58.地鳥狩り
フラフの町から少し離れた草原――《レギル草原》はとても静かな場所だった。
出現する魔物の多くは大人しいものばかりで、モーゼフとエリシアもここでよく魔法の訓練をしていた。
奥の方まではナリアもいったことはなかったが、手前付近までなら来たことはある。
目当ての《地鳥》はもう少し奥地に棲息している。
「よし、それじゃあ行くとしようか」
「うんっ」
ホリィの言葉にナリアは元気よく返事をする。
いつも可愛いらしい魔物を見つければ近寄って遊ぶナリアだったが、今日はそんなことはしなかった。
小さな魔物達には目もくれず、ホリィにしっかりと付いていく。
多くの冒険者が利用するからか、道のようなものもできている。
ナリアでも十分に歩きやすい道だった。
削られた岩は椅子のようになっているところもあり、休むこともできる。
比較的安全で知られている。
ただ、凶暴な魔物もいないわけではないという。
「ここには大人しい魔物が多い分、それを狙うような輩も出ることがあるからね」
「もし出会ったらどうしたらいいの?」
「あたしが食い止めるから、あんたはすぐに町の方に逃げるんだよ」
「え、でもおばちゃんは……?」
「あたしの心配は必要ないさ。あんたはあんたの心配をしな」
ホリィにそう言われ、ナリアは小さく頷く。
そういう状況になったとき、ナリアはただの足手まといでしかない。
心のどこかでは少し理解していた。
ぎゅっと首元に提げた赤い石を握り、カバンの方にも手をかける。
どちらもモーゼフからもらった『お守り』と『ゆーふく』の証――これがあれば、ナリアは強くなれる気がした。
ホリィとナリアはしばらく草原を進んでいく。
遮る物のない場所では風が心地よく、ナリアの緊張を和らげてくれる。
ある程度まで進んだところで、ホリィが不意に足を止めた。
「いたよ」
「えっ、どこ?」
「しっ、今はまだ大きな声を出すんじゃないよ」
ホリィに言われ、ナリアは手で口を塞いで頷く。
草原の葉は気がつくとナリアの首元くらいまでの高さがあり、先の方まで見ることができなかった。
ナリアは草をかき分けて、視界を確保する。
その先には、灰色の羽毛を持つ丸い鳥が座っていた。
眠るように目を瞑って、こちらには気づいていないようだった。
他にも数羽近くにいるのが見える。
ホリィ曰く、狙うのは一匹で十分とのことだった。
「あの寝ているやつが丁度いいね」
「うん、分かった」
ナリアは頷く。
ホリィから、ナリアにも指示があった。
二人で挟み込むように回り込み、ナリアが反対側から声を上げる。
そうすることで、地鳥は驚いてホリィの方へと進んでくる。
一般的な狩りの手法――ナリアは以前にエリシアに頼まれて、同じようなことをしたことを思い出す。
そうして、作戦は開始された。
元々背の低いナリアはほとんど屈まずに移動を開始する。
反対側のホリィは屈んで移動しているが、動く背中が目に入る。
ホリィもまだ近くにいるとはいえ、狩りをするために魔物に近づいていく――そんな経験は初めてだった。
ドキリと心臓が高鳴るのを感じる。
「……」
それでも、何とかナリアは配置についた。
ホリィの手の合図で声を出すことになっている。
ターゲットの地鳥は相変わらず目を瞑っている。
周囲の地鳥はナリアの存在に気付いているようだが、警戒に値しないと思っているのか、動く気配はない。
一方、ホリィの方には気づいていないようだった。
そんなホリィが手を挙げて、合図をする。
ナリアが声を出す瞬間だった。
「――っ」
(声が……)
ナリアは声を出そうとしているのに、出なかった。
いよいよだというときに、緊張して声が出せなかったのだ。
こんな風に感じるのも初めてで、ナリアはどうしていいか分からなかった。
ホリィは一度手を下げて、再び合図を送ってくる。
それでもナリアは声を出せない。
(ど、どうして……っ!)
泣き出しそうになってしまうのをこらえ、ナリアは必死に声を出そうとする。
今できなくては何も意味がない。
ナリアは手を握りしめる。
泣いている場合じゃない――いや、それでもいい。
(泣いたっていいもん。声、出ればいいんだからっ)
ナリアはモーゼフからもらったお守りと『ゆーふく』を再び握りしめ、目を瞑って叫んだ。
この二つが、ナリアに勇気をくれる。
エリシアのために、ナリアは大きく息を吸った。
「わあああああああっ!」
力いっぱいの声に、多くの地鳥がビクリと身体を震わせて、ナリアとは反対側に動き出す。
眠っていた地鳥も目を覚ますと、仲間に遅れて動きだした。
さっとホリィが姿を現して、斧を振るう。
――それは一瞬だった。
(やった……?)
ナリアには斧を振るった後まではよく見えていなかった。
けれど、ホリィの表情を見て確信する。
笑顔のホリィに、ナリアも笑い返して――
「ナリアッ!」
ホリィの声が耳に届いた。
今度は焦りの表情でこちらに向かってくる。
ナリアが後ろを振り返ると、そこにいたのは巨体の魔物だった。
実際には、ホリィよりも小さいくらいだ。
だが、ナリアにとっては大きな魔物だった。
ナリアは驚き、そして目を瞑る。
鋭い爪と牙を持つ熊の魔物は、ナリアに向かって攻撃を仕掛ける――ことはなかった。
ナリアの周囲を、黒い影が蠢いていた。
「……?」
ゆっくりと目を開くと、魔物はナリアから離れていた。
それも振り返ることもなく、慌てた様子で去っていく。
何が起こったのか、ナリアにはまったく分からなかった。
「まったく、困ったものだよ――」
「え?」
男の声が、どこからか聞こえた気がした。
ナリアが周囲を見渡すが、こちらに近づいてくるホリィの姿しかない。
ただの空耳なのか――声の主は誰か分からなかった。
「大丈夫だったかい!?」
「う、うん」
ナリアの無事を確認して、ホリィは大きく息を吐く。
ナリアの頭を優しくぽんぽん、と叩きながら安堵の表情を浮かべる。
危険な魔物が出る可能性はあると言っていたが、こんなタイミングで出るとは思わなかったのだろう。
「いい声だったけどね。逆にそれに反応しちまったんだろう。けど、隠れて近づいてきた癖に何もせずに帰るなんて、どういうつもりだったんだが……」
ホリィは去っていく魔物を不思議に見つめる。
ナリアは呟くように言った。
「声、聞こえたの」
「ん、何だって?」
「……ううん、何でもない」
ホリィに対して首を横に振って答える。
ちらりとナリアは赤い石を見た。
いつも通り深紅の輝きを放つそれが喋ることはない。
けれど、ナリアには何となく分かっていた。
このお守りが、ナリアを守ってくれているのだと。
「ありがとっ」
ナリアは小さな声で石に声をかける。
これもいつも通り、赤く輝いた石が答えることはなかった。
ナリアは無事、食材を手に入れることができた。