69.少女の気持ち
エリシアとナリア、そしてフィールの三人は数十カ所目にあたる王国の観光地に来ていた。
ただ、ナリアが疲れを見せ始めたため、今はベンチに座って休んでいるところだった。
「すみません……百選なんてやっぱり多すぎましたよね……」
「いえ、まだまだ回れるところがあると思うと楽しみですよ。ね、ナリア」
「うんっ」
エリシアが問いかけると、疲れていても元気に頷くナリア。
フィールはエリシアたちのために色々用意してくれたのだ。
落ち込む様子を見せるフィールに、精いっぱい楽しめたという気持ちを伝える。
「ありがとうございます。二人はお優しいですね……。きっと女神様の加護がありますよ」
「女神様、ですか? 私、あまり詳しくなくて……」
「詳しくある必要はありません。信仰とは人それぞれですから、無理強いするようなことはありませんよ。エルフには信仰する神のような存在はいらっしゃらないのですか?」
「ごめんなさい、私とナリアはあまり集落との関わりもなかったので……」
「あっ、そうなのですね。ついついそういう話には興味が出てしまって」
「いえ、大丈夫です。神様とかよく分からないですけど、私たちにはモーゼフ様とヴォルボラ様がいてくれますから」
《大賢者》と呼ばれたという老人――そして、現在はリッチであるモーゼフ。
《赤竜》と呼ばれた巨体を持つドラゴンのヴォルボラ。
思い返してみれば、一緒にいてくれる二人は普通では関わり合いになるようなこともない者たちだった。
森の中でモーゼフと出会えたことは幸運だと言える。
それこそ、神様がいるのなら出会わせてくれたのかもしれないとエリシアは考えた。
「モーゼフもヴォルボラもやさしいよ。わたし、二人ともだいすきっ。でも、おねえちゃんが一番すきだよっ」
「ふふっ、そうね。私もナリアが一番大事よ」
笑顔で言うナリアの頭を、エリシアは優しく撫でながら答える。
気持ちよさそうに目を瞑るナリアを見ていると、今はとても幸せだということに気付いた。
「フィールさんとも、私は出会えてよかったと思っています。私には友達と呼べる人は、ヴォルボラ様しかいませんでしたから」
ヴォルボラのことを友達と言いきってしまってもいいのか、とエリシアは悩んだこともある。
けれど、エリシアから言い出してそれを受け入れてもらったのだから、とエリシアはヴォルボラのことを友達と呼ぶ。
ナリアのように誰とでも仲良くなれる性格ではないと、エリシアは思っていた。
「それは私の台詞ですよ。ここでは聖女様と呼ばれているので、幼い子供たちさえも私のことを聖女様と呼びます。ここでは私はフィールではないのですよ」
「今はフィールとしてここにいますけどね」と微笑みながら付け加えるフィール。
フィールにも色々と事情があるようだった。
そんなフィールの顔を覗き込むようにしながら、ナリアが問いかける。
「フィールはフィールじゃないの? 他にもフィールがいるの?」
「いえ、そういうことではなくて――いえ、そうですね。私は私ですよ」
「だよねっ」
フィールはナリアの言葉に納得したように頷いた。
ナリアは思ったことをそのまま口にする。
時々叱ることもあるけれど、ナリアの疑問はきっと間違った疑問ではないのだろう。
ただ、ナリアの疑問は直球すぎることが多い。
「フィールには好きな人いるの?」
「っ!? な、唐突ですね……」
ナリアの問いかけに、フィールは慌てたような仕草を見せた。
たった一言の問いかけだが、フィールの頬が紅潮しているのが分かる。
いつもなら、エリシアはナリアを注意するようなところだったが、
「あの、騎士様とか?」
エリシアも女の子だ。
そういう話に決して興味がないわけではない。
自分には関係のないことだと思いつつも、今後ナリアにそういう出会いがあった時の参考にしたいと考えていた。
「グ、グロウですか? あの人はち、違いますよ? 王国の騎士であって、聖女と呼ばれる私を護衛する仕事をしているだけですからっ」
「でも、二人ともいい感じだと思いますよ」
「そ、そうですか――じゃないですよ! あの人もうおじさんですよ? それに、聖女としての役割がある私にそのようなことは――」
「今はフィールとして、ですよね?」
フィールの言葉を遮るようにエリシアが問いかけると、フィールが言葉を詰まらせた。
何か言おうとして宙を仰ぎ、しばらくの沈黙のあとに小さくため息をついて答えた。
「内緒、ですよ?」
「はいっ」
「うんっ、いわない」
頷く二人に対して、フィールは呟くように話し始めた。
「グロウは、その……雑な性格ですし。騎士なのに騎士らしくないんですよ。私のことも聖女だと知っていてあの態度ですから。けど、何て言えばいいのでしょうね……」
「壁がない感じがいい、とかでしょうか?」
「そ、そうなるのですかね……? 本当はよく分からないのですけど――大事な人だとは思います」
そう言いきったフィールの表情は穏やかだった。
仕事上の関係よりも、深い絆があるのだろうとエリシアは感じていた。
エリシアがモーゼフに抱く気持ちはフィールのものとは違う。
モーゼフはきっとエリシアのことを孫のように考えているだろうし、エリシアもモーゼフのことは祖父のように思っている。
その関係はこれからも変わることはないだろう。
「何て言うか、やっぱり言うと恥ずかしいですね……」
照れ笑いを浮かべて、頬をかきながらフィールは俯いた。
エリシアはフィールの手を握ると、小さく頷く。
「私は応援しますから」
「わたしもっ」
「お、応援って……そういうのじゃないですって!」
エリシアたちはその後も、観光することを忘れてフィールの話で盛り上がっていたのだった。
***
ヴォルボラは王都の外れの方にある《古びた時計塔》へとやってきていた。
すでに時計としての役割はしておらず、周辺にもあまり人通りのない場所だ。
けれど、そういうことを趣があるとして楽しむ人々はいる。
ヴォルボラには分からない感性だった。
ただ高いところに登って、太陽の光を浴びながらゆっくりすることがヴォルボラにとっては気持ちの良いことだったからだ。
「ふわぁ……」
小さく欠伸をしながら、ごろんとヴォルボラは寝転がる。
自然とスカートに隠れた尻尾がゆらゆらと動く。
人がいないところでは無理に隠す必要もない。
ヴォルボラは思いっきり羽を伸ばしていた。
それこそ、翼を生やせばぐんっと広げてしまうほどにはリラックスしていた。
「ここはいい場所だな」
都をよく見渡すこともできる。
景色に興味があるわけではなかったが、悪くないものだとヴォルボラは感じていた。
そんな風にゆっくりしているところに、邪魔が入ることにヴォルボラは苛立ちを隠せない。
「……誰だ」
「いや、申し訳ない。隠れるつもりはなかったのだよ」
柱の陰から一人の男が現れた。
長めの黒い髪に、普通よりもやや細い体形。
特に目立つような格好でもなく、シャツにコートを羽織っているような姿だった。
「俺もここからの景色が好きでね。まさか先客がいるとは思わなかった」
「そうか。邪魔したのはこちらだったか」
「いやいや、景色というのは誰の物でもないよ」
男はそう言いながらヴォルボラから少し離れたところで王都を見渡す。
突然現れた相手に、ヴォルボラは咄嗟に身体を起こして尻尾を隠す。
スカートに隠れていても、動いていると目立つからだ。
「妹にも見せてやりたいのだが、なかなか俺の言うことを聞いてくれなくてね――っと、すまないね。出会ったばかりで愚痴のようなことを」
「別に構わない。我も聞き流すからな」
「はははっ、そう言ってもらえるとありがたい」
互いにそこまで干渉するつもりもなく、ゆったりとした時間が過ぎていく。
男はしばし景色を見たあとに、小さく何か呟いた。
「なるほど、間違いないようだ」
「……?」
「ああ、こちらの話だよ。邪魔したね」
男はそう言いながら軽く会釈をするとその場を去っていく。
しばらくしてからヴォルボラは起き上がって、去って行った男の姿を上から確認する。
特に怪しい動きはないが、ヴォルボラはこういったことには鼻が利く。
隠そうにも隠しきれないものがあるからだ。
「……どうやら釣れたようだな」
ヴォルボラは静かにそう呟いたのだった。