85.始まりの地
「さて、エルフのお嬢さん達と骨のご老体、まずははじめましてというところかな」
「はじめましてっ」
大きなカブトムシであるガーラントは、ナリアの頭の上で挨拶をする。
ナリアもそれに元気よく返した。
ガーラントの上には、先ほどナリアが捕まえたカブトムシが乗っている。
「お話しできるカブトムシさんは初めて見ました……」
エリシアも、カブトムシに『さん』付けになってしまっている。
ただ、二人は気付いていないようだった。
モーゼフは今、老人の姿をしている。
このガーラントは、出会ってすぐにモーゼフの事を『骨のご老体』と呼んだ。
つまり――モーゼフがアンデッドである事に気付いている。
(ほほっ、さすがは番人を名乗るだけはあるという事かの)
「《ユグドラシル》の番人と仰っていましたが……」
「言葉の通りだよ。全ての始まりとされる木――そして、今はそこの地を総称してそう呼ぶのさ」
ガーラントの言葉に、モーゼフも頷く。
「わしの扱う魔法や、剣はそこから手に入れた物じゃ」
「えっ、モーゼフ様の!?」
モーゼフの扱う大地の魔法はそこで得られた物――だからこそ、通常の地属性とは一線を画す力を持っており、またそれを扱えるモーゼフが魔導師としても他の追随を許さない事が良く分かる。
「モーゼフも《どら焼き汁》に行った事あるの?」
「小さなエルフのお嬢さん、ユグドラシルだよ」
「ユグドラ?」と首をかしげると、ガーラントとその上のカブトムシが揺れる。
気が付けば、ナリアの肩にもカブトムシが二匹増えていた。
フル装備のナリアが大地に立つ。
「わしも他の一体とは会った事があるの」
「そうでしょうね、骨のご老体。その魔法と剣を持つという事は、あなたは《到達者》という事になりますかな。出会ったのは蝶の《フリフラ》? それとも蜻蛉の《カバス》?」
「蝉の《トルッティオ》じゃ」
「ああ、一週間で死んだ奴」
「死んだのか!?」
「冗談にて」
「……ほほっ、驚いたわい」
モーゼフも思わず驚いてしまった。
蝉のトルッティオとは、モーゼフがユグドラシルに来た時の番人の一体だ。
名前の通り、蝉の見た目をしているが、その姿はやはり通常に比べて非常に大きかった。
エリシアもモーゼフが驚いている姿が珍しかったのか、視線がこちらに向けられていた。
ちらりとエリシアの方を見ると、エリシアの頭の上にもカブトムシが乗っていた。
「む、エリシアの頭の上にもカブトムシが」
「え? あ、本当ですね。モーゼフ様のお顔にも……」
「なに、顔の方じゃと?」
エリシアが視線を向けていたのは、モーゼフが驚いていた事よりも顔にカブトムシがついていた事らしい。
いつの間にか、周囲には色々な大きさのカブトムシが集まってきていた。
「彼らはユグドラシルを守る尖兵。わたくしがここにいるから集まってきているようで。でもご心配なく――警戒している様子はないので」
カブトムシ達は自然な動きで、ただそこに静止していた。
気が付けば、周囲の様子も変わっている。
先ほどまでいた場所は、森の中でも太陽に照らし出された明るい地。
今は、生い茂る木々によって少し暗くなっていた。
すでに先ほどまでいた場所とは異なる事に、モーゼフは気付いている。
(随分と懐かしい気がするの)
モーゼフもかつて訪れた事のある場所――自然と魔力に囲われた土地だった。
ユグドラシルはどこにでもあって、誰にでも行ける場所ではない。
世界各地に存在する番人を通してしか、入る事のできない不可侵領域。
その地を目指す冒険者も――少なからず存在している。
そんな場所に今、モーゼフ達は立っている。
「ユグドラシルはあなた方を受け入れる選択をした。あ、帰りたかったらくるりと反転して戻ってくれたら問題ないよ」
「え、えっと……」
「わーい、行く行くっ!」
「あ、ナリア!」
エリシアが返答する前に、ナリアが森の奥の方へと駆けていく。
ちらりとエリシアがモーゼフの方を見る。
モーゼフはにこりと微笑んで頷いた。
ここは危険な場所ではない――むしろ、どこよりも安全な場所だ。
「こんな機会は二度とないかもしれんからの。わしらも行こう」
「はいっ」
モーゼフにとってはここを訪れるのは二度目の経験だ。
広い土地全体が特殊な結界で覆われており、普通の人間が訪れる事はまずできない。
どこからでも入れるように番人を通じて入口は九つあるが、彼らが認めた者のみが通る事ができる。
何を持って認めるかは、その番人による。
モーゼフを認めた蝉のトルッティオはモーゼフの強さを認めた。
カブトムシであるガーラントも、認めた事があるからこそ三人を中に連れているのだ。
その三人を通す条件が、一致していなければこのような事にはならない。
(さて、少し気になるところではあるが……)
その聞ける相手はナリアの頭の上で、ナリアは元気よく森の中を駆けてしまっている。
後ろからエリシアが追いかけているが、森の中でもナリアはなかなかに素早かった。
「ほほっ、まあ元気な事は良い事じゃからな」
モーゼフも笑いながら、森の中を歩いていく。
モーゼフが操る植物の根は、ここの一部の植物と繋がっている。
だからと言って、モーゼフがここに好き勝手来られるというわけではない。
魔力としての繋がりはあるだけで、行き来をするには番人に出会わなければならない。
ただ、その番人も世界中にたった九体しか存在していない。
おそらく、王都の近くにガーラントがいたのは本当に偶然だったのかもしれない。
モーゼフが蝉のトルッティオに出会ったのは、《神域》と呼ばれる場所の一つだったが。
先の方に進んでいくと、ナリアとエリシアが明るいところにの手前で足を止めていた。
モーゼフも二人に追いつく。
「すごい……」
「綺麗ね……」
二人が圧倒されていたのは――広がる自然だった。
普通の森を見るのとはまるで違う。
上から見た光景は、あふれ出る魔力によってところどころが輝いて見える。
そしてその中核――雲のような物に覆われ、その全容を全て見る事は出来ないが、国一つ分はあろうかという太さのある大樹。
《ユグドラシル》の本体があった。
「ようこそ、ユグドラシルへ。歓迎するよ」
可愛い動物探しから虫探し――そして、伝説の大地へと三人は辿りついたのだった。