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由比ガ浜沿いの国道134号線を夏男は全速力で走った。
アロハシャツが夏風になびく。
眩しい夏の海を目的地を目指して真っ直ぐに航海する船があるとする。その船の帆が風をつかむ風景があるとする。同じことが相模湾沿いを走る夏男号にもおきている。アロハ製の夏男の帆は、風を気持ち良さそうにつかまえていた。
太陽が雲ひとつない大空から鎌倉の夏を演出する。太陽の光が、夏男の金髪坊主をより輝かせた。由比ガ浜には抱えきれないほど、味わいきれないほどの熱っつーい解放感が広がっている。夏男は、スピードを緩めることなく国道を走っていく。
元就がトラックに轢かれそうだった子供を助けた思い出の場所を通り過ぎた。
「つっぱる仕組みが好きなんだ」と元就はあの時、夏男に語った。ボロボロだったブルドックの野良犬が夏男に言ってくれた言葉は、永遠に心に刻まれる言葉になった。そして、人面犬だった自分の姿が頭の中をよぎった。
人面犬として小田原に向けて走り出した同じ風景の中を夏男は、今も夢中で走っていく。でも、今は、小田原まで行かなくていい。それが、嬉しかった(笑)。目的地は、もっと近場の極楽寺。
少し時期は過ぎたけれど、枯れかけているがタフに咲き誇り続けるアジサイが植えられた道を抜け、夏男は極楽寺へと辿り着いた。江ノ電は使わなかった。走っていくことに意味があると思った。色々あって、目的地までは走っていく習慣が夏男には身についてしまった。
辿り着いた極楽寺の門をくぐり並木道を少し緊張した面持ちで夏男は歩いていく。そして極楽寺の中央に植え込まれた大きなさるすべりの木の下で、夏男は元就を見つけた。元就は、夏男が小田原に走り出す時に噛み切って渡したアロハシャツの袖をくわえて待っていた。極楽寺の仏さんは、そんな二人の再会を暖かな笑顔で見守る。
元就は嬉しそうに顔をしわくちゃにしながら、「ちょっと待ちくたびれたよ」と冗談めいた愛嬌のある不満を顔に浮かべて笑っていた。
「ワン」と人間に戻った夏男は元就に向かって吠えてみせた。あの頃二人で吠えあっていた言葉で再会を喜んだ。
夏男は元就を抱き上げた。「ごめんな、待たせて」と夏男は元就に頬擦りしながら謝った。そんな夏男に「ワン」と元就は返す。きっと「待つって仕組みも悪くないもんだ」と言っているのだろう。もう言葉は通じない。だけど、夏男には元就の言いそうなことが自然とわかった。
元就は、夏男を信頼しきって、小さな体を夏男に預けた。夏男は、元就の頭を愛しくて仕方なくてたまらなくて撫でながら「元就、お揃いのアロハ着ような。なんたって俺たち、ぶちゃいくブラザーズだから」と嬉しそうに語った。元就は、ついにアロハシャツが着れることが嬉しくて、夏男の顔をぺろっと舐めた。夏男は、それをくすぐったがった。
☆
元就を家に連れて帰る途中、一人の女子高生がチンピラ風の男達に囲まれていた。十人程の群れを組むその男達の顔ぶれを見るとチワワズ六匹と見慣れない顔が四匹だった。チワワズが勢力を拡大していた。小型犬の群れのような半端な不良軍団は、キレイな女子高生の頬を無理矢理にさすっていた。
「やめてください」と反発する女子高生。「ああ、俺、強気の女の子って好き」とチワワ1号が吠える。夏男は、弱気なお前が言うセリフじゃねーだろと遠くから見て思った。
女子高生は、豆柴犬を連れていた。由比ガ浜沿いを散歩の途中だったのだろう。豆柴は、十人のチンピラに向かって吠えた。チワワ2号と3号は、犬の喚き声をうざそうな顔をして女子高生の飼い犬を蹴り上げた。
蹴り飛ばされた豆柴が倒れ込む。女子高生は、蹴り上げられた飼い犬を抱きしめ、「この子に手を出さないで」と瞳に涙を浮かべながら叫んだ。
「ならさー、犬に手を出さないから、お姉さんに手を出させてよー。ほら、夏だし、水着とか、裸になっちゃったりとかして、解放的になって、俺たちと遊ぼうよ」と小型犬が大胆にでかい提案をする。
ニヤニヤニヤニヤ笑いながら、きゃんきゃんきゃんきゃん吠える十匹の小型犬の群れ。あまりにキモい台詞に夏男は鳥肌をたててしまった。そして、ふと想う。鶏を救ったのは、ついこの前のことなのに、遠い昔のようだな・・・と。
鳥肌がたった夏男の腕、チワワズの態度に寒気を感じる。倒れた女子高生の豆柴はもう一度起き上がり、小型の不良軍団に噛みつこうとした。夏男は、それを見て、なかなかいいつっぱりだと思った。勢力を拡大したチワワズ達が一斉に、その豆柴を蹴り飛ばそうとした。その瞬間、夏男は十匹の背後から「おい、コラ」とドスのきいた低く深い声を発した。
「あんっ?」×10でチワワズは弱っちぃ凄みをきかせて夏男の方を振り返った。夏男は、悪魔の睨みを越える視線で小型犬の群れを睨みつけた。睨むもの全てを鋭く切り裂いてしまうようなガンを十匹に飛ばし、「わんっ?」と吠えた。
夏男のド迫力な凄みがチワワズに本気のお漏らしをさせてしまう。本気で小便を漏らした奴が、3匹いた。他の奴等もパンツにアンモニア水溶液がじんわりと滲みていた。チワワズの内、2匹は既に泣き出していた。そして、夏男が抱っこする元就も夏男と一緒にチワワズにガンを飛ばしていた。抱きかかえられた元就も「わん!」とぶちゃいくなくせに可愛く本気で凄んでみた。
震え上がったチワワズ達は、「うぉ、夏男・・・・夏男さんだ。否、夏男様・・・・。ここは、なんとか頭を下げれるだけ下げて逃げさせていただこう。スイマセン、夏男様のマーキングしている縄張りに足を踏み入れて」と凄みきれずに丁寧語を使いながら一目散に逃げていった。
爽やかな夏空の下が急にチワワズ達が漏らした小便で臭くなる。しかし、夏男は、その小便臭さを消すために、女子高生の視線の届かない位置で、立ちションをした。元就も、立ちションをした。自分の縄張りにはちゃんとマーキングをしておかないとああいう馬鹿どもが粋がりはじめると夏男は思った。
人間に戻っても、犬だった頃とたいして変わっていない夏男。むしろ考え方は、より犬っぽくなっていた。自分の縄張りに匂い付けをして一軒落着。
そう思いきや、更なる驚きがあった。逃げていく不良小型犬の群れの向こうから井伊正義が自転車に乗って、夏男の方に向かってやってくる。どうやら夏男がまた誰かをイジめていると思ったらしい。一人が十人をイジメているなんて話しは聞いたことがないが、井伊はそんなことに疑問を持つことなく夏男に突っ込んでくる。なんとなく懐かしいな・・・と夏男は思った。
「こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉら、夏男。また弱いものイジメをしてるのかぁぁぁぁぁぁ」と弱っちぃのに正義感だけで突っ込んでくるところは相変わらずの石頭のお地蔵さん。夏男はその愛しくて、心地のいい正義感に微笑んだ。井伊は、夏男の前で自転車を投げ捨てて、夏男に体当たりを繰り返した。そんな井伊を見て、女子高生が事の経緯を説明する。
「この方は、なんだか群れで凄む弱そうなチンピラの集団に絡まれていたところを助けてくれたんです」
体当たりは効かないと見た井伊は、既に夏男のアロハシャツの胸倉を掴みあげて体育の時間に習った柔道の投げ技の真似をはじめようとしていた。井伊はその女子高生の言葉を聞いて、「えっ・・・そうなんですか?」と拍子抜けしたような声を出した。
夏男は井伊の目を睨むことなく真っ直ぐに見て、「当たり前だろ。俺は鎌倉の人面犬ならぬ鎌倉の番犬だぜ。悪を退治こそすれ、弱いものイジメはしない」と笑った。
無理した笑顔じゃない。夏空の下、自然に笑顔になった。元就は、夏男のそのセリフを聞いて、腹を抱えて大笑いする。
鎌倉の番犬・・・・いい響きだと思った。
由比ガ浜から少し離れたところにいる大仏様も鎌倉の番犬という名前の響きの良さに肯いていた。
「なかなか、うまいことを言うようになったな、夏男も」と大仏様は穏やかに微笑む。仏委員会のメンバーは皆、そんな夏男に「番犬と呼ぶには、まだまだ甘い甘い」と言って笑った。
夏男は、体を屈み込ませ女子高生を守ろうとして蹴り上げられた豆柴の頭を撫でて、「お前のつっぱりカッコ良かったぜ」と言った。
女子高生は、「この子は私の大切な家族の一員で、頼れる弟みたいな存在で、かけがえのない大切な命なんです」と言った。夏男はそれを聞いて微笑んだ。
100の命を救ってきた男の笑顔は、なんだかやっぱりちょっとカッコイイ。母ちゃんが元マドンナだけはある。醜いと言われ続けた人面犬が、人間に戻った笑顔。夏男の顔は、よく見れば母ちゃんの遺伝子を受け継いで美形なのだ。女子高生は、ちょっとドキドキしていた。由比ガ浜から爽やかな夏風が心地よく夏の男の周りを吹き抜ける。
「はっ、やばい。夏期講習に遅れる・・・」と井伊は時計を見て、慌てて自転車に跨った。勢いよく塾に向けて突っ走っていく。あいつもいろいろつっぱるなぁー(頑張るなぁー)と夏男は思った。夏男は、夏の大空の下、塾に向けて自転車を漕ぎ出した井伊の後ろ姿に向かって大声で言った。
「なあ、学級委員様。今度、俺に勉強教えてくれよ。俺、暇なんだよ。ゲーセンでゾンビ殺してるよりは勉強しときゃあー、なんか将来役にたつべ。頼むよぉぉぉ。そのかわり喧嘩の仕方、教えてやるからよー」
夏男の言葉に、井伊は、「おおおおおおおおお、いいいいいいいいぞぉぉぉぉぉぉぉぉ」と自転車を漕ぎながら答えた。井伊が思いっきり叫んだ声が夏空に気持ちよく響いた。
井伊がいなくなった後、女子高生がドキドキしながら夏男の顔を見て、「夏男さんっていうんですか?」と訊いてきた。
「そうだけど」と夏男が言うと、「優しくて思いやりのある人なんですね」と女子高生は夏男の目を見ながら言った。
夏男は思わず目をそらした・・・・こういうところに若さが出る。女の子の目を真っ直ぐ見つめるのは・・・・・やっぱりなんだか照れくさい。
夏男は照れながら金髪坊主の頭を撫でて、一生懸命、心の中から返す言葉を探した。でも、どんな言葉も見つからなくて、無言で顔を赤らめるだけだった。そんな夏男を見て、元就は女子高生の豆柴と何やら話していた。豆柴は笑っていた。元就も笑った。
照れまくる夏男の姿を元就も豆柴もからかいはする・・・・でも、その微笑ましい夏男の照れた顔を馬鹿にすることはなかった。




