40.試みること
死んでから夢を見ることはなくなった。
夜――そろそろ肌寒くも感じる季節だった。
月明かりが照らし出すのは、空を飛行する人陰だった。
ローブを風で揺らしながら――一体の骸骨は移動する。
骸骨の状態では表情は読み取れない――だが、骨を鳴らすその姿は上機嫌であった。
「ほっほっほっ!」
――モーゼフの日課のようなものだった。
それは、空を散歩すること。
無意味に空を飛んでいるわけではない。
モーゼフ自身の張った《大結界》の補強。
少なからず、結界を見たうえでちょっかいを出してくる者は存在する。
多少生じた綻びを直すには、その地点まで行って修復する方が早い。
何度も張り直すには目立ち過ぎる代物でもあるからだ。
エリシアとナリアには今、ヴォルボラも付いている。
現在は人の姿をしているが、元々はドラゴンだ。
二人を守るにはそれこそ十分過ぎるほどの存在だった。
ただ、人型になった彼女の戦闘力は少なからず落ちている状態ではある。
慣れない身体ということもあり、よく眠そうにしていることが多い。
(賑やかになってきたものじゃな)
エルフ二人と共に過ごして、それから色々とあった。
今はドラゴンと赤い石――吸血鬼がいる。
どちらもこの世界において上位に位置する存在だ。
吸血鬼は石のまま戻らない。
もちろん、モーゼフが封印を施しているからということもあるが、ひょっとすればいずれその封印は解けるかもしれない。
もう一つ言えば、死んでから魔導師の知り合いが一人増えている。
隠遁の能力に優れた魔導師で、真っ当に育てば十分まともな魔導師となるだろう。
成長で言えば、エリシアは第二段階へと入った。
魔法の応用編というところだ。
まだ始めたばかりだから、慣れるには時間がかかるだろうが。
(ほっほっ、これから楽しみじゃのう)
モーゼフにとって、彼女達の成長は単純に喜ばしいことだった。
ナリアも時折魔法の練習をする。
すでに魔法を使えるという段階まではきているが、いざ使うとなるとなかなか機会はないだろう。
エリシアとしても、ナリアには極力そういった生活を送らずとも暮らせるようにしたいという考えもあるようだ。
それはきっと、幼いナリアを心配する気持ちが大きいからだろうが、ナリアの性格を考えれば、姉と同じ道を歩むと考えるのが自然だ。
そうなったとき、魔法を使えるという点は十分メリットになる。
モーゼフにとって教えられることで最も大きなことといえば――やはり魔法だろう。
空を駆けるモーゼフは、今後のことを考えながら散歩をしていた。
夢を見るよりも、それは楽しいことだったからだ。
***
ヴォルボラの朝は早い。
エリシアとナリアに囲まれながら、小さな欠伸と共に目を覚ます。
ぼさぼさになった赤く長い髪をとかし、赤い瞳で外を見る。
身体の調子は大分よくなった。
ただ、人の姿にはまだ慣れていない。
外を出歩くときはいつも長めのスカートを履いている。
お尻から出ている尻尾を隠すためだ。
「ふぁ……」
また欠伸をする。
日中は短い睡眠を繰り返すことで、徐々に身体を慣れさせていた。
今日も日課である朝の散歩を実施する。
ヴォルボラは町中でも話題になっていた。
特に男達からは、エリシアとナリアというエルフに加えて赤髪という目立つ姿だ。
それに、人型である彼女は男達から見て魅力的であった、
話しかけられることも多いが、ヴォルボラの性格自体は温和な方とはいえドラゴンだ。
いざ話しかければ、鋭い眼光に晒されることになる。
その目つきにたじたじとなってしまう者が多い。
エリシアには笑顔の練習もした方がいいと言われ、日々鏡に向かって練習をしているところだった。
朝方に出会う人と言えば、畑仕事に出る者や、軒先でこれから散歩を始めようという老人が多い。
軽く挨拶をするくらいには、この町の生活にもなじみ始めている。
普段はエリシアと行動を共にする――と言いたいところだったが、エリシアは日々魔法の練習に励みながら、冒険者としての仕事をこなしている。
そういうときは、ヴォルボラは町で待機していた。
ドラゴンの観点からエリシアに教えてやれることは少なかったからだ。
ナリアやその友達のサヤを見守ったり、木陰で昼寝をしたり――自由気ままな生活を送っている。
(……あ)
ぴたりと歩みを止めて、ヴォルボラは考えた。
ドラゴンの姿で生活に困ったことはない。
自身で住処を探して、食事を取り、水浴びをして寝る――そんな好き勝手な日常が当たり前だからだ。
だが、それを今もしているのはいかがなものか、とふと考えた。
(これでは穀潰しというやつではないか……?)
特に働いているわけでもない。
ただ、エリシアの傍にいたいという気持ちで過ごしていた。
誰もそれに反対もしなかったし、今もこうして一緒にいることはできている。
しかし、この生活においてヴォルボラはどこまでもエリシアに甘えているという事実があった。
(我も畑仕事でもしてみる、か)
思い立つと行動が早い。
ヴォルボラは朝から畑の方へと向かっていく。
いきなり仕事をさせてほしいと言うつもりでやってきたが、ヴォルボラも慣れないことの連続で少し緊張していた。
「おや、君は確か……ヴォルボラさんだったかな」
「あ、ああ」
ヴォルボラという名はすでに知られている。
実のところ、最初は人の女性の名前のようではないと人前では偽名でいく話もあった。
だが、隠すようなことはしていないとヴォルボラはあくまで自身の名前を名乗ることにした。
エリシアが信頼してくれているのは、ヴォルボラというドラゴンなのだから、と。
「こんなところまでどうしたんだい?」
畑仕事をしていた男の言葉に、ヴォルボラは極力笑顔を向けて答えた。
「し、仕事とかないかと思って、な」
「……そ、それまたいきなりだね」
不器用な笑顔を向けられた男もまた、引きつった笑顔で答えることになったのだった。
大体十万文字ごとくらいに章区切りしていこうかと思っています。