88.侵攻
モーゼフもオリジンも、その事実にはそれ以上深く触れなかった。
モーゼフの師であるカルテナが生きている――否、いたとしてもモーゼフと同じような状態にあるのかもしれない。
ただ、何を目的にしてこの世に再び蘇ったのか分からない。
いや、彼女にも戻ってくる理由はあるのかもしれない。
もう数十年も前だというのに、モーゼフは未だに彼女の最後を覚えている。
彼女と出会った時の事も、だ。
「さて、ボクからのお願いというそこに関わる問題でね」
「他にもあるのか?」
「そう、実際に魔力の繋がりが戻ったのはカルテナだけじゃない。他にも数名――存在している」
「なんじゃと?」
さらに驚きの事実が存在している。
生き返った、と判断される者がまだ複数人いるという。
それならばモーゼフに用があるというのもまた奇妙な話だ。
「それならば、なぜわしを?」
「最古の人間がカルテナだっただけさ。最初に生き返ったのはカルテナ。その事実は変わらないのさ」
「最近生き返ったのは君だけどね」とオリジンは付け加える。
モーゼフにはオリジンの言いたい事は分かった。
「つまり……お前さんはわしにカルテナの事を調査しろと?」
「そういう事になるね。無論、強制はしないよ。ただ、君も気になるだろう?」
「ふむ、気にならないと言えば嘘になるのぅ」
「なら決まりだ」
「あの……」
モーゼフとオリジンの話が終わろうとした時の事だ。
黙っていたエリシアが口を開く。
このタイミングだった事に、オリジンも少し驚いたようだった。
「何かな」
「オリジン様は……カルテナ様の事を疑っているのですか?」
心配そうに言うエリシアにオリジンは今度こそ驚いた表情を見せる。
一瞬の静寂の後、オリジンは大きな声で笑い出した。
「あはははっ! まさか心配している事がそれかい?」
「お、おかしいですか?」
「いや、おかしくはないよ。モーゼフ、君の連れている子は実にいい子だね」
「ほっほっ、その通りじゃの」
エリシアが心配している事は――いや、心配ではないのだろう。
モーゼフの師がそのような事はするとは思えない、とエリシアは言いたいのかもしれない。
どのような人物か知らないだろうに、この話の中でエリシアはモーゼフの事を心配していた。
「ボクは嘘をつかないし、本当の事を言うよ。カルテナが関わっているとは思うけれど、疑っているわけではない。カルテナがモーゼフのところに姿を現さないはずがないからね。ボクが気にしているのは、もしも出会ったときにモーゼフが驚かないようにするためさ」
「それでも目の前にしたら驚くかもしれんがの」
「そうかい? まあ、出会う事ができたら話を聞いてみてくれ」
オリジンは「それよりも……」とエリシアの方に向かう合う。
見定めるように目を細めると、エリシアは少し不安そうな表情になった。
「エリシア、君はモーゼフの事が心配なんだね」
「え……? それは――はい、その通りです」
一瞬、エリシアがモーゼフの方を見たが、すぐにオリジンに答える。
モーゼフの反応を待たなかった。
オリジンはにこりと笑うと、
「ボクは君を気に入ったよ。だから、特別に試練を受けさせてあげよう」
「試練……?」
「オリジン」
「モーゼフ、選ぶのは彼女だよ」
オリジンの言いたい事は分かっている。
モーゼフと同じく、ユグドラシルとの契約を持ちかけているのだ。
それはつまり、オリジンがエリシアを認めたという事になる。
「この試練を通れば、君にもユグドラシルから君に合ったものを渡そう――もちろん、受けずに帰るのも自由だ」
「えっと……」
「やるーっ!」
エリシアが答える前に、ビシッと手を挙げて答えたのはナリアだった。
話を聞いていたのか分からないが、何かをやるという事を聞いて参加表明をしている。
「こらこら、小さなエルフのお嬢さん。今主は大事な話を――」
「いいよ、君は参加だ」
「え、主!?」
「わーいっ」
「ガーラント――頼んだよ」
「……承知しました」
エリシアが答える前に、ナリアが参加する事になってしまった。
当然ナリアが受けるとなれば、
「私も受けます。ナリアを一人にはできませんから」
「ああ、そう答えてくれると思ったよ。特別に、君達二人で受ける事を許可するよ」
そう答えると、オリジンがすっと手を動かす。
植物でできた壁がぐにゃりと動き始め、人が通れる穴が再び出現した。
「試練の内容は簡単だ。そこから出て――もう一度ここへやってくる事」
「え……? ここに、ですか」
「そう。戻ってくる事だよ」
「わかった! 簡単だよっ」
「ふふふっ、頼もしいね」
ナリアは相変わらず楽しそうだったが、エリシアは少しだけ不安そうな表情を見せる。
モーゼフはエリシアの方に近づいていき、
「何かあったらすぐに諦める事じゃ。よいな?」
「……はい。でも、できる限りがんばります」
エリシアがそう答えると、モーゼフも頷いた。
選ぶのは彼女――その言葉に間違いはない。
エリシアとナリアは、穴の方へと向かって歩いていく。
「それじゃ、いってくるねーっ」
ナリアが手を振り、エリシアが頭を下げる。
二人が中へ入っていくと、穴は閉じてしまった。
二人にはガーラントがついている。
少なくとも、心配するような事が起こるは思えないが。
「どういうつもりじゃ、オリジン」
「随分心配しているようだね」
「あの二人はエルフではあるが、まだあの見た目通りの年齢じゃ。ここでの試練を受けさせるなど……」
「言っただろう? 彼女が選ぶ道だと。ここは受け入れる場所でもあり、与える場所でもある――けれど、ボクが彼女達を行かせたのはもう一つ理由があるけどね」
「理由?」
「彼女達を巻き込まないようにするためさ。ガーラントに護衛させる」
「……何か来ているのか?」
「ここに直接来ているわけではないよ。けれど、来てもおかしくないね」
そう言うオリジンの表情は真剣だった。
エリシアとナリアを見送ったモーゼフは、オリジンと共に別の出口の方へと向かっていった。
***
深い森の中――《神域》。
《ロレンフィ》の神域と呼ばれる場所に、《蝉》のトルッティオは棲息している。
かの神域を闊歩し、トルッティオまで辿りつける者はその力を示した事につながる。
実際に出会える可能性はほとんどない。
だが――
「おびき寄せる事はできる」
ローブに身を包んだ二人の男がトルッティオの前に立った。
その周囲に転がるのは蝉の死骸。
ユグドラシルに属する尖兵であり、トルッティオの部下でもあった。
相対するは、《蝉》のトルッティオ。
《ユグドラシル》の番人にして、力を象徴する存在だ。
「貴殿らは――いや、貴様らは何用でここにきた」
「そう警戒するな、トルッティオ。久しぶりなんだから少し話をしよう」
一人の男がローブを脱ぎ捨てる。
赤い髪の男がそこにいた。
上半身には何も着ておらず、模様が浮かび上がっている。
トルッティオはその姿を見て驚く。
「貴様――《陽炎》か」
「そう、そうだよ! 久しぶりだなぁ、おい。もう数十年も前だぜ? 俺がお前と出会ったのも……どうだ? 積もる話は中でしようぜ」
「ふざけた事を言うな。貴様はもう数十年も前に死んでいるはずだ」
「ああ、その辺もやっぱりばれているわけか。あ、でもこの辺りの奴をやったのは俺じゃないぜ? 本当さ」
陽炎はそう言いながら、両手を広げる。
だが、トルッティオは臨戦態勢に入った。
すでに、目の前にいる男が正気でない事が分かったからだ。
「やったのは俺じゃなくてさ――こいつだよ」
すっともう一人の男が懐から取り出したのは、バイオリンだった。
男はそこから音を奏でる――その瞬間、トルッティオの動きが止まる。
「この、音は……!?」
「ああ、そうだぜ。こいつが全部やっちまったが――お前を殺すのは俺だ」
その瞬間、トルッティオの身体が炎に包まれる。
周囲の木々すら一瞬で焼きつくすほどの灼熱。
神域を荒らせば、そこにいる主がやってくる可能性さえあるというのに、迷わずにそれを行った。
トルッティオは炎の中から再び姿を現す。
身体の一部は焦げているが、まだ生きていた。
「さすがユグドラシルの番人だな」
「貴様ら……どういうつもりだ」
「詳しく言う必要はないだろ? 大体用件は分かったろうしよ」
「そうか――ならば、何も言うまい」
トルッティオが再び対峙する。
いずれもかつてユグドラシルと契約した事のある人間であり、
数十年以上前に死亡した者達だった。