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「ねえ、夏男。なんで、母ちゃんがお前に夏男って名前をつけたかわかる?それはね、いつも鬱っぽい母ちゃんだけど、鎌倉にやってくる熱っつーい夏を感じた時だけ孤独を感じることなく生きていけたの。夏の太陽が母ちゃんの心を励ましてくれて、サーフボードに跨りながら海の波に揺られていると少しだけ明るい夢を見ようと思えたの。そんな母ちゃんが夏に見た夢の続きをあなたにも感じて欲しくて、夏の男、夏男って名づけたのよ。、ひねりもなにもなくてそのまんまなんだけどね」と微笑みながら母ちゃんは言った。
「うん」と夏男は二杯目のご飯を口にかきこみながら答えた。夏男が一生懸命朝ごはんを食べる姿を見ながら母ちゃんは幸せそうな顔で見つめた。そして、自分の若かった頃を思い出した。思い出の遺品、母ちゃんが愛用したサーフボードが部屋の隅に転がっている。母ちゃんが、捨てられずにいた思い出。母ちゃんは、サーフボードを見つめ、夏男に言った。
「夏男さ、母ちゃんとサーフィン始めない?そこに転がってるサーフボードは母ちゃんが10代の頃、鎌倉の海、つまり由比ガ浜や稲村ヶ崎、七里ガ浜なんかや、鵠沼、辻堂、茅ヶ崎、平塚、果てはプチサーフトリップで伊豆の方面まで行って波を求めてた頃、ブイブイいわせてた頃のサーフボードなんだ。母ちゃん、部屋の隅っこで鬱やってるんじゃなくて、もう一度海に出ようかなって思うの。もう一度、このボードにワックスを塗ろうかなって思うの。そして・・・・息子と一緒に波待ちして波に乗れたら、こんなに幸せなことはないと思うの」
夏男は、母ちゃんの言っていることが物凄くよくわかった。夏男も母ちゃんと一緒に波に乗れたらどんなに嬉しいだろうと思った。だけど、夏男は、「いいよ」と無愛想に返した。いつまでたっても母ちゃんの前では照れくささが出てしまう。母ちゃんの笑顔が本当にキレイだった。母ちゃんが10代の頃は、本当に美人だったんだろうと思う。
「ああああ、息子とお揃いのアロハで、もう一度由比ガ浜でブイブイ言わすの。稲村ヶ崎や七里ヶ浜の波に比べれば、由比ガ浜の波は静かよ。でも、あの穏やかな波を抱きしめられる波乗りはそうはいないんだから。荒れ狂う波に乗るのは、確かにスリリングよ。でも、本当に波に乗っている実感を味わうのは、穏やかで小さくてキレイに割れていく波に・・・・・うーん、18禁的な表現で言っていいいのかわからないけど・・・・そんな波とゆっくりと体を絡ませて、慰めあう時なのよねぇ。夏男。母ちゃん、今では顔中しわだらけかもしれないけど、昔は美人でスタイル良かったんだから。今でも頑張れば、ビキニとかいけちゃうわよ。わたしは、夏は、タッパもラッシュガードも着ないビキニサーファーだったんだから」
母ちゃんは楽しい現実を想像してはしゃぐ。夏男は、そんな母のはしゃぐ姿を久し振りにみることができて嬉しかった。そんな夏男の心に、元就の姿が浮ぶ。二人でも幸せだけど・・・・きっと元就がいたら、花成家はもっと幸せになれると夏男は思った。心に、元就の言葉が響く。
「ねえ、おいらが、ここで生き残ってたら・・・・夏男を待ち続けていたら、人間に戻った夏男はおいらのことを迎えに来てくれて、花成家の家族の一員とし受け入れてくれるかい?今、おいらの夢はそれなんだ。人間に戻った夏男が野良のおいらの飼い主になってくれることを夢見ているんだ。その夢がある限り、どんなに死にそうでも、どんなに傷を受けても・・・・・・どれ程生きていくのが苦しくても、歯をくいしばって耐えてみせる。生き残ってみせるから・・・この道を真っ直ぐに走っていってくれないか?100の命を救って、おいらを迎えに来ておくれよ。お願いさ、おいらの夢を叶えておくれ。さあ、時間はないよ。おいらの好きなつっぱりっていう仕組みを見せておくれよ。鎌倉一のつっぱりを見せてくれよ、ブラザー・・・」
夏男は元就に会いたくて仕方なくなる。国道134号線で自分を見送ってくれた元就を思い出すと胸がいっぱいになる。元就との約束が夏男に母ちゃんの目を真剣に見つめさせる。
「なあ、母ちゃん。俺、新しい家族が欲しいんだ」
夏男の言葉を聞いた鬱子は、少し動揺した。夏男の真剣な目つきが、自分の目を見る。夏男が真っ直ぐに自分を見つめてくれるのはいつぶりだろう。夏男の本気にたじろぎながら鬱子はビックリして・・・「母ちゃん、この歳で子供産む自信は、ちょっとないかも・・・というか、まず恋人探しから始めなきゃいけないんだけど・・・」と返した。夏男は、その言葉に首を横に振った。
「違うんだ。赤ちゃんが欲しいわけじゃないんだ。捨て犬を花成家の一員として迎えたいんだ・・・。二人と一匹で一緒に生きていきたいんだ」と夏男が言うと、母ちゃんは二秒程考えた。夏男が真剣に願いを語ることなんて今までに一度もなかった。その願いを語る夏男の目が澄んでいたのを見て、「それは楽しそうね。二人と一匹・・・・・ずっと二人だけで生きていくもんだと思ってたけど、家族がふえるのって楽しいそうね。そんなこと考えてもみなかったわ。あああ、家族二人とワンちゃん一匹、みんなで幸せになるための気合いが親として体にみなぎりはじめたわよ、夏男」と母ちゃんは威勢良く言ってくれた。
忘れかけていた母親の元気・・・・微笑を持って優しく、そして美しい。
夏男は、母ちゃんのその言葉を聞いて、混じりッけなしの100%純粋な笑顔で笑った。
夏男は残りの朝ご飯を急いで食べ終え、食器を台所の流しに片付けた。
「ちょっと、行ってくる」と夏男は母ちゃんに言い残し、家を飛び出し、極楽寺を目指して走り始めた。




