第116話 哀れで愚かなグアー・リン 前編
その日の里の夜は特に静かに感じた、とグアー・リンは後に答えた。
シルフの命令で人間と一緒に暮らすようになったエルフたち。その殆どはすっかりと竜人の里に馴染んではいたが、中にはいまだそれを良しとしない者もいた。
グアー・リンと、彼に昔から付き添っているエルフが二名。
彼らは魔王デンリーが封印される以前、エルフの聖域である「世界樹」から外の世界へ追いやられた頃からの付き合いで、その関係は幼馴染であり、主従であり、固く絆を確かめ合った仲間であった。
かつて聖域の守護を全う出来なかったと責められ追放されたリンの一族とその家臣たち。
彼らは定住の地を求めズルーガに流れ着き、デンリー討伐戦に協力した報酬としてこの森で暮らすことを許された。
それから二百年の時が経ち、力及ばず封印するしかなかった魔王デンリーはとある勇者に倒された。
その後の変化を――いや、本来ならばリン一族の長兄である自分が一族の長に治まり続けているはずが妹に立場を奪われたことを、グアー・リンはいまだ腹立たしく思っていたのだ。
トマ・ドゥ。
ニア・ディネ。
二人は覆面を被って夜道を歩くグアー・リンの迷いない歩調に不安を覚える。
これから行うことは、この里にいるエルフ全員を裏切ることになるのだから。
「⋯⋯グアー・リン。本当にやるのか」
「怖気付いたか、トマ・ドゥ? だが俺は一人でもやるぞ。この傷付けられた誇り、いつまでもそのままにはしておけん」
怒気を孕む口調でそう言った。
それだけで二人はもはや止めても無駄と悟り、準備していた覆面を被り黙って彼の後を歩く。
彼は今、溜まった鬱憤と与られる甘い蜜で盲目になっている。
これからの事を成せば、グアー・リンはこの地の領主に直に認められ、里の最高権力を握ることが出来るのだから――――。
全ては翠の勇者、グレイ・オルサムがドワーフを里に連れてきたことから端を発する。
ただでさえ森から離れて慣れぬ人間の住処に押し込まれたというのに、ここでまた異種族の住人が増える。
それをグアー・リンは良しとしなかった。
そこで彼は思い立つ。希少なドワーフの存在を知らせれば、領主が何某か手を出してこの里の状態を崩してくれるのではないかと。
自ら慣れぬ人里に降り、プルメルテの街で白虎騎士団との接触を図った。
彼らの名声は森に引っ込んでいたグアー・リンでも知っているほどであり、また領地の監視も行なっていることも分かっていた。
時折森に来ては、木々の群生やエルフの隠れ里の近況を聞きにくる。
調査と言うが、何かしら謀反があればすぐ対処できるようにというのは明白だった。
一時は族長に収まっていたグアー・リンだからこそ、プルメルテでも比較的簡単に面通りする事ができた。
そしてこれまで里に起こったこと、いま起きていることを、彼にしてはかなり丁寧に騎士団に伝えた。
初めこそドワーフの存在を疑った騎士団だったが、ひっそりと里に招き入れそれを見せれば途端に対応が変わった。
そして捕らえている罪人たちも領主にとっては手元に置いておきたいものだと知ると、グアー・リンは野心を燃やす。
自分が手引きをする、罪人たちを連れ出し差し出してやろう。
その代わりに、自分を領主の権限で里の代表と定めてほしいと。
領主側に断る理由はなく、グアー・リンは晴れて騎士団の内通者となった。
一度正式に騎士団が罪人を護送しようとやってくるが、まず手放さないだろうとグアー・リンは予想し事実そうなった。
こうしてグアー・リンが暗躍し罪人を奪取することが決まる。
しかし予想外の出来事があったらしく、仕事が追加された。なんでも「まずい物」を盗まれたので、それも一緒に届けてほしいということだった。
リスクは上がるが、一度引き受けてしまった以上は断ることもできない。
グアー・リンは騎士団の言う「まずい物」と罪人、二つを同時に持ち出さなければならなくなった。
だが都合の良いことに、決行当日に一番厄介な勇者一行が一晩いなくなるというではないか。
流れは自らに向いているとグアー・リンは確信し、共犯に引き込んだ仲間二人を連れて真夜中の里を忍んで歩いていた。
熟練の戦士が扱う音を立てぬ足捌きでまず辿り着いたのは、現郷長であるドータの屋敷だった。
そこにはシルフの許しを得て結婚を目前にしているサルグ・リンもいるはずだ。
屋敷の裏へと回り、ニア・ディネは勝手戸の鍵穴に細い枝一本突き込むと、ものの数秒で開けてみせる。
この早技を本職の盗賊が見れば、地に手を付いてでも教えを請おうとするだろう。
音を立てぬようゆっくりと扉を開け、忍び込む。
屋敷の作りは分かっている。ドータとサルグ・リンがどの部屋で就寝し、目的の物がどこにあるかも目星を付けていた。
階段を登り一室の前に辿り着くと、トマ・ドゥが小さく探知魔法を唱えて仕掛けがないか確かめる。
特に罠などもなく、部屋の中に忍び込めた。
中は書棚が並び、少しかび臭い。その窓辺にある机の上に無造作に置かれた紙束や冊子。
手に取って改めてみるが、それが本当に探していたものかいまいち確証が持てないとグアー・リンは眉根を寄せた。
もしや偽物を摑まされる可能性もある。しかし物を目の前にして捨て置くこともできず、一先ずはそれを本物と思うことにして持ち出した。
これから書いた本人を拐いに行くのだから、その時に確認させればいい。
それからも音立てぬよう外に出れば、あっさりと事が済んでしまうのにトマ・ドゥとニア・ディネは言いようの無い不安に駆られた。
こんなにも簡単に盗み出せるものか? あの連中が何も対策をしていないと?
しかし二人の心境を無視するかのように、グアー・リンは足早にまた歩き出す。
次に向かったのは里に唯一ある懲罰房だった。
石造りの壁で、中に入ればただ鉄柵が幾本も伸びて仕切られ魔法の仕掛けも何もなく、入ったものを出さないようにするだけの粗末な作り。
普通の人間ならともかく、魔法を使えるものやちょっと力のあるものなら簡単に抜け出せる牢屋とは言い難い代物だった。
普通なら見張りを立てるところなのだが、いま収監されている罪人たちは酷く怯えて誰かが近付くだけで頭を抱えて震え上がってしまう。
あまりの怯え様から逃げ出す心配もなさそうだしそっとしておこうと、極力誰も近づかないことに決まった。
そして彼らをそう変えたのはあのグレイ・オルサムだと、後から住み着いたドワーフたちから聞いた。
その話をグアー・リンは痛いほどに理解した。同情し共感したと言ってもいい。
あの男は普段ひょろりとしている癖に、急に恐ろしいものへと変貌する。
グアー・リンは文字通り骨身に沁みるほどその恐怖を味わった。
だがグアー・リンは知らない。中にいる三人は、彼以上の地獄を見たのだということを。
そしてこれから少し後に、彼らに劣らぬ恐ろしい目にあうことを。
懲罰房の入口を開け、中へと入る。そこには深夜だというのに眠れずカチカチと歯の根が合わず震えている三人の罪人が蹲っている。
その様子に一瞬息を呑むグアー・リンたちだったが、まずは一番正常そうな男に声を掛けた。
図らずも、それが罪人たちの中でも一番重要な人物だと気づいた。
女と獣人は捨て置いてもいい、人間の男だけは必ず確保するか、あるいは殺せと言われている。
まぁ収穫は多い方が印象もいいだろうと、一先ずは全員連れ出すことに決めた。
罪人たちに出してやると言うと、気の狂ったように女が騒ぎ出したので魔法で黙らせた。
あまり時間をかけても拙い、さっさと連れて行こうと用意していた麻袋を三人に被せようとし、ふと思い出した。
「――そうだ、一応確認しておかねばな」
痩身の男に盗んできた「まずい物」を突きつけ、目を通させる。
「これは貴様が書いたもので間違いはないか?」
覆面越しにジッと睨みながらそう聞くと、少し勘繰るような仕草をしながらもそれを確認し、ある程度のところでウンウンと無言で頷いた。
思わず笑みが溢れる。これで後は里から抜け出し、騎士団にこいつらを引き渡せば取引は完了だ。
今度こそ有無を言わさず麻袋に罪人を詰めて肩に担ぐ。
正門を開閉すれば音で里の住人に気づかれるため、予め壁の向こうに馬を用意していた。
彼らの脚力ならば、人ひとり担いで里の壁を自力で越えるなど造作もない。
さっさと壁を乗り越え、馬が嘶かぬ様にゆっくりと引きながら、里から離れる。
ある程度のところまで来ればもう大丈夫だろうと、自分たちも跨って軽快に走らせた。
(ハッハッハ! どうだ簡単だったではないか! あの糞勇者め、戻れば貴様らの抱え込んでいたものは全て消え失せているぞ!)
思わず笑いが口から溢れ、そして油断が生まれる。
駆け抜ける道の先に、いくつもの人影があることをグアー・リンはすぐに察せなかった――――。
あまり幕間を連発したく無いのですが、グアー・リン視点をナンバリングするのもどうかと思ったので幕間扱いにしました。そしてちょっと長くなるので前後編です。
次回、地獄です。
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