90.過去の者達
「よぉ、ざまあねえな――トルッティオ」
「かっ、は……」
ゴロゴロと地面を転がるトルッティオ。
にやりと男が笑った。
戦いは圧倒的だった。
ユグドラシルの番人である《蝉》のトルッティオですら、相対した二人の男には後れを取る。
それほどまでの実力者だという事だ。
トルッティオの全身が焼け焦げるように燃えているが、
「《森の怒り》ッ!」
トルッティオがそう叫ぶと、周辺の木々が折れ曲がり、男の方へと槍のように伸びる。
男は特に慌てる様子もない。
「無駄だな」
だが、男に触れる事はない。
幻でも見ているかのように、すり抜けていった。
男が炎を身に纏う。
その灼熱によって、すり抜けた木々は燃え落ちていく。
「抵抗しなけりゃ楽に逝かせてやるぜ」
男がそう言い放つと、手に炎を集中させる。
トルッティオにはもう動く力が残されていなかった。
男が手を振り下ろそうとしたその時、その腕を掴む者がいた。
ローブに身を包んだ骨の姿をした――モーゼフだ。
「こいつはまた、随分なのが出てきたな」
「ほっほっ、トルッティオはわしの友人でのぅ。あまり無茶な事をせんでもらえるか」
「貴殿は……」
「無事かい? トルッティオ」
「主……! なぜここに!?」
「逆だよ、トルッティオ。ボクが呼び寄せた」
その言葉を聞いて、男が周辺を見渡す。
森の中ではあるが、先ほどまでいた森とは質が異なる。
「少し休みな、トルッティオ」
「申し訳ない……」
「なぁに、後はボクとモーゼフで何とかするさ」
トルッティオが森の中に沈んでいく。
すると、周辺の木々の輝きが増した。
まるで、トルッティオを森全体が守ろうとしているようだった。
「……あんたが入れてくれるとはな」
「《神域》で好き勝手暴れられると困るんだ。あそこの支配者とは友好な関係でありたいからね」
オリジンはそうにこやかに答える。
男は無言のまま、全身の炎を滾らせた。
腕を掴んだモーゼフごと燃やそうとしたのだ。
だが、モーゼフは怯む様子もなく、腕を掴み続けている。
「相変わらず熱い男のようじゃな。《陽炎》フェルクス」
「なに……? お前、俺の事を知ってんのか?」
「ほっほっ、よく知っておる。お前さんも、わしの事は知っているはずじゃ」
「てめえみたいな骨は知らねえが……いや、待てよ。まさかお前がモーゼフか?」
「ほっほっ」
フェルクスはそう言って驚いた表情をする。
モーゼフは笑って頷くと、
「《アクア・プレス》」
空中を覆うように、水の壁が出現する。
フェルクスがすぐさま距離を取ろうとするが、モーゼフは手を離さない。
「……久しぶりじゃねえか。《マッカル前線》以来か?」
「そうじゃのぅ。あそこでお前さんと戦って以来じゃ」
「はっ、いいねぇ。それじゃあ、ここであの時の決着をつけようってか?」
「お前さんもそれを望むじゃろう?」
「ああ――だが今じゃねえ。フレストッ!」
後ろにいたもう一人の男に向かって、フェルクスが叫ぶ。
フレストと呼ばれた男はローブを脱ぎ捨てると、
「よぅやくワタシの出番、というわけですねぇ!」
メガネをかけ、長髪を後ろで結んだ姿がモーゼフの視界に入る。
嬉々として両手を高らかに振り上げると、フレストは手に持っていたバイオリンを構える。
黒いタキシードを着たその男も、モーゼフには見覚えのある人物だった。
「《音狂師》フレストか……!」
「その、通りでございまぁす!」
キィン、と甲高い音が周辺に響くと、モーゼフの身体の動きが止まる。
その隙を見て、フェルクスが抜け出した。
「ぬっ」
「はっ! 今は二人一組なんでね。《フレア・バースト》!」
モーゼフが展開した水の壁を貫くように、フェルクスの放った炎の光線が走る。
それは大きな爆発音となり、周囲を蒸気が覆った。
モーゼフの魔法が雨のように周囲に降り注ぐ。
「ふむ、お前さんとは初めてじゃな」
「その、通りでございますね。しかーしぃ、お互いには知っておりますでしょう――《賢者》よ」
「ほっほっ、《賢者》か。懐かしい呼び名じゃ」
「今は《大賢者》だからね」
オリジンが付け加えるようにそう言うと、驚いたような表情をするフェルクスとフレスト。
だが、すぐに笑い出した。
「はーっはははっ! 俺がいなくなってから大賢者まで来たか」
「時の流れとは恐ろしいものでございますねぇ。ですがぁ、あなた様ならそうなってもおかしくはないですねぇ!」
「ほほっ、お前さん達は変わっていないようじゃが、生き返ったわけでもあるまい?」
モーゼフがそう問いかけると、二人の笑いがピタリと止む。
「ま、そこは隠すつもりはねえ。俺らは確かに死んでるからな」
「全くもってその、通りでございまぁす」
「ならば、生き返らせた者がいると?」
「その辺りは言えねえ。俺とお前はそういう間柄じゃねえだろ?」
「聞きたければ倒せ、という事か」
「その方が燃えるだろ?」
「ワタシはその辺りこだわりはないので、話してもいいですよぉ!」
「おい、てめえは黙ってろ」
「ずぅっと黙っていたではないですかぁ!」
そんな奇妙な組み合わせの二人だが、やはり本人達も認めている。
一度死んだはずの人間なのだ。
そうなると、彼らがここにいる理由は《蘇生魔法》に近しい何かが使われたという事になる。
そんな事ができる人物が地上にいるというのか。
(まさか本当に……)
モーゼフの頭の中に、一人の人物の名が浮かぶ。
だが、相対する二人は考える暇を与えてはくれない。
「さて、呼び出してくれたのはありがたいが、ここから出る必要が出てきたな」
「おや、せっかくボクが招き入れたというのに?」
「はっ、望んだ事ではあるんだがよ。ちと想定外だぜ」
フェルクスはそう言いながら、ちらりとモーゼフの方を見る。
彼らはユグドラシルに用があったらしいが、モーゼフがいるのは都合が悪いらしい。
それはおそらく、モーゼフとの戦いになるからだ。
「ほっほっ、わしもお前さん達に聞きたい事があるからのぅ……逃がすわけにはいかんぞ」
そう言って、モーゼフが前に出る。
普段と変わらない様子のモーゼフだが、その身体に纏う魔力は普段の数倍。
今から振るおうとする力は、エリシア達の前でもまだ見せた事がない。
自ら望んで戦う意思を見せたモーゼフの力だった。




