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中華料理店のコックは、夏男を叩きつけながらつたない日本語で吐き捨てるように言う。
「いったい、どこの鎌倉の山からおりてきたあるか?野良犬だか何だか知りませんが、あんまり手間掛けさせると、犬、料理して食べちゃうあるよ。中国4千年の歴史、犬もおいしく料理するある」
興奮状態の中国出身のボスキャラコック。
手ごわ過ぎて、このステージをクリアするのは不可能。
夏男は、ゲームオーバーを宣言しようとしたが、敵は夏男にリセットボタンを押させてはくれない。そして、ゲームは続きボスキャラコックの更にボスが夏男の前に現れた。
ゲームでいうのなら裏面に隠れている裏ボスみたいな存在。
意地悪で弱いものイジメが好きそうな中華料理店の経営者がコックの側までやってきて「俺にも殴らせろ」と言った。
中国人のコックは箒を経営者に渡した。
経営者はコックとは対象的に小柄で、頭が禿げ上がり、体も細かった。ただ、異様に目が大きく出目金みたいな面構え。そんな出目金経営者は痩せ細った体の哀れな野良犬を容赦なく本気で叩き続けた。動物虐待を楽しむような笑顔が経営者の顔に浮ぶ。
「はあはあ・・・はあはあ・・・」
経営者は、喘ぎながら気持ち良さそうにうずくまった夏男を叩いて、蹴飛ばした。夏男はただ、頭を前足で隠し、うつむきながら体中で感じる屈辱と痛みに歯を食いしばって耐えていた。
快楽を感じる経営者は、次第に大きな声を出し始める。
「あの、信用金庫。俺に金を貸さねーとはどういう根性だ。ああ、はあはあ、ムカつくぜ。何もかもがムカつくぜ。はあはあ・・・・バイトの女に手を出そうとすりゃ逃げられて、経営者の俺がウェイーターしなきゃいけねーってのもムカつくぜ。はあはあ・・・嫁は、馬鹿でデブだし、ガキは、アホでなつかねーし。はあはあ・・・・店は儲かんねーし。ちくしょう、何もかもがムカつくぜ。」
経営者の表情は、豹変していく。顔中に毛細血管が浮き上がった。快楽とストレスが入り交ざった魍魎のような表情を見て、隣にいたコックは気味が悪くなって店へとそそくさと帰って行った。
経営者は夏男を叩き疲れて息を切らしながら、夏男を見下ろした。
汗を額に滲ませた経営者は夏男に箒を思いっきり投げつけ、「下品な犬はうろつくんじゃねー」と叫びながら、夏男の腹に蹴りを入れた。そして、経営者は、サッパリとした顔で店に帰って行った。
溜まっていたストレスを発散できたのだろう。接客用の笑顔がキレイに固まり、汚い素顔を完璧に押し隠せてる。
・・・ゲームオーバー。
夏男は口から血を流しながら倒れていた。
体中が屈辱で軋む。それでも腹持ちは悪くない。
飢え死に寸前だった頃に感じていた体の内側から広がり続ける胃の痛みに比べれば、殴られた外傷の痛みは、点々としていて部分的。
夏男は、一杯になったお腹をリセットボタンを押すように前足で触った。
生きている。
飯さえ食えれば、何度でも生き返れる。
胃が懸命に消化活動をしている。
夏男には、その嬉しさが叩かれた痛みに勝っていた。
熱せられて熱いコンクリートの上でうずくまる夏男は、耳を地面につけている。アスファルトを伝って聞こえてくる自分の心臓の鼓動を夏男は聞いた。リズムを刻む心臓のテンポにあわせるように夏男は、ゆっくりだが、しっかりと四本足で立ち上がった。そして、ゴミ置き場をよろめきながら離れた。
夏男がうずくまっていた場所には生ゴミとともに血が飛び散っていた。でも、ぱっと見では血はケッチャップのようにも見えた。流れた血を深く考え込む必要はない、それはもう流れてしまったものなんだ・・・・と夏男は、口周りにケチャップみたいについた自分が流した血を舌で舐めながら思った。
☆
経営者は、店のレジに帰り、なきに等しい昨日の売上をレジでチェックし始めた。コックは厨房で、使っていないフライパンを何度も何度も穴が開くくらいに洗う。
そろそろランチ時。
誰も来る気配がない。
マズいことで有名な看板すら薄汚れてしまった中華料理店。
経営者は、昨日の売り上げ千円札の野口英世さん三人を何度も数えなおす。ふと経営者は「あれ、さっきの野良犬、アロハシャツ着てなかったか?」と思い出した。なんだか、客が残していったマズいと評判の料理の残飯でも無料で食っていったアロハを着た野良犬が経営者には許せなくなってきた。三人しかいない英世さんを数えた後では尚更だった。
「ちっ、野良はやっぱり処分しなきゃならねーな」と経営者は汚らしく呟き、レジの脇にあるタウンページを見て、保健所の電話番号を探し出した。そこにある番号に鉛筆で丸をつけ、電話をかける。トゥルルルルルル、トゥルルルルルルル。
「毎度、保健所でーす。」
「あ、どうも。チャーシュー麺一丁。出前で・・・・・じゃなくて」
保健所の電話の出方がまるでライバルの中華料理屋来来軒の出前サービスみたいで経営者は調子が狂った。しかも、思わず出前を取ってしまうところだった・・・自分のとこのチャーシュー麺がまずいから・・・。経営者はそんな自分に苛立ち、レジの台をカツカツカツカツと爪の先で叩いた。
「すいません、ちょっと野良犬で困ってまして」と経営者が言うと、「はーい、今、担当に変わります」と言われた。
電話の受話器からは保留音が聞こえてきた。100円ショップで売ってるオルゴールのオモチャっぽい電子的な音色が保留音だった。その音が受話器を伝いながら経営者の鼓膜を振るわせる。より経営者はイライラする。そのイライラをどこにぶつけていいのかわからず、経営者は鼻毛を5本ほど抜いた。勢いよく抜きすぎて鼻血が出た。
レジの隣りに置いてあったティッシュを鼻につめる。
待つこと三分・・・・「カップラーメンが作れてしまう」と思った瞬間、経営者は、「いかん、いかん、また自分のところ以外の中華料理のことを考えてしまった・・・」と自虐的になった。
保留音が止み、「・・・・犬管理事務所」と蚊のなくような声でボソボソ喋る中年のオジサン風の男性職員が電話に出た。またそのことで、経営者は苛立った。
「すみません、野良犬で困ってまして」と経営者が鼻にティッシュを突っ込んだ息の吸いづらい詰った声で言うと、職員は確認のため、「本当に飼い主はいないんですか?」と無気力に聞き返した。
経営者はキッパリと、自信を持って鼻詰った声で言い返す。鼻に詰めたティッシュは次第に赤くなっていた。
「いません。飼い主がいるような犬がゴミを漁ったり、悪さしたりはしないでしょ。あの野良犬は、うちの(マズい)一週間分の食べ残しが詰まったゴミ箱を倒して、(勇敢にも)うちの店で出た残飯を食べていたんですから。飼い主なしの本物の野良犬です。腐ったものを食べるなんて野良以外に出来ますか?」
保健所の職員は気の進まない素振りを前面に出し、小さくため息をついて言った。
「我々もできるだけ命あるものを殺したくはないのですが・・・・わかるでしょ?」
(そうだ、ほっといてやってくれ・・・・)と2人の電話を最新の盗聴器で盗聴する大仏様が鎌倉の中心で小さく呟く。ただ、そこで経営者の苛立ちが最高潮に達し、鼻息がジェット噴射のように飛んだ。血つきのティッシュが地面へとまっ逆さまに吹き飛び、経営者は火山が噴火するかのように唾を飛ばしながら、受話器に向かって吠え始めた。
「ああああん、飼い主もいない、凶暴な野良犬を生かしておけば、多くの人間が迷惑を被んだよ。わかんだろ、それぐらい、ボケ。命あるものを殺したくねーって道理はわからないでもないが、これは正義なんだ。あのゴミを漁る醜い犬が死ぬことで多くの人間が平和な生活を取り戻すんだよ。いいか、よく聞け、ハゲ(かどうかは電話じゃわからない・・・・)。お前達は俺達が払う税金で暮らしてんだ(税金滞納中)。市民の生活の安全を第一に考えなきゃならねーんだよ、このハゲ、ハゲ、ハゲ、バーカ」
髪の毛フサフサの犬管理事務所の職員は、髪の分け目を指でかき分けながら、マズい中華料理店経営者の訴えを聞き、「わかりました」と力なく応えた。そして、野良犬夏男の発生現場等、詳細を経営者から聞きだし、確認した。
経営者は、怒鳴りに怒鳴った後、爽快感溢れる夏の空のような笑顔で受話器を置いた。そして、ビーチの上をそよぐ風のように一言。「ああああ、すっきりした」と言った。
経営者の後退していく脂っぽい額に冷たくて気持の良い汗が滲む。それが下品なくらいに眩しくテカる。誰かに「ハゲ、ハゲ、ハゲ」と怒鳴ってみたかった。
「今日の賄いは、赤飯だな。おい、赤飯作れよ」と童貞を喪失した男の子のように経営者はほくそ笑みながら、オーダーを厨房にどなりつけた。そして、コックが作ったものは、ただのケチャップご飯。
「召し上がれ、赤いご飯あるよ、これ」
自分の雇っているコック・・・・・このレベルしか雇えない自分に対して、経営者はまた怒りが込み上げてきた。鼻からまた血が垂れてくる。鼻の下に赤い血の滝が流れ、「血がもったいねー」と叫びながら、経営者はイライラしながらまた鼻にティッシュを詰め込んだ。しかし、またイライラが募り、荒い鼻息とともに再びティッシュが床に吹き飛ぶまでに時間は掛からなかった。
鼻の下の真っ赤な血は、彼の人生を象徴しているようだった。イライラとともに切れ続ける鼻の奥の毛細血管は、彼を落ち着かせるために切れ続けようとする・・・でも、血が流れ続ける日々は終らないみたい・・・。




