75.来たる時に向けて
「エリシア、あれはただ遊んでいただけだ」
「わ、分かっていますって。大丈夫ですからっ」
「しかし……」
「本当に大丈夫ですっ」
宿での夕食を終えた後――モーゼフの部屋にエリシア達が集まってきていた。
今後の話をするつもりだったのだが、ヴォルボラは相変わらずエリシアへの釈明を続けている。
別に悪い事をしていたわけではない。
動物ごっこ――いわゆる動物の真似事をして遊んでいたという事だ。
ヴォルボラがナリアの面倒をよく見てくれていたという事になるが、モーゼフとエリシアが目撃したのは「にゃあにゃあ」と猫の声を真似ってベッドで横になるナリアと、それをいじるようにしていたヴォルボラだった。
それを見たエリシアは、パタンとドアを閉めて沈黙していた。
妹のあられもない姿を見てしまった、というような反応をしていた。
モーゼフが再度ドアを開く前に、ヴォルボラが心配そうにドアを開けてきた。
エリシアがどういう事をしていたか勘違いしていたかは定かでないが、ヴォルボラとナリアの様子を見て気付いたようだ。
先ほどからばつが悪そうに俯き加減で頬を赤く染めている。
勘違いしたという事実がそもそも恥ずかしいのだろう。
「みてみて、モーゼフ! ドラゴンの真似! ぐおおおっ!」
「おお、そっくりじゃ」
「えへへ、ヴォルボラに教えてもらったのっ」
両手をいっぱいに広げてそうモーゼフに言うナリア。
ヴォルボラに遊んでもらって嬉しそうにしている。
エリシアとヴォルボラの微妙な雰囲気を特に気にする様子はないが、いつ聞き始めるかも分からない。
あまり触れさせないようにしよう、とモーゼフは話を始める事にする。
「これからの事についてなのだが、ここでエリシアには昇格してもらおうと思っておる」
「昇格……? 冒険者のランクの事ですか?」
「うむ。ちょうどいい頃合いじゃろう」
冒険者のランクは昇格可能かどうかの判断を冒険者協会が行う。
ただ、その判定を行える場所は実のところ限られている。
フラフの冒険者協会は小さい出張所のようなところで、判定は別の場所で行われる。
せっかく王都に来ているのならば、ここでランクを上げてしまった方が楽なのである。
「その時々によって内容は変わっているが、おおよそ最初は特定の魔物を狩ってくるか、特定の場所から規定の薬草を採取してくるなどがある。一定以上の功績が認められた場合でも昇格はあり得るらしいがの」
「それで言うと、モーゼフ様はもうかなり上のランクなのでは……?」
「ほっ、そういう事になるかもしれんの。だが、わしは高みを目指すつもりはないからの。お前さんの受けられる依頼の幅を広げる事が目的じゃ」
ランクの高い冒険者の方が受けられる依頼も増え、報酬も多くなるケースがある。
生活面での安定性は良くなるというわけだ。
もちろん、エリシアの実力に伴ったランクでなければ意味はないが、エリシアならばもっと上の方でも問題はないだろう。
なにせ、モーゼフも含めてまだ冒険者としては最低ランクの扱いなのだから。
「おねえちゃんはえらくなるの?」
「そういうわけではないと思うけど……」
「ほっほっ、冒険者のランクが上がれば別にスカウトなんかもあるかもしれんからの。偉くなれる可能性もあるぞ」
ずっと冒険者だけを続けている者もいるが、中には騎士など別の道に入る者もいる。
実力があればそれだけ選択肢は多くなるという事だ。
そんな話をしていると、ヴォルボラが話に割って入ってくる。
「エリシアの話をしているところ悪いが、今回の話はそれが主題じゃないだろう?」
「うむ、そうじゃの」
話しやすい方から先に始めていた。
本題は、それよりも前にある。
「三日後――エリシアとナリアは部屋から出ないようにの」
「三日後……例の話ですか?」
「うむ」
「どうして出たらだめなの?」
「ナリア、モーゼフ様とヴォルボラ様は町のためにお仕事をしようとしているの。だから……邪魔にならないように待っていようね」
ナリアを諭すように言うエリシアだが、それは自身に向けた言葉でもあるのだろう。
きょとんとしていたナリアだったが、やがて元気よく手を挙げると、エリシアの言葉に「うんっ」と答えた。
「三日後の理由は?」
「他の者達にも準備の時間はあるじゃろう。まあ、いつでも戦えるようにはしておるだろうが」
「他の人間は知らないが……吸血鬼どもが三日後に動くと思うのはなぜだ?」
「いや、思うのではなく動かす。少し状況を整理してみたのだが、襲われた人間は基本的に一人から二人の時じゃ。確実性を重視しておるのだろう。そして、お前さんが出会ったという吸血鬼も一人のときに現れた。そうじゃろう?」
「確かに、そうだな」
「そうなると、夜中にお前さんが一人でいる状態であれば、高確率で接触してくるとわしは考えておる」
三体同時かどうかはともかくとしても、周期で考えれば向こうも動きたいと考えている頃だろう。
明らかに大きな釣り餌ではあるが、吸血鬼達はそれでも動くとモーゼフは考えていた。
彼らはそういう事も気にせずに、敵対する者はすべてねじ伏せる力を持っているからだ。
(力を持つ者の考えは、わしにもよく分かる)
力を持つ者が選んだ道によっては――多くの犠牲者が出る事も少なくはない。
それを止められるのもまた、同じように力を持つ者達という事になる。
「わしは明日、他の者達にも伝えておくからの。エリシア、お前さん達も来るか?」
「いえ、私はここで待っていようかと思います」
「うむ、それがいいじゃろう」
きっとフィール達も吸血鬼と戦うという話題になれば、その話し合いも真剣なものになる。
エリシアとナリアがいるとむしろ、話しにくくなるかもしれないと察したのだろう。
エリシアとナリア、それにヴォルボラはこの三日間は宿の付近から動かないという事だった。
モーゼフは宿全体に感知できない結界を張った。
ヴォルボラを狙うのは間違いないだろうが、少なくともエリシアとナリアに被害が出ないように守れるように準備をしておく。
――戦いのときは近づいていた。
***
モーゼフはそれぞれに三日後の作戦を伝えた。
ヴォルボラが単独で宿の前で待ち構え、モーゼフの準備した《隠密結界》に隠れる事で、周囲に潜んでいる事を悟られないようにする。
主力メンバーはモーゼフを含めてグロウとユース、そしてフィールの四人。
第二部隊として騎士団と冒険者からそれぞれ数人が待機するという編成だった。
そして、今は作戦を決行する前日の夜だった。
実際に作戦を決行するのも夜――つまり、明日の今頃という事になる。
「ふんふーん」
今、モーゼフの部屋にはナリアがいた。
赤い石を磨きながら、ベッドの上で横になっている。
お守りとしてナリアに渡したそれは、きっと役に立ってくれるだろう。
「ナリア、そろそろ部屋に戻って寝たらどうじゃ?」
「うーん……」
それに対し、ナリアは少し悩んだような仕草を見せた。
「どうした?」
「今日はモーゼフのお部屋で寝てもいい?」
「別に構わんが」
「明日はモーゼフに会えないかもしれないでしょ?」
ナリアは不意にそんな事を言い出したのだった。
明日がちょうど三日後――その事を覚えていたのだろう。
会えないかもしれない、というのはナリアの思い過ごしだ。
朝になれば当然会う事にはなるし、夜までは傍にいてやる事もできる。
それでも、ナリアがそうしたいと言うのなら一緒にいよう。
「ほっほっ、なら温かくして寝られるようにせんとな」
「いいよ、寒くないもん」
「だが、風邪を引いてしまうかもしれないぞ?」
「子供は風邪の子っておばちゃんが言ってたよ?」
フラフの町で聞いたのだろう。
「わたしはおかあさんの子供なのにね」と付け加えていた。
モーゼフはナリアの頭を撫でてやる。
いつでも、モーゼフの渡した『ゆーふく』はカバンの中に入っている。
それはナリアとの繋がりを表す物であり、どこにいてもナリアの居場所は分かる。
そしてもう一つ――ナリアはエリシアとお揃いの髪飾りを付けていた。
すっかり気に入ったらしく、いつも髪に付けているが、時折外して眺めている。
これにも、モーゼフが二人を守るためのちょっとしたまじないを施していた。
「ナリア、お前さんはどこか行きたいところとかないのか?」
「行きたいところ?」
「うむ。お前さんはわしとの約束を守ってくれているからの。どこでも連れて行ってやるぞ」
「うーん……海とか見たことないから行ってみたいけど、一番はおかあさんのところかな」
ナリアがそう答えた。
旅だった――そう教えられているナリアはまだ、この世界のどこかに母がいると思っている。
はっきりと行きたいと答えるのは珍しい事だったが。
「お前さんの母さんのところには、いつか行く事ができるじゃろう。でも、それは今ではないの」
「そうなの?」
「うむ。お前さんが長生きして、色々な経験をしてからじゃ。目一杯楽しい思い出を話してやれるようにしておくんじゃよ」
「そうなんだ……わかった! わたし、おかあさんにいっぱい楽しい事話せるようにしておくね!」
ナリアが笑顔で答え、モーゼフが頷く。
モーゼフは懐から骨の欠片を一つ取り出して、ナリアに手渡した。
「良い子にはわしから『ゆーふく』をお裾分けしてあげよう」
「いいの? モーゼフの分はなくならない?」
ここのところ、ナリアの方から要求してくる事はなくなってきたと思っていたが、どうやらモーゼフの事を心配していたようだった。
「わしの分をお前さんに分けたところでなくならんよ。お前さんが『ゆーふく』になれば、わしもその分『ゆーふく』になれるからの」
「そうなんだっ! じゃあ、わたしはもっと『ゆーふく』になれるようにするっ」
ナリアはそう言いながら、モーゼフから手渡された欠片をカバンへとしまった。
母のところへは連れていく事はできないが、ナリアを海へ連れて行く約束をした。
明日の戦いが終わり、また平和な日々が戻ったら必ず連れて行ってやろうとモーゼフは心の中で誓うのだった。




