第62話 一応舞い降りました。
竜人の里では、黒竜同士の対決が続いていた。
かつて魔王と呼ばれた腐れ竜、デンリーはその身に無数の太い鎖を巻いて拘束されながら、なおももう一体の黒竜――クロへその牙を突き立てている。
「いたーーーーい! くさーーーーい! もうなんなのこいつ! かまれたところがジュジュってする!」
「クロ! あんまり近くな、多分呪いの類だ! 受けすぎるとそいつみたくなっちまうぞ!」
エメラダが必死に鎖を喚び出し、十重二重とデンリーに絡める。しかしあっという間にそれも錆び腐り、ボロボロと崩れてしまうのだ。
あの金の鎖が使えれば――――エメラダは自らの不甲斐なさに歯噛みした。これではスティンリーの時と同じではないか。何のために自分は旅に出た?
外の世界に好奇心があった。想いを寄せる男の傍にいたかった。しかし一番の理由は、力が欲しかった。その身に宿る鎖を真の意味で自分の物にして、仲間や民を守りたい。
そう思って城を飛び出したのに、自分は何も変わっていないではないか。
弱音が頭に過ぎった時、ほんの少しだが鎖の戒めが緩む。その隙を逃さず、デンリーはクロへと襲いかかる。
「うぎゃあ! くるな! かむな! あっちいけ!」
クロの身体には既に無数の爪痕や噛み傷が付いている。それでもクレムが気絶させた里人やエルフに危害が向かぬよう懸命に身体を張っているのだ。エメラダはそれを見て、ふとスティンリーの言葉を思い返す。
「あたしの鎖の強さは、心の強さ――――」
拳を握り大きく振りかぶると、自らの顔にそれを叩きつける。ジクジクと痛み血が滴る感触がこめかみを伝うが、気にも止めない。
気合を入れる様に武闘の構えを取ると、浅い呼吸を繰り返し、解き放つ。
「天の鎖! ここが活躍する場だろうがぁ! とっとと出てきやがれぇっ!!」
瞬間、眩く光る流線が幾重も伸びて天を舞う。さながら黄金の竜が空に登る様な光景にエメラダ自身も驚きながら、湧き出た想いを無為にせぬようデンリーへと向ける。
「ア゛ア゛アアア゛アア゛アアアア゛ァァァア゛ァァッッッッ!!!」
もはや言葉も介さぬ腐れ竜。しかしその苦悶の雄叫びは誰にも理解できた。――それを聴いてクレムはついに気絶した。
「ぐうぅぅぅっ!!」
「すごい! メー、すごいよ! きらきらのくさりだ!」
「黙ってろ! そう長くは保たねぇ、今のうちに休んどけ!」
その後はローテーションを組むようにクロとエメラダがデンリーを抑えつける。しかしそれにももう限界が来ていた。クロの鱗は剥がれ所々から血が流れ、エメラダは天の鎖によって魔力精神力ともに疲弊していた。
「っ! あぁっ!?」
そして均衡は破れた。天の鎖はついに途切れ、隙を突かれクロも渾身の突撃を食らい、大きく弾かれて岸壁に突っ込んだ。
意識を失ったのか、目を瞑ったまま動かない。それを悟ったデンリーは、まるで自らの写身――いや。自分を封印に追いやった同族と姿を重ね、怒りを伴って最大の息吹を浴びせようと首をもたげた。
「クロ、起きろ! 早く逃げろ⋯⋯逃げてぇーっ!」
エメラダの絶叫が木霊し、しかしクロは動かない。そして炎と瘴気入り混じる息吹が放たれクロに直撃する、その瞬間――――、
《臭い息を森の中に振り撒くな愚か者がぁっ!!》
突然の豪風。里にある人も瓦礫もみんな吹き飛ばさんとする凄まじい力は、腐れ竜の吐息を簡単に吹き飛ばし、デンリーまでもその勢いに呑まれ転がりまわる。
「な、なんだ⋯⋯何が起こった?」
驚愕するのはエメラダだけではない。クレムや彼に気絶させられた里人とエルフたちもその衝撃に飛び起き、何が起こったのかとみな困惑して周囲を見回す。
「全く、こんな穢れたものを撒き散らされては困る。僕はこれからの食事を楽しみにしているんだから」
その場の誰もが声の先に目を向ける。
空から舞い降りる人影。金色の長髪に、エルフよりもさらに尖った長い耳。そして深緑に輝く瞳。一瞬ならば王の血統たるハイエルフと見まごうが、着ている鎧や風貌は、ある人物にそっくりだった。
「お、まえ⋯⋯グレイか?」
「――――ふむ、どうやら間に合ったようで良かった。これで全滅していればこの宿主が少々気の毒だからね」
エメラダの問いには答えず、彼はフワフワとクロの方へと飛んでいく。
「あぁ、サルマンドラの眷属。幼い身で良くここまで戦い抜いた。僕は彼の代わりに君を祝福しよう」
手をかざせば、穏やかな風が吹き意識のないクロを包み込む。瘴気に当てられ爛れた鱗や皮膚は元に戻り、少しずつだが傷も塞がっていった。
「そして天の鎖を持つ人間。ご苦労だった、君の献身がなければ我が眷属は既に灰と化していたろう」
「お、おぉ!?」
エメラダにもその風が降り注ぐ。今までずっしりと重かった身体が、ふわりと羽のように軽くなった気分だった。
「それに比べ⋯⋯なんだお前たちは。雁首揃えて、やっていたことと言えば人間との戦争ごっこ。挙句に悪魔に躍らされ役にも立たぬとは、恥を知れ!」
グレイに似た金髪の男は、エルフに向かい辛辣な言葉を放つ。エルフ一同が呆気に取られ、しかしその中からサルグ・リンだけが言葉を紡いだ。
「貴方様は、まさか――――風の精霊様ですか」
「如何にも、僕は現世の風と森を司る妖精王。精霊宿す此の身に助力を乞われ、ここに顕現した」
グレイ――――妖精王シルフが名乗りを挙げ、エルフたちは慄きながら深く頭を垂れた。
「では、契約の履行といこう。そこの腐れ竜、疾くこの世から失せるがいい」
シルフが睨む先で、唸りをあげて立ち上がったデンリーが大きく翼を広げる。轟、と一度羽ばたけばその巨体が宙に舞い、臭気を振りまきながらシルフへと飛びかかっていった――――。
僕っ子精霊、風の妖精王シルフくんが満を侍しての登場です。頑張ったクロちゃんやエメラダには優しかったけど、エルフたちにはめっちゃ厳しいですね。
次回、竜人の里編クライマックスとなります!
あ、ところで今回がこの作品で70回目の投稿なんだって。100回目指してがんばろー!!