60.病を倒すための
エリシアは下半身の妙な感覚で目を覚ました。
すっかりと眠っていてしまっていたらしく、気がつくと外の夕日によって部屋は染まっていた。
身体のだるさは幾分軽くなり、十分に動けそうだった。
エリシアの視線の先――違和感の正体はヴォルボラだった。
ベッドの下の方から上半身を突っ込んで、尻尾がふりふりと揺れているのが見える。
「あ、あの、ヴォルボラ様」
「むっ、目を覚ましたか」
スッとヴォルボラが上半身を起こす。
夕焼けのせいか、少しだけ頬が染まっているように見え――
「あら、お酒のにおいが……」
「ああ、すまない。エリシアがこんな状態だというのに、どうしても飲む必要が出てしまってな」
申し訳なさそうな表情をするヴォルボラに、エリシアは首を横に振る。
「いえ、私のことなどお気になさらないでください。あ、あと、ちょっとお肌が……」
ヴォルボラの服ははだけていた。
エリシアの寝ているところに潜ってきたからか分からないが、同姓であるにも拘らず心臓の鼓動が高鳴る。
だが、そんなヴォルボラが手に持っていたものに、エリシアはまた違和感を覚える。
「ヴォルボラ様、それは?」
「ネギだ」
「ネギ……?」
「病によく効くと聞いてな。これを買ってもらうのに少々酒に付き合ったのだ。最後はネギを買うから許してくれ、と謝られたがな」
「そ、そうなんですか」
一体何があったんだろう――エリシアの知らないところで、色々なことがあったようだった。
それでも、ヴォルボラはエリシアのためにネギを持ってきてくれたという事実がある。
それだけで嬉しい気持ちになった。
「ありがとうござい――って、何をしてるんですか!?」
「ん、だから早く治るように尻に……」
「そ、そこはダメです!」
ヴォルボラは無理やりエリシアの股を無理やり開こうとしているのを慌てて止める。
ヴォルボラが本気ならばエリシアには止めることはできなかったが、幸いにもヴォルボラはエリシアの言う事を聞いてくれる。
きょとんとした表情でエリシアに向き直る。
「なぜだ」
「な、なぜって……た、食べ物ですし?」
「いや、内蔵に直接与えることは悪いことではないと聞いた」
「そ、それでもダメですっ。きっと何かの間違いですからっ」
「なに? 間違いなのか?」
ヴォルボラが問うと、エリシアは全力で首を縦に振る。
そうしないと、自分の貞操の危機が迫ることになるからだ。
「あいつらめ……次に会ったらネギ突っ込んでやる」
エリシアの『間違い』という言葉に反応して、ヴォルボラは目つきを鋭くそんなことを言う。
エリシアがあれこれ言い訳をすると、ヴォルボラは首をかしげつつも納得したようだった。
「それぞれの伝統か。確かに生活環境によって変わってくるな」
(な、何とか納得してもらえてよかった)
そうして、ポリポリとネギを食べ始めるヴォルボラ。
ナリアがホリィと一緒に作っている料理にもネギは入っているとのことだった。
そこへ、モーゼフもやってくる。
「顔色は悪くないようじゃの」
「モーゼフ様、ご心配をおかけしました」
「まだ安静にしなければならんぞ」
「はい。もう少し寝ていようかと」
「それがいい。おっと、その前にじゃ」
モーゼフが液体の入った器をエリシアに差し出す。
「これは?」
「わしの煎じた秘薬じゃ」
「ひ、秘薬ですか?」
その言葉に、エリシアは息をのむ。
モーゼフほどの魔導師が作った秘薬――どれほどのものなのだろう、と中身を覗いてみる。
深緑、そう表現するのが正しいだろうか。
濁っているのに濁っていない。
濃い色なのに澄んでいる。
そんな表現の難しい色をしていて、みずみずしいようでドロドロしている。
秘薬というものはこういうものなのか、とエリシアは驚きを隠せない。
エリシアは極力失礼のないように問いかけるつもりだったが、
「こ、これは飲み物、ですよね?」
「毒じゃないのか?」
それは無理な話だった。
ヴォルボラはもはや悪口のような疑いをかける。
エリシアの問いに、モーゼフはいつも通りの笑顔で答える。
「いやいや、立派な薬じゃよ。飲んでみなさい」
「は、はい」
エリシアは好き嫌いをしないタイプだ。
妹のナリアの手前、というのもある。
妹にも好き嫌いをしないようにさせるため、エリシアは何でも食べるようにしていた。
もちろん、嫌いなものがないわけではない。
実を言えば苦いものは嫌いだった。
野菜類でも苦みのあるものは多いが、ナリアにも食べてもらうためにエリシアはがんばっている。
目の前に出された秘薬はまごうことなき『苦み』を圧縮したようなものだった。
匂いから苦い、見た目から苦い。
エリシアの表情から何かを読みとったのか、
「ふむ……もう少し見た目や味にもこだわるべきだったかのぅ。数種類の薬草を配合したものだったが……味見はできんからのぅ」
モーゼフの声のトーンだけで分かってしまう。
少しがっかりしているということが。
エリシアは慌ててそれを否定する。
「い、いえ! 私のために作ってもらっただけでも嬉しくて、その、飲むのがもったいなかったんですっ」
「ほっほっ、無理はせんでもいいぞ」
「大丈夫――じゃなくてっ! い、いただきますっ」
エリシアは勢いのまま、深緑の秘薬を口にする。
「んっ!?」
とろりとした液体が発したのは強い苦み。
葉っぱの味がものすごく強い。
口の中に広がる森の味――そこから舌を抉るような苦みがまたやってくる。
若干の辛さがより葉の感じを強めていた。
喉を通って胃に液体が入ると、そこから広がる温かさがあった。
強烈な苦みはあるけれど、後味はそこまで残らない。
不思議な感覚だった。
「エリシア、無事か? ネギ食べるか?」
「い、いえ。苦みはすごいですけど、何か癖になる味というか……」
「ほう、それは興味深いのぅ」
エリシアの言葉に、モーゼフは何か考えるような仕草を見せる。
中身については問題ないとはいえ、味は一切分かっていないようだった。
モーゼフはエリシアの言葉を聞いて、何かメモを書き始める。
「数種の薬草を配合したものは一種の茶のようなものになるのか……? 互いの味で打ち消し合っているのか――おっと、それで身体の方は温まってきたかの?」
「はい。なんだかすごくポカポカしてきました」
「ほっほっ、それはよかった。元々高い抵抗力をさらに高める効能もあるからの」
「この辺りじゃ見ない薬草も使っているみたいですけど……」
「おお、分かるか?」
「はい、なんとなくですけど。でも、どこまで行っていらしたんですか?」
「なぁに、昔の知り合いにもついでに会いに行ったようなものじゃ」
「モーゼフ様の、お友達ですか?」
エリシアが尋ねると、モーゼフは少し驚いたような表情をしたが、すぐにいつも通りの笑顔を浮かべ、
「そうじゃな。友人じゃよ」
「でしたら、今度私もご挨拶したいです」
「ほっほっ、機会があればのぅ」
モーゼフにつられて、エリシアも笑う。
モーゼフの知り合いだという人ならば、ぜひとも会ってみたいとエリシアは思っていた。
「おねえちゃんっ! 起きたの!?」
そのとき大きな声と共に、ナリアがスープを持ってやってくる。
走ってきたようだが、ナリアはバランス感覚がいい。
スープをこぼすこともなく、こちらまで持ってきたようだ。
ただ、エリシアは少しだけ注意する。
「こら、こぼしたら大変よ」
「あ、ごめんなさい……」
しゅんとするナリアを手招きで呼ぶと、エリシアは優しく抱き寄せる。
「でも、ありがとうね。私のために作ってくれたんでしょう?」
「うんっ」
「我のネギも入っているな」
「ふふっ、ヴォルボラ様もありがとうございます」
「気まぐれだ。気にするな」
エリシアはナリアの持ってきたスープを口にする。
いくつかの野菜にほぐした鳥の肉――シンプルな味付けだが、胃の中に染み渡る。
おいしい、そう自然と口に出た。
それを聞いて、ナリアの顔もほころぶ。
「んふー、いっぱい作ったからもっと食べてね」
「ええ、ナリアも自分の分を食べるのよ」
「うんっ」
「ほっほっ、どうやら本当に心配ないようじゃの」
「ああ」
「え、本当に?」
エリシアが問い返すと、モーゼフとヴォルボラは「何でもない」と首を横に振った。
エリシアは疑問に思いながらも、ナリアが作ってくれた食事を噛みしめる。
明日からまたがんばれる――エリシアはそう思った。
ほんの数時間前に、慌てて帰ってきたモーゼフとヴォルボラだったが、町医者の「単なる風邪」という結論を聞いてようやく落ち着いたのだということを、エリシアは知ることはない。