輝かせる水平線の夕陽に吸い込まれるようにビーチを歩いていた。

 海の家は即席のナイトクラブになって踊り出したくなるような心地良い音楽を流してくれている。母ちゃんと夏男、そして元就は家族全員お揃いのアロハシャツに身を包む。

 夏男は、部屋の隅で所在なげにしていた一枚のサーフボードを抱えながら海岸を歩く。ショートボードを抱え込む脇の感触、幸せだった。元就は大はしゃぎだった。母ちゃんは新しい家族ができたことが嬉しくて、ずっと元就とじゃれあっている。少し夜の匂いを混ぜた涼しい海風が砂浜の砂を撫でた。


三人の歩いていく方角から一人、真っ黒に日焼けした髭を生やしたオッサンがサーフボードを抱えて歩いてきた。海の家からは、流行りの夏歌が聞こえてきて、オッサンはその歌を口ずさんでいた。小波しか立たない日だった。由比ガ浜の端っこでロングボードで浮いてみたもののあまりに小ぶりな波に嫌気がさして帰ろうとしている途中のような様子で砂浜を歩いてくる。母ちゃんが、その男の姿を見て、目を擦りながら固まった。


「よっちゃん?」と母ちゃんは髭オヤジに声を掛ける。


 その髭のオッサンは、人面犬と罵倒されていた日々、海の家から逃げ出して海で溺れていた夏男と井伊を助けてくれたあのちょび髭のオッサンだった。


「うっちゃんか?」


 ちょび髭のオッサンは、母ちゃんの顔を見て、驚きながら立ち止まった。


「そうよ、久し振りすぎるくらいね。それにしても何よ、その長いボードは?」と母ちゃんが答えた。オッサンもイカしたアロハシャツを着ていた。


「しばらくじゃねーか?うっちゃん。このボードか?台湾辺りで台風がウネウネしててくれれば相模湾にうねりを届けてくれるけどよ。そんな時以外は、ここ湘南は湖みたいな日が多いってよく知ってるだろ・・・・。なんか、波が来る日を待ってたら疲れちゃってさ、小さな波でも乗れるボードに変えちゃったりしてるわけよ、俺も、最近老いが進んでよ。気が短くて。それにしても、まだ波乗りしてんのか、うっちゃん?」


「今日からまたやるの。16年ぶりにね。息子にサーフィンを教えて、イケてる夏の男に仕立て上げるんだから。私は、何が何でもショートボードでブイブイ言わすわよ。私は、ここの海で知り合った人の片っ端からボードを借りて自分の実力にあったボードを乗り継いで、やっとの思いで浮力のないショートに辿りついたんだから。ここの海で初心者用ソフトロングで入って、本当に運動神経の欠けらもなかったからファンボード経由でショートボードに至るまで涙ぐましい苦労をしてボードのダイエットしてきた努力家なんだからね。覚えてるでしょ、パドルしても板が全く前にいってくれないくらいに非力だったんだもん。それでも、皆のボードを片っ端から借りては波に乗ってた。波に弾き飛ばされ、海に拒否され続けながらもそれでも自分のレベルにあった板にしがみついて波と格闘してたんだわ、あの頃。何万回も波にふっ飛ばされながら・・・・やっと海とお話させてもらえるようになった純粋で純情な心を持つガールズサーファーだったんだから。初めからこの海でショートで乗って、波に自己紹介すらせずに初対面でセックスをお願いして、テクニックも経験もなくベッドの上でマグロになって「気持ちよくさせてね、うっふーん」なんて言うガールズサーファーじゃなかったのは覚えてるでしょ?あははは」


 母ちゃんは、愛おしそうに昔を思い出しながら目元に皺を寄せて笑顔で話す。


「ま、それでも気持ちよくなれちゃう子達もいたのは覚えてんだけどさ、運動神経良くて。いきなりショート乗れちゃう子達。海、初体験で凄いことできちゃう子達。でも、わたしは結構奥手で慎ましい子だったからね、あははは。でもわかってたのよね、波程、私をイカせてくれる存在はいないってのは。だから、どんだけフラれても海にときめいてた。愛されるための努力をしたわ。そして最高な波に優しく乗せてもらえた時のあの全身を突き抜ける快楽は・・・ベッドの上で潮を吹くのよりも最高よ。」


 オッサンは鬱子の下ネタ混じりの話を聞いて笑う。そして、その内容はとても古典的な話だと思った。つまるところ、現代社会に似合わない苦労話や根性や努力についてを冗談で包み込んだ話・・・。

 彼女が喋った言葉には裏がある・・・・。

 にわかサーファーや丘サーファーが増えた現代において、そんな言葉の裏側に恥ずかしさとともに隠された意味を理解できる人間は少なくなった。オッサンは言う。


「いいねぇー。久々にそういう話聞いたよ。今の時代、皆、初心者のくせに基礎の基礎の浮力のあるファンボードにすら乗らずにさ、無理矢理浮力のないショートボードに乗って、格好ばっかりつけようとして乗れねー奴多いもんな。下手糞なまま波乗りがつまんなくなって海からあがっていく奴等ばっかでよ。なのに皆、陸サーファーの癖に波乗りを語っちゃう時代な訳よ。一度も波に乗れたことないのに乗れたと言い張る奴等が多くなっちゃったよね・・・寂しいけど。波とすら呼べないインサイドの極小の波にのって乗れた気でいる。男と女で言えば、お互いが感情の絶頂に達してないのに・・・先にイッちゃってやり逃げる男の後ろ姿を波待ちしてる沖から見てるようなもんさ。ま、どーでもいいけどさ、そんな話。でも、俺、浮力って言葉、好きだな。ボードのダイエットっていい表現だと思うぜ。浮力のある大きな板から少しずつ浮力の小さいボードに落としていく過程って、親に守られて育って、海に浮かせてもらって、少しずつ波のある日々を経験して、大人になっていって・・・・自立して自分一人でも荒波の中で自由に波をのりこなして生きていけるようになるってことと同じ気がするな。ショートボードならその身が軽い分、波をどんなボードよりも自由に操れる。まあ、俺は語らせると長くなるタイプだから長話はこのへんにしておいて・・・・ところで、誰の子よ?そこの金髪は」とオッサンはちょび髭を、浜にふくそよ風にそよがせて訊いた。


「さあ、誰の子かしらねー。あの頃の私を知ってるあなたなら、うちの息子が誰の子だかわからなくなるってのもわかるでしょ。ま、誰の子だかわかってもあんた達には教えなかったけどね。相手は、みんな夢しか持たない貧乏でアロハ着て波乗りだけが得意な夏の男達よ。ろくでもない将来は目に見えてたじゃない。あははは、本当にあの頃のみんなは今頃まともに生きてるのかしら。野垂れ死んでるんじゃないかしら。もしくは、海に沈んでいるかね、波に狂いすぎて。ねー、もしかしたら、よっちゃん、あなたの子かもしれないんだからね」


 母ちゃんは、ちょび髭のオッサンをからかうように言った。話す角度によっては、暗くなってしまいそうな昔話を平然と笑い話のように言ってのける鬱子にオッサンは感心した。そして、物知り顔で語った自分の長い話を恥じた。言葉が喉から出なくなった。反省を踏まええてオッサンは、突然の再会に面を食らったような顔をしながらも鬱子の顔をじっと見つめた。思い出の中の鬱子と少し年老いた鬱子。顔の微妙な表情の違いをオッサンは心の中で認識した。オッサンは、一通りの確認作業を終えた後、納得したように一人で肯いた。


「ああ、そうか。そうだよな。うっちゃんには世話になったからな。うっちゃんが夢と現実の狭間で苦しむ俺たちのストレスをみんな受け止めてくれて、慰めてくれて甘えさせてくれたから俺たちは夢と波を追えてたんだもんな。なんなら、俺の子ってことでいいぜ。バツ一で戸籍に空きもある」


「何?よっちゃん、どうしたのよ?あなたみたいな優しいメンズがバツ一なんて。波ばっか追っててお嫁さんに逃げられたの?」と夏男の母ちゃんは驚いた口調でオッサンに訊いた。当時のガールズサーファー仲間の間でもオッサンは思いやりがあって、結婚したいサーファーNO1だったらしい。


「今はよ、自分で創り上げたレコード会社の社長よ。インディーズから立ち上げて、ぱっと見じゃ陽の目を見なかった歌手やバンドに荒波に向かう根性と波乗りの感性を叩き込んで、気がつきゃ日本でトップ3に入るメジャーレーベルよ。俺も今や音楽業界じゃ日本を動かすビックなプレーヤーになっちゃってる訳なの。だけど、嫁さんは、柄にも色の白い丘の上のお嬢さんをもらっちまった。やっぱり価値観が違ったんだろう・・・逃げられたよ。はははは」


 ちょび髭のおっさんは、自嘲の笑いとともにのしあがってきた歴史をワックスを入念に塗り込んだサーフボードを脇に抱えながらちょっと自慢げな素振りで話した。それを聞いた母ちゃんは、思い出にいる昔のオッサンの姿を思い出した。そして、微笑んだ。


「嘘みたいな話ね?昔はしがない貧乏でボロボロの個人経営のビーバップハイスクール的なつっぱりロックンロールなバンド向けの男しか寄りつかないようなタバコ臭い貸しスタジオをやってたよっちゃんが・・・・社長?世の中信じられないようなことがおきるのねー。無謀な夢が本当に叶うこともあるのね。残念ながらお姫様には逃げられちゃったみたいだけど」と母ちゃんはおどけてオッサンをからかった。


「波に乗れる奴は、時代にも乗れる。そういうこった。ところで、うっちゃんは今何やってんの?」


「スーパーのお惣菜コーナーでパートよ」と鬱子は、平然と答えた。


 その鬱子の発言を聞いてオッサンは顎が外れ落ちそうな程、口を広げて驚いた。鬱子の言葉は相当に衝撃的だったらしい。


「はっ?鎌倉のマドンナが・・・・お惣菜コーナーでパート。時給だろ、それって・・・・。超もったいねー。だいたい、うっちゃん、大会でも勝ってたしプロの話もあっただろう。うっちゃん程の波の乗り手がそんなとこで何やってんのよ。そこ辞めて、頼むから俺のとこで秘書とかやってくれよ。何でもいい。何でもいいから、俺の側で働いてくれ。偉くなっちまうと波にも乗れない、学歴と愛想笑いを誇るしか能のねぇー奴等雇わなきゃいけないわけよ。そんで仕事と学問勘違いするエリートに囲まれて苦労してんの。あいつらトレンドの波の満ち引きを感じる心もなく、真面目に学問的に音楽考えてんの。全然駄目。感性を鍛えられてない奴等と仕事するとイライラするのよ。特に俺の秘書達。真面目すぎるだけでも終ってるのに、更にノリがない。乗れない奴等は仕事もできない。うっちゃん、頼むから俺のとこで仕事してくれよ。うっちゃんのあの波乗りテクは現代社会でも相当なもんだぜ。時代のビッグウェーブを乗り切ってトップになった俺が保証する。頼む、俺のとこで働いてくれ」とオッサンは母ちゃんに両手を合わせて、頭を下げてお願いした。そんな、オッサンの姿を横目にして、母ちゃんは夏男からサーフボードを取り上げた。そして、アロハを脱ぎ捨てて、ビキニ姿で海へと走っていった。


「よっちゃん、その話し考えとくわ。でもね、今はサーフィンが先よ」と母ちゃんは海を前に衝動を抑えきれないようにして砂浜を走っていった。

 オッサンは、頭を掻きながら、この女には勝てないといった表情を浮かべた。でも、そんな女に振り回されて、男はふいに生きる意味を思い出す。

「それでこそ、うっちゃんだ。海を目の前にして仕事の話なんかしちゃうよーじゃ、俺も駄目だな。海があるなら、サーフィンが何よりも先だわ。俺も現代社会の波に若干飲み込まれ気味か・・・・・」


 走っていく母ちゃんの後ろを元就が追っていく。沈んでゆく太陽が海に反射して美しい。浜辺では海から帰りたがらない人達の弾んだ声が聞こえる。母ちゃんは、由比ガ浜に身を浸して、パドリングを開始した。そして、沖まで出て、ボードに跨ぎ、波を待った。沖からはセットが入ってくる。

 サーファーで溢れる海。皆、セットになってきてやってくる波に次々と乗ろうとする。一つの波に何人もが乗っていく。しかし、母ちゃんはそのセットで四本入ってきた波を全てやり過ごし、沖に浮んでいたサーファーが皆セットに乗って浜辺に着いたのを見届けた。そして、誰もいなくなった沖に浮んだまま厚ぼったい小ぶりな波がやってくるのを見ていた。母ちゃんは、その波に乗った。その姿を見ながらオッサンは、胸の中の隅に片付けていた青春の宝箱を引っ張り出し、思い出をゆっくりと紐解くように一人で語り始めた。


「瀬戸内海の波が穏やかすぎて、孤独を抱えながら、刺激を求めて鎌倉まで流れ着いた女の運命かぁ・・・・。あの頃の俺たちはいつも大きな波を求めて、鎌倉や辻堂や平塚の辺りを徘徊してたっけ。うっちゃんももちろん大きな波を乗りこなす技術は持っていたけど・・・・うっちゃんがいつも求めていた波は優しい波だった。夕焼けの映える穏やかな夏の日の由比ガ浜・・・波は小ぶりだけど、とても美しくて暖かい。そんな小さな波達をあやすようにうっちゃんは波に乗ってたっけ。その姿を俺たちは、同じ海に身を浸しながら見つめてた。うっちゃんの無邪気で美しい姿に恋をしたんだ。うっちゃんは皆を愛してくれた・・・・。そして、鎌倉の仏さん達もうっちゃんに恋をしてた筈だわ・・・・。由比ガ浜の上にあんな美しい風景を作り出せる心の純粋さを持つのはうっちゃんだけだったもんな・・・・」


 オッサンは、夏男の母親が夕陽を背に小さな子供達をあやすように波に乗る姿を見つめた。小さな波達を優しい笑顔で乗りこなす元鎌倉のマドンナの光景を見つめてオッサンは思わず感極まった。


「あの頃と変わってねーや、うっちゃんのサーフィン」とオッサンは呟く。母ちゃんは、右から左にキレイ割れて崩れていく波に乗って、由比ガ浜にいるどのサーファーよりも長く楽しそうに波を横に滑っていた。元就は、そんな母ちゃんの姿をつぶらな瞳で楽しそうに見つめていた。夏男は、母ちゃんが波に乗る姿を生まれてはじめて見た。本当にキレイだった。夕陽を背にして誰もいない海を撫でるように滑っていく。そんな母親を誇りに思った。夏男は、自分も波に乗りたくなった。海に向かって駆け出そうとした。海を求め、駆け出そうとする夏男にちょび髭のオッサンは声を掛けた。


「おい、息子。名前は何て言うんだい?」


「花成夏男」と夏男が言うと、オッサンは嬉しそうに笑った。


「かなりなつおか・・・・。いい名前だ。かなりの夏の男なんだな」


「これからそうなる予定だ」と夏男はオッサンに言い返した。それだけ言うと夏男は、たまらないように海へと駆けて行った。海を目指す夏男の後姿にオッサンは叫んだ。


「夏男」


 その叫び声に、夏男は立ち止まり振り返った。オッサンは、夏男の目を真っ直ぐに見つめ、誇らしく夏男を誉めた。


「よく、母ちゃんを守り通したな。立派だ。孤独を抱えて生き続けてきた、純粋すぎて脆い性格を持つうっちゃんを支えていたのはお前さんだよ。その清清しくも強さを持つお前さんの顔には家族を守ってきた歴史が刻まれてる。いい面構えだ」


 過去に醜い人面犬にされてしまった夏男の顔をどうしようもないくらいに褒めるオッサン。わかる奴にはわかるのだ。夏男は、オッサンのその言葉が嬉しかった。そして、夏男は、人間に戻れたのに「ワン」とオッサンに大きな声で吠えた。

 オッサンは無言で肯いた。

 夏男も肯いた。

 夏に男と男が視線を付き合わせれば、そこに言葉がなくともわかることがある。夏男は、母ちゃんと元就がいる波うち際を目指して走った。


「夏男、おいで」と波を乗りこなして浅瀬まで戻ってきた母ちゃんが濡れた体にサーフボードを抱えながら息子を呼ぶ。

 夕陽が砂浜の上の家族を照らす。

 波は満ちては引いていく。

 夏の夕暮れの波打ち際に美しい家族の光景があった。

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