⑬
仏の思惑も悪魔の企みも知らないまま夏男は飢える心と体を引きずりながら鎌倉の街を彷徨い、人通りの少ない飲食店街のゴミ捨て場までやって来た。
ゴミの日だった。
目の前には生ゴミの匂いがプンプンする青いゴミバケツがあり、その周りを小さな羽虫や蝿が飛んでいた。溢れるゴミを押さえきれずにゴミバケツの蓋は地面に落ちていて、中にあるゴミ袋は、先客のカラスに突かれて破れている。
ゴミ袋の穴から漏れる生ゴミの腐った臭いが夏男の犬としての嗅覚を強烈に刺激した。鼻を抜けていく香りに、夏男は食欲をそそられる。唾があふれ出す感覚に満たされた飢えた体は、ご馳走が目の前の青いゴミバケツに閉じ込められて捕らえられている幻想を見る。
空腹が、夏男の想像力をかきたてる。
「ご馳走を救い出さねば・・・。なんとかあの囚われのご馳走様を青いバケツの牢屋から救い出さねば」
夏男の目はすわり、視界は狭まる。
不良だった頃、カツあげた金で時間を潰していたゲーセンのゲームを目の前にしたようなイマジネーションが爆発する。
ご馳走様が夏男のためにデザートのラムレーズンアイスクリームを作っているのがわかる。
オードブルを食べる前に、既にロールプレイングをクリアしたごほうびのデザートのイメージが頭に浮かび上がる夏男。
生ゴミのフルコース。
白い汁を出すゴミに群がる蝿や羽虫が夏男の目にはレーズンに見えた。
溶けかけのアイスクリームのような甘い甘い幻想に急かされ、少量のラムに酔う夏男は、ふらふらと青いバケツに体当たりをする。
ずっと食べ物を口にしていないから体力がない。
そんな体当たりでは、ゴミがぎっしりと詰まったバケツはビクともしない。
「今助けますぞ、ご馳走様。夏男は、あなた様のことを必ず救い出します」
夏男は訳のわからない台詞をぶつぶつぶつぶつと口にしながら、何度か力ない体をゴミバケツにぶつけた。
何度目かの体当たり、ゴミを助け出そうとする夏男のふらふらなチャレンジ精神を凝縮したアタックにご馳走様を閉じ込める青い牢獄はとうとう倒れ、中から臭いご馳走様が汚い汁を出しながらこぼれだした、否、助け出された。
そこには、夏男がイメージしていた洋食ではなく、食べ残した中華料理のフルコースがあった。
腐りかけの小エビ餃子、緑色した焼きそば、気絶しそうな程の悪臭を放つニラレバレバ。水分を完全に失った黄ばんだチャーハンのパサパサしたご飯に脂がギトギトの唐揚げが飲み込まれてたりしていた。
「あああああ・・・・・・・」
夏男は、目を潤ませた。感極まりながら、それらの生ゴミをむさぼり食った。夏男の口からヨダレがとめどなくあふれ出してくる。肉の脂身、魚の頭、野菜の芯・・・・夏男は食べられるものは全て口に入れた。ゴミ捨て場に廃棄されていたゴミが夏男の命を繋いでくれる。その有難さに夏男の頭が下がり、首が下がる。そして、生ゴミに顔をうずめる。顔中に人の食べ残しが張り付く。食べ残しばかりを食べてきたような人生を送ってきた夏男には、例え生ゴミでさえ、その腐った味の中に、ほんの少しだけ幻想的な家庭の味を思い出すことができるような気がした。
「おふくろの味・・・・」
愛を思い出そうとした時に、夏男の喉下に吐き気がヘドロのように絡みついた。
絡みついたヘドロは、痰にして吐き出せない。
思いこみ甚だしいことに気づく。
所詮食ってるのは、愛ではなく捨てられた生ゴミなのだ。腐っているものもある。終っているものもある。夏男の目の前に霧のように広がっていた幻想は少しずつ晴れ、夏男は自分の食しているものの真実に気付く。
「俺はゴミを食ってるのか・・・・・」
夏男は愕然とした。犬になり下がった醜い自分は外見だけじゃなかった。でも、夏男は目の前の食べ残しを食べることをやめられなかった。音を立て、奥歯で噛みちぎり、甘酸っぱいソースのかかった腐りかけの鶏の唐揚げを食らった。
例えゴミでも胃の中に入れば、食物・・・胃は戸惑いながらも消化を続けていく。
体に、不純物の混ざったエネルギーが蓄えられ、鈍っていた感覚が少しずつぼやけた線を消していく。そして、夏男の耳がぴくりと動いた。
ゴミ置き場に向かってくる足音が聞こえた。
夏男は、一瞬だけ足音の方向に向かって顔を上げた。空腹がもたらす幻想の中で見たゲーム的な感覚が抜けないのか・・・ゴミ置き場の物音に気づいた中華料理店のコックが箒を持って、大股でやってくる。
コックは、ちぢれ麺のような髭を口元に生やし、頭にはコック帽をかぶっていた。特徴的なのはその体格。コック服のボタンをひとつもとめられない程に肥満していた。
開けっ放しのコック服の中に着ているよれよれの白いTシャツに油染みが無数についている。大股で歩くから腹にたっぷり溜まった中性脂肪が揺れに揺れた。
迫り来る肥満コック。
ゲームやアニメに出てくるボスキャラみたいな風貌に夏男の腰は引けた。
夏男は、とにかく口に食べられるものを詰め込んで逃げようとした。喉が詰って窒息してしまいそうな程、口の中に食べ物を詰め込み、夏男の鼻はいつもの3倍以上に大きくひろがった。
夏男の鼻毛が、夏風になびく。
夏男は、鼻から息を吸った。吸ったはいいが、うまく口から息を吐き出せずにむせた。口の中に詰め込んだ食べ物が少し吹き出た。
夏男は、焦る。
整わない呼吸を無理矢理抑え込んで逃げ出そうとした瞬間、ボスキャラコックは、夏男の体を箒で思いっきり叩きつけた。
夏男は、口から食べ物を零しながら倒れこむ。
倒れ込んだ夏男をコックは容赦なく叩き続けた。夏男は痛みにうずくまり、前足で頭を抱え、醜い自分の顔を見られないようにと下を向いていた。顔をアスファルトの地面にめり込ませる。コックは手を休めることなく夏男を箒で殴りつける。
殴られ続けるのは痛かった。叩かれる頭蓋骨が痛みで軋んでひび割れそうだった。でも、夏男は口の中に残った食べ物を噛むのをやめなかった。殴られ続けながら、生ゴミを噛み続けた。生きるために食えるものを必死に食い続けた。
☆
大仏様は叩かれ続ける哀れな夏男の姿を見て、こらえきれない涙を流しながら言う。
「夏男、耐えろ。そして生きろ。生きることに絶望するにはまだ早すぎる。いずれわかる日が来るから・・・・。ただ、今は殴られて、ゴミを食おうとも生きることを拒んではいけない」
⇔
悪魔のいっくんは、夏男が痛めつけられる姿を空から見下ろしながら嬉しそうに笑う。
「なかなかタフな犬になってきたじゃねーか。そうじゃないと100の生命は救えない」




