表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
After Surf ...  作者:
12/45

 一分一秒時が経てば、動かずにうずくまっていても新陳代謝が生命の機能を保全していくために体内に蓄積されたエネルギーを消費していく。そして、時が流れた分だけ残酷に腹は減り続ける。

 茂みに隠れて朦朧としている間に、いつの間にか夜が来ていた。

 このまま奥に隠れているだけなら、新陳代謝に殺されるかのようにしていつか餓死する。

 自分の姿を闇に隠したままでは何も手に入らない。光の下でこそ何かを手にすることができる。

 胃が縮まって小さくなっていくのがわかる。小さくなればなるほど、生きたいという想いが大きくなるが、人面犬の姿で生きていくことで自分が幸せになれるとは夏男には思えなかった。ちっぽけな命が意味もなく生き延びようとしたところで、それは醜い無駄あがきなのかもしれない。きつく、きつく空腹を締めつける胃が夏男の体内で問いかける。


 「そもそもお前は今までだって幸せだったのか?人間でいた頃、生きている喜びを感じたことがあるのか?俺にはお前が人面犬になり下がろうが、人間として生きていようが、特に何かが変わったようには思えない。とにかく俺に言えることは、食わなきゃ死ぬ。食えなきゃ死ぬ。それだけだ」


 夏男には何もわからなかった。何を問われても、何も答えることはできない。何を教えられても、学ぶ気にはなれなかった。何もかもが間違っているような気がした。誰かのせいだと思いたかった。でも、誰のせいかはわからなかった。苦しくて傷ついてしまう程に何もかもがわからなかった。一ミリも動いていないのに体も心も擦り減り、消耗していく・・・・そんな終わりのない自問自答を、起きているのか眠っているのかわからない自分に対して繰り返している間に、夏の早い朝がやってきていた。時間は、悩むことはない。悩んで立ち止まったりしない。時間の歩みの確かさに夏男は呆然とする。


 「もう、朝なのか・・・・」


 あたりは、まだ静けさに満ちている。

 薄っすらと闇の名残も残っている。

 公園の隅で朝顔がその花を咲かせようとしている。夏男は、茂みの奥に隠れたまま、どこにも行けずに朝を向かえてしまった自分を恥じた。しかし、どうしようもないじゃないか・・・と自分に言い訳もした。


 スズメの鳴く声がする。夏男は、悩み疲れた視線を前に向けた。丸々太った鳩が見えた。夏男は公園の茂みの奥に隠れたまま、前足を茂みの外に伸ばし、近くに寄ってきたその太った鳩を捕まえようとしてみた。でも、手が届かない。隠れたままで狩りなんてできない。手の届かない場所には全てがある気がする。でも、自分の短い手は何も掴めずにいる。短い手をただ恨む。そんな夏男の滑稽な姿をスズメ達は小さく笑った。夏男は馬鹿にされたことでやりきれなくなり、スズメの小さな目を睨みつけ、手を伸ばしてスズメを殴ろうとした。でも、スズメ達にも手は届かない。くすくす笑ったままスズメ達は、苦もなく大空に飛んでいった。

 夏男は、意気消沈し、またうずくまった。落ち込む。途切れ途切れの力ない喘ぎ声が夏男の口から洩れる。太陽は空に昇っている。なのに、陽の当たらない場所にいると自分の影がさらに大きな影に飲み込まれて、自分がどこにいるのかがわからなくなる。夜の闇の中に隠れている時は、自分の場所を確認しようとも思わない。でも、光が目の前にあるのに、その光を掴めない。ここはどこ・・・・・そんなことを茂みの陰に隠れて思ってしまう。

 悩みが悩みを生み続け、途切れない自問自答が続く。このまま、ここで死ぬのかと夏男は思った。でも、この人面犬である醜い姿で死にたくはなかった。夏男は生存本能に促され、かろうじて起き上がった。そして、投げやりな足取りで茂みを出た。


 「餌・・・・」


 かすれた吐息のような言葉が夏男の口から洩れた。飯ではなく、餌という単語を使ってしまった自分に、底なし沼に飲み込まれるような敗北感を感じた。それでも茂みから出て、陽を浴びた夏男のアロハシャツは太陽の光を眩しく反射させる海面のように輝いた。



夏男の苦しむ姿を遠くから見守りながら鎌倉の大仏様は、手を合わせて小さく祈った。

 行儀のいい上品でひ弱な坊主達には目も掛けずに、大仏様はアロハシャツを着た犬に向かって願いを託す。「夏男・・・・お前しかいないんだ」と。

 夏男は誰かが自分に願いを託していることを知らないでいる。機械じかけの歯車の間に挟まれて死が次々とゴミのように現代社会の時計の針を遅らせようとするが、世間はその死を無関心に無視することで、時計の内部の歯車の間にはさまったゴミを排除してオーバーホールしていく。時が刻む速度は変わらず、人は死に続ける。大仏様は、夏男に想いを馳せる、「生き抜いてくれ・・・苦しくても・・・・」と。

 大きな歯車は回り続け・・・大仏様は手を合わせ続ける。夏男は、そんなことも知らずに孤独な闘いを続ける。



人間が憎しみあい、殺しあう。自分本位な欲望を満たすためだけに、騙しあい、傷つけあう。殺人があり、レイプがあり、人間の尊厳を無視した暴力行為がある。なぜ、こんなにも時代は狂ってしまったのだろう。見せかけの平和の薄い光・・・その裏にある影は、底がないほど深く暗く冷たい。

 狂ってしまったことを認めようとしない見せかけの社会を照らすネオンが、人の心に深い深い闇を作り出す。

 悪魔達が楽しげに支配する現実に大仏様は頭を抱える。道徳は退廃し、テレビのニュースは悲劇だけを毎日興味深く映し出す。心を痛めずに生きていくことの難しさを弱い人間達は日々感じ、どうすることもできずに自分には関係ないことと諦めようとする。


 「テレビの中の出来事さ」と呟く声がニュースの時間になると日本中に響く。


 なぜこんなにも世界は胸を締めつける・・・・いや、胸を握りつぶすような出来事で溢れているのか・・・。

 心の闇の奥に生息する肉食獣が口の中に唾を溜めながら、腹を空かせてうごめいている。

 悪魔のいっくんは、その肉食獣に生肉を投げつける。狂ったように獣はそれを食らう。悪が、街中に氾濫する。血の滴る生肉がバケツの中からなくなり、血だけが底に残った。いっくんは、その血を飲み干した。まるで部活で疲れた体に水分を補給するような感じ。そして、いっくんは一息つき、メガネに息を吐きかけ、メガネ拭きで何度もレンズを拭いた。目を細めながら夏男の姿を空から見下ろした。


 「もう少しタフな犬になってもらわないと俺の飼い犬としての仕事はできないな。飢えて死ぬなら、また他の犬を探さなければいけない。ただ、それでは悪魔晩餐会までに間に合わない。人面犬しかいない。夏男・・・・お前がやるんだ。お前は、俺のために死ぬほど働くんだ。失敗は、許されない。醜い自分の姿を嘆け。そして、その劣等感を克服するための強さを悪魔のために身につけろ」


 悪魔が一体何を企んでいるのか、その本意を夏男は知らずに孤独な闘いを続ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ