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夕焼けが目に染み始めた。片瀬東浜と西浜をつなぐ交差点を走り去る夏男。江ノ島は、走り去っていく夏男の後姿を、別れた女を忘れられないといった表情で見つめていた。母ちゃんは、鎌倉・江ノ島・辻堂・茅ヶ崎・・・当時はどこに行ってもマドンナだったのかもしれない。なんとなく夏男の遺伝子が過去の雰囲気を感じ取る。もしかしたら母ちゃんは、江ノ島とも寝たかもしれない。それは、あまりに大きな存在で現実的ではないけど、母ちゃんは江ノ島が望めば江ノ島と寝ただろう。そんなことを思って夏男は、ため息をついた。
「ふぅー」
夏男は、顎を軽く引いてアロハを見つめながら漏れた息の温度を感じる。あまりにくだらないことを自分が考えすぎることに、走ること以上に疲れてしまう。訳のわからない懐かしさを伴う妄想が夏男の極限の体に広がって、走れば走るほど、脳の回転が暴走して訳のわからない感傷を生み出す。乱れた鼻息をなんとか抑え込もうとする。そして、「あばよ江ノ島」と、くだらない思考の連鎖から逃げ出すように夏男は、そう言った。
夏男の足取りは、一歩一歩、一歩一歩。足の裏の肉球に感じる感触が夏男の走っていく速度を実感する。遅くなりこそすれ、速くなることはない。「あばよ」とは言ったものの、江ノ島は依然として夏男の背のすぐ向こうに見えていた。足取りは重くなるのに、脳内の妄想だけが暴走する国道134号線。
江ノ島を背にして鵠沼海水浴場を通り抜けたと思っていた夏男の前に再び人の波ができる。波は、常に寄せては返して、そしてまた寄せ返すもの・・・。
夜の訪れを感じた海水浴客が帰り支度をして点在する駐車場や駅を目指して辺りに溢れ出していた。皆、比較的広い歩道の上を横いっぱいに並んで歩いていた。火照った体を持て余し気味に江ノ島を後にする海水浴客の波は、津波クラス。津波を乗りこなすのは尋常ではない。
夏男は、必死に人の波をかき分け、前に進んだ。夏男は、心の中で、「お願いだから、ここを通してくれ。頼む、通してくれ」と叫び続ける。崩れてくる人の波、押し戻される夏男。心の叫びなんて誰の耳にも届かない。誰も夏男の行く先を知るものはいない。誰も夏男の事情を知らない。道をあけてはくれない。
夏男は、疲れた体を引きずりながら、焦る心を沈め切れずに、人と人の隙間を必死に見つけては、体をねじ込み前に進んだ。歩道沿いに立つ真っ赤に塗りたくられたラブホテルの前に設置された季節外れのサンタの人形が、人波に飲まれる夏男を溺れるドザエモンを見るような目で見ていた。それでも、夏男は津波に向かって前に進んだ。溺れる訳にはいかなかった。津波に時間は飲み込まれていく。波しぶきを浴び続けながら人波ビッグウェーブを通り抜けた時、空は赤みを失い暗くなっていた。
目の前にはマクドナルドがある。そして、マクドナルドから悪魔のいっくんが、チキンナゲット20ピース入りの箱を持って出て来た。いっくんは、チキンナゲットを一つ口の中に放り込んで、挑発的に夏男に訊いた。
「間に合うのかい?」
夏男は肩で息をしながら「間に合わせる」と言った。
「間に合ったところで、鶏達は全員死んでるかもしれないぜ」と、いっくんは二個目のチキンを奥歯で噛み切りながら挑発的に返した。
「死んでいるという事実をこの目で確認するまでは諦めない」と、夏男は水分を失った口を開けてカラカラ声で反論する。
「たとえ、間に合って、鶏達が生きていても、お前に100の命を助けだせるのか?」と、いっくんは鼻に笑いを含ませながら夏男に更に問いかけた。
傷ついた者を上から見下ろす主導的な会話のやり取り。鼻の穴が若干膨らむ。生命を弄ぶのが大好きな悪魔の本性が隠しきれずに出てしまう。
いっくんは、五個目のナゲットを舌なめずりしながら旨そうに食う。夏男は、悪魔が投げかけてきた疑問を受け止めて、一瞬考えた。そして、「助け出すことが俺が背負っている使命だ。お前みたいな糞悪魔が俺に突きつけた人間に戻る唯一の方法。使命を背負った時、その使命に対する疑問は全て捨てた。例え、それが悪魔に与えられた使命であってもな。俺には帰るべき場所がある」と夏男は悪魔を睨み返して答えた。
いっくんは挑発的な姿勢を崩さない。糞と言われたことが気に食わなかったのか、いっくんは夏男の体を思いっきり蹴り上げた。夏男は、吹っ飛んだが、すぐに起き上がった。夏男は、痛みに顔を歪める。そんな夏男にいっくんは言う。
「お前に一体何ができる?あらゆる全てが不可能だろう。お前は自分の弱さを隠すためにつっぱりながら不可能な事象の影に隠れて強がってるだけ。違うか?」
いっくんは、十個目のチキンを食らう。
「違うね。つっぱることで全てが可能になることを悟ったから、自分を信じてただ前に進む。それだけ」
「無駄だね」
「俺以外の全ての生き物がそう考えても不思議じゃない。俺以外の全ての生命が俺を否定しようとしても不思議じゃない。よくあることだし、ずっとそうだった。でも、そんなのにはもう慣れっこな訳よ、いい加減。馬鹿な俺もここまで叩きのめされて生きてくれば、それこそ人生の教訓的なことの一つや二つは考えるようになる。ただ、俺以外のあらゆる全ての生き物が俺に否定をくれようとも、それを言い訳にして自分を否定することだけは二度としない」
いっくんは夏男の言葉を無視してチキンナゲットを食べ続け、20ピースを食べ終えた。悪魔の右手にはべっとりとチキンナゲットの油が粘りつく。いっくんはその右手を持て余した。
「お前が諦めた時、そこには俺がいてやるよ。そこで待っててやる。そして、チキンを救えなかったお前を救ってやるよ。助けて欲しいだろ?別に無理に100の生命を救わなくてもいいぜ。大仏と約束したとかなんとかいろいろ言ったけど、ぶっちゃけた話、大仏はどーでも言い訳よ。俺的には、夏休みの理科の実験の宿題をしているという意味合いも強い訳だからよ。『醜く汚い存在は、美しく清らかな存在になりえるのだろうか?』ってテーマの。生命を弄ぶと仏どもがうるさいから、先に承認をもらって、更にいい実験台を紹介してもらった。それが、本当のとこだ。別に、『醜く汚い存在は、一生、醜く汚い存在である』って、実験の結論でも言い訳よ。むしろ悪魔会にとっては、それが好ましい。だから、このまま汚い存在でい続けろよ、夏男。そしたら、俺がお前を可愛い可愛い悪魔のペットとして飼ってやるよ、なぁ、幸せな犬の生活をさせてあげるぜ。ま、100の生命を救うことができたのならば、約束どおりお前を人間に戻して、宿題の結論は、『醜い存在は、浄化されうる』って書くだけなんだけどよ」
いっくんは、油がべとつく右手をハンカチで丁寧に拭き取りながら夏男を挑発し、かつ、餌をちらつかせた。諦めてもいいんだぜ・・・・・という誘惑は、なぜだか生命の尊厳を傷つけるらしい。諦めていいと言われると諦めたくなくなる。この言葉は、常に抵抗の意志をプライドという脆く儚い概念から引き出す。それを意地という。意地なんて張ったって、その向こうに待っているのは大概が、破滅・・・・・もしくは投げやりな自己犠牲による他人の成功。いっくんは、それを学んでいる。夏男の意地をベースにした犠牲の上に自分の成功を上乗せしようとする。
「いつまでも人面犬でいるつもりはない」
夏男はそう言って、悪魔が立つ歩道の脇を通り、前に進み始めた。賑やかだった界隈は、闇と静けさに覆われていた。
真っ暗な道・・・かろうじて街灯が闇の中、夏男の行く先を照らしてくれていた。
いっくんは、夏男の後姿を見て、「アロハに滲み込んだ汗がびちょびちょで匂うぞ。濡れ濡れだ。100の命を救ってくれることを期待している、俺のペットよ」と言った。
夏男は、悪魔の言葉を気にとめる素振りすらなく、無言で歩いていった。走る力は体のどこを探しても残っていなかった。でも、一歩でも前に進まなければならない。いっくんは、夏男が諦めないことを計算している。そして、そう簡単には、破滅してしまわないことも。
「夏の高校球児並みに調教したんだ。そう簡単に諦めたり、潰れたりもしないよな、夏男。一回戦でも多く勝ち残ってくれよ、俺の栄光のために」
いっくんは、目の前にある光景にすがるようにして前に進む夏男の後姿を見て、満足そうにそう言った。
苦しみながら夏男は、なんとか辻堂海浜公園まで辿り着き、声すら出ない喉の奥で、「今日はこれ以上は、前に行けない」と思った。体中の力という力を失い・・・・夏男は、公園の隅でぶっ倒れた。瞼は、一瞬にして見ていた現実を遮った。深い眠りに突き落ちていく夏男の意識に残ったこと。
「目を閉じた後、俺はもう一度目覚める力をこの心と体に残しているのだろうか・・・・?」
眠りながら心臓発作を起こし、小田原までの道半ばのこの場所で倒れ果てて死んでしまうかもしれなかった。眠ったまま野垂れ死んでしまう自分のことを夏男は深い深い眠りの闇の中で考えた。
「神も仏もいないかもしれない世界だけど・・・それは勘弁だよ、ねえ、大仏様。俺にはまだやることがある・・・」と、夏男は疲れきった寝言を零した。
☆
国道134号線と太平洋の間には、道に連なり防砂林が植え込まれている。松の木が海風に揺れ続ける。夜中、その防砂林の闇の影で、いっくんは少女を犯す。熱帯夜の下、純潔が涙を零しながら抗う。だけど、悪魔に口を押さえ込まれた少女は・・・助けを呼ぶことはできなかった。若干の受験ノイローゼー気味な悪魔は、ストレスを発散するために、面白半分で処女を誘拐し、汚して傷つけ笑った。その行為を、鎌倉の大仏は静かな怒りを持って、鎌倉から見ていた。
「悪魔よ、後二日だ。お前がこの世から姿を消すのは・・・・。鎌倉の大仏、なめんなよ、あんっ?」と大仏様は防砂林に隠れては自己の欲望だけを尊重する悪魔を睨みつけた。
☆
太陽の光が夏男を炙る。朝陽が夏男を人面犬のホットドッグにしようとする。国道134号沿いでは早朝ジョギングする人達の足音が響く。ローカルサーファー達がサーフボード担いで、夜明けとともに辻堂の海に出ている。でも、夏男は朝が来たことに気づかなかった。一日は、始まり、辻堂海浜公園の駐車場はサーフボードを積んだ車で既に満車。でも、夏男は深い暗闇の中で眠っている。微かな寝息が夏男の口元から洩れる。死んだ訳じゃない。でも、目が覚めない。疲れが体中の全ての細胞を汚染しつくし、体は目覚めることを断固拒否する。夏男の意識はまるで海に溺れ、沈んだっきり浮かび上がってこない水死体のようだった。夏男は自分が寝過ごしていることに気づいていない。朝陽はどんどん空高く昇っていく。辻堂海浜公園にあるプールからはしゃぎ声が聞こえる。そして、太陽がちょうど空の真上まで辿り着いた時、夏男は目覚めた。正午ジャスト。午前中のラウンドを終えたサーファー達が体を濡らしながら、国道134号線の上にかかる歩道橋を歩いて街に戻っていく。
「やばい・・・」
夏男の心に小さな絶望が大きくなって広がっていく。
まずい・・・・。渇いた口の中に予定外の苦味が満ちていく。
体を起こそうとすると、関節という関節が悲鳴をあげた。
痛みを伴うぎこちない体の動きが夏男の行動を制限する。筋肉が張り裂けて肉の繊維がぶちぶちに切れている。そして、ミンチにされた筋肉を腸詰にされてホットドックのソーセージにされたかのように筋肉繊維の継ぎ目が混ざりあい、どうやって力を入れていいのかもわからない。
ただ、力が入らない体よりも嘆かわしい自分が犯してしまった罪・・・・ありえないほどの寝坊。
「母ちゃん、元就・・・・ごめん」と思わず、口にしてはいけない言葉が喉元まで吐き気のようにあがってきた。それでも、ゲロを飲み戻すようにその言葉を胃の中に押し戻した。罪を犯し、体を切り刻まれるような拷問にかけられようとも、まだ諦めちゃいけない。まだ、終わってはいない。
夏男は、起き上がった。体中が絶叫する。でも、夏男はその叫びを、歯を食いしばって飲み込んだ。額からは大粒の汗が流れる。
目をつぶって、痛みの加減を探りながら、とっくに限界を超えている足を一歩前に絶叫しながら踏み出した。細切れになった筋肉が更に裂ける音がした。だけど、その勇気ある行動に空気が小さく揺れた。まるで酸素も二酸化炭素も窒素も立ち上がり、空気中に存在する全ての構成要素が前に進みだした夏男の根性ある使命感にスタンディングオベーションをするかのよう。
夏男が前に進む度に空気が揺れていく。限界を超えている夏男の体は走れる状態ではなかった。それでも夏男は自分の体につっぱって走り出した。
諦めてしまうギリギリの境界線で自分の意識に力をかける。意識すらぶちぶちと音を鳴らしながら張り裂けていく。それでも前に進もうとする日に焼けた人面犬。ぶちぶち切れたものは、とりあえず薄い膜のような力ない体の中に入れてソーセージにでもして置くしかない。公園を出る前に水飲み場で胃に入りきらないほどに水を飲んだ。そして、昨日から今日に続いてきた道のりをもう一度走り出す。国道134号線。過去と現在を繋ぐ場所、そして未来に続く道。
しかし・・・・・
小田原は絶望的に遠かった。足を前に出す。出し続けるが、前に進んでいる実感がない。夏男の行く道の左側には果てなく防砂林が続き、その向こう側に太平洋が広がる。「果てを見せてくれ・・・」と夏男は海に向かって泣き言を言う。でも、防砂林が言葉を遮り、海まで気持ちは届かない。
☆
鎌倉仏委員会が臨時召集される。
「間もなくです。いずれ悪の王となるであろう悪魔をこの世から消す。このチャンスを逃せば、我々は悪魔にこの世界を乗っ取られるかもしれない。そうはさせない。お集まりの皆さん。今こそ皆さんのお力をお借りしたい」
鎌倉の大仏様は、額に覚悟の汗を滲ませながら、鎌倉の仏達の前で決死の覚悟で語っていた。
「悪魔を野放しにし、この無法状態に鎌倉仏委員会が無言を貫いたのもこの瞬間を待つがため。鎌倉最強の坊主を刺客として悪魔の下へと送り込んでいる。必ずや金髪坊主は、悪魔との睨み合いにおいて、あの冷徹残酷で油断なき氷の心に一瞬の隙を作ってくれるでしょう。その時が我々の出番です。よろしいですな、一気に悪魔晩餐会に奇襲を仕掛けます」
長谷寺の観音様は組んでいた腕を解き、座っていた椅子から立ち上がって感慨深げに茅ヶ崎方面を一瞥した。
「協力しますよ。あなたがそんな策略を練れる仏だったとは・・・・。謝ります。大仏さん、私はあなたがどうやら老いぼれてしまったと勘違いしていたようだ。私達ですら、あの夏男という少年を悪魔だと思っていましたよ。そして、あなたはなぜあんな少年を野放しにしているのか理解できずにいました。私達もまだまだですな。あんな美しい心を持った逞しい坊主を悪魔だなんて。彼を外見で判断していた。今、茅ヶ崎のサザンビーチの横を苦しみと痛みにもがきながらも、必死に前へと進むあの姿。なんと尊いのだろう」
そう言って、長谷寺の観音様は醜い人面犬に向かって手を合わせた。続いて、円覚寺の仏さんが緊張した面持ちで立ち上がり、一呼吸置いて発言をした。円覚寺の仏さんのまわりでは蝉がうるさく鳴いていた。しかし、夏のざわめきに声はかき消されずに、透き通るようにして仏委員会に響いた。
「しかし、まあ犠牲は出ますなぁ・・・。既に悪魔に挑んでは殺されてしまって、夏男の体になっている柴犬は仕方がないですが・・・・小田原の鶏達がこれから無数に死ぬでしょう。大仏さん、あなたが流した小田原養鶏場のゴシップを人間達は鶏インフルエンザと信じ込んだ。あの最新テクノロジーを駆使して無菌状態で残酷に均一的に育てあげた極上チキンを、人間達は抹殺しにかかるでしょう。マスコミが流すたった一つのゴシップが、大虐殺を引き起こすわけです。例え狭い世界で生きる食肉用のチキンだったとしても、できれば食肉としての寿命を真っ当させてあげたかった。しかし、時代は、ここまで来てしまった。犠牲を欲しているのかもしれませんな。ただ犠牲者は、私にお任せ頂きたい。霊を成仏させて、天国の一等地で幸せな暮らしをしてもらう手続きをするつもりです。天国の年金事情も大変は大変ですが・・・帰ったら、すぐに秘書坊主に手配させます。しかし、久々に腕がなりますなぁー。悪魔退治。一気に攻め込みましょうよ、悪魔の晩餐会に」
誰もが発言者の意見に耳を傾ける今回の鎌倉仏委員会。出席する仏の中で議長や発言者に野次を飛ばすものもいなければ、長い議論の合間に居眠りするものもいなかった。近年稀にみる気合が各委員の顔にみなぎる。善という概念への責任感と悪との戦争に向けた興奮が、鎌倉仏委員会全体を包み込んでいた。
「全ての道は元金髪坊主で、現人面犬の夏男が切り開きます。それにあの夏男は、鎌倉の元マドンナ花成鬱子のたった一人の息子です」と大仏様が言うと、極楽寺の仏様が食いついてきた。
「何、あの鬱子殿の・・・・。ああ麗しき鬱子殿。小麦色の肌に、ビキニ姿、抜群のスタイルでボン・キュッ・ボン。ああ、広島から鎌倉に流れ着いた女神。由比ガ浜の波と戯れるあの鬱子殿を思い出すと今でも胸がときめく」と極楽寺の仏様が言うと、「そうそう極楽寺さん、野良犬ブルドックの元就の骨折の治療をちゃんとお願いしますよ。それから、夏男が彼を迎えに行くまで、失礼のないように極楽寺で世話をしてくださいね」と大仏様が返した。
「ああ、もちろん。鬱子殿に飼われる犬なら喜んでお世話させて頂きます。なんなら、私も飼われたい♥♥くらいです」と極楽寺の仏様は美しいアジサイの刺繍が入った法衣を身に纏い、大仏様の申し出を快く受け入れた。
「さて、明日の夜ですぞ、皆さん。本日は各々寺に戻られ英気を養われたい。未来の悪の王を潰した後、あの警備の厳重な悪魔晩餐会に雪崩込み、主だった悪魔を退治するのです」
大仏様の言葉を締めとして、鎌倉仏委員会は盛大な拍手で解散となった。そのあまりに大きな拍手喝さいの中、大仏様は思い詰めた顔で小さく呟き、そして祈った、「夏男・・・・頼んだぞ」と。
仏が皆、覚悟を決めた顔で、悪との戦争の準備を始めるために各々の寺へと帰っていた。大仏様は、一人一人を全員、最後まで見送った。そして、全員が去った後、一人会場に残り、遠く茅ヶ崎方面を見つめた。
「夏男、すまないが、悪魔を油断させるためにお前が小田原の鶏達を救うのを助けてやることはできない。悪魔はお前を監視し続けている。私が手を下すことはできない。手を下せば、全てが水泡に帰す。頼む、お前の力で100の命を助けてくれ。お前が100の命を救った時、悪魔は滅びる」
夏男は、仏にも悪魔にも小田原への道を進むように仕向けられていた。あらゆる思惑が交錯する。
夏男は、何も知らない。
ただ、家族の下へ帰りたい帰巣本能だけで鎌倉を背にして、養鶏場に向けて足を進ませる。




