33.治療、そして
森の中――結界に包まれた場所にヴォルボラはいた。
目を瞑って、深く呼吸をする。
節々が痛むことはあるが、痛み自体には身体は慣れている。
別に苦痛とも思わない。
この森の結界ではなく、さらに大きな結界に入ったあと、口調から判断して老人――もといアンデッドと出会った。
リッチという最上級のアンデッドであったため、戦闘は避けられないかとも思ったが、その老人は特に何を言うわけでもなくヴォルボラの滞在を認めた。
特にやり取りがあったというわけでもない。
ただ、森を移動するには目立つからと老人はヴォルボラの周囲に結界を張った。
ヴォルボラも好都合だからとそのままその結界内に居座った――それだけのことだ。
しばらくはこの森の中で静かに暮らしていよう、そう思っていた。
それでも、無意識のうちに声をあげてしまうことがある。
きっと誰にも聞こえないだろうと、ヴォルボラは考えていた。
時折、様子を見に来る老人は話しかけてくることもあったが、何の実りもない世間話ばかりだ。
それでも、ヴォルボラは一応受け答えをしてはいる。
ある日の朝のことだ。
一人の少女がヴォルボラの前に姿を現した。
銀色に輝く髪に白い肌――老人の話の中に出てくることのあったエルフだということはすぐに分かる。
彼女はドラゴンであるヴォルボラのことを心配し、薬草を持ってくるとも言っていた。
「去れ」と言っても言うことは聞かず、しかも呼ばれている気がした、などと根拠のないことを言う。
(聞こえている者がいるとはな……)
確かに、ドラゴンはある者の名を呼んでいた。
すでにこの世にはいなかったが。
長い時を生きるドラゴンにとって、人間などほんのわずかしか生きられない生物に過ぎないのだと、分かっていたことだ。
それを確かめるためだけにこれだけの怪我を負うことになってしまったが、そんなことを後悔はしない。
「……」
目を瞑っていたヴォルボラは片目だけを開く。
近くに気配を感じたからだ。
結界を張っている本人である老人ともう一人――以前やってきた少女、エリシアだ。
エリシアは迷うことなくヴォルボラの近くまでやってくる。
「あの……」
ヴォルボラはすでに目を瞑っていた。
静かにただ、少女がいなくなるのを待つ。
「あ、あのっ! ヴォルボラ様!」
今度は大きな声で、はっきりとヴォルボラの名を呼んだ。
ゆっくりとヴォルボラは目を開ける。
すぐそばにエリシアはやってきていた。
傍には少女が持つにはやや大きな壺と、何枚もの布があった。
「……なんだ?」
「お休み中のところ、すみませんっ。怪我の治療の方、させていただきたいと思いましてっ」
以前断って終わったはずのことだったが、エリシアはそう言ったのだ。
ヴォルボラは目を細める。
話を聞いていないのか――いや、聞いていてなおそうすると言ってきているのだ。
「いらんと言ったはずだ。そして、ここにはもう来るなとも」
「はい、言われました」
「だったら、なぜ来た?」
「ヴォルボラ様の怪我が心配だから、です」
「言っただろう。この程度は放っておいても治る」
ヴォルボラが休みの姿勢のままで動こうとはしない。
エリシアはそれでも食い下がる。
「わ、私は冒険者をやっていますっ」
「……? それがどうした」
まさか、ヴォルボラと戦うとでも言うつもりだろうか。
そう思っていると、エリシアは小さく深呼吸をして、
「こ、ここにヴォルボラ様がいると森の魔物が減ってしまって、その、仕事がなくなってしまうんです。だ、だから……」
取ってつけたように、考えながら言葉を並べるエリシア。
確かに、ヴォルボラがこの森の近辺にやってきて魔物が減ったのは事実だ。
冒険者としての仕事も多少は減ることになるだろう。
けれど、町の近辺に魔物が出なくなることはむしろ良い事ではあった。
何とか、エリシアが理由をつけようとしているのはヴォルボラにも分かる。
「なるほど……我に早く治ってもらい、ここから出ていってもらいたい、と?」
「……っ! そ、そういうことになります」
エリシアが言いたかったことはそういうことだろう。
ただ、いざヴォルボラがそれを口にするととてもつらそうな表情をした。
(嘘のつけぬ娘が……)
「ここには我は勝手に居座っているだけだ。とやかく言われる筋合いはない」
もう取り合うつもりはない、とヴォルボラは目を瞑ろうとする。
そのとき、エリシアが薬草を煎じて水を混ぜたものに布をひたし、それをヴォルボラの傷痕に張り付けた。
思わず、ヴォルボラは身体を起き上がらせようとする。
「どういうつもりだ、小娘……」
「あ、痛かった、ですか?」
「そういうことではない。何をしていると聞いているのだ」
ヴォルボラがそう問うと、エリシアは少し迷った顔をしながらも、はっきりと答える。
「ヴォルボラ様が勝手に居座っていると言うのなら、私も勝手に治療させてもらおうと思って……」
「……なに?」
以前のエリシアには思っていてもできないことだった。
モーゼフのように死者となった大賢者と接しているうちに、それと同等の者にも接することができるようになっていた。
もちろん、エリシア自身がヴォルボラから敵意を感じていないというところが大きいが。
エリシアがヴォルボラを見る目は本気だった。
少しでも身体を動かせば、簡単に殺される位置にいるというのに、エリシアは怖がっていない。
「ふっ、そういうことなら、好きにしろ」
「やった!」
一瞬だけ、笑ったような声が聞こえた。
エリシアもヴォルボラの言葉を聞いて、思わず喜びの声をあげてしまう。
うまくいったというのが嬉しかったのだろう。
ヴォルボラはその姿を見たあとに、目を瞑って黙ってしまう。
エリシアはそのまま、ヴォルボラの怪我の治療を始めた。
特に嫌がる様子もなく、大きな身体に薬草のエキスが染みた布を被せていく。
時折、ヴォルボラは目を開いてエリシアの方を見る。
汗をぬぐいながら、壺を運んでは別の傷口へと処置は続いていた。
(……よく働く娘だ)
その日から、ヴォルボラに対してのエリシアの治療が始まった。
***
それから数日間――毎日エリシアはやってきた。
一緒にいる老人、モーゼフは変わらずに姿を見せない。
だが、結界の中にいることは分かる。
エリシアがヴォルボラと話すときは二人だけにしようということだろう。
ヴォルボラも気付けばエリシアが来ることが当たり前になってきていた。
そんなある日――
「うわぁ……おっきいっ!」
またややこしいものがきた。
ヴォルボラは心の中で思ったが、口には出さなかった。
怪我の治療をするためにやってくるエリシアに対して、それを小さくしたような存在がヴォルボラの前をぴょこぴょこ跳ねている。
名前はナリアと名乗っていた。
エリシアの妹らしく、目を輝かせてヴォルボラのことを見ている。
「ヴォルボラはどこからきたのっ?」
「……」
「ヴォルボラはお空とべるの!?」
「……」
「ねえ、ヴォルボラは――」
「……やかましい」
特に返事もしていないのに、色々なことを聞いてくるナリア。
ヴォルボラのことを怖がらずに呼び捨てにするのは幼さゆえの好奇心が勝るのだろう。
そんなことを続けていれば、すぐに命を落とすことになる――そんなことを幼いナリアに言っても伝わらないだろうが。
なぜか首に下げた赤い石にも話しかけることがある。
ヴォルボラがそれに目をやる。
――瞬時に分かった。
ただの石ではなく、それ相応の存在であるということが。
けれど、その石の状態のものは何かをしようというわけでもない。
ナリアの話をきちんと聞いているようにも見えた。
だから、ヴォルボラは特に気にもしなかった。
「今日の治療はここまでにしようと思います」
「……」
「それでは、また明日――」
荷物を片づけて去っていこうとするエリシアと、「またねっ」と元気よく手を振るナリア。
それを見送るヴォルボラは、
「エリシア」
「っ! は、はいっ!」
エリシアにとっては、最初に名前を呼ばれた以来な気がした。
ヴォルボラの方を見ると、身体を丸めて相変わらず休みの体制に入って入るが、片目だけ開けてエリシアとナリアを見ている。
「……また明日」
「……はいっ!」
一言だけだが、はっきりとヴォルボラはそう言った。
エリシアも笑顔で答える。
数日以上かかったが、ようやくエリシアはここにやってくることをヴォルボラに認めてもらったことになる。
それが嬉しかった。
結界から出ると、いつものようにモーゼフがそこで待っていた。
「ほっほっ、どうじゃった?」
「すっごいおっきなドラゴンだった!」
「よかったのぅ」
モーゼフはそう言ってナリアを抱きかかえる。
今度はエリシアの方を見た。
「ほっほっ、何やら良いことがあったようじゃの」
「は、はいっ。その、久しぶりに名前を呼んでもらえたので……」
ただそれだけのことだったが、エリシアにとってはとても嬉しかった。
モーゼフもそれを見て微笑む。
「うむ、お前さんはよくやっている。ヴォルボラにもそれが伝わったんじゃろう」
「……そうだとしたら、とても嬉しいです。モーゼフ様が手伝ってくれなければできなかったことですが」
「ほっほっ、言ったじゃろう。わしは何もしとらん。ただ、大きなドラゴンは目立つから隠しているだけじゃ。あやつを治療しようと言い出したのはお前さんじゃ。それにわしは少し協力しているだけじゃよ」
「……はいっ、ありがとうございます!」
三人はそうして、森の入口から町の方へと向かう。
もう数日もすれば、ヴォルボラの傷も癒えることだろう。
そうすれば、この町からもいなくなってしまう。
それは少しさびしいことだけれど、元気になってくれるのならばそれでいい。
町の方までやってくると、少し騒々しい感じがした。
町の近辺にいくつか野営用のテントが張られており、いつになく武装した冒険者が目立ったからだ。
それも、この町にいた冒険者ではない。
出ていった冒険者達が何人か戻ってくることもあったが、明らかにそれとは違った。
ここの森には魔物の数も減っている――わざわざやってくるような理由もないはず。
エリシアやナリアには分からなかったが、モーゼフには察しがついていた。
町に入るときに、門番の男にモーゼフが尋ねる。
「あの冒険者達は一体どうしたんじゃ?」
「ああ、何でも近くの町でドラゴンが落下したのを見たっていう情報が以前から出回っていてね。何でも、この近辺までやってきているらしい」
「えっ!?」
エリシアが思わず驚きの声をあげて、そのあとに口を塞ぐ。
ナリアも心配そうにエリシアの方をみる。
「そのドラゴンって……」
「ヴォルボラ様のこと……?」
門番に聞こえないように、小さな声で呟く。
おそらく間違いのないことだった。
(なるほどのぅ……)
以前、キメラを討伐するとこの町に居座った偽りの討伐隊ではない。
今度は正真正銘のドラゴンを討伐する冒険者部隊がやってきていたのだった。