義妹に婚約者を奪われてしまいました〜婚約破棄された姉の私は真実の愛とか結婚なんか諦めて錬金術師を目指すことにしました〜
以前投稿した作品をブラッシュアップしました。
義妹のエリスを一言で言えば『天性の愛され体質』の持ち主だ。
庇護欲をそそるような儚げな容姿に心の内側をくすぐってくるような高く甘い声、陽の光を閉じ込めたような綺麗なブロンドの髪、そして透き通るように白く艶やかな肌。
幼いように見えながら気だるげな色香を放つ少し垂れた大きな目をうるませて、頬を赤らめながらその甘い猫なで声で囁けば世の大抵の男性はたちまちエリスの虜になってしまう。
何より性質が悪いのはエリスがその自分の魅力を十全に自覚していることだ。
次から次へと身に纏うアクセサリーを変えるかのように男性をとっかえひっかえ、見る度に別の男性を隣に連れていた。
当然学園にいる令嬢からは毛虫のごとく嫌われており、お茶会で気になる男性の話題が出ればその次には確実にエリスの悪口になる。
憧れの人が既にエリスの虜になっていたことに対する妬み、恋人がエリスに夢中になって全然自分に構ってくれなくなったことに対する恨み。
それはもう黒い笑みを浮かべながらこれでもか、と罵詈雑言を並べ立てるものだ。
姉の私はと言えばその義妹の悪口を何とも言えない……申し訳ない気分で聞いているのが常だった。
一つ年下のエリス。
半分は血のつながりがある義妹とはいえ、仲が良いというわけでもないし、関わりたくないというのが本音だ。
いや、だった。
他人事とばかり思っていたのだが、魔性のエリスの手がついに私の婚約者にまで伸びたのだから。
※※ ※
「すまないアイリス、どうか君との婚約を破棄させてほしい」
申し訳なさそうに頭を下げたのが私の婚約者マクベス。
私ははぁ~、と大きくため息をつくことしかできなかった。
婚約破棄、その重大さをこの甘ったれたお坊ちゃんは理解していないらしい。
私とマクベスの間に恋愛感情はない。
同じ侯爵家であり同じ派閥に属している家同士、結束を高めるために組まれた政略結婚なのだから。
長女ということ、私を産んだお母様が早くに亡くなったこと、エリスの実の母、私にとっての義母から疎まれていること。
それらの要因が重なって私は早い段階──貴族の子女が十五歳から十八歳の間に通う事になる学園に入学するより早くマクベスとの間に婚約が結ばれることになったのだ。
婚約者が決まっていないおかげで男性をとっかえひっかえしているエリスとは立場が違う。
「マクベス、自分が言っていることの意味を分かっているの?」
「ああ、僕は本気だ。だって真実の愛を見つけたんだから」
失笑が漏れ出てしまった。
何が真実の愛だ。
その曇った目から真実など見えるはずがないというのに。
「真実の愛……ですか。それは我がヴォード家とボイル家の関係を壊してでも手に入れるに値するものだと?」
損得勘定の問題ではないが、その真実の愛とやらはどれほどの価値があるほどのものなのか。
ただでさえキツい印象を与えてしまうことのある私の吊り上がった鋭い目。
その目の鋭利さを更にもう一段階上げながらマクベスに詰め寄った。
「家のことなら問題にはならないさ」
「はい?」
私に睨まれて額に脂汗を浮かべたマクベスが情けなくてぎこちのない笑みを浮かべて強がりを見せた。
それでも私の視線に耐え切れなくなったのかたちまちその勢いは削がれていった。
(話にならない)
呆れるしかなかった私の背後から聞き慣れた、それでいて聞きたくもなかった声が響いた。
「そういうことですの、お姉さま」
「エリス……」
振り返れば、穏やかでそれでいて嗜虐的な笑みを浮かべたエリスが優雅に私とマクベスの間に割って入った。
瞬間、私は全ての事情を察した。
「マクベス」
私は低く、向ける視線と同様に鋭い声で縮こまるマクベスに問いかける。
「家のことなら問題にならない、というのはこういうことですか」
「そ、そ、そうだ。僕は……エリスと出会って真実の愛を知ったんだ」
情けない。
いや情けないとは知っていたが、マクベスまでエリスに篭絡されることになるとは。
エリスが狙うのは基本的に婚約者や恋人、それに近い関係の女性といる男ばかりだ。
略奪愛。
それがエリスの癖だった。
『だってぇ、大事な人がいる殿方って輝いて見えるじゃないですかぁ?』
かつてエリスの癖を諫めた私にそう言った。
エリスは恋人を略奪することで、その相手より自分の方が魅力的なんだと証明して優越感に浸ることを『恋』だと考えている節がある。
だから自分のモノになってしまった相手は急に魅力が無くなって見えるのだとか。
それこそがエリスが一人の男性と長続きしない理由だった。
そして今回エリスが狙いを付けたのが私の婚約者、マクベスだったわけだ。
「エリス、マクベスと婚約者になることの意味、分かってるの?」
「もちろんですよぉお姉さま。バカにしないでください!」
「そうだ、エリスのことを悪く言うんじゃない! アイリス、大体貴様は家でもエリスに冷たく当たっているようじゃないか。義理の妹だからか? だとするならば淑女として恥を知るがいい!」
エリスの前だから格好をつけたいのか急にマクベスが強気を取り戻した。
恥を知るべきなのは一体どなたなのやら。
(馬鹿馬鹿しい)
私はもう心の底から冷え切っていた。呆れすら尽きていた。
そこを超えた先にあるのは『無』。
もう勝手にしてくれとしか思えなかった。
「分かりました。エリス、マクベス。お二人の好きになさるといいわ」
これ以上この二人と関りたくもなかった。
婚約破棄された、というのは社交界では大きな悪評になる。
その時点でまともな婚姻は望めなくなるくらいに。
だが、恋だのなんだのは私にとってもはやどうでもいいことだった。
ここまで視界を曇らせてしまうのが『恋』だというのならば、私には必要のない。
そう考えることにした。
もう一度大きくため息を吐いて私は立ち上がった。
影が座ったままのマクベスを飲み込んだ。
陽を背にして私は最後の言葉を吐き捨てた。
「ヴォード家にはマクベス、貴方から全ての事情を話すことね」
「え……」
「それが果たすべき責任というものでしょう」
「ちょ……それは……」
「ごきげんよう。マクベス、エリス」
どこまでも情けないマクベスと勝ち誇ったような満足げに微笑むエリス。
その二人に背を向けて私は強く地面を蹴って二人の前から姿を消した。
どこまでもエリスに甘いお父様とお義母様のことだ。
二つ返事で了解するに違いない。
だけど……これでエリスもついに婚約者持ちになった。
いくらエリスとはいえ婚約者にまでなった相手を簡単に捨てることはできないだろう。
エリスは何も考えてないほわっとした甘美な笑みを浮かべながら腹の内では誰よりも策を網の目のように緻密に張り巡らせている女狐だ。
だからマクベスのような頼りない男を奪って自らの自由を縛るような真似をするとは思っていなかったのだが……。
どうやら私は思っている以上にエリスに疎まれていたらしい。
くすんだ灰色の髪に、鋭くてよく人に恐怖感を与えてしまうきつい目──研究のやり過ぎのせいで視力を悪くしてから更に拍車がかかった──女性にしては低く不機嫌に聞こえる声。
取り柄と言えば錬金術に関する知識しかない淑女らしくない女、それが私。
私とエリスを比べたら皆愛らしいエリスを選ぶに決まってる。
考えてきたら段々と怒りが腹の底からふつふつと湧き上がってきた。
「こういう時は……研究だ」
私は行先も決めずにただ二人から遠ざかっていた足を、研究棟へと向けた。
※ ※ ※
研究して、研鑽して、また研究して、知識を積み重ねて。
婚約破棄されてから一年。
この一年、いつのことを思い出しても思い出はこの薄暗い研究棟の中のこと。
婚約破棄をされた私はまともな婚姻は諦めて、怒りをエネルギーに変えて国家公認の錬金術師になるべく日夜研究に励んでいた。
もはやエリスとマクベスのことなど興味はなかったが何かと目立つエリスのことだ。
嫌でも情報は入ってくる。
結局私とマクベスの婚約破棄及び、エリスとの婚約の結び直しはつつがなく行われた。
私の予想通りエリスに甘い両親は簡単にそのことを了承した。
私から婚約者を奪ったことの優越感からか、初めのうちはエリスも男遊びを我慢していたらしいのだが……どうやら最近になってまた色んな男子生徒に手を出し始めたらしい。
というより手を出すように仕向けるようになったらしいとお節介な友人から聞いた。
堕とすだけ堕として、惚れさせたところではいさようなら。
うじ虫のごとく未練を引きずったままの男子生徒が後を絶たないとのことだった。
そのうち報いが来てもきっと誰も同情しないだろう。
研究の結果が出る待ち時間で暇になってしまったせいだろうか。
ついつい余計なことを考えてしまった。
今は新作の薬効ポーションの実験だというのに……少しでも目を離してはなるものか。
失敗の原因がエリスのことを考えていたからだなんて最悪にもほどがある。
私は研究のし過ぎのせいで、更に悪くなった目を細めてじっくりと錬金釜の中に起きている変化に集中した。
──そろそろ一息つこうかな。
錬金術の研究が落ち着いたところで私は大きく息を吐いた。
目の酷使のせいか頭痛が出てきている。
私は目をキュッと瞑って目の際を軽く抑えると、ズキっと瞳の内側に鋭い痛みが走った。
今日はもう終わろう。
そう考えて錬金釜から目を逸らすと……ジッと静かに私の横で佇む男子生徒がいた。
「アレク……いつからいたの?」
そこにいたのは鮮やかな紅い髪が印象的な、それでいて優し気な翡翠の瞳を持つ儚げな美少年、アレクだった。
アレクは小さくはにかみながら、
「実は結構前から……」
と指でえくぼの辺りを軽くかいてみせた。
アレクは私の一つ年下、錬金術の研究室の後輩にあたる。
研究してばかりで周囲から浮いている私に対して妙に優しくしてくれる、私と関りのある数少ない男子生徒だ。
「ごめんなさい、研究に夢中で気づかなくて」
「いいんです、声を掛けて邪魔するのも悪いと思ったので」
こんな私に対しても優しく接してくれるのだ。
当然学園内の令嬢たちからの人気も高い。
こんなジメジメした薄暗いところになんていないで、優雅にお茶会にでも参加してきたらいいのに……。
「アレクは最近どう?」
「そうなんです、実は分からないことがあって……それをアイリスに聞きたくて」
そう言ってアレクは自身の研究資料を見せてきた。
目に直に投与するタイプのポーション……面白いアイデアだ。
ちなみに学園内では身分の上下に関わらず学年が上の相手を敬うべし、という風習がある。
最初はアレクも私のことを『アイリスさん』と呼んでくれていたのだが、どうにもムズ痒くて二人の時は『アイリス』と呼び捨てで呼んでもらっている。
「そうね……実際に実験してみないと分からないけどこのレシピのままじゃ、粘膜に直接投与するには刺激が強すぎると思うの」
「はい……そこの解決策が分からなくて」
「なら発想を変えるのはどうかしら? 一度の投与で効果を出すんじゃなくて、日に何度も投与することで自然回復を促す方向に変えてみるのとか……」
「なるほど……常備ポーションにするってことですね! その発想はありませんでした!」
綺麗な翡翠の目を大きく見開き輝かせながら、アレクは真剣にメモを取る。
どうやら年上としての威厳は保てたようだ。
私は今年で学園を去ることになる。
本来ならそこで社交界デビューを果たして本格的に婚姻の儀を結んだりするのだが、私には関係のない話。
学園を卒業したら女性にも門戸が開かれている錬金術師として家から出て自立するつもりでいるからだ。
その最後となる年にアレクのような好青年と出会えたのは私にとって唯一の僥倖と言えるだろう。
私の婚約者がこんなに素敵な人だったら……なんて考えるのは無駄なこと、か。
私にはもう錬金術しかないのだから。
その日もいつものように錬金術の研究に励んでいた。
卒業ももう間近。
学業に関して言えば高い成績を誇っていた私は国家公認の錬金術師に推薦されることが決まっていたが、それでも私の研究熱は冷めなかった。
何故なら私にはもう、錬金術しかないのだから。
この一年、必死に錬金術の研究に没頭した。
没頭したのだから充実していたはずだ。
なのに何故こんなに、胸に穴が開いたような虚しさが消えないのか。
エリスにマクベスを取られたことに割く負の感情は持ち合わせていない。
あんなやつと婚約破棄できて良かったとすら思っている。
だからこの虚しさもまやかしだ。
私は婚約破棄をされた可哀想な令嬢なんかじゃない……。
そう思った、思うことにした。
研究が一区切り。ちょうど昼食時だった。
相変わらず頭痛が酷い。
朝から晩まで目を酷使しているのだから仕方ないか。
私はいつものように学園の購買で売られているパンでも買いに行こうかと思って……机の上にアレクの研究手記を見つけた。
錬金術師にとってレシピを記した手記は命の次に大切なものだ。
それを忘れるなんて……。
(案外抜けた所もあるのね)
やたらと私に構ってくるアレクの人懐っつこい笑みを思い浮かべながら、私はアレクの研究手記を封に入れた。
そういえば……アレクはどこの貴族なんだろうか。
初めて会った時から今までたくさん話をしたが話題は錬金術のことばかりだ。
所作からして良い所の出なのは間違いないだろうけど……
アレクは家のことを全然話さない。
事情でもあるのだろうか?
(まあ考えても仕方ないことか)
ふと浮かんだ疑問だったが今は関係のないことと振り払った。
「この時間、アレクは……」
おそらく昼食を取りに学園の食堂へと行っているはずだ。
研究室の外でのアレクの様子は知らないが、きっと女性たちから言い寄られているのだろう。
……頭痛がより一層ひどくなったような気がした。
頭痛が降りてきて胸に響いてくる気さえする。
私はその痛みを勘違いだと割り切って、アレクのいるであろう食堂に向かうことにした。
ちょうど昼食時ということもあって食堂は生徒でごった返していた。
私は最近また更に見づらくなってぼやける視界の中で鮮明に光る特徴的な赤髪を探していく。
右から左へ、大きく見渡せば違和感が一つ。
視線をそこまで戻せば、特徴的な赤髪のアレクが一人の令嬢と話している所だった。
(邪魔しちゃ悪いけど、手記を渡すだけだから……)
胸の痛みを押し殺して私はアレクに近づいていく。
アレクが私の存在に気が付くのと、私がアレクの隣にいる令嬢の正体に気が付くのはほぼ同時だった。
「エリス……」
「お姉さま……」
よりにもよってその相手はエリス。
相変わらずの甘い容姿と鈴の鳴るような猫なで声でアレクに迫っていたのだろう。
だが、エリスの顔つきはいつもと違う。
私を見るその瞳には憎しみがハッキリと映っていた。
私は全てを悟った。
エリスは……この女はまた私と関りの深いアレクを私から奪おうとしていたのだ。
当のアレクは私を見た途端に顔を真っ赤に、その印象的な髪と同じくらい赤く染めて俯いた。
その独特な光をまとった恥じらいに私は見覚えがあった。
エリスに熱を上げていたマクベスもそれと近い表情をしていたから。
……一刻も早く私はその場から立ち去りたかった。
「アレク?」
「……はい」
萎れたような小さな声。
「この手記、研究室に置きっぱなしだったわよ」
「あ、ありがとうございます!」
まずいところを見られたと思ったのかアレクの顔はまだ赤い。
私から手記をひったくるように取り去ると、恥じらいを顔に浮かべたまま
「あの……聞いてませんでしたよね?」
などと聞いてくる。
「もちろんよ、私は何も聞いてないわ」
「よかった……」
「それじゃ、私研究室に戻るから。エリスと楽しくやることね」
腹が立つ。
言葉尻が刺々しくなってしまう私自身に対して。
アレクは別に誰のものでも、ましてや私のものなんかじゃない。
だからエリスに熱を浮かそうがそれは自由というものだ。
今だってエリスに言い寄られて、心を奪われていたのだろう。
「違うんだアイリス……これは!」
「何も聞いてないっていったでしょ?」
その声は自分でも驚くくらい冷たくて唸るように低いものだった。
私はまた、逃げるようにエリスとアレクの前から姿を消した。
──私には、錬金術しかないのだから。
そう言い聞かせて。
そして私は再び、今まで以上に研究に没頭するようになった。
それからの学園生活はあっという間に過ぎていき、ついに卒業式を迎えた。
長ったらしい校長の祝辞。
これからの社交界デビューがどうだとか。貴族としての責務がどうだとか。
私にはもはや関係のないことだった。
校長の祝辞が終わると皆が待ち兼ねていたダンスパーティーが催されることになった。
ちなみに参加は強制。拒否権はない。
私は壁の華になることを確信していたので皆が楽しみにしているパーティーが憂鬱で仕方なかった。
熱に浮かされたような甘ったるい表情を浮かべて目と目を見つめ合って踊る男女。
私にはその光景が別世界のものに思えて。
……そう言えばエリスの姿がない。
こういう場だと張り切って、男子生徒をとっかえひっかえしていそうなものだったのに。
体調でも崩したのだろうか。
なんて義妹とはいえ、その近況も全く知らない、知ろうともしないのは確かに姉失格かもしれない。
もちろん望んで姉になったわけじゃないのだけれど。
私はただボーっと時が過ぎるのを待っていた。
一曲目が終わって二曲目……ダンスパーティーは更に熱を増していく。
私自身との温度差で風邪をひきそうになってしまう。
そう思った時だった。
「アイリス!」
私を力強く呼ぶ声。
反射的に振り返れば、そこにいたのはアレクだった。
小柄だったアレクはいつの間にか背が伸びて、すっかり見上げなければいけなくなってしまった。
美少年から美青年へと成長したアレク、枯れた私でも思わず胸が高鳴ってしまうほどの美貌だった。
顔をわずかに赤らめながら少し緊張したような笑みを浮かべるアレクの美貌に胸を抑えてよろめく令嬢まで現れる始末だ。
「ああ、アレク。ごきげんよう」
「……ごきげんよう、アイリス」
「……」
「……」
流れる空気がぎこちない。
二人の間だけ時が緩やかになったようだ。
弦楽器の四重奏がやけにゆっくりと聞こえる。
「あの……アイリス!」
声を裏返してアレクが私に小さな箱を手渡してきた。
私はその意図がよく分からなかったが、反射的にその箱を受け取った。
「開けて欲しいんだ」
急かされるまま箱を開けると……中に入っていたのはポーションだった。
「アレク……これは?」
私は問いかける。
これは一体……どういうことなのか。
「アイリス、貴女のために作ったポーションです」
「私のために?」
驚きと困惑で私にしては珍しく甲高い声が漏れる。
眉根に力が入り、顔も不細工に歪んでいることだろう。
「その……アイリスはずっと研究していて、いつも目が辛そうだったから……眼精疲労に効くポーションを作ってみたんだ……」
「私のために!?」
「他の誰でもない、アイリスのために」
胸が跳ねるように高鳴る。
勘違いするなアイリス。
優しいアレクのことだ、そこに深い意味はない。
「ありがとう、アレク。大切に使わせてもらうわ」
それでも表情が緩んでしまうのは仕方のないことだった。
「それともう一つ言わせて欲しい……」
「……?」
何かを覚悟した様な真剣な眼差し。
年下のわずかに幼く見えた瞳はそこにはなく、凛々しい青年の翡翠の瞳が映るばかりだった。
「私と、婚約してほしい」
「え?」
「アイリス、貴女のどこまでも凛とした強さに私はいつからか恋焦がれるようになっていた」
「そんな……だってアレクは、エリスに……」
「本当に聞こえてなかったんだね」
そう言ってアレクは恥ずかしそうにあの時のことを語ってくれた。
あの時、エリスはいつものように甘い猫なで声でエリクに近づいたのだが、『私はアイリスを愛しているから』とその誘いを一蹴したらしい。
だからあの時エリスはあんなにも……憎らし気な顔をして……。
「改めて自己紹介させて欲しい。私は隣国ウェイルズ公国の第二王子、アレクサンダーと申します。アイリス嬢、どうか私と結婚して私の国に来て欲しい」
「そんな……こと一言も」
「バレたら面倒なことになるからね。今まで隠していたんだ」
アレクが隣国の王子だったことにも当然驚きはしたが、私の驚きはアレクが私に求婚してきたことで一杯になって受け止めきれなかった。
「その……アレクサンダー様、私今まで散々ご無礼を……」
「違うんだアイリス。私は本当に嬉しかったんだ。王子という肩書を隠した私にこんなにも良くしてくれる美しくて強い女性がいるだなんて」
「美しいって……私は」
「その凛々しい怜悧な瞳が好きだ。穏やかに笑った時、瞳が優しさに満ち溢れるのが何よりも好きだ。それに理知的で強い貴女が好き、なんだ」
そんなこと……あるはずがないのに。
どうして私の胸はバクバクと強く脈打つのをやめてくれないのか。
「もう一度言おう、私が卒業するまでまだ一年あるが……卒業したら私の国に来て欲しい。そして私と正式に結婚してほしい。アイリス……どうか私の手を取ってくれないか」
ずっと気持ちを隠していた。
恋をすることでマクベスやエリスのように視界を曇らせるなら、私に恋は不要なものだとそう言い聞かせてきた。
そんな私でも恋をしていいのですか?
このずっと胸に秘めていた想いを伝えてもいいのですか?
そう考えている間に、私はアレクの手を取っていた。
力強くて、繊細で、優しいアレクの手が私を包む。
暖かさが伝わると言葉が溢れてきた。
「私も……アレクのことが好き。その優しい翡翠の瞳も、私の話を熱心に聞いてくれたことも、全部が好き。私でも……いいのですか?」
「他ならぬ貴女だから、私は恋に落ちたのです」
ツーっと私の頬を熱い雫が伝った。
マクベスをエリスに奪われた時も、アレクまでエリスに奪われるのだと思った時も、一滴も流さなかったのに。
こんなにも嬉しいことがあってもいいのでしょうか?
錬金術くらいしか取り柄のない私が幸せになってもいいのでしょうか?
流れる涙をアレクは優しく拭ってくれた。
「想いも伝えたことだし……アイリス」
「はい」
「せっかくのパーティーなんです。一緒に踊りませんか」
「ええ、喜んで」
その楽しい時間を、私は生涯忘れることはないでしょう。
それから一年……錬金術師として働いた私は、アレクの卒業を待ってウェイルズ公国に嫁ぐことになりました。
アレクの作ってくれた目薬のおかげと、健康を無視した病的なまでの研究時間がなくなったせいか私の瞳は穏やかさを取り戻しました。
もう誰も私の目を見て怯えたりはしません。
ですが……この一年決していいことばかりではありませんでした。
卒業式のあの日、エリスがあの場にいなかった理由。
それは卒業式の前日に、婚姻目前だった恋人をエリスに奪われた令嬢が彼女を刃物で襲ったからです。
周囲に人がいたおかげでエリスはすぐに助け出されましたが、顔にはポーションでも消すことができない傷跡が残ってしまったそうです。
婚約者がいて本当によかったと思います。
そうでなければ、嫁の貰い手を無くしていたでしょうから。
真実の愛を見つけたマクベスのことですから、顔の傷程度じゃエリスへの愛は揺るがないでしょう。
二人で仲よく過ごしてほしいものです。
「それじゃ、アイリス。行こうか」
「ええ、ウェイルズ公国……どんな場所なのでしょう」
「きっとアイリスも気に入ってくれるはずだよ」
言葉を交わしながら私は馬車に乗り込みます。
今日、私はウェイルズ公国へと出立するのです。
これが真実の愛かは分かりませんが、そうであって欲しいと今の私は思うのでした。
ありがとうございました。
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