考え出したらもう駄目だった
話は、少し前に遡る。
パーサが持ってきた書類を受け取り、ザッと目を通して──次いで大きく瞠り、アガタはパーサを見た。その書類を覗き込んだランも、ハッと顔を上げて声を上げる。
「っ! その手があったか!」
「えっ?」
メルが戸惑うのに、ランが前世の言葉も挟みつつ説明する。
「『ワーキングホリデー』……学生とか学者が、異文化交流とか国際理解を深める為の制度だ。勉強しながら、働くことも許される。十年二十年って長期は過ごせないけど、最長四年まで、留学先の国の最低限の保護を受けられる」
「それは……でも、アガタ姉様は学者ではないですよ?」
それは、その通りである。アガタは平民だし、両親が死んでからは聖女として軟禁状態で働かされていた。しかし、それに答えたのはパーサやランではなく、サマンサだった。
「学生さんも使える制度よ。とは言え、学校に通うんじゃなく教材を元に定期的に論文を出せば良いし、王都には家政学部があるから……国外から来たお針子とか料理人が、この制度を使ったりするわね」
「家政学部? え、そんな学部があるんですか?」
「ええ。実はうちの主人が、イヤーリ族で……でも、料理人になりたくてダルニア国に来たの。そして元々、この店はウチの両親がやってたんだけど……見習いとして働きながら、その制度を使ったのよ」
イヤーリ族とは、騎馬民族である。彼らは魔物対策として定住せず、草原を移動する民だ。
うふふ、と亡き夫との馴れ初めと制度について話し、可愛く笑うサマンサを微笑ましく思っていると、ランも思い出したように言った──後半は、アガタだけに聞こえる小声で。
「言われてみれば、あるな……多分、俺らと同じ事情だと思う」
このファンタジーな異世界に、と思ったが、アガタ達のような転生者だとしたら納得出来る。
「つまり、アガタ姉様もその制度を使えば守られるんですね? もう逃げなくても、良いんですね?」
そしてメルの言葉を聞いて、アガタはたまらず泣きそうになった。
(……そう。何かあれば、メルと逃げれば良いって思ってたけど)
今のアガタは、ランやサマンサと出会った。そしてサマンサの店で料理を作り、人に食べて貰う喜びを思い出してしまった。
(この人も……パーサもすごく美味しそうに食べて、おかわりまでしてくれたわね)
たとえ、アガタの料理による精霊の加護が欲しいからでも良い。パーサの食べっぷりは、見ていて本当に気持ち良かった。逃げずに済むのなら、ここにいても良いのならアガタはここにいたい。こうしてアガタが自覚する前にメルは気づき、だからこそ応援してくれるんだろう。
「って訳で、これにサインしないか?」
「します……よろしくお願いします」
※
……こうして、アガタは『外国就労』の制度を使って、この国にいることを選んだ。
サマンサの夫に習い、家政学を勉強することにした。パーサからの書類には、家政学部への入学届もあったので一緒に手続きをした。最長の四年間、アガタは学びながらこの国で働くつもりだし、その後もエアヘル国に戻るつもりはない。
「何を言っている!? 結界が消えて、民が魔物に襲われて苦しんでるんだぞ!?」
「だから、別の方が聖女になったじゃないですか」
「生意気な口を。マリーナの言う通りだ……この人でなしっ、破壊神!!」
「それを言うなら、神官や聖女に任せきりのあなた達もでしょう? 精霊の力を借りるのって、生命力を削ることなんです。愛する女性に、そんな苦行を押しつけるあなたも人でなしでは?」
「なっ……!?」
知らなかったのか、ハーヴェイがアガタの言葉に絶句する。もっとも、だからと言って黙る義理はないので、アガタは話の先を続けた。
「この国も、別のところに住んでいる人達も……エアヘル国以外では結界が無くても、魔物を狩ったり避けたりして暮らしてるんです。エアヘル国も、そうすればいいんじゃないですか?」




