43.温泉に入ろう
山間の麓にその町はあった。
《ホシル》と呼ばれるそこには同じ目的を持った人々が集まる。
冒険者だろうと貴族だろうと関係ない。
温泉という共通の目的がそこにはある。
二つの山からそれぞれ源泉が流れており、鉱物――たとえば魔石などを通じて流れた湯はそれぞれ別の効能を持つ。
美容から健康、中には入るだけで強くなれると噂される湯もあるとか。
だからこそここには定期的にやってくる者達もいる。
各地で立ち込める湯気が、その温泉の数を物語っていた。
「いっぱいあるねっ」
「ええ、そうね」
エリシアとナリアは町中を周るだけでも楽しそうにしていた。
そんな二人の姿を見守るのは老人の姿をしたモーゼフと、少女の姿をしたドラゴン。
モーゼフはいつものようにローブに身を包みながら、優しげな表情を浮かべている。
一方、赤髪に赤い瞳をした少女は憮然とした表情をしながらも、時折口元がゆるむことがあった。
「ほっほっ、楽しそうで何よりじゃな」
「……ああ」
「まだ目当てのものには入っていないんじゃがの」
「確かにそうだな。そういえば、泊まる場所は決めているのか?」
「山に近いところの宿が多くの種類の湯を引いているとか。その分多少値は張るが、まあいいじゃろう」
「金に代えられないもの、というやつだな」
「ほっほっ、そんなところじゃ」
そんな大層な話でもないのだが、ヴォルボラとモーゼフが話すといつも話が大きくなりやすかった。
リッチとドラゴン――魔族と魔物の上位種族に値する。
ドラゴンはどちらかと言えば魔族の類ではないかとも言われているが、人の姿を取る者は少ないので魔物と呼ばれる。
モーゼフに至っては生前と変わらない性格をしている。
「モーゼフ! ヴォルボラ! 早くいこっ」
「おお、待たせてすまんの」
ナリアに急かされ、四人は歩を進める。
町中には宿泊できる場所もそれなりにある。
理由としては当然温泉が目当てという者は多いが、この山間にも魔物は出没する。
冒険者としての仕事もここには存在しているのだ。
だからこそ、ここにはギルドも存在している。
温泉に隣接したギルドの施設では、冒険者が依頼に出る前や出た後に無料で入れる温泉を用意している。
それを目当てにここに滞在する冒険者も少なくはない。
「あの、モーゼフ様」
「ん、どうした」
エリシアがふとモーゼフに話しかける。
こういう話し方をするときは大体モーゼフに何かをお願いするときか、聞きにくいことがあるときだ。
モーゼフも何となく察する。
「ほっほっ、ここでは修行のことは忘れてはどうじゃ?」
「ですが……」
エリシアは向上心が高く、いつでも冒険者として強くなろうとすることを怠らない。
それはきっと、ヴォルボラとのこともあったからだろう。
ユースは冒険者としては非常に実力のある男だ。
あれと比べるのはまだまだ早すぎることだったが、吸血鬼やオリハルコンの冒険者に出会う機会はエリシアの焦りにも繋がっていた。
このままだとナリアにいい暮らしをさせるどころか、危険なことがあっても守りきれない、と。
そんなエリシアにも、モーゼフはいつもと変わらない口調で話す。
「いつでも向上心を持つことは良いことじゃよ。だが、今回は休み方というものをそろそろ学ぶ必要もあると思っての」
「休み方、ですか?」
「うむ。わしだってずっと魔法の練習を積んでいたわけではないからの」
「……はい」
モーゼフの言葉に頷くエリシアに、ヴォルボラが続ける。
「心配するな。いざという時は我がお前達を守ってやる」
「ヴォルボラ様……ありがとうございます」
「ほっほっ、ドラゴンの護衛とは頼もしいの。きっと世界中を探しても滅多に見られるものじゃないぞ」
「リッチの保護者もな」
「そうかもしれんの。エリシア、お前さんの気持ちもわかるが、もっと人に頼ることも覚えることじゃ。おっと、わしらは人ではなかったかの」
「その通りだ。我を人と同じにするな」
むすっとするヴォルボラだが、その姿は少し不機嫌そうな少女にしか見えない。
そんな二人のやり取りを見て、エリシアも思わず吹き出してしまう。
「ふふっ、お二方とも、ありがとうございます。私も目一杯ここで温泉を楽しみたいと思いますっ」
「ほっほっ、それでいいんじゃ。そのために来たんじゃからの」
「ならば、早く宿に向かって温泉に入るぞ」
そう言いながら、ヴォルボラはエリシアの手を引く。
どうやら、エリシアと温泉に入ることを一番楽しみにしていたのはヴォルボラのようだった。
モーゼフも後に続いて、ゆっくりと歩を進めた。
***
「おー、すっごく広い!」
宿に隣接する露天風呂――そこにナリア達の姿があった。
早足で温泉に入ろうとするナリアをエリシアが捕まえる。
「まずは身体を洗ってからね」
「つかまっちゃった……」
そんな二人をよそに、ヴォルボラもそそくさと温泉に入ろうとする。
「ヴォルボラ様もですよ」
「む、我も必要か?」
「当たり前です!」
「仕方ない……」
モーゼフの姿はここにはない。
男湯に行くのかと思ったが、宿に入ると山の方へと行くと言い残して姿を消してしまった。
温泉には入るつもりらしいが、どうやら宿の温泉よりも先に行きたい場所があるらしい。
ナリアも付いていきたいと言ったが、あまり人が入れる場所ではないとのことだった。
研究の一環だとモーゼフは言っていた。
お守りに持っていた赤い石は、脱衣所でヴォルボラが外させた。
「それは我が預かっておく」と言った後、そのままタオルに包んでしまったのだった。
「さ、こちらに座ってください」
「ああ……」
まずはヴォルボラの身体を洗うことにする。
人の姿になったばかりのときは身体の洗い方もいまいちだった。
ドラゴンのときは水浴びをして終わりというのは普通だったからだ。
今は自分自身で洗うこともできるが、エリシアにやってもらうことがヴォルボラにとっては楽しみの一つだった。
湯で軽くヴォルボラの身体を流す。
赤く長い髪も優しく手入れするようにして洗っていく。
ふと、ヴォルボラの腰の部分に目がいった。
いつもなら生えているはずの尻尾はそこにない。
モーゼフが魔法で隠してくれていた。
さすがに尻尾が目については目立ってしまう。
ただ、目には見えないだけでそこに尻尾があるという事実は変わらない。
ぺしぺし、と足に何かがあたるのだけは分かる。
「あの、ヴォルボラ様」
「なんだ」
「その、尻尾が足に当たってしまって……」
「っ! すまない。だが、今の状態では尻尾も我の意思で動いているわけではないのでな……」
「あ、いえ。ヴォルボラ様が気にしないのであれば大丈夫です」
ヴォルボラの言うことは事実だった。
尻尾はヴォルボラの意思に反して動く。
ただ、今動いている理由については、ヴォルボラは説明するつもりはなかった。
そんな風に動く見えない尻尾を、ナリアは見つめる。
目には見えないけれど、そこにはある。
それだけでナリアの興味は強くなっていた。
「じゃあ、わたしがとめてあげるっ」
「あっ――」
エリシアが止める前に、ナリアが尻尾のある部分を手で掴む。
ぎゅっと目には見えない何かがそこにあるのが分かった。
ナリアは「おー」と目を輝かせる。
「見えないのにあるっ!」
「こ、こらっ。離しなさい!」
「……いや、別に構わないが」
「え、でも……」
「ぷにぷにー」
ナリアが尻尾を握るたびに、ヴォルボラの眉が微妙に動いているが、それはエリシアからもナリアからも見えないことだった。
(ぷにぷにしてるんだ……)
エリシアもそれとなく気になってしまう。
ナリアは遠慮なく触ることができる性格をしているが、エリシアはそんな風に大胆な性格をしていない。
ヴォルボラの身体を洗いながらも、ちらりとナリアが見えない尻尾を持っていることを気にしていた。
「気になるなら触ってみるか」
「え? い、いいんですか?」
「……ああ。身体を洗ってもらっている礼だ。礼になるかは分からないが」
エリシアも尻尾を気にしていることにヴォルボラは気付いていた。
ふと、そんなことを言う。
エリシアは少し悩んだが、「せっかくなら……」とエリシアもヴォルボラの尻尾を触ることにした。
「し、失礼します」
「……」
(確かに柔らかい……。何かいいかも。けど、結構力強い?)
エリシアが触ってから、ヴォルボラの尻尾の動きは先ほどよりも大きくなっていた。
ただ、目には見えないからそれは誰にもわからない――
「わぁ、よく動くようになった!」
……はずだったのだが、ナリアの言葉でその事実は明るみになった。
ヴォルボラは特に何を言うわけでもなく、静かにその状況を受け入れていた。
「おやおや、最近の若い子は大胆だねぇ」
「そうさねぇ。新しい『すきんしっぷ』ってやつかねぇ」
そんな三人の姿は、傍から見るとお尻の付近を触っているようにしか見えていない。
温泉に入っていた老婆二人はそんなエリシア達の姿を見て、そんな感想を呟くのだった。




