59.地竜
モーゼフはナリアが町を離れたことに気付いていた。
そして、勇気を持って行動しているということにも。
モーゼフの一部をナリアが持っている。
『ゆーふく』の証――それがある限り、ナリアに危険が及ぶことはないだろう。
そしてもう一つ、ナリアを守る存在がいる。
あるトリガーによってその封印は解かれることになる。
まだ半分にも満たないだろうが、大分解けかけていることにもモーゼフは理解していた。
「ほっほっ、ナリアが頑張っているのなら、わしも頑張らんとのぅ」
すでにいくつか薬草は手に入れている。
あと一種類ほど手に入れる――そう思い、モーゼフは森の中を進んでいた。
目の前には、鋭い鎌のような腕を持った蟷螂型の大きい魔物がいた。
モーゼフの魔法によって、木の根がその動きを縛り付けている。
だが、それに構わずギリギリと動きを続ける。
神域と呼ばれるところでも奥地になるほど、モーゼフほどの魔導師でも威嚇するだけでは相手は引き下がらなくなる。
昆虫の魔物は高い再生能力を持つ者が多い。
「やむを得んか」
モーゼフはそう呟くと、魔力を高めた。
モーゼフの周囲の空間にいくつか火球が出現する。
それは音を上げて高速回転し、勢いよく蟷螂型の魔物へと飛んでいく。
身体を貫きながら燃やす――再生を許さない攻撃だった。
「ぬははっ、腕は落ちていないようだな」
蟷螂型の魔物が動きを止めた頃、モーゼフの頭部にウリ坊が落ちてくる。
声も何もかもがミニマムになったレグナグルだ。
もちろん、これは本体ではない。
彼の分身のようなもので、戦闘力も高くはない。
単純にモーゼフの戦うところ見学するのが目的だった。
「大分衰えたと思うがのぅ」
「抜かせ。死んでから強くなったか?」
「ほっほっ、どうじゃろうか」
そんな会話をしながら、モーゼフは再び歩き出す。
ほとんど休む間もなく戦いを続けていて、ようやく一息つくくらいだった。
非常に高い魔力を持つモーゼフでも、かなり魔力を消費している。
それでも疲れを見せることはなく、モーゼフは早々に帰ることを目的としていた。
「残り一つで帰るのか?」
「そうじゃの。頃合いじゃろうて」
「ぬははっ、ならば最後は全力で戦ってはどうだ?」
レグナグルは笑いながら、そんな提案をする。
だが、モーゼフは首を小さく横に振る。
「無駄に力は使う気はないぞ」
「無駄なものか。早く戻るのならば、お前の力を全力で使った方がいい」
レグナグルの言う全力というのは、まさにレグナグルと戦ったときのことを言っているのだろう。
戦う意思は見せなくとも、純粋な強者には興味を示す。
モーゼフもこの神域の長に気に入られ、評価を受けているということだ。
「わしが力を振るうと決めたのは――」
モーゼフがレグナグルに話そうとしたときだった。
木々を押し倒しながら、一体の魔物が現れる。
柔らかい布でもはらうかのようだった。
太く大きな腕と、二本の大きくて鋭い牙。
四本足で地面を歩くその魔物の名は《地竜》。
ヴォルボラと同じくドラゴン種に該当する存在だ。
「コロロロ……」
喉を鳴らしながら、大きな瞳でモーゼフを見下ろす。
ドラゴンの多くは知能が高く、会話は可能だ。
だが、このドラゴンは違う。
純粋な獣――そう呼んでもいいほどに自身の欲に忠実で、会話などする能力は持たない。
二足歩行の骨と、その頭のウリ坊。
二人を見た地竜は地面を抉りながら大きな腕を振るう。
「やはりそうなるか」
モーゼフは全ての魔物にやったように植物の根を操り、地竜を止めようとする。
だが、巻き付いた根はそのまま引っ張られ、地面を裂きながら勢いを殺さずに腕を振りかぶった。
モーゼフにその腕が直撃する――大地は割れ、周囲の大木が次々と倒れていく。
衝撃波だけで、遠くの葉が散っていくほどだった。
「ほっほっ、レグナグルの言う通りのようじゃな」
モーゼフの声が響く。
地竜の頭部に、モーゼフは立っていた。
地竜はすぐに身体を振るい、モーゼフを落とそうとする。
ふわりと身体を回転させながら、モーゼフは地面へと降り立った。
地竜がそのままの勢いで、尻尾を振るう。
その勢いで木々は上半分を吹き飛ばされ、衝撃波が遠くまで飛んでいく。
だが、それもモーゼフに当たることはない。
トンッとなぎ倒された木々の上にモーゼフは立った。
「ぬははっ、生まれながらの強者――ドラゴンは恐れを知らぬ」
「その言葉の意味を知ることができるのは人だけじゃからの。魔物達が感じるのは本能じゃ。レグナグル、お前さんも恐れを知らぬ存在じゃろう?」
「その通りだな。私は死も恐れない。そういう意味では、お前もそうではないか」
「……そうじゃの。だが、先ほども言ったはずじゃ」
モーゼフの周囲に再び球体が出現する。
今度は火球ではない。
黒く渦を巻く、魔力の塊。
空間を飲み込むように、漆黒の玉はゆっくりと地竜の方へと進んでいく。
「わしは失うことには恐れを感じる。さて、もう時間をかけるのはやめじゃ。そのかわり――わしがお前さんにも分かるように教えてやろう」
モーゼフの声はいつものように温和なものではなく、底冷えするに低かった。
「ッ!」
先ほどまで迷わずに攻撃を仕掛けていた地竜が、初めて回避の行動をとった。
大きな身体で地面を蹴り、衝撃を生み出しながら右へ飛ぶ。
この塊はまずい――そう直感したのだろう。
「それが恐れというものじゃ」
ピタリとモーゼフの手が地竜の身体に触れる。
地竜の着地と同時――モーゼフの掌に魔力が集中する。
「《マッド・スピア》」
地竜の身体を、一筋の黒い影が貫く。
すぐに見えなくなったそれは、上級の闇魔法。
超高速で放たれる魔力は回避を許さない。
地竜の大きさならば、その程度の攻撃ではまだ致命傷にはならない。
だが、一瞬でも隙が出来れば十分だった。
ふわりと、先ほどモーゼフが放った球体がすでに、地竜に迫っていたのだから。
「――」
地竜は声を上げる間もなく、その球体に吸い込まれていく。
そして、小さな破裂音とともに、地竜は跡形もなく姿を消した。
黒点。
触れたものを球体に閉じ込め、圧縮する上級魔法。
高い魔力を持つ者であれば抵抗し、脱出することもできるだろう。
だが、モーゼフほどの魔力を持つ者が使えば、そこから逃げ出すことはほぼ不可能に近い。
唯一のネックといえば、モーゼフが本気を出せば周囲の者まで巻き込んでしまうことだった。
だからこそ、モーゼフが最も多く使用する土の魔法は、力だけが全てではないと考えるモーゼフの意思表示でもあった。
「ぬははっ、見事であった」
気がつけば姿を消していたレグナグルが再び頭部へと舞いおりる。
本体ではないとはいえ巻き込まれて消滅してしまう可能性もあったが、そんなことも気にしないといった様子だ。
「だが、闇の魔法とは珍しいものを使ったな」
「大地の魔法は強く使えば地面を抉ってしまう。火の魔法は周囲を焼き払い、風の魔法は全てを吹き飛し、水の魔法はこの場の者たちを飲み込んでしまう」
「薬草のことが心配だったか?」
「それが目的じゃからのぅ」
倒された木々の中――まるでそこだけは何も起こっていないというように、いくつかの植物が生えていた。
モーゼフが木の根の結界を張っていたから、傷つかずに残っていたのだった。
「ほっほっ、それでは帰るとするかのぅ」
モーゼフは薬草を摘むと、いつものように笑う。
先ほどまでドラゴンと戦っていたのが嘘であるかのように、モーゼフはふわりと身体を浮かせて、早々に森の入口の方へと向かっていった。




