第9話 一応勝ちました。
今回はクライマックスな部分を分割したくなかったので少々長めです。
長文でも読んでいただければ幸いです。
こんにちは、勇者です。
なんとかミノタウロスのボスから身を隠し切り、今は身支度に勤しんでいます。おもにクレムくんの……。
「だ、大丈夫です……替えの下着と衣服は一応あるので」
「そ、そっか。着替えたら呼んでくださいね」
恥ずかしそうにもじもじと俯く彼を着替えさせているうちに、自分はまた魔物がこちらに来ないか見張りをしているところです。
先程の様子から、あのボスミノタウロスは特定の場所には陣取らずに徘徊するタイプだと推測します。またエンカウントしては堪ったものではありません。
「着替え、終わりました」
「わかりました。じゃあクレムくん、申し訳ないんですが脱ぎましょうか」
「えっ!?」
「君のその鎧、ダンジョンでは音も立つし目立ちます。要所を守る箇所だけ残して、ほかは外して下さい」
彼の装備している全身鎧、恐らくは身長に合わせた特注でしょう。しかしそのままではとにかく動きづらいはず。体力の消耗を減らすためにも装備を見直すのが賢明と判断しました。
「胸当てと手甲はそのままでいいとして、下半身の装具や具足は取りましょうか。ブーツとか持ってきてます?」
「いえ、ありません……」
「ならそのまま履いているもので我慢しましょう。こういった場所は滑りやすいところも多いです。今後ダンジョンに潜ることがあるなら、しっかりと滑り止めの入ったブーツを使うことをお勧めします。あといま履いている靴の裏に彫を入れて、摩擦材を塗っておきましょう、少しは滑り止めになります」
「はい、お兄様!」
おう……先程の一件から自分への信頼度と親密度はさらに上がってしまったらしく、もうお兄様呼びが定着しております。これはグレイ・オルサム、割と最大のピンチなのでは?
「武器は……長剣ですか。予備で短めのものはありませんか? その長さでは広場ではともかく通路で振り回すのには困難です」
「すみません、持っていません……」
「じゃあ自分のを貸しましょう。鈍らですが、刃渡り的には丁度いいはずです.......とか偉そうなこと言っておいて、自分もつい最近までは長剣を振り回してたんですけどね?」
そう言って太腿の鞘から予備のほうのダガーを彼に渡します。マントも血に濡れて匂いを発しますから置いていきましょう。
そうして軽装になったクレムくんは、見た目駆けだしの冒険者という出で立ちになりました。実際ダンジョンは初心者ということなのであながち間違ってもいませんね。
「いいですか、ここは対人の場ではありません。見つからないこと、慌てないこと、先に仕留めること。これが大前提となります」
それから自分はトラップの簡単な見分け方やダンジョン内での足運び等、基本的なことを彼にレクチャーしていきます。それに対してクレムくんは律義に「わかりました、お兄様!」と元気よくお返事します。
地上に戻ったらあまりそう呼ばないよう含めておかないと、自分は勇者どころか事案発生で官警に縛られかねませんよ……。
「さっきの奴がうろついているせいで此処に留まる危険度は極端に増しました。これからは自分の仲間との合流を第一目標として、地上を目指して上層へ登りましょう。……実は自分たちは横穴からこのダンジョンに入ってしまったので、クレムくんたちがマッピングした地図をみせてほしいのですが」
「ごめんなさいお兄様……実は僕らの中でマッピングをしていた人は、その、自分の記憶力があれば大丈夫と仰って……」
クレムくんの指差す先には、壁にこびりついた肉塊。もぉーー! こいつら本当にダンジョン舐め過ぎ! 冒険者舐め過ぎです!
「なら仕方ありませんね……ちょっとだけでも回路を記憶していたりしませんか? もちろん分からなくても怒りません」
「重ね重ねごめんなさい、あまり記憶に……」
「いえ、大丈夫です。下手にあやふやな情報で歩き回ると返って迷いますから。ここは焦らず探索していきましょう」
失礼、と祈りを捧げてから死んだ者たちの荷物から使える物を探して拝借し、麻袋に纏めていきます。このダンジョンが全体を魔鉱石で照らしてくれていて助かりました。松明は察知されやすいし、消耗品ですから。
「さぁ、準備は整いました。焦らずぴったり後ろを付いてきて下さい」
「はい、お兄様。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。地上に戻ったら必ずこのお礼はさせて頂きますので」
本当によく出来たお子さんだなぁ……。
自分は手にもった木炭で足元にマーキングして、羊皮紙にさっと記すと通路を進み始めます。すぐにルルエさんと合流できると良いんですがねぇ。
そうして移動を開始して、二時間が経ちました。この階層、思ったより広く入り組んでいて、恐らくは迷路の類なのだと暫くして気付きました。
ちまちまと書き足していたマップを見て、あちこちの通路が最終的に自分たちのいた広場に行きつくよう誘導されるような造りに感じます。
「結構歩きましたね。すこし休憩にしましょう」
そう言うと、後ろのクレムくんが呆と息を吐きます。気を張って歩いてだいぶ疲れた様子です。
「さて、問題が一つ。もしかすると自分たちのいるここは、このダンジョンの最下層かもしれません」
「本当ですか、それにしては随分広く感じますが」
「ここは恐らく『籠』の類のダンジョンかと思われます。明確な最終地がなく、踏み入れたものをグルグルと歩かせるんです。多分クレムくんたちが降りてきた通路も、もう塞がってしまっているかも知れません」
「えっ、なぜそんな造りなんですか?」
「あくまで推測ですが、ここは狩場なのでしょう。彼らの」
そう言って思い浮かぶのは、あのミノタウロスたち。
「その証拠に、これだけ歩き回ってもここではトラップどころか魔物にも行き当たりません」
「そんな、じゃあどうやってここから出れば……」
「一番可能性の高い方法を上げるなら、自力でどうにか隠し通路を見つけるか、もしくは」
逡巡し、クレムくんと目を合わせます。
「この階層の主を追ってヒントを掴む、或いは倒す」
魔法的仕掛けの多いダンジョンであればダンジョンボスを倒すと帰路が開かれるというのは結構よくあるものです。しかしこのダンジョンにそんな大がかりな空気はあまり感じません。
ならば巡回している主の尾行をして、そこから隠し通路や脱出方法を探るのが賢明だと思いました。
その話を聞いてクレムくんの顔は曇ります。しかし現状を打破する案が他にない以上、試せることはしていかなければ此処でのたれ死ぬだけです。
「あくまで距離を取っての尾行です、直接の戦闘は避けます。というか戦っても恐らく勝ち目はありません」
クレムくんは涙目でぶんぶんと頷きます。
「では、まず餌でおびき寄せますか……」
自分の中でもかなり消極的な気分ではありますが、ダンジョンでは常に思考と行動が原則です。
自分たちはひとまず元の広場に戻ってくると、準備を始めました。
と言っても、やることは先に全滅した彼らと変わりありません。火を起こし、肉を焼き、その匂いをダンジョン中に充満させます。ほぼ確実に入れ食いの釣りをするわけです。
量は多いほうがいいと、自分はクレムくんには目を反らすよう言って、私兵たちとミノタウロスの死体を火のそばに集め、じっくりと焼き上げていきました。自分たちでもウッとくるほど噎せ返る匂いが周囲を立ち込めます。
そろそろかと思い、自分は広場の隅でクレムくんを抱え、隠密を唱えます。そして暫くしたころ、あの足音が遠くから響いてくるのです。
ずる、ぺたん。と。
思惑どおりに、ボスミノタウロス――言いにくいので片角と呼びましょう。片角は広場へとやってくると、唸りながら広場の中央で開かれている焼き肉パーティー会場へと歩を進めました。
執拗に匂いを嗅いでいるかと思えば、勢いよくミディアムレアな肉塊に齧り付きます。それはもう無我夢中というふうに。その光景はクレムくんには目の毒なので、手で視界を塞ぎました。
焼き肉を堪能すること数十分。あれだけあった肉は、それだけの時間で殆ど片角の胃の腑に納まってしまいました。
名残惜しそうに骨を舐めしゃぶり、まだ食べきっていない――多分人間の足――肉を肩に背負うと、片角は広場から去るようです。
忍足を唱え、残念ながらこのスキルは自分にしか効果がないのでクレムくんを背負うと、距離を保ちながら片角の後を距離を保ちながら尾行開始します。
その歩みは文字通りの牛歩で、少し苛立つくらいとてもゆっくりとしたものでした。立ち止まっては道草を食うように周囲を見渡し壁を叩いたり、足元を踏み固めるようにバンバンと地団駄を踏んでいます。
片角なりの縄張りチェックのようなものなのでしょうか。
グルグルと回って同じ行動を繰り返し、もう何度目だよと呆れていたとき、ようやく事態は動きました。
今までのようにのらりとした動きではなく、明確に何処かを目指すような足取りで進み始めたのです。
進む先は、焼き肉会場を中央と考えて北の端のほう。そこは一直線に続く長い通路でした。端から端まで、五十メートルはあるでしょうか。
そのちょうど中央あたりで片角は立ち止まると、おもむろに壁を押し始めました。片手ですが、かなり力を込めているのが分かります。すると、押している壁の一部が少しずつですが内側に移動していくのが見えます。
隠し通路、或いは隠し部屋の発見です!
下がる壁はある程度まで押されるとひとりでに動き出し、ぽっかりと入口を作ります。片角はそこへゆっくりと入って行くと、入口は自動でその口を閉じてしまいました。
(やった! やりましたねお兄様!)
(そうだね、でもまだあれが脱出路とは限らない、あいつの住処の可能性もあります。このままジッとして、また出てくるのを待ちましょう)
小声でそうやり取りすると、自分たちは通路の端まで後退し陰に隠れながら様子を伺い続けました。
それから何時間経ったでしょうか。一向に片角はそこからは出てきません。
もしかするとあれは本当に通路で別の場所に続いていて、片角は別の階層か、あるいはこの階層のほかの隠し通路から出てまた周辺をうろついているのでは?
そう考えて、すこし冷や汗が出てきました。背後は念のためクレムくんが見張ってくれていますが、もしそうだったらいつ遭遇するか分かったものではありません。
いっそ踏み込むかどうするか悩み始めたときでした。片角が消えた隠し扉が、音を立てて開きだしたのです。
慌てて隠密を唱え様子を伺っていると、片角は自分たちの居る方向とは逆側へ歩いて行くのが見えました。
姿が完全に見えなくなり、念のため暫く時間を置きます。そして片角が戻ってこないのを判断すると、自分たちはその隠し扉の前までやってきました。
「ここ、でしたよね。うっすら床が擦れたような跡がありますし」
「間違いないです。二人で押してみましょう」
言うが早いか、自分たちは壁に手を突いて渾身の力で押し始めます。壁は、びくともしません。
「う、うごかない。なにか魔法的な施錠が掛かっているのか、単に力が足りないのか……」
「と、とにかくもっと押してみましょうお兄様!」
クレムくんの励ましで、壁押しは再開されました。もうなりふり構わず全身を押しつけ、フンという気合とともに力を込めます。
すると、僅かながらに壁がずれ込んだ感覚が身に伝わります。
「よし、動く! 一気に行きますよ!」
「はいお兄様!」
二人力を合わせ、もう漏れる声も気にせずとにかく壁に全霊の気合を向けて押し続けます。少しずつ壁は後退し、ついに扉は開かれました。
「「いえーいっ!!」」
思わずクレムくんとハイタッチです。思えば今、人生で初めてパーティとしての行動と団結力を発揮している気がします。ルルエさんとのお仕事はほら、アレですから……。
開けはなれた入口。暗い先に目を凝らすと、そこはやはり通路ではなく片角の住処のようでした。
適度に広い空間に、どこか人間が住んでいたような痕跡――家具やベッドなどの寝具――があり、しかし部屋の隅には山と積まれた何かの骨があり、そこから異臭を放っていました。大斧や棍棒などのような武器なども無造作に転がっています。
「出口ではありませんでしたが、何かしら脱出のヒントが得られるかもしれません。調べてみましょう」
「はい、書物なんかもあるみたいですね」
言われて、壁に据え付けられた本棚に気付きます。ざっと目を通してみると、それらは殆どが魔道書の類でした。しかし視線を動かすうち、背表紙に何も書かれていない一冊の本があることに気付きます。
それを手に取り開いてみると、そこには日付やその日あった出来事が記された……つまりは日記本のようでした。
「誰かの日記ですか。どれどれ――――」
それを記したのは、このダンジョンを作った主である魔法士のようでした。日々の研究、迷宮――このダンジョンの建築状況、たまに愚痴、という感じの。
この魔法士は、ある特定の魔物の研究に没頭していたようです。日々観察し、あるいは人工的に繁殖させ、時に解剖を行う。そんな日々を送っていたようでした。
しかしある時点から、日記の様子が変わり始めました。字は乱雑に、語彙も減り、感情的な文章ばかりになっていきます。そして最後のページには、辛うじて読める字でこう書かれていました。
「はらが、へった……」
「? どういうことですかお兄様。何か分かりましたか?」
「…………うん、分かったと言えば、収穫はありました。多分この部屋の何処かにこのダンジョンの設計図か何かがあると思います。もっと探してみましょう」
クレムくんにそう指示して、自分はその日記をそっと本棚に戻しました。
魔法士は、研究の末に行き詰っていたようでした。もっと、もっとこの魔物の生態が知りたいと。そして行き着いた結論は、自らその魔物となること。
日記の内容を思い返し、思わず胃から中身が込み上げてきそうになりました。自分の推測が正しければ、あの片角は……。
「あっ! お兄様、見てください!」
クレムくんに呼ばれ、ハッとします。振り返れば、満面の笑顔のクレムくんが自分の身長ほどもある、丸まった羊皮紙を抱えています。
「お兄様、これきっとこのダンジョンの地図ですよ! これでここから出られ――」
「伏せろぉぉっ!!」
叫ぶと同時に、自分はクレムくんに飛びかかって彼を床に抑えつけました。次の瞬間、頭上を巨大な何かが横切り周囲のものを吹き飛ばしました。
「お、お帰りの早いことで……」
見上げれば、そこには目を血走らせ鼻息を荒げ、口から止めどなく涎を垂れ流す片角が佇んでいました。手には、部屋に転がっていた大斧が握られ、それの柄が奴の握力でミシミシと悲鳴を上げています。
「ひ、ひぃぁぁ……」
「クレムくん、その地図絶対離さないでくださいね」
怯えるクレムくんにそう言うと、自分は彼を小脇に抱え、片角と対峙します。……さて、そうは言ったものの、やべぇです。これはもう王手が掛かってるんじゃないですかね?
退路は片角のすぐ後ろ、そこを塞ぐように奴は立っています。部屋は広いとはいえ、あの大斧を振り回されれば避けられるか自信がありません。
「いちかバチか、試してみますか……」
言って、自分は片角と睨みあいながら精神を集中させます。これまで成功した試しがありませんが、火事場の馬鹿力と思って神様、お願いします!
「いと力強き大地の精霊、その雄々しさを我に分け与えん。我は其より生れしもの、我は其に還りしもの――」
ルルエさんに出会ってから何度も掛けられ、暇を見ては教えてもらっていた呪文を唱えます。
自分に魔法の心得はありませんが、これはどちらかと言えばスキル寄りなので訓練すればグレイくんにも使えるよぉ! とのルルエさんからのお墨付き!……お墨付きか?
じりじりと片角がこちらに詰め寄りだします。こちらもその間隔を詰められまいと同じだけ後退し、あっけなく背中に壁が当たります。進退ここに極まれり、です。
それを見てとった片角は、にんまり笑った気がします。大斧を斜に振りかぶり、あとは二人諸共叩き切るのみ。しかし――、
「此処に其の分け身たる証を示せ……お願い発動しろぉ! 身体向上!」
自分の身体に力が漲るのと斧が薙ぎ振るわれるのはほぼ同時でした。
普段なら見切れないその高速の刃を、強化された身体と動体視力で捉え、避ける。同時に疾駆し、片角の脇をすり抜けようとして、
「ガッ、ゲホ……ッ」
通り際に片角の蹴りが自分の胸元に刺さり、大きく吹き飛ばされました。新品の軽装鎧はひしゃげ、自分たちは一気に弾き飛ばされます。
しかし幸運にも飛ばされた先は部屋の出入口、叩きつけられたのは外に出た通路の壁でした。
衝撃で思い切り壁に頭を打ち付け、一瞬意識が飛ぶものの、すぐに次の攻撃がくるのは分かっています。形振り構わず自分は床を蹴って斜めに飛び退きました。
一拍遅れるように、自分のめり込んでいた壁は大斧の斬撃でガラガラと崩れていきます。
「きき、いっぱつ……」
「お兄様! お兄様大丈夫ですか、動けますか!」
震える手で、クレムくんは治癒ポーションを自分に飲ませてくれます。多少痛みは和らいだものの、豪快な片角の蹴りで鎧越しに肋骨は粉々でしょう。胸の痛みが全く引きません。
「クレムくん、出口を探して……早、く、逃げて」
言いながら立ち上がると、自分はダガーを引き抜き構えます。
「ダメです、お兄様も一緒に逃げましょう!」
「さっきの、蹴りでかなり……ダメージを負いました、走ってもすぐ追いつかれます」
「お兄様を置いてなんて行けません!」
「クレムくん、ダンジョン探索ではね」
震える脚に、渾身の一撃を叩きこむための力を込めます。
「パーティの誰かが生き残っていれば、勝ち、みたいなもんなんですよ……即席でしたけど、君との冒険は楽しかったです」
「嫌ですお兄様! そんなこと言わないで!」
「じゃ、元気でね」
そう言って、再び大斧を振りかぶっていた片角に自分は肉薄します。せめて、少しでも時間稼ぎを……!
狙ってかどうかも分からず降ろされた刃は、自分の左肩から綺麗に腕を切り落とします。むしろその技はとても鮮やかで、おかげで自分の勢いは殺されず片角に斬りかかれました。
肩口から鮮血を振りまきながらも、ダガーは真っすぐ片角の脳天に振り抜きます。一瞬、捉えたと思った自分が浅はかでした。
片角は寸でのところで身体を傾け、その直撃は避けられました。しかしダガーは片角の残った右の角に食い込み、その雄々しき誇りをすっぱりと切り落としました。
同時に、片角は斧ではなく素手で自分を殴り飛ばすと、その勢いで廊下の端まで吹き飛ばされてしまいます。実に二十メートル、自分は一度も地に付かずにその端へ叩きつけられました。
「――――――――っぁ」
視界は真っ赤に染まり混濁します。耳元がぐわんぐわんと打楽器を打ち鳴らしている最中で、微かにクレムくんの声が聞こえた気がします。
「お兄様! おにいさまぁ! 死なないで、おねがい死なないで!」
「に、げ、……いった、のに」
紅い視界の中で、片角――もはや両方角を断たれているので、何と呼べばいいのでしょう。怪物はずる、ぺたん。と相変わらずの足音でこちらに近づいてきます。
このままではクレムくんまで殺されてしまう……どうしよう、この子を殺さずにすむ方法。
戦わせる? 無理です、魔物どころかあんな怪物を前にして彼が挑めるわけが――――ふと、こんな状況だからこそ高速に回る思考の中で一つの賭けが浮かびました。
「……くれ、むく……こっち、きて」
「はい! お兄様なんですか、クレムはここです!」
自分はもう満足に力の入らない右手を無理やりに動かすと、腰の雑嚢から一つのアイテムを取り出しました。
「これ、つけ……こわ、く、ない、よ」
「これは……こんなので何が出来るんですか!? 僕は何も出来ません! 偽物勇者には、何にも出来ないんです!!」
「くれむ、くん、は……にせも、じゃな、いよ」
アイテムを手渡すと、その手を彼の頭に載せた。
「きみ、は、じぶん……を、すくう、ゆ……しゃ」
撫でて上げる力も尽きて、ぱたりと腕が落ちます。クレムくんは手渡されたそれを見て、涙し、震え、しかし次の間には決意の目に変わりました。
「わかりました、僕がお兄様を助ける……勇者になります!」
手に持つそれは、禍々しい首飾り。呪いのアイテム。でも、この場でならば……。
クレムくんはそれを首に掛けると、立ち上がって怪物に向きあいます。
「……え、なんで?」
彼の戸惑いの声が聞こえます。効果はしっかりと出ているようです。
「化け物が……人間に見える」
惑乱の首飾り。味方は敵に見え、敵は味方に見える。
つまりは、あれを着けたクレムくんには今、あの怪物は怪物に見えていない。
「これなら、こわく、ない……」
すらりと、彼は自分の渡したダガーを手に取ります。その動きはまるで熟練の戦士のようでした。
先程までの怯えは何処に消えたのか、悠然とクレムくんは歩き出し、そして突然姿を消しました。
「ヴォッ!?」
「…………ぇ」
驚いたのは自分と怪物。そこにいたはずの少年の姿は忽然と消え、かと思えば、すでに彼は怪物のすぐ真下に潜りこんでいました。
「はっ!」
切り上げる斬撃。それはただのほんの一太刀のはずなのに、怪物の胸に深々とした巨大な傷を刻みました。
「ギャ――――――――――ッ、ガァ!!!!」
たった一撃で致命の如き傷を負ったにも関わらず、怪物はなおも抵抗し、大斧を振り回します。しかしその悉くをクレムくんは躱し、怪物の身体に一つずつ深い傷を彫り込んでいきます。
一閃、二閃、三閃。怪物は既に自らの噴き出した血の海で踊っているかのようでした。
「お兄様の腕、よくも切ったな」
クレムくんはいつの間に背後へ回り込んだのか。怪物の肩めがけて大上段を振り下ろし、その太い腕を切り落としてしまいました。
「ア゛あぁガァァァ、ギャアアアア――――ッ」
怪物は初めて、情けない悲鳴を漏らしました。しかしクレムくんの猛攻は止まらず、振り下ろした勢いを殺さずそのまま切り上げ、もう一本の腕まで奴から奪ってしまいます。
「――――――――――ぁ、ガ」
立ち尽くす巨体は、もう両肩から紅い水を注ぐ噴水のようでした。
その血に濡れてもなお、クレムくんは気にすることなく跳躍し、最後のひと薙ぎを加えます。
高々と怪物の首が飛び、天井に当たって弾かれ、何度もバウンドしながら、コロコロと転がっていきます。最後に脚と胴体だけとなったそれは、ゆっくりと血の海へ倒れ込み、やがて辺りは静寂に飲まれました。
「――――つまらない、弱いじゃないか」
そう吐き捨てたクレムくんの胸で、首飾りはパリンと弾けバラバラになってしまう。
ふと正気に戻ったクレムくんは、一瞬その怪物の死体に身を竦めるものの、自分がやったことときちんと認識しているのかすぐに気を持ち直してこちらに駆け寄ってきます。
「お兄様、お兄様! 化け物はやっつけました、早く此処から出て治療を……あぁ、こんなに血が! どうしよ、どうしよう」
先程までの猛々しさは何処へ霧散したのか、もうすっかりいつものクレムくんでした。
「すご、いね。まもの、やっつ、けたね……」
「そんなことどうだっていいんです! 今はお兄様をどうにかしないと、あぁ、あぁ誰か! 誰か! 助けて!」
クレムくんは半狂乱になって叫びます。此処にはほかに誰もいないのに……いない、のに?
「坊やぁ、助けてほしい?」
聞き覚えのある声が、聞こえる。もう目が見えなくてよく分からないけど、多分来てくれたんだ。
「だ、誰ですか!? いえ誰でもいいんです! お願いだからお兄様を助けて!!」
「おにいさまぁ? しばらく離れてるうちに随分と面白いことになってるわねぇ。ねぇ、グレイくん?」
「そ……です、ね」
その言葉だけようやく振り絞り、自分の意識はぷっつりと途絶えました。
読んで頂きありがとうございました。クレムくん、人だったらバラバラにしてもきにしないんですかねぇ。どっちが怪物なのやら。
これまでブクマして頂いた方々には感謝のキッスを!
もし宜しければご感想、ブクマ、ポイント評価等して頂けるとグレイくんが天国に行かないかもしれません。すみません多分行かせてもらえません。
よろしくお願い致します!
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