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After Surf ...  作者:
35/45

 夏男が湘南大橋を渡ったところで、はやくも陽が暮れ始めた。そして、またもや悪魔のいっくんが夏男の前に現れる。悪魔晩餐会は明日の夜。焦っているのか、すぐに夏男を挑発に掛かる。


「諦めろよ。寝坊したんだろ。もう無理だ」


 いっくんは、夏男を冷たく脅した。夏男はその言葉に首を横に振る。いっくんは、夏の夕焼けを凍りつかせるような冷たい言葉を次々と吐き出す。


「タイムリミットは明日だ。今、お前がいる場所はどこだ?遥か遠くにある未来を妄想の中でしか描けない場所。お前の視界には小田原の端っこすら見えていないんだぞ。不可能だろ。絶望に言い訳を求めた方が利口だ」と悪魔は夏男に怒鳴った。

 悪魔は、怒鳴り続ける。

 夏男は悪魔の言葉に無言で首を横に振り続ける。

 「諦めろっ!!!!!!!!!!」と叫びながらいっくんは夏男の体を力一杯に蹴り上げた。夏男は蹴り飛ばされ、倒れ込んだが、力強く起き上がり、また小田原に向かって進み出した。


「間に合わないって言ってんだよ!!!!!!!!」と悪魔がキレる。夏男は、言った。


「もう鎌倉から遠く離れちまった。もう過去に引き返す力は残ってない。なら未来に・・・小田原に向かって歩いて行くことしか今の俺にはできない訳。過去にも未来にも行けない今に立ち止まるくらいなら俺は死んでもいいから未来に向かって一歩進むことを選択する」


 いっくんは語る夏男を鼻で笑う。


「お前は人面犬なんだぞ。そんなお前が根性を見せたところで笑われるのが落ちだ。誰も誉めちゃくれない。馬鹿にされるだけだ。いいんだよ、理科の実験の結論は出た。無理だったんだ」


 激しく挑発し続けるいっくん。自分が、夏男にしてきた調教を信じる。罵倒すればするほど、この犬は強くなる。


「そうだなぁ、俺は人面犬だったな・・・・。そんな俺が頑張ったって笑われるのもわかっているし、誰が誉めてくれるわけでもないのはわかっている。でも、そんなことは、もうどうでもいい。これは俺の問題であって、他の誰か、他人の問題じゃない。俺の外見も内面もすべて含めて俺自身だから・・・・。俺が自分で自分のケツを拭かなきゃいけない。ただそれだけのことだ。ウンコつけたまま生きてはいけないし、だからといって誰かにウンコ拭いてもらってありがとうって笑顔で感謝できる男じゃないことは俺自身が一番よくわかっている。自分のケツは自分で拭いて、帰るべきところにキレイな肛門で帰る」


 夏男が自分に返してきた言葉。

 強くはなっている・・・・が、しかし、いっくんの求めているニュアンスと少し違う。本来ならば、もっと憎しみが前面に出てくる筈。

 言葉に奥行きを感じる。

 いっくんが望んでるものはもっと浅い感情の爆発。そのニュアンスの違いにいっくんは、一瞬困惑したが、思いなおして、全てがシナリオ通りに進んでいることを確認しようとした。夏男が纏うオーラに理想と現実の誤差はあるが、タフに飼いならしたペットが、この調子で行けば明日には小田原につき、100の鶏を救うだろうといっくんは予測をたてる。ニュアンスの問題ではない。とにかくタフであればいい。目的を達成するために前に進む根性が必要だった。それが憎しみでなく、人間に戻りたいという欲望であっても、同じ結果を導くのは間違いない。ならば、心配する必要はない。憎しみも欲望も醜いことには変わりない。汚い力を身につけることが結果を強固なものにするんだといっくんは、昔教壇で熱く語っていた先生の言葉を思い出した。でも、そんないっくんの悪魔の心に恐怖心が生まれた。

 「俺はこの飼い犬に食い殺されるんじゃないか・・・」

 そう思う理由はなんだろう。勉強に勉強を重ねてエリートと呼ばれ続け十七年生きてきた。そんな秀才としての能力の全てを持って計算し尽して書いたシナリオの行間に表現できない微妙なニュアンスがどんどん含まれてくる。それをいっくんは、読みきれない。小田原で犬の遠吠えを聞いた時の不安が蘇り、いっくんは、悪魔の自分に挑んできた柴犬に噛みつかれたことを思い出した。

 悪魔の目に夏男が大きく映る。

 誇り高き野良犬の姿が悪魔の目の前で未来に向かって足を進める。飲み込む筈の夏男に飲み込まれている感覚に襲われる。将来の悪魔の王となるべき冷徹な頭脳の中で完璧に練られた計画。でもいっくんの胸に不安がよぎる。計画はもう引き返せないところまで来ている。遂行せねばならない。いっくんは冷静になろうとした。夏男は小田原へと進んで行く。いっくんは、なんだか・・・この犬をこれ以上先の未来へと行かせてはいけない気がして、本能的に夏男の道を塞いだ。冷静な判断とは裏腹の自分の行動に悪魔はイラつく。そして、いっくんは抑えきれないようにして、生まれて初めて感情をむき出しにした。


「諦めろ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 いっくんは、そう怒鳴って夏男の行く先に立ちはだかった。そして夏男に向かって「諦めろ!!!!!!!!!」と、必死に怒鳴り続ける。


「諦めろ、諦めろ、諦めろ、諦めろ、諦めろっ!!!!!!!!」


 夏男は悪魔の言葉に聞く耳を持たない。夏男は前に進み続ける。それでも行く手を阻もうとする悪魔を夏男は睨みつけ、魂の奥底から叫ぶように吠えた。


「どけよ!」


 たった一言の夏男の声の迫力に、悪魔が凍りつかせた夏の空気の結晶が砕け散る。

 夏男は悪魔の目を睨む。悪魔は夏男に怒鳴り返され、睨まれた迫力に一瞬たじろいだ。エリート悪魔のプライドが夏の熱さに蒸せながら汗をかく。

 いっくんは、心から夏男を恐れて微かに震えた。夏男の体にした柴犬に右足を噛まれたことを痛い程に思い出した。傷跡は、いっくんの右足の肉に深く刻み込まれている。その傷跡がうずきだし、金縛りにかかったように、いっくんは立ちすくんで動けなくなった。身動きの取れなくなった悪魔の脇を夏男は通り過ぎる。

 エリート悪魔を過去に置き去りにして、夏男は前に進んでいく。夏男は、小田原を目指して、空っぽの体力を焦がして燃やしながら走っていった。


 ☆


 夏男は走り、走れなくなったら歩き、歩きながら走れる筈だと自分に言い聞かせて走り始めては、また歩いた。でも、夏男は決して立ち止まることはしなかった。道路に設置されたブルーの交通標識が教えてくれる未来までの道のり、「小田原 25㎞」

 標識が示す方向を頼りにただ前へと夏男は進んで行った。寝過ごした分、時間がなかった。夜の闇の中を眠ることなく歩き続けた。もしかしたら時折眠りながら歩いていたのかもしれない。前へ進まなければ何も始まらないという現実は、思春期の夏男の心に強さというものの本質を教え込もうとしていた。

 気づけば国道134号線は、国道1号線と合流していた。

 夏男は夜明けを大磯で迎えようとしていた。標識が示したものは、「小田原 18㎞」

 眠気が目元を重たく押さえ込もうとしている疲労の果ての半開きの視界が見つめる夢見心地。夏男は、ぼんやりとした幻想のような曖昧な感覚の中に光と闇の会話を聞く。夜が酔いに振り回された疲れた顔をして、朝に向かって話しかけていた。


「最近、暑いじゃん。だから、ついついビール飲みすぎちゃうんだよね」


 目覚めたばかりの朝は、コーヒーをたしなみながら、夜の話に耳を傾けていた。


「始発で帰りたいんだけど・・・・早く帰って寝たいんだ」と、夜は言った。


 朝は、涼しい顔して、コーヒーカップをソーサーに置いて、「別にいいよ」と答えた。


「助かるわ。ほな、わたくし、どろんさせていただきます」と、夜は、忍者が煙に巻かれて逃げるような仕草をした。朝は、夜のオヤジギャクの渋味をコーヒーの苦味で消しながら、始発で帰ろうとする夜に言った。


「夏はいい。ただ、寒い朝に弱い僕は、冬には十分に寝たいからよろしく頼むよ。持ちつ持たれつだ」


 夜は、宵を持て余しながら、酒を飲まない朝に向かって言った。


「冬は、そこまで喉が渇かないから、そんなには飲まないよ。だから、大丈夫だ。俺は、夏に飲む生ビールが好きなんだ。冬はちびちびウィスキーをやりながら、朝が起きてくるのをゆっくり待ってるよ」と、朝は、その夜の言葉に肯きながら、もう一杯コーヒーを飲んだ。そして、中南米の熱帯雨林で取れるコーヒー豆のアロマを存分に楽しみながら、「なら、いいよ」と返した。


 そんな経緯で、朝焼けがいつもより少し早めに東の空から、差し込んできた。

 夏男の肩越しから光が注ぎ込んでくる。不思議とかぐわしい朝だった。疲れ果てて眠りかけの夏男の意識に、なぜかカフェインみたいな香りが浸透していく。

 水水しい朝のすーっとした感覚とともに夏男の視界が少しクリアになっていく。

 背後から差し込んできた光が夜の闇を削り取り、彫刻を作るように夏男の影を少しずつアスファルトの上に掘り出していく。

 夏男は、下を向いた顔で道路に浮かび上がり始めた自分の影を見た。削り取られた夜の後に残った前に進む影を見て、自分が前に向かって歩いているという証拠を得た。

 影は、朝焼けの下、頑張って前を目指していた。

 残り18キロだった道のりが、ほんの少しずつだけど、縮まっていく実感を得る。夏男は、朝の光に彩られはじめた世界を顔を上げて見つめた。

 西を目指す夏男の前には曲がりくねった道がある。でも、太陽の光を浴びはじめたその曲がりくねった寝起きの道が、寝ぼけながら、夜と朝の境目を越えて前に進み続ける夏男の姿を夢物語の続きのようにして見ていた。

 夢と現実の見境いもつかないままに、曲がりくねった道は、夢の童話の主人公であったであろう夏男の根性に敬意をあらわすようにまっすぐに気をつけをした。起きぬけの朝の世界は、まだ寝癖もなおしてもいない。夢の名残りに、朝を構成するあらゆる全ての要素が、軍人のように規律正しく、国道一号線に沿って敬礼して真っ直ぐに整列していた。

 夏男の前で曲がりくねっていた道は、背筋を正し、一ミリの角度のズレもなく真っ直ぐに伸びていった。

 夏男は、その道を歯を食いしばって歩いた。敬礼した道は、ボロボロに成り果てた小さな英雄に敬意を表しながら背筋を伸ばし続ける。夏男は、顔を上げて前を向いた。そして、大きく一つ深呼吸をした。


 ふぅーーーーーーーーー。


 目標・・・・夢・・・・もしくは幻想・・・・・?


どんな言葉を当てはめていいのかはわからなかったが、夏男の瞳には、真っ直ぐに伸びていった朝焼け輝く道の先に、小さいが、確かに小田原城が見えた。まるでオズの魔法使いに出てくる主人公のドロシー達が、黄色いレンガ道の先にエメラルドの都を見つけた時のよう。小田原城は美しくエメラルドに輝く朝焼けをその身に纏っていた。夏男はその光景を三十秒程、立ち止まって見つめた。


「あそこだ・・・」


 喘ぐように呟いて、夏男は、鎌倉から遠く離れた自分の位置を確認した。手を伸ばせば届く場所にその城はあるように思えた。

 夏男は大きく口を開け、朝露を含んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。肺に力を入れ、そして夏男は走り出した。

 走れば走るほどに夢と現実の境目ははっきりと区別されていき、直線に思えた曲がりくねった道は、寝癖をなおし、歯を磨きながら、「現実的に複雑に曲がっているラインを維持しなければならない」と世の中のシステムを遵守しようとしはじめた。ルールを破り続けるというのは、色々ややこしいし、非現実的。まだ現実がこの地上を完全に支配していない時間だからできる好意。夏男にもそれはわかっていた。だから、再び曲がり始めた国道一号線に文句はない。一瞬の例外を除いて、あらゆる全ての存在は、あるべき姿に戻っていくのだ。あるべきでない姿では、何もかもが長持ちはしない。ただ、それでも、夏男には、曲がりくねった道の先にあるものを頭の中にイメージできるようになった。それが、ある程度の苦労を前提としたら、手の届きそうな目標として夏男の勇気になる。


少しずつ温度をあげていく夏の太陽。湿っぽかったアロハシャツが、ほんの少しずつ乾いていく。

 「悪魔に呪われた季節が夏でよかった」と夏男は、無意識に呟いた。夏男は、気力を振り絞るように自分にそう言い聞かせた。そして、昇っていく太陽に背を向けながら西に向かって夏男は行く。前に進み続ける国道1号線は、海から少し離れた場所に位置する。足は、痙攣していて思うように動かない。だけど、夏男は、渇いていくアロハシャツの感覚を頼もしく感じていた。


「夏だから、俺はまだやれる・・・・・」


 自分の人生を思い返せば、夏だけがずっと自分を包んでくれていた。夏男は、海が見たくて仕方がなくなった。疲れ果てた体、速度は上がらない。でも、海が見える場所なら、もっと早く走れるような気がした。夏男は、国道一号線を外れ、海に向かって走って行った。そして、大磯西ICから西湘バイパスに入った。

 西湘バイパス=海沿いを走る有料高速道路。夏男は、西湘バイパスの側道を海を見ながら走り出した。夏男は力強く、コンクリートの道路を蹴り上げた。夏がくれる勇気というのはまんざらでもない。夏は、生命の鼓動に勢いをくれる。しかも、ここぞという時に。そんな勢いづいた夏男の姿を大きな海が見つめている。無言を貫こうとしていた海が、現代の走れメロス物語に感動する。朝の光を浴びる夏男に向かって、海は波を打って興奮気味に叫んだ。


「走れ、夏男!!!」


 夏。海。そして、アロハシャツ。


 夏男は、走りながら、その三つの要素の逞しさをじんわりと心の中で感じた。

 朝のそよ風になびくアロハシャツは、夏にしか生きられない男達の象徴。

 「蝉みたいなもんだ・・・・・」と、春夏秋冬ものわかりがいいだけの無地のTシャツを着た奴等が批判めいたこと言ったりもするが、「だから、なんだ?」と、アロハシャツに描かれた派手で、ケバケバしく、なのに爽やかな柄達が反論したりする。


 必死に空気を吸い込みながら走る夏男の体内に、潮の香りが広がっていく。海は、朝の光を澄んだ海面に輝かせ、寄せては返す波でリズムを刻んでいた。海は静かに踊っている。夏男は、そのダンスを見て、タイムリミットに拘束されて、焦燥する心を少しだけ和ませた。夏男も波が打つリズムにあわせながら四本足をステップさせて前に進んでいった。


 ☆


 高速道路の脇を走る人面犬・・・・。

 高速走行中の車が、驚きとともにハンドル操作を微かに誤る。でも、夏の透き通るような朝の風の中を走っていく人面犬は、なぜだか凛々しくて、運転手達は直ぐにハンドルを持ち直し、気持ちよさげに箱根の山の方へと向かってアクセル全開で走っていった。

 事故は起きていない。

 昔、東名高速に広がった人面犬の噂は、海風に運ばれ、時代とともにどこかに消えていった。

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