34.もう迷わない
「準備は整った。明日より捜索を開始する!」
冒険者達を指示するように話す黒髪の男、名はユース・フィヨル。
オリハルコンのプレートに刻まれた数字は『2』。
正真正銘の英雄クラスの冒険者であり、この町でもその名を知らない者は少なかった。
「あ、あれがユース・フィヨル……初めて見たな」
「《外の剣聖》だったか? すげえ強いんだろうなぁ」
「そらそうだ。俺らより何段階も上だぜ」
遠巻きに、この町の冒険者であるギーグ達が冒険者達の同行を見守っていた。
そこにはモーゼフ達もいる。
オリハルコンの冒険者はユースだけだったが、他にも名の知れた冒険者が幾人もいる。
ただ、モーゼフ達三人はその冒険者達を知らない田舎者のような扱いになっていた。
「……そんなに有名な方達なんですね」
「わたしもよくわかんない」
「ほっほっ、心配せんでもわしも知らん」
「ははっ、あんたらは相変わらずだな」
ギーグ達に笑われながらも、マイペースを貫く三人組。
そんなモーゼフ達を見ている男がいた。
――オリハルコンの冒険者であるユースその人だ。
ユースはしばらく仲間の冒険者と話したあと、こちらの方までわざわざやってきた。
「はじめまして、だな。俺の名はユース。今回、ドラゴン討伐のリーダーをやらせてもらっている」
「は、はじめまして」
ギーグが答える。そうして一人一人、町の冒険者と挨拶をかわしていくユース。
エリシアは複雑な気分だった。
彼らが狙うドラゴンは、エリシアがいままさに治療しているヴォルボラなのだから。
それはまだ誰にも気付かれていないことだが、ユースはモーゼフの前に立つと、
「ご老人、あなたも冒険者で間違いないか?」
「ほっほっ、その通りじゃよ。老後の楽しみに始めたんじゃ」
「お名前をうかがっても?」
他の者達の名前は適当に流しているようだったのに、モーゼフのときだけはしっかりと聞こうとする。
モーゼフは特に表情をかえることもなく、
「モーゼフという」
「モーゼフ殿……あなた方にもドラゴン討伐の協力をお願いすることもあると思う。そのときは――」
「うむ、できることはしよう」
モーゼフはそう言って笑顔で答えた。
ユースも口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「あ、あの……」
「ん? なにかな」
去ろうとするユースにエリシアが声をかける。
「その、ドラゴンは討伐されるようなことをしたのでしょうか……?」
エリシアの問いに、ユースは一瞬驚いたような表情をした。
そのあと大きな声で笑った。
「ははははっ、面白い子だ。まるでドラゴンを庇うようだな?」
「……っ、そ、それは……」
「いや、そういう疑問を口にする子は初めてだ。馬鹿にするつもりはない。だが、ドラゴンをどうして討伐するか、だったか?」
「は、はい」
ユースは少しだけ考えるような仕草を見せる。
やがて、エリシアの方を見て話し始めた。
「脅威になる――それ以上でもそれ以下でもない。やつが町に現れるだけでそこらを破壊してしまう。意識しているかは別にしても、危険な存在だ。そんなのがいつまでもこの大陸をうろうろしていたのでは、いつ被害が出るかも分からないだろう?」
「え、それじゃあまだ被害は……」
「まだ、明確な被害はない。だが、これから出る可能性は高い――そういうことだ。これで答えになっているか?」
「……はい」
エリシアは思わず息をのむ。
その言葉には凄みがあったからだ。
エリシアがそのようなことを口にするのは、明らかにユースからしてもドラゴンのことを何か知っていると言わんばかりだった。
だが、特にモーゼフ達が疑われるようなことはなく、次の日からドラゴンの捜索が開始された。
捜索と言っても、ドラゴンの存在がそもそも目立つ姿をしている以上、すぐに見つかるのではと町の中では噂されていた。
当然、空を飛べばすぐに分かる。
冒険者の中には魔導師も多く存在しており、ドラゴンが逃げられないように結界を張る役目を担っているのだろう。
けれど、森の近辺では魔物の数が減っているという以外には明確にドラゴンがそこにいるという証拠は見当たらなかった。
討伐隊の捜索は難航していると言ってもいい状態だった。
このまま時間が経過すれば、いずれ討伐隊も去っていく――エリシアはそんな風に考えていた。
けれど、ユースは森の中での調査を他の冒険者達に任せて、町の中で聞き込みなどを行っていた。
ドラゴンのようなものを見たことはあるか、などと見たらすぐに答えるだろうことから、町にいる冒険者の行動について尋ねていたらしい。
また明日――そう約束したのに、しばらくエリシアはヴォルボラのところへと向かうことはできなかった。
***
夜、よくナリアがモーゼフの部屋へとやってくる。
だが、この日は違った。
部屋のドアをノックして入ってきたのは、エリシアだった。
モーゼフはいつものように、椅子に座って来訪者を出迎える。
「モーゼフ様、お時間よろしいでしょうか?」
「ああ、構わんよ」
もう一つの椅子に、エリシアは腰かける。
ギィと木でできた椅子の音が静かに鳴った。
エリシアはどこか緊張しているようだった。
モーゼフと話すときにそうなるのは、大事なことを話すときが多い。
ふと、モーゼフから話を切り出した。
「ナリアは?」
「はい、ぐっすり眠っています」
「ほっほっ、それは何よりじゃ」
「あの子、夕方にもよく眠るけど、夜もしっかり眠るんですよね」
「寝る子は育つからの。良い事じゃよ」
「ふふっ、そうですね」
他愛のない話だ。
けれど、ナリアの話をするとエリシアは落ち着く。
エリシアは窓の外を眺める。
月明かりだけでも、部屋の中は明るく照らされている。
森の方では、今もヴォルボラが眠っているところだろうか。
「……冒険者の方達は、ヴォルボラ様を狙っています」
「そうじゃな」
「あの、ヴォルボラ様が見つかるようなことは……」
やや聞きにくそうなのを察して、モーゼフはすぐに頷いて答える。
「その心配はないと思ってもらってもいい。少なくとも、あの場にいた魔導師のレベルでは気付くことはないじゃろう」
「そう、ですか」
少し安心したような表情をするエリシア。
どうやら、何か迷っているようだった。
「私は、ヴォルボラ様のことを何も知りません。けど、追われていたヴォルボラ様が何かをしたわけではないと聞いて、正直安心しました」
「ヴォルボラが町や村を襲っていたとしたら?」
「……どうした、でしょうか。私には、そんなことをする方には見えなかったんです。誰かを呼ぶような声が聞こえたことがあって、それがヴォルボラ様だと分かって……」
エリシアの言葉に、モーゼフは少し考える。
誰かを呼ぶ声――それはエリシアの言う通り、きっとヴォルボラが発したものだろう。
それが聞こえたのだとしたら、それはきっと偶然ではない。
運命的なものがあったのだろう、とモーゼフは考えた。
「少し意地悪な質問をしたの。エリシア、お前さんの悩みはヴォルボラが凶暴なドラゴンではないと思っていると同時に、それは『自分が思っているだけに過ぎない』のではないか、ということじゃな?」
「……っ! はい、そうです」
ユースの言っていた、脅威になるという話だ。
傷を負ったドラゴンを治療することで、ひょっとしたら新たな被害が生まれるかもしれない――そんなことを考えているのだろう。
エリシアの悩みは、本人にとっては大きな問題なのだろう。
そんなエリシアに対して、モーゼフは静かに話し始める。
「昔の話じゃ。とある大陸で国同士の戦いがあっての。ある魔導師が負傷した敵国の兵士と出会った」
「……ある魔導師?」
エリシアの言葉にモーゼフは頷き、外の景色を見ながら話を続ける。
「その兵士の負傷はすでに戦えるものではなくての。それでも、負傷した兵士は戦おうとした。兵士にとっては敵国の魔導師じゃ。そして、魔導師にとってもまた敵になる。魔法を放てば、確実にその兵士を殺すことができるじゃろう。負傷した兵士には戦う意思はあっても戦えないのじゃからな」
一通り話した後、モーゼフはエリシアに向き直る。
「エリシア、お前さんならその兵士をどうする?」
「私、ですか?」
「うむ」
「……助ける、と思います」
エリシアは少しの沈黙のあと、そう答えた。
モーゼフはそれを聞いて、小さく頷く。
「その兵士を助ければ、ひょっとしたら仲間を傷つけることになるかもしれないぞ? そうしたらどうする?」
「そうならないように、私が説得します」
「ほっほっ、説得か」
そう簡単な話にはならないだろう――けれど、モーゼフはエリシアの言葉を聞いて笑った。
「もう答えは出ているようじゃな。今回は、敵意のないドラゴンをただ助けるというだけの話じゃ。ドラゴンに戦う意思はない。敵国の兵士を助けることよりもよっぽど簡単な話だとは思わんか?」
「あ……」
エリシアも少し驚いた表情をしていた。
始めから迷う必要もなかった。
エリシアにやるべきことは決まっているのだから。
もちろん、一国の所属する兵士と一匹のドラゴンではその後の行動がどれほどの違いを生みだすか、想像するのは難しくはない。
けれど、エリシアが納得するための答えを出す話だ。
今はそんなところまではこだわる必要はない、とモーゼフは考えた。
「モーゼフ様、私はヴォルボラ様を守りたいです」
「うむ、そうしたいと思うのなら、それがお前さんの正しい道じゃ」
モーゼフは頷き、エリシアの頭に手を伸ばす。
優しく撫でながら、言葉をつづけた。
「わしはお前さん達に力を貸すと決めた。だから、必要であればわしはお前さん達のために力を振るう。そういうところで頼ればいいんじゃ」
「……ごめんなさい」
「ほっほっ、ここは謝るところではないぞ?」
「……はいっ、ありがとうございます」
ただ一つ、気になることがあるとすれば、ユースという冒険者だ。
モーゼフにも注目していた。
うかつに動くことはできない状態はしばらく続くかもしれない。
相当な実力者であることは、対峙した時点でもモーゼフには分かった。
その点についてはモーゼフが何とかする――エリシアには特に話さないでおいた。
話を終えたあと、エリシアは去り際に一つの疑問を口にした。
「その昔話の魔導師の方は、敵国の兵士を助けたのですか?」
「……うむ、その通りじゃよ」
しばしの沈黙の後、モーゼフは答えた。
エリシアはそれを聞いて部屋を出る。
答えたときのモーゼフの表情は、うかがうことはできなかった。