第126話 騎士団長ルーメス
ルーメス・トロント。
古くからペルゲン家、それこそ辺境伯として西に領地を構える以前から仕えてきた直臣の家系で、歴代で最も武と知に優れた男。そして栄誉ある白虎騎士団の団長としてその武勇は国内外に知れ渡っていた。
それも今は老いて、既に齢は六十を越えた。普通ならとっくに隠居してもおかしくない年齢である。しかし彼の為した武功と周囲の期待、そして何よりも仕える主君がそれを許さなかった。
未だ家督も息子であり副団長でもあるガリアスに譲れず、最近の専らの楽しみは屋敷ですくすくと育つ孫たちを愛でるくらいである。
彼の武勇の始まりは、やはり四十年前に行われた白虎の魔王マルドゥリーの討伐であろう。
白虎騎士団設立以前。まだ領地を委任されたばかりのボルド・ペルゲン辺境伯の命により、領内の騎士団の中でも精鋭を集めての魔王討伐であった。
人数は二十人と勇者抜きでは異例の少なさであったが、それでも彼らは事を為せると信じ、そして勝った。その成果はひとえに当時騎士に成り立ての青年、ルーメスの目覚ましい活躍があったこそだ。
まだ二十歳そこそこであったルーメスは、しかしその時点で恐ろしいほどに強く領内最強と謳われていた。頭の回転も早く智略に長け、身分の上下を問わず快活に人に接するカリスマ性も持ち合わせる。
その武功と統率者としての才を認められたルーメスは、ペルゲン家が元々抱えていたものとは別に騎士団を作ることを領主と国から許可され、白虎騎士団設立に至った。
その十年後、国境を接したスルネア遊放国側からいきなりの領土侵犯が行われる。元来の性が略奪を是とするスルネアの兵は、しかし勇猛な虎狩りの異名を持つ騎士を中心にして阻まれた。しかも逆に領地を奪われそうになったというから、その当時のスルネア側の領主は顔色を赤く青く染めをさぞ繰り返したことだろう。
順風満帆であった。騎士として武功を立て、綺麗な嫁を貰い、自分には及ばずとも充分に才を持つ跡継ぎにも恵まれた。あとは老いて死ぬか戦場で強者と打ち合い死ぬか。どちらにしても悔いのない人生となろう。そう信じて疑わなかった。
ボルド辺境伯が病で亡くなり、当主がピリシアガとなる十年前までは――――。
ピリシアガはペルゲン家の次男であり嫡子ではなかった。しかし当主の亡くなる数年前、嫡子は謎の奇病に侵されこの世を去った。その病の症状はペルゲン家のもと厳重に緘口令を敷かれたが、噂では毎夜ごとに獣のような唸りを上げていたとか、身体から白い毛が生えていたとかいう話もある。
その病⋯⋯或いは呪いであろうか。それをどうにかしようとボルド辺境伯は目立たぬようにしつつも奔走した。ルーメスも及ばずながらと手を貸し力を尽くしたが、結局嫡子は最後まで苦しみながら死んだ。
それまで方々を必死に飛び回り、また息子の狂っていく様子に最後まで立ち会ったボルドは既に身心を限界まで擦り減らしてしまっていた。生前は猛々しい体躯であったのがみるみる萎み、流行病に罹ると呆気なくその命の蝋燭は吹き消されてしまう。
嫡子には嫁はいたが子が宿らず、そうなると当然ながら当主の座は次男であるピリシアガへと転がり込んだ。此処からが辺境伯領、そして白虎騎士団の凶日の始まりであった。
過剰なほどの軍備の強化。勘当したと見せかけた娘を使っての領内外での不正と癒着。そして、王族への謀反。
ルーメスが全てを知り得たときにはもう遅かった。全てが後戻り出来ないところまで根を張り、それを断つには己の主君に――――ピリシアガに剣を突き立てるしかない。
ルーメスは鍛え上げた自らの騎士団、その中でも古参の手勢を集めピリシアガの愚行を止めようとした。例え主君殺しの不名誉を賜ったとしても、もう老齢と呼んでいい彼らにはどうでもいいこと。それで国が、領地が平穏を得るならと立ち上がる。
自分たちが罪に問われたとしても、仔細を国に申し出れば家族へも咎めはいくまい。そうして決起し、領都であり要塞都市でもあるオルゼガに建つ領主邸へと夜襲を仕掛けようとした。
そして彼らは――――結局動くことができなかった。
作戦決行の前日。ルーメスは若年の団員に請われ、騎士団の訓練場へと脚を運ぶ。そこには騎士団の中でも実力のある者たちばかりが並び、必死に頭を地面に擦り付けていた。
その光景に唖然とし、ルーメスは何が起こっているのかと困惑する。そこに自分の息子であり副団長でもあるガリアスが現れ、苦渋と憎悪、そして諦観に満ちた顔で父に告げた。主君殺しはお止め下さいと。
ルーメスは暫し悩むも、首を横に振る。仮にこの騎士団を解散してでも、此度の辺境伯の凶行は阻まねばならない。そう説いた。
団員たちがそれを聞き、しかしなおも頭を下げた。ついには息子ガリアスまでも膝を折り、深々と伏した。そこに至ってようやくルーメスは何か自分が思っているよりも異常なことが起きていると察し、脂汗の浮いた額を拭う。
そして一言、何があったと問うた。
返ってきた言葉の内容は、ルーメスの頭の中を白く染め上げ、強靭な体躯をよろめかせる。
そこに集う団員たち。その悉くが家族や恋人、友人を人質に取られたと言うのだ。その中にはもちろん、ガリアスの⋯⋯即ち自分の家族も含まれていた。
妻は既に亡くしていたが、息子の嫁と目に入れても痛くないと思える孫たち。老いた身でいながら――――否、だからこそ一番にも守りたいと思う命が、既にあちらの手に握られている。
戦場でも決して膝をつくことがなかった猛者が、たったそれだけで心折られその場に崩れる。
そして、何処までも響かんばかりの慟哭。
涙が、汗が、掻きむしった首から血が。あらゆる体液を撒き散らし、ルーメスは雄叫びを上げる。目の前は真っ赤に染まり、すぐにでもピリシアガを絞め殺そうと顔を上げた時、気付いた。
目の前に並び伏し願う、彼らも同じなのだと。
その瞬間、ルーメスは全てを諦めた。
その後どうしたのかはあまり覚えていない。気が付けば息子に支えられ、自分の屋敷へ戻っていた。いつもなら賑やかな笑い声が響いているのに、屋敷の何処からも聴こえない。
視界に入る使用人たちが痛ましげにこちらに目を向けて、しかして無言。
よく見れば目に付く中には怪我を負っている者もいた。攫われるときに抵抗でもしたのだろう。自室に戻り家令を呼んで、人的な被害を確認する。
使用人のうち三名が斬り捨てられました、と言葉少なに語る。怪我人は重傷者はいないものの、とても幸いとは口に出来なかった。
死亡した使用人に家族がいれば事情を隠し謝罪と見舞いの金を、独りの者にもしっかりとした墓を作らせる旨を伝える。
家令が部屋を去り、寝酒の蒸留酒を浴びるほど飲むうち、一睡もできずに夜が明けた。
まるで抜け殻になった気分で、騎士団の屯所へと重苦しく向かう。
そして自分の執務室に入ると見知った顔――――奇襲を仕掛けるために集めた面子が、みな同じような顔をしてルーメスを待っていた。
当然計画は中止となった。むしろ騎士団の攫われた関係者たちをどう取り戻すか、その話し合いへと移る。しかしそれも中断されることとなった。
辺境伯からの呼び出しである。
馬車を手配して領主邸で降りると、身体からかつてないほどの怒りのオーラを纏いながら屋敷の中をズンズンと進む。
そちらが呼ぶのならば如何様にも出来る。いっそ自分一人でこの屋敷にいる全員を皆殺しにし、あとでゆっくりと捜索しても良い。様々な思案を脳内で早馬の如く巡らせながら領主ピリシアガの執務室へと荒々しく入ると、そこには驚愕の光景があった。
部屋の奥、光の良く入る大窓の前に置かれた豪奢な執務机。そこに腰掛け朗らかに笑う憎き男が、膝に、乗せて、いる、の、は――――。
「ルーメス、お前の孫は実に可愛いなぁ? これならさぞ高く売れるぞ」
男の、ピリシアガの膝にいるのは、まだ五歳と三歳になったばかりの二人の孫であった。
長男モリス。長女アンネ。二人とも自分や息子ガリアスのような無骨なザマではなく、嫁に来たリアーナに似た柔らかな面立ちだ。
笑うとえくぼができ、そこを突くといやいやと言いながら喜ぶ。その二人を交互にあやすのが自分のこれからの生き甲斐であったのだ。
それが、それがっ、それがっ!!
自分ではなく、家族にでもなく、あの糞ったれにその笑顔が向けられているのに憤慨した。
「お前も知っているだろう、隷属の刻印だ。もはや逃げられんし、私の思うままに動く」
スッと、モリスの額にかかる前髪をピリシアガが上げると、そこには菱形に淡く光る痣があった。ピリシアガが言う通り禁忌とされている隷属の刻印に違いない。
それが愛する孫たちに施されるなどと。それを見て、ルーメスの怒りはあっさりと霧散し意味の分からない震えが身体を襲った。
「なぁルーメス。我が騎士ルーメス・トロント。お前とお前の白虎騎士団は最後まで私に忠誠を誓ってくれる、そうであろう?」
言いながら、孫娘アンネの首に手を掛けゆっくりと力を込める。苦しいはずなのに、アンネはニコニコと笑ったままだ。
刻印の浸度によっては感情までも支配し抵抗を許さぬ。それがこの隷属魔法が禁忌とされる恐ろしさなのだ。
あぁ、全ては終わった。そう悟ったルーメスは崩れるように跪き首を垂れる。
そして抑揚なく、昔は幾度も主君であったボルドに捧げた言葉を吐き出した。
「私は貴方様の剣にございます、閣下」
この数ヶ月後、白虎騎士団と辺境伯領国境守備軍は王都へと侵攻を開始した。
従う限りは、その小さな命が繋がると信じながら――――。
本文には書かずルーメスさんも知り得ませんが、ピリシアガにはちょっとアレな性癖があったりします。だから幼児二人を乗せててもニッコニコなんですねぇ(ゲス顔)