86.精霊王
魔力に溢れた大地――《ユグドラシル》。
モーゼフも一度だけ訪れた事のある地であり、今もなおモーゼフの魔力はここと繋がっている。
神樹の根――それはモーゼフが操る植物の魔法の一つ。
始樹剣と合わせて使う魔法だった。
モーゼフは通常使用する大地の魔法にこのユグドラシルの魔法を合わせる事で、攻撃や防御に一部の偽装をさせている。
特に使う相手は限られる。
例えば吸血鬼やドラゴン――そのレベルであれば、モーゼフはこの魔法を使用する事がある。
それでも、実際に使っているかどうかは相手からは判別されない。
威力の違う二つの魔法をモーゼフは使っている。
それを知る者はモーゼフの他にはいない。
いるとすれば、ここの住人くらいだろう。
「ピカピカしてるっ」
ナリアが木々を見上げながらそう言った。
溢れ出る魔力は目に見えて木々を照らし出している。
「何ていうか……ここにいると温かくなりますね」
「全ての始まりとされる場所じゃからな。生命そのものが感じられると言ってもいい」
今のモーゼフとは正反対の場所ではあった。
アンデッドであるモーゼフは、始まりではなく終わりに近い存在だ。
ユグドラシルが《始まりの地》と呼ばれるように、その逆の場所は《最果ての地》と呼ばれる。
モーゼフの魂も、一度は死んだ以上はそこに向かっているはずだった。
戻ってきた理由は相変わらず分からないが。
「その通りだよ、骨のご老体」
ガーラントがそう言いながら、モーゼフの頭に飛び乗ってくる。
エリシアとナリアは気付いていないが、このガーラントというカブトムシは膨大な魔力の塊だった。
近くにいると分かる――現存する生物の中でも最高峰の存在だという事が。
蝉のトルッティオにも同じ感覚をモーゼフは感じた。
彼らユグドラシルの番人はそれだけの強さを持ちながら、やっている事は認めた者達をユグドラシルへ導く事だ。
「おねえちゃん、あれ何かな?」
「えっ、どれ?」
「あの木の上のやつ!」
ナリアとエリシアは森の中を探索するのに夢中になっていた。
今のタイミングならば、話しても問題ないだろう。
「さて、どういう理由でここへ案内されたか聞いてもいいかの?」
「もちろんだとも、骨のご老体。あなたは聞く権利がある。なぜならば、わたくしがここに招待したのだから」
キシキシと音を立てながら、ガーラントがモーゼフの肩のあたりに移動してくる。
器用に前足を動かしながら、ガーラントは腕を組むような姿勢を見せた。
「あなたがかつてここへやってきた時、蝉のトルッティオに認められたと仰った」
「うむ、その通りじゃ」
「彼が認めるのは純粋な力。ただし、彼はそう言うが厳密には少し違う」
「ほう、というと?」
「ただ強いだけで入れるのならば――そう、この世界はもっと色々なモノで溢れている。そんな事はユグドラシルでは認めていないとも。実のところ、彼の言う力というのはとても多岐にわたる」
「ふむ、それは魔力や知力も、という事か?」
「その通り! さすがはトルッティオが認めたお方だよ。攻撃力、防御力、体力、知力、魔力、財力、支配力――目には見えない力をトルッティオは見定める。そして、トルッティオが認めた者はこのユグドラシルへとやって来られる」
モーゼフもそれらを踏まえた上で、ユグドラシルに入る資格を得た事になる。
ただの強さだけではここに入る事はできない。
それだけで良いのならば、言い方を変えれば吸血鬼といった魔族もユグドラシルへの出入りが可能となってしまうからだ。
「もっとも、あなた方の近くにいた吸血鬼についても、今ならば資格があるかもしれないね」
「ほう、ウィンガルか」
モーゼフの考えを見透かしたように、ガーラントがそう口にした。
ガーラントはモーゼフの頭から飛び立つと、近くの木に降り立つ。
「あなたならもうお分かりかな」
「うむ。おそらくだが……《相反するモノ》といったところか」
「素晴らしい。その通りだよ、骨のご老体」
ガーラントはパタパタと羽を広げ、まるで拍手をするかのように音を立てる。
「わたくしが見るモノは《相反する》存在。魔族の力を持ちながら、彼女達はとても清らかな力を持っている。そしてあなたは死者でありながら、生者よりも生命力を感じさせる」
「吸血鬼でありながらその本能に従わない――そういう事かの」
「その通り。その相反するモノが大きければ大きいほど、わたくしの評価があがる。それが三人含めて一緒にいる、という点が大きいでしょう」
「一人では入れなかった可能性もあるか」
モーゼフの言葉に、ガーラントはくいっと身体を動かして頷いた。
「わたくしはきっと番人の中で一番査定が緩いでしょうが、ある意味一番突破をするのは難しい。人は本来、負の力を持ちながら正の心は持てない。その逆も然り――それが出来る者を、わたくしは認めている」
「なるほどのぅ……そして、お前さんに出くわす確率も考えれば、まず入れる事はないか」
「ふふふっ、今回については、わたくしの方から出向きましたが」
「なに? それはどういう――」
「モーゼフっ! 早く行こっ」
ガーラントと話をしている途中だったが、ナリアの言葉によって遮られる。
ガーラントがそれに反応するようにパタパタと羽を広げて、ナリアの方へと向かう。
その真意は分からないが、少なくとも一つ分かった事はある。
ガーラントは、モーゼフ達を受け入れるためにやってきたという事。
それはたまたま森の中で見つけたからではなく、見つかるようにガーラントがやってきたという事になる。
(番人がそのような事をするのか……?)
「あの、モーゼフ様。どうかなされましたか?」
「おお、何でもないぞ。すぐに行く」
エリシアがモーゼフの様子を心配してか、こちらの方まで戻ってきた。
モーゼフは笑顔で答えると、すぐに歩を進める。
ユグドラシルの中ではどこへ向かうという目的はなかったが、やはり目指す場所は一つになる――ここの呼び名であり、本体である大樹だ。
いつになく、ナリアは張り切って歩いている。
時折走り出そうとすると、エリシアに叱られては止まっていた。
近くを流れる川は透き通っており、その中には魚も見える。
「お魚さんもいるっ」
「あら、本当ね」
「おいしいのかな……」
「はははっ、小さなエルフのお嬢さんは正直だね」
「落ちないように気を付けるんじゃよ」
「はーいっ」
だが、その大樹までの距離は相当なものであった。
それこそ大樹に辿りつく前に一日はかかるのではないか、というほどだ。
ナリアも先ほどから歩き続けている。
いつもならば、そろそろ疲弊してきてもおかしくはないのだが、ナリアはずっと元気だった。
「ナリア、平気?」
「うん、全然疲れないよ?」
「なるほどのぅ。そういう事か」
「え?」
「ここに入れた者は今、ユグドラシルに受け入れられている。つまり、常にその恩恵を受けられているという事じゃ」
「いかにも、小さなエルフのお嬢さんが疲れないのはそのためさ」
「そうなんですか」
「じゃあ遊び放題って事?」
「うーん、そういう事になるのかも」
「わーいっ、おねえちゃんかけっこしよっ」
「あ、待ちなさいっ!」
再び走り出すナリア。
モーゼフは以前ここに来た事はあるが、そもそも移動するだけならばモーゼフが疲れを感じる事はなかった。
だから気付かなかったが、ここは受け入れた者達に常に力を与え続ける場所だった。
おそらく寝ないで歩き続ける事も、ここでは用意な事なのだろう。
「骨のご老体、あなたが以前来た時は《主》に何と言われたかな」
「オリジンか。わしには力を渡す価値があると言っておったな。それと同時に、必要になれば力を借りると――そういう事か?」
「その通り。《主》はあなたの力を借りたいと言っている」
「オリジンが? そうか、わしに魔力が繋がっている事が気付いておったか」
「ええ、あなたが一度死んだ事も、そして再び戻ってきた事も、主はご存じですとも」
オリジン――ユグドラシルの主であり、この地を治める実質的な王だ。
地上において呼ばれるとするならば、《精霊王》という言い方が正しいのかもしれない。
モーゼフの力を借りたいと、オリジンが言っているという事だった。
ガーラントが再び飛翔すると、蔦によって地面に人が通れるくらいの穴が作り出される。
その奥は暗く、先を窺う事はできない。
「さあ、ここは近道となっている。主の下へ向かおうじゃないか」
「あ、穴があるよっ、おねえちゃん!」
「あら、本当……いつの間に」
モーゼフ達の事が気になって戻ってきたナリアが、穴に気付く。
エリシアも不思議そうに穴の方を見ていた。
ガーラントが、ナリアの頭の上に着地する。
「はははっ、エルフのお嬢さん達。あなた達はわたくしと――」
「よしっ! 探検だよ!」
「あ、ちょっと待……」
ガーラントの言葉を遮って、迷わずナリアが穴の奥へと入っていく。
すぐさま二人の姿は見えなくなった。
エリシアもちらりと穴を覗いて、モーゼフの方を振り返る。
「えっと、いいんでしょうか?」
「うむ。まあ問題はないじゃろう」
モーゼフを驚かせたガーラントも、ナリアの行動は予測できなかったようだ。
エリシアに続いて、モーゼフも穴の中へと入っていく。
一瞬の暗闇の後――広がった景色は植物によって囲まれた洞窟のような場所だった。
ところどころに咲く花からは小さな光が見える。
それが洞窟内と照らし出していた。
「わぁ……何だか幻想的ですね」
「幻想そのものと言ってもいいからの」
「こういうところに来るって、何だかロマンチックっていうか……憧れてしまいます」
「ほっほっ、今来られているではないか」
「あっ、確かにそうでした」
エリシアはそんな風に浮かれた様子を見せていた。
モーゼフは視線を前に向ける。
ガーラントを頭に乗せたナリアが、誰かと対峙していた。
全体的に翡翠色をしているが、肌はやや人に近い。
長い髪のようなそれは、よく見れば植物の葉のようだった。
以前モーゼフが見た姿を変わりない――オリジンの姿だった。
「はじめましてっ、わたしはナリアだよ」
「ああ、はじめまして」
「主、申し訳ない。骨のご老体だけを連れてくるはずだったのだが」
「よい、全員を認めたのは我々だ」
ナリアは特に気にする様子もなく、オリジンに色々と問いかけている。
困惑している様子なのは、先ほどまで紳士に振る舞っていたガーラントだけだ。
「あなたは主って言うの?」
「いや、ボクの名前はオリジン。そちらでは精霊王と呼ばれるのかな」
「王様なの? どら焼きの?」
「あははっ、そうだね。その通りだよ」
「主までここをどら焼きとお認めに……」
面白い子だ、とオリジンは笑う。
モーゼフも話をする二人の下へと近寄っていく。
オリジンはモーゼフの方に視線を向けると、ふっと笑った。
「随分と様相が変わったようだね。変わり果てた、というべきかな?」
「ほっほっ、わしは変わったつもりはないがの」
「うん? そうかな。君はアンデッドになったというのに、以前よりも優しい雰囲気に包まれているよ」
そう言って、オリジンは微笑んだ。
ユグドラシルの主とこうして会合するのは、数十年振りの事だった。
ほのぼの成分が足りないかなと思って新しく作品はじめたりしました。
こちらはほのぼのさせようとしてなんだか不思議空間になってきた気もします。
おじいちゃんに少し関わる話ですね。