49.自身の役目
距離を取ったグロウは再び構える。
グロウの持つ武具――かつて聖職を務めたものが死の間際に自身の身体を一つの魔法と化し、その骨を材料として作り出された《聖骸武装》と呼ばれるものだ。
聖骸斧――この斧は通常形態では使用することはできない。
一定以上の魔力を常に流し込むことで初めて動き始め、まるで生きているかのように力を振るう。
グロウは高い魔力を持ち、なおかつ重ねた修行の成果によってそれを振るうことができた。
斧が噴き出す魔力は常に浄化の力を持ち、対アンデッドには高い効果が出る。
アンデッドの類は多くは結局のところ、魔力の塊のような魂が定着してその場に存在しているような状態だ。
魔法による攻撃も通すことはできる。
最も、下位のアンデッドならばそれほど気にする必要もなく骨でも身体があるのならば、それを破壊すれば動けなくなりやがて消滅する。
(ま、このお方にそれを期待するのは無理な話だ)
構えるグロウに対して、モーゼフは動かない。
モーゼフから攻撃をしようという姿勢は感じ取れなかった。
後方で待機するフィールもそれを不自然に思う。
フィール達はモーゼフを葬ると言っている。
明らかに敵対をする意思を見せたにも関わらず、モーゼフは戦おうとしているようには見えなかった。
動かないというのであれば、浄化の魔法を発動する――事がそう単純であればどれだけよかっただろう。
「ふっ――」
フィールは小さく息をはいた。
それは周囲には聞こえないほど小さな呼吸。
緊張からくるものだった。
動かないにしても、相手はアンデッドの最上位であるリッチだ。
モーゼフからは一部の隙も感じられない。
むしろ、下手にフィールが動けば負けてしまうと思わされてしまうほどだった。
だからこそ、グロウが制圧をしたあとにフィールが動く。
フィール以上に圧がかかっているはずのグロウの表情は冷静だった。
しばらく、無言のままモーゼフとグロウが向き合う形となる。
(動かねえか……。動かねえなら、こっちから行くしかねえな)
グッとグロウが足に力を込め、再び地面を蹴る。
それと同時にモーゼフがわずかに手首を動かした。
グロウが斧を振るう。
ブォンと鈍い音が空を切る。
斧にも使い方はある。
自身を軸にして遠心力を利用した攻撃が最も負担の少ない使い方だ。
もちろん、その斧を振るう力があることは前提ではあるが、まともに扱えれば盾や鎧では防げない。
魔物に対してもその破壊力は存分に発揮できる。
ただ、グロウは力でそれを振るっていた。
振るうことができる力があるのであれば、それはさらに強力な武器となる。
モーゼフめがけて振るわれた斧は、モーゼフに届くことはなかった。
大地を割りながら、太い木の根が出現し、モーゼフを守るように覆った。
ミキッと斧の刃がめり込む音はするが、それを砕くことはできない。
(切れねえ、だと?)
グロウが目を見開く。
太い木の根とはいえ、そもそも斧で切れないはずのものではない。
ドラゴンの硬い鱗だろうと、それを砕いて肉まで届かせる自信がグロウにはあった。
グロウは即座に、それが普通の木の根ではないということを理解する。
わずかに後方に下がり、グロウは反撃に備える。
だが、モーゼフはまたしても動かない。
しゅるしゅると木の根は地面へと戻っていく。
グロウはそれを見て、何かを理解したように呟いた。
「そういうことかい」
「ほっほっ、そういうことじゃ」
「グロウ……?」
心配そうなフィールの声に反応して、再びグロウが斧を振るう。
先ほどと同じように木の根が地面から生え、モーゼフを守る。
同じように防がれるが、今度はその場から退かない。
その場でグロウは斧を振り回し、モーゼフを守る木の根を削り取ろうとする。
だが、モーゼフには届かない。
周囲には削れた木の破片が舞うが、次々と根が生えてはモーゼフを守る。
このとき、後方にいたフィールにもそれが伝わった、
(抵抗しないというのですか……!?)
モーゼフに戦う気はない――それがはっきりとフィール達に伝わった。
一部の隙も見せない老人は、それだけの圧を発しながらも戦うつもりなどないというのだ。
フィールは拳を握りしめる。
自身の決意を、すべて否定されたような気がしたからだ。
「なぜ戦わねえ」
「戦う理由がないからじゃ」
グロウが動きを止めて、モーゼフに問いかける。
幾度も振るっただろう斧が地面に下ろされると、大地を割るほどの威力があった。
それだけの威力があっても、モーゼフまで攻撃を届かせることはできていない。
フィールにとっても、それは衝撃のことだった。
グロウという騎士が、戦わずして敗北したように見えたからだ。
「戦う理由がないですって? 今この状況でそれを言うのですか!」
今度はフィールが構える。
浄化の魔法は本来隙の大きな魔法だ。
当然、モーゼフに当たるとも思えない。
だが、フィールも我慢できなかった。
モーゼフの上方に出現した魔法陣。
モーゼフはそれでも、その場から動かない。
発動すればいくらモーゼフでもただでは済まないはずだった。
「……なぜ、避けないのですか?」
「同じ理由じゃ。わしにはお前さん達と戦う理由がないからじゃよ」
「なっ、まだそれを言うのですか!? 理由ならあるでしょう! 私達があなたを殲滅すると言っているのです!」
「それはお前さんの理由じゃろう。わしが戦う理由にはならんの」
「なに、を……」
「戦いたいというのはお前さん達の理由じゃ。わしは戦いたいとは思わない」
モーゼフの言葉に、フィールが言葉を詰まらせる。
フィール達がモーゼフと戦う理由は一つ。
アンデッドの最上位であるリッチを危険視している。
それを殲滅するためにこうして相対している。
アンデッドを浄化することが、その本人の救いにもなるはずだと考えてのことだ。
だが、目の前にいるアンデッドは敵意を見せず、危険であると思わせる点はない。
グロウの攻撃も防ぐほどの力を見せながら、それでも抵抗しないのは、圧倒的な力を持っているということを象徴している。
戦う理由はフィール達にはある、モーゼフにはない。
言われたことはそれだけだが、モーゼフがエリシア達を守ると言っていたことを思い出してしまう。
フィール達と戦うことは、エリシア達と守ることには繋がらないということだろう。
それだけで、敵対する相手と戦わないなどということがあるのだろうか。
「それで殲滅されても、か?」
フィールの疑念を、グロウが言葉にしてモーゼフに問いかける。
殲滅されても――それはあくまで可能性の話だ。
まともにやり合えばすでに敗北しているのはフィール達の方だ。
それを思わせるように、わずかに周囲の地面から木の根が姿を見せる。
それはフィールの周辺にも及んでいた。
「ほっほっ、やられるかどうかは別じゃがの。だが、戦う必要がないと思うのだから仕方のない」
再び、モーゼフを覆っていた木の根が地面へと戻っていく。
フィールの周辺にあったものも姿を消していった。
モーゼフは言葉を続ける。
「それにの。お前さんはきっとエリシアのよき友人になってくれると思っておる」
「……っ。私に友人など不要です! 私は、私は……!」
フィールが迷っているのは明白だった。
グロウがそれを見て、再び斧を振りかぶる。
モーゼフは、今度は本当に動かなかった。
モーゼフを守ろうとするものは出現しない。
その斧を振り下ろせば、今度こそモーゼフに届くだろう。
グロウもモーゼフも、その状態で動きを止めた。
「……グロウ? 何を……?」
「フィール、聞かせてくれ。あんたはどうしたい? 聖女としてではなく、あんた自身として、だ」
グロウの問いの意味を理解するのに、フィールは少し時間がかかった。
やがて、その言葉の意味を理解する。
今モーゼフと相対しているのは聖女としての役目を貫こうとしているだけではないか、という問いだ。
迷っているのは――本当はフィール自身がしたいことは別にあるのではないかという意味だ。
(そんなことが、あるはずない、です)
「グロウ――」
使命を貫く。
同じ言葉を再びフィールが言おうとしたときだった。
遠くから少女の声が耳に届く。
「モーゼフ様!」
「……っ?! グロウッ!」
フィールがグロウの名を叫んだ。
その言葉に呼応するように、グロウが動いた。




