98.日常へ
ユグドラシルを去ったモーゼフ達の目の前に広がるのは森だった。
そこは王都の周辺にある森で、先ほどまでの出来事が嘘であったかのようにいつもと変わらない日常が戻ってくる。
ユグドラシルにいたおかげで疲れてはいないはずだったが、精神的な方面ではやや負担があったようだ。
エリシアとナリア――二人を早々に宿で休ませるため、モーゼフ達は王都へ戻る事にした。
宿では、変わらずにヴォルボラが待っている。
「……すぅ」
待っているというより、眠っていた。
ベッドの上で身体を丸めている姿を見て、エリシアはくすりと笑顔を浮かべる。
「よかった……特に変わった様子はないみたい、ですね」
「ほっほっ、それほど長い時間いたわけではないからの。下手をすれば数週間は出られない可能性もあったが」
「す、数週間ですか」
「すっごい広かったもんね!」
「私はあまりユグドラシルの見学はできなかったけどね」
それはそうだ、とモーゼフは頷く。
そもそも、ウィンガルが来たのはオリジンによって呼ばれた事が理由だ。
モーゼフ達のいた森にいた吸血鬼という事で判別したようだが、あのような状況で呼ばれて対応できるというところはさすがというべきだろう。
「さて、そこのドラゴンも眠っている事だし、私も休ませてもらおうかな」
「ほっほっ、そうするといい」
「ウィンガルもう寝るの?」
「そもそも吸血鬼は夜型だからね。まあ、寝るわけではないが」
そう言いながら、ひらひらと手を振ってウィンガルは自室へと戻っていく。
自室と言っても、モーゼフと同じ部屋ではあるが。
モーゼフも部屋に戻って、今後すべき事を考えるところだった。
モーゼフ自身、すでに心には決めているが。
「ん……何だ、戻ってきたのか」
眠そうな表情で、ヴォルボラが身体を起こす。
小さく欠伸をしながら、エリシアとナリアの方を見た。
「どうした? 三人揃って。あの吸血鬼はいないのか」
「ウィンガルさんはお部屋で休まれています」
「もう寝るんだって」
「ふんっ、吸血鬼は寝てばかりか」
それをヴォルボラが言うのかと突っ込みどころは満載だったが、誰も突っ込みは入れない――
「ヴォルボラもいっぱい寝てるよ?」
ナリアが普通に突っ込みを入れた。
エリシアが少し慌てた様子でヴォルボラの方を見る。
ナリアらしいと言えばナリアらしい。
ヴォルボラもナリアに何か言われるのは慣れてきたのか、特に気にする様子はない。
ヴォルボラは大きく伸びをしながら、
「我はいいのだ。ドラゴンだからな」
そう理不尽とも言える答えをした。
実際、「ドラゴンだから」という言葉には無駄に説得力がある。
モーゼフもそこについては否定しない。
「ほほっ、エリシア、ナリア。お前さん達もヴォルボラを見習ってしばらく休む事じゃ」
「でも……」
「我はドラゴンだからと言ったが……まあ、お前達なら別にいい」
どんとこい、といった様子でベッドに二人が寝られるように詰めるヴォルボラ。
一応、三人は寝られるスペースはある。
「わぁい!」
ぼふんとナリアがベッドに飛び込む。
ヴォルボラがエリシアの方を見て、ベッドを軽く叩く。
早く来いというようなアピールをしていた。
「えっと……それでは、モーゼフ様。おやすみなさい?」
「うむ」
エリシアの疑問形に対しても、モーゼフは頷いて答える。
まだ眠るには早い時間だが、ヴォルボラの望んだ事をしようとエリシアは考えていたのだろう。
それだけ濃い時間を、《ユグドラシル》で過ごしてきたように感じているのだ。
ヴォルボラからすれば、遊びに出掛けていたモーゼフ達が帰ってきた程度にしか思っていないだろう。
モーゼフはエリシア達の部屋を後にして、自室に戻る。
部屋には先に戻っていたウィンガルが、ベッドに腰かけた状態で待っていた。
「さて、あの二人とドラゴンは知らない事だ。もっとも、ドラゴンには教えてやってもいい事だとは思うが」
「必要になれば話す事になるじゃろう。はっきり言ってしまえば、ヴォルボラにとっては関係のない事じゃろうて」
「関係のない事か。意外とそういうところははっきりとしているんだね」
「正直、わしの問題でもあるからの。関わっている人物が――」
「それを言えば私も関係のない事だ。だが、知ってしまったからには関わらせてもらう。けれど一つだけ、あなたが冷静に物事を考えているのだとすれば言っておく事があるよ」
「なんじゃ?」
「あの二人にとっては、少なくともあなたが抱える問題は関係のない事ではない。心配させたくないからとか、そういう理由で話さないのはやめた方がいい」
モーゼフは少し驚く。
ウィンガルがそのような事を言うとは思わなかったからだ。
ウィンガル自身もそう思っていたのか、すぐに「いや、柄にもない事を言ったね」と肩を竦めた。
だが、ウィンガルの言う事は間違っていない。
必要になれば話す――モーゼフはいつだってそういう風にエリシアとナリアに話す事を避けるところもあった。
この前のように、エリシアにまた心配をかけるような事になってしまうかもしれない。
それならば、今のうちにユグドラシルで起こった事を話しておくべきだという事も理解できる。
それでも――
「エリシアも、あそこで母に会ったと言っていた。あの子にとっては精神的に負担が大きい時じゃ。ああ見えて、ヴォルボラには特に気を許しておるからの。少しリラックスする時間も必要じゃ」
「なるほど。大人の余裕という奴かな。あなたは大丈夫、だと?」
「ほっほっ、そうじゃの。こう見えてもわし、《大賢者》と呼ばれた男だからの」
モーゼフはそう冗談めかして笑う。
ウィンガルは「それがあなたの答えなら」と納得したように頷いた。
人に呼ばれた名であるだけ――モーゼフ自身は、誰よりも賢い事などあるとは思っていない。
何故ならモーゼフも道を間違える事もある。
救えなかった人もいる――だからこそ、かつての師が関わっている事を放っておけるはずもなかった。
エリシアとナリア――二人のエルフを見守りながら、モーゼフは過去と対峙する事を決めたのだ。
そう考えながらも、一先ずは日常へと戻っていく事を、モーゼフは感じていたのだった。




