37.二人の友
数年以上前のこと――ヴォルボラは森の中で身体を休めていた。
ドラゴンでも長時間飛行をする場合には休憩を必要とする。
ちょうどいい川辺を見つけて、木々からははみ出るくらいの大きな身体を横たわらせていた。
新しい住処を探して移動をしているところだった。
ドラゴンが住むにはなかなかにいい場所というものはない。
そんなことを考えていると、草木をかき分けてやってきたのは一人の少女だった。
肩までかかるくらいの栗色の髪。
ローブに身を包んだ姿は魔導師を彷彿とさせた。
「え!? ド、ドラゴン!?」
少女が目を見開いて驚く。
それはそうだろう。
森の中を散策していて、たまたまドラゴンを見つける可能性など、とんでもなく低確率で運のないことだろう
だが、ヴォルボラは元々温厚な性格のドラゴンだ。
放っておけばすぐにいなくなるだろうとヴォルボラは特に少女のことも気に留めなかった。
思った通り、ヴォルボラの姿を見た少女は驚いてすぐにその場からいなくなる。
もしも少女がドラゴンのことを伝えれば、今度はヴォルボラを討伐するためにやってくるかもしれない。
面倒事になる前には移動しよう――そう考えていると、
「……」
少女は戻ってきた。
ヴォルボラの様子をうかがうように、ちらりと少女がまた姿を現す。
「あ、あの……ドラゴンさん?」
「……何用だ、人間」
「こ、こんなところで何をしているんですかっ!」
「……なに?」
それが、ヴォルボラと魔導師エルン・フラベルの出会いだった。
出会った頃はぎこちない態度のエルンであったが、なぜかヴォルボラのところへは毎日やってきた。
森から出た村に住んでいるというエルンは冒険者であり、若くして魔導師としても優秀だった。
エルンは森の中を散策してヴォルボラを見つけたのではなく、森の中にいくつかの結界を張ることで、森の中の状況を監視していたという。
そこにヴォルボラがやってきたから、エルンは見に来たということだった。
それがドラゴンだとは思いもしなかったらしい。
目があったときに何となく大丈夫そうだと思った――そんな理由ともいえない理由でヴォルボラに話しかけたというエルンは、次第にヴォルボラとの交流で仲を深めていった。
「ヴォルボラさんはいつまでここにいるつもりですか?」
「さて、な。いい住処があればそこに行こうとは思う」
「ここもいいところですよ? 自然もいっぱいあるからっ」
「そうだな……だが、少し人が住む村が近い。お前がもしも冒険者として我と戦うというのなら、もっと人材を集めてくるんだな」
「そ、そんなことしませんよ!」
ヴォルボラにとっては、普通に人が接してくることが驚きだったのだ。
まだ、心の中では信じ切れていない部分があった。
そんなヴォルボラの言葉を、首を振って否定するエルン。
「大丈夫ですよっ。ヴォルボラさんはいいドラゴンですからっ! 私達も、いい友達になれると思いませんか!」
「友達……? おかしなことを言うな」
「おかしい、ですか?」
「ああ、おかしい」
「私はおかしくないと思いますっ! ヴォルボラさんとはこうして話せるんですからっ」
「……好きにしたらいい」
そんな風に笑顔を向けてくれるエルンに、ヴォルボラもここで暮らしてもいいかもしれない――そう思い始めた頃だった。
エルンが病にかかったのは。
森の中へ来るのもつらいであろう状態で、エルンは別れを告げるためにやってきたのだ。
「もう、ここには来られないと思うから……ごめんなさい」
「なぜ謝るのだ」
「そう、ですね。変ですよね」
「……元気になったらまたやってくればいい」
「ここで待っていてくれるんですか?」
「……気分次第だ」
「あははっ、ヴォルボラさんは優しいですね。はい、元気になったら、また、来ます」
その日を最後に、エルンが森へとやってくることはなかった。
数日経っても、彼女はやってこない。
それでも、ヴォルボラはそこに居続けた。
ある日、エルンの使い魔からメッセージが届いた。
『やっぱり、そちらには行けそうにないです。ごめんなさい』
エルンの病は魔力を制御できなくなるという魔導師にとっては致命的な病であった。
優秀な魔導師ほどこの病になると苦しむことになる――いくつかの薬草で症状を和らげることはできるが、治療をする方法はなかった。
ヴォルボラはそれを知り、遂にその場から飛び立った。
この世界には、あらゆる病を治すことができる秘薬の元になる薬草がある――それを持つ者は《竜王》と呼ばれる一体のドラゴンだった。
ヴォルボラはその後数年間――竜王との戦いに身を投じる。
身体に残る傷痕はその証だった。
ヴォルボラがその薬草を手に入れて村へとやってきたとき、すでにエルンはこの世にはいなかった。
それを知らせてくれたのは、エルンの死後に最後の役目を果たすために残った使い魔であった。
ヴォルボラは初めて、他人のために鳴いた。
そうして、ヴォルボラはエルンの眠る地に住まうことになる。
やがてそれが噂となって広まり、赤竜の討伐の依頼が出されるまでは、ヴォルボラは村の近くで暮らし続けていた。
***
一通り――ヴォルボラは話し終えると、目を開いた。
エリシアはそれをヴォルボラの話を聞いて、涙を流していた。
ヴォルボラはそれを見てまた驚く。
「なぜ、お前が泣く?」
「だって……ヴォルボラ様はその人を助けようとしたのに……」
「助けられなかったのは事実だ。ドラゴンにとってそれほど時間のかかっていないことでも、人にとっては大きなものだ。そんなことも、我は知らなかったのだから、笑える話だ」
遠くを見るように、ヴォルボラは言う。
だが、すぐにエリシアの方を見た。
涙をぬぐいながらも、しっかりとヴォルボラの方を見る。
気がつけば、その声はとても優しいものになっていた。
「我が呼んだのはその友の名だ。だが、お前にもその声が聞こえていたのだな」
ドラゴンの鳴き声を誰かを呼ぶ《声》として聞くことができた。
それはエリシアの才能であり、またある一つの事実を指し示すことではあった。
(ふむ、声か)
だが、モーゼフはそれに気付いても言葉にはしない。
伝えるべき時がきたら伝えよう、そうモーゼフは考えた。
「その人のことは、きっと忘れられないと思います」
「ああ、そうだな」
かつての友のことは忘れられない。
だが、それを忘れる必要もない。
その上で、これからの事を考えていけばいいのだから。
「ヴォルボラ様はもう、友達は必要としませんか?」
「……なに?」
「私は、エルフなので長生きです。きっと、長い時間ヴォルボラ様と一緒にいることができます。代わりになれるとかそんなことは思っていません。けど、私はヴォルボラ様と一緒にいたいと思います……っ」
エリシアの言葉を聞いて、ヴォルボラは静かに頷いた。
かつて、聞いた言葉と、また同じようなことが聞けるとは夢にも思わなかったからだ。
「……まさか、そんなやつが二人も我の前に現れるとはな」
エルンはヴォルボラのことを怖がらずに友と呼んだ最初の人間だ。
そして、エリシアもまたヴォルボラのことを怖がらずに、友になると言った最初のエルフだった。
「エリシア――ありがとう」
ヴォルボラはそう一言だけ感謝の言葉を告げると、目を瞑って眠りについた。
エリシアはそんなヴォルボラの傍に、時間の許す限り寄り添った。




